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流出雑記 

2015/6/25

2015年06月30日 | Weblog

横浜の赤レンガは舞鶴のよりも洋館のような立派な造りになっている。舞鶴のはもっとただ縦に長い倉庫という感じで、爆弾の保管庫だったらしい。今日の公演はアイザックも見に来ると聞いていた。
今回アイザックはたまたま航空券を懸賞を当てたとかで日本に数ヶ月滞在していた。そういえばアイザックとはじめて稽古したのは舞鶴の赤レンガ倉庫だったし、そのときの滞在制作上演も一度そこでやっている。師走の舞鶴は海辺のその雰囲気も手伝って市内とは別格の寒さだった。

時間通りにとか、ここで待ち合わせ、が全般的に苦手なアイザックはメールで7時くらいに劇場でと言っていたけれど、やっぱり開演ぎりぎりの7時半にたどり着いたらしい。間に合っただけよかった。

捩子さんの新作は『Urban Fork Entertainment』という。

冒頭、捩子さんが野球拳の歌を歌うイントロみたいなソロがある。野球拳というものはなんだかとてもUrbanでForkで Entertainmentな感じがある。

水道のことを話しているテキストが読まれる。舞台上に蛇口が浮いていて、人の手の届かないところにあるけれど、出演者が肩車みたいにすると届く。蛇口をひねると水が出る。水はその真下に最初から置かれているポリタンクに溜まっていく。けっこう高い位置から垂直に落ちて溜まっていく水は砂時計のように時間を可視化する装置のように見える。
舞台上にポリタンクはひとつしかないけれど、これが一杯になったらどうするのだろうとそこから先の水のことを思った。蛇口は開栓している。この水を止める動機があるとすれば、溢れる前にということだけれど、流れ落ちる水はポリタンクの底ではね返る音を立てて結構ハイペースに溜まっていく。水音のひびきが変わっていく。水が落ちているあいだは、水が容器のどこまで来ているか、もう半分くらいまで来ている、けれど別の容器は舞台上には見当たらない。どこかにあるのかも知れないけれど、流れ続けるにせよ止めるにせよ、とにかくこの水の行方が気になった。けれど予想は両方はずれて、水は溢れない調度いい量で勝手に止まった。その瞬間なぜ、誰が止めたのか、機構的にこの量が限界だったのか、と余計なことがいくつかよぎった。開栓したままの蛇口の水が勝手に止まったことは舞台の都合、という見方を私はしたので、この水が都市の地下、水道管を通り、舞台の時間に引き入れられているという道筋のイメージは弱くなった。どこからか届いてくる水ではなく、仕込まれた水と感じてしまった。このことにそれほどこだわって見ていない人の方がもしかしたら多いかも知れないけれど、私は舞台で水を扱うということ自体に注視してしまった。

水の存在が具体的に作品の時間の進行を作るものになるのだろうと見ていたから、そこから先の舞台の時間は滞留したような印象になる。何かが起こり、また別の何かが起こる。意図して時間をタイトに巻き取らないように作られているけれど、水たまりのような点々とした時間が続く。

一般的にダンスを作る稽古場のことを思い返すと、振付家から渡された振りをひたすら反復して踊り込むとか、何か演出家のイメージしているものを具現化する動きをダンサーが提示して、違うとかそれだいうやりとりをして作品化する要素を抽出し、構成していく。だからダンス作品として作られ、切り取られたものの周囲には、取捨選択の時点で省かれた舞台上では見せない/見えない体の状態、いらないとされたものが散在している。これは見せるに値しないとされたものが。この作品を見ていて、そういう周辺の体を舞台に上げているように見えた。

