福井に帰郷。
夕方福井に着く。
来月福井駅の新幹線高架下で『天使論』踊る。そのスペースを覗いてから迎えに来てくれた父の