出演者10人は見かけとして懸命に全力で額に汗して踊ったりしないし、重力に抗して爪先立ったり、逆に重心を低くして重力を味方につけようともしていない。そんなことせずに、いる。地に足が着かない体というか、着けようにもその地面も不安定という感じでどこか宙ぶらりんに見える。でも、いる。ちょっとした集団の人が時々息を合わせたり合わせなかったり、いい音楽が流れているなかで一列に並んで伸びてあくびしたりしている。
例えば超絶技巧で踊られるダンスを見たときの観客は、それを見てすごいと思うけれど、そのすごいを少し詳しく言うと、私の体はあんなふうに足が上がらないしくるくる回れない。これ全部覚えてて、それでいて間違えないでしかも表現力豊かにやれるなんて、このために小さい頃から努力して来たのだろうな、私の体と同じものとは思えない、すごい。という感じだと思う。そのとき観客は特権的価値を持った体を前に自分の体との断絶を感じる。でも必ずしもそれが悪いわけではないし、それでこそ醍醐味と思えるダンスだってある。ただそういう価値を担う舞台芸術は既に他にあるから、そうではない角度から体を見ようとする視点で、今の日常を生きる体からダンスを立ち上げようとするときに、舞台上の体から特権的なもの、見られるために身につけた技巧や構えを出来るだけ解かれたところから舞台の時間を立ち上げることをこの作品では目指されたのではないか。

出演者があくびをしているシーンは数分あって、見ているとあくびがうつった。ダンスを見ていてうつるということは今あまりまでなかったなと思った。水、横浜の水道水は最後のシーンまで人質のように舞台上に置かれ、ポリタンクにただ溜まっていた。ポリタンクは最後、出演者の女の子に持ち上げられ、水は「浮遊」しながら去って行く。体が水になるのでも体が浮遊するのでもなくて、ポリタンクの水の浮遊に体が従事する。そこからダンスがはじまると思った。

この作品の出演者は舞台経験もバックボーンも異なる、異なった身体性を持った10人だった。

個々が個々として、そのままで良いという肯定感は何によって喚起されるのだろうか。ただその人らしいということが舞台上での良さに直結する訳ではたぶんない。出演者、行為する者の知覚はその場において生きながら、何かを上演中に選択する余地があるならば、その選択の指針となる作品のコアを正確に把握し、それを動きや言葉に変換し、作品の時間においてクリティカルに選び取らなければならない。見かけとしては何気なく。外すとしても意図を持って。そういう技術が必要になってくる。その技術は動きや発話の技巧を指すのではなく、むしろ比重はそっちになくて、その都度自分にあてられているroleは何であるかを状況から嗅ぎ取る瞬発的演技に近いものだと思う。

ただいることにしても、見られる構えを出来る限り解こうとしても、観客の視線の前では、こうしよう、という意図を持った状態からは簡単に逃れられない。そもそも自分に生(き)のままがあることをあてにしてはいけない。きっとそんなものはどこにもないと思うから。そういうときに必要な演技というもの、ただいることをするのはとても高度で、それをやるには微妙な内面の工作がいる。それが今演技と呼んだもの。でも工作の跡を残さない工作、手法化しない技術みたいなもの。それはキャラクタライズとは真逆にある。そのことはある部分出演者、行為する者が自分で方法を探さなければならない。どうやればいいかということを体系化することは難しいけれど、自意識を元手に、それが転じるところまで転がして追いつめるみたいなことではないかと思う。そこへのアプローチの方法はおそらく人によって異なるし、舞台の稽古ではない可能性もある。あとはその時々に関わる演出家と稽古場を共にすることで糸口を見いだすしかないのかなと、帰りの夜行バスに揺られながら作品についてというより、そこから派生した自問自答をしながら寝た。


2015/6/24-25

2015年06月27日 | Weblog

夜行バスで朝東京に着く。両国にある風呂やに行く。スーパー銭湯ほどの規模ではないけど、寝られるリクライニングチェアがあったりするので、持て余す朝の時間に休めたらいいんじゃないかと行ってみた。
けれど8時退館なのでお風呂上がって化粧などしてたらもう横たわる時間は10分くらいしかなかった。それでも少し楽になった。新幹線が5000円くらいになったらいいのに。そしたらもっと使うよ?

10時の開館を待って六本木の21-21DESIGN SIGHTというギャラリーで『動きのカガク展』を見た。
インタラクティブな作品が並び、子供が来ても楽しめそうな展示。
いちばん良かったのはニルズ・フェルカーというドイツのアーティストの 「シックスティー・エイト」という作品。数えてないけどたぶんタイトルがそうだから68枚あるんだと思う青いポリ袋が整列していて、そのひとつひとつの中にポンプが仕込んであり、空気が入ったり抜けたりする。波のように見えたり、呼吸しているように見えたりする。
暗い部屋を小さいライトを付けた模型の列車が走って、周りに配置された色んなモチーフの影が白い壁に映る作品もポエティックで良かった。

次に目黒の庭園美術館『マスク展』。謳え、踊れ、驚異の‘ハイブリッド’たちよ というキャッチコピーがおもしろい。アフリカ、アジア、オセアニア、アメリカから集められた仮面の展覧会。

のっけからこれどうやって被るのという感じの、上に向かって長い仮面や人の顔面よりずっと大きいものが陳列されている。風が吹いたら首が折れるんじゃないかと思ってしまう。木製のものがほとんどで、儀式に用いられ、神や精霊との交信を目的に作られたものは人のかたちを超えていて、他の動物がモチーフになっていたりするものもあるけれど、そういうものが具体的に思い浮かばない奇怪な形状のものもある。
儀式的、呪術的な目的で作られたものから、舞踊や劇、芸能として確立されたものに用いられる仮面になるとキャラクターが彫り込まれるようになってくる。人寄りになってくる。
実際に仮面を付けて踊っている映像の展示もあって、最初に見たような上に長く、身長を倍にしたくらいの背丈になる仮面を被って太鼓のリズムで軽快なステップを踏んでいるのを動画で見ることも出来た。首は大丈夫なのか、全然平気そうに踊っている。その群舞はとてもよかった。
眠くなったのでネットカフェで1時間だけ仮眠する。そういうことを初めてした。ネット環境と漫画と甘い飲み物が与えてくれる安心感で囲われた人工的なオアシスではあるけれど、一時間数百円で簡単に手に入ってしまう手軽さで、逆に自分の場所を、この狭さに限定された仮の安息に売り渡すような心地がした。便利に使うくらいならいいけれど、ここを点々として生活している人がいるなんて。

今回関東に来たのは捩子さんの新作公演を横浜で見るためだった。

別件で打合せがあった夫と4時半ごろ横浜でわかれて開演前に劇場で落ち合うことにして、私はとりあえず海に行きたかった。みなとみらい線、馬車道で降りてまっすぐ行くと海に出る。
5時くらいに着いてしまって開演まで2時間半くらいあったから、とりあえずしばらく海風に吹かれていた。 横浜の街はまるで京都とは正反対に感じる。西洋を受け入れて開かれた港町と古都のアイデンティティを守る山に囲まれた街。海辺にいるとやっぱりアイスが食べたくなるなと思って、赤レンガのなかのカフェでソフトクリームの乗ったアイスカフェオレを買って食べたらかなり冷えた。


2015/6/22

2015年06月22日 | Weblog
昨夜諸事情あって夫帰って来れず、日が昇ったころボロ雑巾状態で帰宅。
飲みつぶれた友人の介抱をしていたそうで、服と靴に付いたらしい吐瀉物のにおいが一緒に部屋に上がってきていた。夫は寝た。
鼻につくので服はとっとと洗ってしまいたかった。今日が晴れでよかった。
冬用のかばんと靴をスプレー式のクリーナー兼ワックスで手入れし、汚してきた白いレザーのスニーカーの汚れも落とす。


新しく作ったパウダーファンデーションを使ってみたらいい感じだった。
同んなじような白い粉を数種混ぜ合わせる。肌につやを与える粉や、皮脂を吸収する粉、紫外線をブロックする粉、うるおいをキープする粉。メイク落としをしなくても洗顔だけで落せる。

午後から仕事に出るまで自分で書いたものを音読して、ひっかかるところを修正していた。最近朝できるだけはやく起きてひとりの時間にそういうことをしている。時間の使い方を少しずつ変えている。
あと3年で今の仕事にけりをつけたい、と2日前からそう思っている。


仕事を終えて買い物してもどる。
洗濯物も取り込まれていなければ掃除機もかかっていないだろうと思っていたとおりだったので、夕飯は作ってもらう。

吐瀉物は少しつけ置いて洗ったくらいでは落ちないことを知った。

2015/6/21

2015年06月21日 | Weblog

明け方、突然雷雨。けっこう近い感じのする落雷と屋根を思いっきり叩く雨音で目が覚めた。小梅もびっくりしたようでいつも寝ている2階の寝室にいない。1階の冷蔵庫と壁の隙間に隠れていた。そのとき5時過ぎくらいでさすがにまだ早いからしばらくうとうとしていたけれど、6時頃になんだか目が覚めてしまったので、起きてシリアルを食べ、お昼用のミョウガ炒飯を作り置き、身支度をしてそれでも時間が余ったのでお茶の葉を少し炒ってお茶を入れ、やっぱりイングリッシュローズもほしいなとバラの本を眺めたりしていた。イングリッシュローズのなかで特に香りが優れているものをあげるとガートルード・ジェキル、エヴリン、シャリファ・アスマだそう。昔ばら園でブラザー・カドフィールを嗅いで魅せられた。濃厚なオールドローズの香りだった。自分で育てるのはヘリテージかジュード・ジ・オブスキュアかクイーンオブスウェーデンがいいなと思っていた。一生のうちにどれくらいのばらに手を伸ばせるだろうか。香料の原料になるカザンリクも一度は育ててみたい。ばら園に行けばいろいろ見れるけれど、枝が伸びて蕾をつけて咲いて散るまでがおもしろいのだから。

家を出るときには雨が上がっていて有り難かった。

3回ほど通った絵画サークルの仕事最終日。最寄りの二条駅から高架下を徒歩10分。空は明るくなってきたけれど、細かい雨がまだ降っている。ちょうど高架で雨宿りしながら歩けた。舗装の溝からアザミがよく咲いている。新しい音楽を聴きたくて、いろいろ視聴していた。Les Ogres De Barback(なんて読むのかわからない)というヌーベルシャンソンのグループのMa Tete En Mendiant(なんて読むのかわからない)というとてもいい曲を見つけた。

仕事を終えて、仕事場の向かいにあるパン屋でベーグルサンドを買ってかじりながら歩く。サンドイッチの中身はスモークサーモンとクリームチーズで、途中の植え込みにうっそうと茂っていたローズマリーの若い枝を一本もらい、サンドイッチに挟んだらすごく合うのでパン屋に教えてあげたかった。

駅の近くの高架下にスーパーがあって、そこは商品のすべてが常時安い。特に調味料や乾物。一応生鮮食品も扱っているけれど、なんとなく怪しげ。なくなっていたオイスターソース、ごまドレッシング、のり、ゆかりなどを買う。

もうすっかり晴れている。靴のスプレークリーナーを買って帰る。早く起きたせいで眠い。でも天気が悪い日が多くてあまり良く見ていないうちにチュウレンジハバチの幼虫がふ化したばらの手入れをして、洗濯機を回しているあいだに昼寝。この時もいい天気だったのに洗濯物を干し終わってしばらくしてからまた急に天気が悪くなり雨に。屋根があるから濡れないけれど。


2015/6/18 回想

2015年06月21日 | Weblog

朝から思い出すのが止まらなかったので書いておく。

初舞台は室伏鴻さんとのデュオだった。14年前。18歳。ちょうど今くらいの時期だったと思う。

大学に入って間もない頃。まだコンテンポラリーダンスや舞踏というものがこの世にあることも知らなかった。

大学にはダンスをしたいと思って入った訳ではなかったけれど、必修に岩下徹さんのダンスの授業が組み込まれていた。踊るなんて恥ずかしいし、どっちかというといやだと思っていた。でも授業の内容は想像していた高校の体育とかの、ザ・やりたくない感じのダンスとは違っていた。

腕を遠心力でぶらぶらさせたり、ただ歩いたり止まったり、出来るだけ脱力したり、15分かけて立ち上がるというようなことを数回やって、体は思っているより重いものだと感じ、そこから自分の体だけど、この場所のことをよく知らないんじゃないか、私と言っているこの私の体っていうのは、思っているよりずっと他人のようなものなんじゃないかと疑いはじめた。

岩下さんという人もそれまで出会った先生という感じではなくて、黒ずくめで坊主の見たことのない挙動の人だったし、こういうダンスはみんなこんな感じの教え方をするものなのだろうかと気になった。それで掲示板に張ってあった学外のダンスワーク ショップのチラシを見つけ、確かめにいってみることにした。そのときのワークショップ講師は室伏さんとヤザキタケシさんで、たまたま日程の合った室伏さんの方を受けることにした。

京都芸術センターの講堂。室伏さんを見て、また黒ずくめの坊主だと思った。

ワークショップの合間によく土方巽の話しが出たけれど、土方というのは歳三しか知らない当時の私には、何の話しをしているのかほとんどわからなかった。

ワークショップは6日間あった。他の参加者は既に何かしらのダンスをしている人たちで、そのなかで私は格段にできなくて3日目くらいでちょっとめげそうになっていた。でも6日間通いとおした。

その2日後くらいに電話がかかってきた。来週芸センで講師の公演があるけど、それに出ませんかという話しだった。ちょうどその頃、関西にピナ バウシュが来ることになっていて、公演日が重なっていた。私は既にピナのチケットを買ってしまっていのでそう伝えたら、あなたピナはこの先また見れる機 会があるけど、この機会はもうないのよ!と拍車をかけてくれたのはjcdnの水野さんだった。

それで出ることにした。ピナのチケットはたしか9000円とか、そのくらいして高かったけれど友達に譲った。そうして最初にピナを見損なってから、その後私は何度かあったピナを見る機会もなぜかことごとく逃し、ついに見れず仕舞いだった。

稽古場は芸セン。がらんとした講堂に室伏さんはいた。他の人たちなかなか来ないと思っていたら、出るのは私だけだとそこでようやく知らされた。

それから5日間ふたりで稽古をした。這ったり転がったりしていたと思う。休憩に入るとみかちゃんの分も買っといでとお金をもらって前田珈琲におつかいにいった。コーヒーには砂糖が2本必要だった。私はよくブルーベリーヨーグルトジュースを飲んでいた。そう書いたらまた飲みたくなった。

 舞踏ってなんですかと質問してみたら、私とは何か、私のこの体って一体何か、そういう問いが生まれたときに舞踏が踊られる、これが一言一句正しいかどうかは覚えてないけれど、そういう答えだった。だったら私が興味のあることは舞踏だと思った。

 本番の日。講堂の裏の畳の部屋で銀色になっていく室伏さんを見ていた。背中を塗るのを手伝ったら手のひらだけ銀色になった。

私の衣装は持っていたショートパンツと水野さんが見立ててくれたレースに覆われたキャミソールだった。

作 品は『Edge-Kyoto』というタイトルだった。冒頭、講堂にもともとある舞台の袖から室伏さんを先頭に際のところを並んで這いながら出て来る。そこ から飛び降りる。私は飛び降りるのを失敗する飛び降り方をする。フロアを這い回りながらセンターで向かい合って顔を突き合わせるところで、こっちはもう必 死でやっているのに、その必死なようすがおもしろいらしく室伏さんは本番中なのに笑いを堪えながら笑っていた。私はまじめなのでそこからの頭突きは強めに いった。

私のソロみたいなところで、ジェーンバーキンの「yesterday yes a day」が流れる。これを書きながら久々に聞いているけれど、こんないい曲でよく踊ったなと思う。

 この公演を見ていたという人とずいぶん後になってから話して、出ていたのが私だったと言ったら驚かれた。当時の私はフィフスエレメントのミラジョボヴィッチにして下さいと美容室でオーダーした、ばかオレンジ色の前髪ぱっつんボブだった。わからないと思う。

このとき他に3組のアーティストの上演があって、まだダンスをほとんど見たことのなかった私には、見るもの全てが新しいので、全部おもしろいと言っていたら、どうもだめだったらしい室伏さんは、全部おもしろいなんていいなと言った。 

 公演が終わってから先斗町にいって日本酒を飲み、木屋町で吐いた。

そ のあと三条のブルーノートにいった。どこでどうなったのか、元舞踏の踊り手の女性2人が合流していた。その女性はストリッパーをしていて、40過ぎてもう この仕事もお払い箱よ、みたいな世知辛い話しをしていた。私に口を挟む余地のない世界だと思った。その人は何か悩みごとがあったら電話してと言ってブルーノートのコースターに名前と電話番号を書いてくれた。その番号に電話を掛けることはなかったけれど、コースターは長い間持っていた。私はオレンジジュース を飲んでいた。さっき吐いたと言うとお店のママが、冷たいもんは胃が縮こまるさかいやめといたほうがええよとオレンジジュースの氷を抜いてくれ、私に一曲 選んでレコードをかけてくれた。歌っていたのはフランクシナトラじゃないことだけは覚えている。誰のMyWayだったのか。

店を出たら朝。

室伏さんはたぶん何もできないし身に付いていない私のありさまがおもしろかったんだと思う。だからこれはビギナーズラック的なものなんだろうけど、初めてのことはどうしても特別で、私から一生消えない。


2015/6/20

2015年06月20日 | Weblog
久々に朝昼晩3件。帰る頃にはボロ雑巾みたいになってると思う。せめて雨降らないでほしい。

地下鉄の駅で。
うしろに女の子乗せた自転車二人乗り。彼は昨夜泊まってた彼女を駅まで送ってきたのでしょう。彼女はリクルートスーツで就活に行く。彼は白いTシャツとジーンズ。なんだかとてもいい感じだった。そこだけ映画みたいな。

地下鉄の中で。
向かい合わせにひとつずつ空いた席に外国人観光客カップルが離れて座った。それを見て彼の隣の席だったおばちゃんが並んで座りなっていう意味で彼女と席を変わってあげた。彼女が隣に来たとたん席を変わってもらった恩に報いるかのように彼は彼女の肩を抱いた。これもまたいい感じだった。

1件目仕事を終えてサンドイッチを食べて次へ。
自転車で通る道の途中に有名私立の小学校があって、今日は父兄参加の集会みたいなものがあるらしく、土曜なのに制服の子がたくさんいて、子供と一緒に、どこに出ても恥ずかしくないお手本みたいにきちんとした黒いフォーマルワンピースやツーピースに品のいい化粧をした奥様方が歩いていく。

2件目と3件目は会場が一緒なので移動しなくて済む。
2件目のあと1時間休憩時間があった。
パンとカフェラテ買って近くの鴨川で。私が座ってる隣のベンチのカップルはさっきからもうずっといちゃいちゃとしか言いようのない感じでじゃれ合っている。ひと時も体のどっかが触れてないと耐えられないみたいに。 今日は人の幸せを見るの日か。ファミマのカフェラテには砂糖を入れすぎてちょっと気持ち悪い。 私はひとりでパンを食う。

でも最後に私にも幸せが訪れた。
最後の仕事の終わりがけに描いてる方から阿闍梨餅をもらった。阿闍梨餅は好物ベスト10に入ると思う。
そういうオチがついている1日だった。いや、そんなふうに1日を見ていた日だった。


2015/6/18

2015年06月18日 | Weblog
1日雨の予報だったから今日は家を出られないかと思って、昨日のうちに買い物とかを済ませておいたけれど、結局そんなにずっと降っていた訳でもなかった。

朝は注文していた化粧品原料が届いたので、新しいアイシャドウパレットを作った。アイシャドウの原料はマイカという鉱物の粉末で、いろんな色がある。それに化粧用のオイルとエタノールを少しまぜて乳鉢で混ぜ合わせてからケースに入れて押し固めれば出来てしまう。楽しいし、原価を知ると勝ったと思う。

昼を過ぎても起きない人に結構本気でいらだちながらその人が昨夜歩いて25分かかる地下鉄の駅の駐輪場に置いたまま帰ってきた自転車を、降水確率のせめて低いうちに回収してやるということにして家を出たけれど、恩を着せたいというよりいらだつのでとりあえず家小一時間を出たかったからだった。

バニラアイスクリームを買って帰り、アイスカフェオレを入れてその上に乗せた。

ずっと書いたものに手を入れている。もう直すところはないと思うまで。作業として彫塑に似ていると思う。

夜はチキンカレーを作った。


2015/6/17

2015年06月17日 | Weblog
仕事でここ一年くらい通っているところは駅のすぐ近くにワコールの本社ビルがあって、昼時には駅前のコンビニやそば屋に行って戻るワコールで働く私服の女性たちとよくすれ違う。
ここに仕事に来るときは駅前のパン屋で塩バターパンというのをかなりの確率で買ってしまう。ビルの向かいは公園になっていて、曇りで暑過ぎなかったので、公園のベンチで81円の塩バターパンを食べた。1円があるときはいいけどないときは塩バターパンのせいで小銭やたら増える。わりとしっかりめの生地の中にたぶんバターが巻き込まれていて、底のほうにバターが染みてクロワッサンみたいなさくさくした感じに少しなっている。
でも曇っているとはいえ相当な量の紫外線を浴びている感じがして、一応日焼け止めは塗ってきたのだけれど、ちょうど今日使い切ったから買って帰るのを忘れてはいけないと思った。
仕事場までは駅からだいたい歩いて10分。仕事はだいたい3時間で終わる。

住宅街を歩いて駅まで戻る道でいつも煙草を吸いたくなる。私が喫煙することを知っている人はあまりいない。1日のいちばんいい時に1本しか吸わないから人のいるところであまり吸わない。ひとりなことが多い。喫茶店にいるときとか。夕食の食器を片付けた1日の終わりとか。
キャプテンブラックは燃焼時間が長いから駅までの10分のうちの半分くらいもつ。甘い香りの煙りを十分に嗅ぐ。こんな良いものを習慣で惰性で吸ってしまうのは勿体無い。特別に取っておくものがいくつかなければ日々は平坦で虚しい。

日焼け止めは京都駅の地下街で忘れずに買い、本屋に寄ったら好きな田中慎弥の夜蜘蛛という本が目にとまって買う。本屋の店員が一定の間隔で無意味ないらっしゃいませを結構なボリュームで発声するのにいらいらした。


2015/6/14

2015年06月14日 | Weblog
水道管工事で掘り返されていた修学院離宮までの坂道。つぎはぎなく完璧に敷き直されたばかりの油気のあるアスファルトはタイヤを滑らせそうな黒いつやを放っている。朝だからか特に。
午前、二条あたりで仕事を終えて呼んでおいたタクシーに乗って阪急の最寄り駅。そこから西宮へ。朝ごはんに食べたシュークリームがまだ胃に満足感を残していて昼過ぎてもお腹が空かない。
仕事場は初めて行くところ。
先生が描きやすい臍ですねという。臍にも描きやすい描きにくいがあるのは十年以上この仕事をしていて初めて聞いた。深い方が描きやすいらしい。
仕事を終えてようやく空腹感。駅のパン屋で当駅限定ネギ焼きパニーニというのを買い、十三の京都方面行きホームの先頭あたりにある喫煙所とかのある広いところで食べた。ネギ焼きパニーニはお好み焼きを食べた気分になる。食べて消化を待つ間、特急を一本見送る。

隙間に入り込んで血肉になってくれるような音楽を探している。

2015/6/10

2015年06月11日 | Weblog
梅雨の晴れ間はもちろん洗濯。
山あじさいの伊予時雨は満開で青い。もう一つの八重のあじさいが咲きはじめた。もう植え替えないといけないのにほっておいたせいで花数が少ない。今年の花が終わったらちゃんと植え替える。青色に咲く肥料をあげているけれど、今年もやっぱり赤紫。土にピートモスを混ぜ込むといいみたい。青に咲かせるには酸性。
最近仕事で数回通っている阪急山本にある大きな園芸店でディクロアという珍しいあじさいの仲間を見つけた。香りがあった。この仕事先に行くのは来週が最後で、買うかどうするか迷っているけどたぶん買う。秋には青い実がなるらしい。

ばらは最初の花が落ち着いて次の花が咲きそう。一年生苗のディスタントドラムスがつぼみをつけている。小さい苗は咲かせるより成長させた方がいいから花は探せない方がいいというけれど、見たいので咲いてもらう。そしてすぐ切る。

某佐藤氏からメールが来た。
「ハヤシライスつくったけどこいから豆乳または、生クリームたして。」
奥さん宛ての誤送。これを見たとき地下鉄に乗っていて、笑い堪えるのが大変だった。無駄にいとしい。

会話していて あっそう という返し方をされると話す気力がゼロになる。あっそうを聞かなきゃならないんだったら、会話しない方がましと思うくらい。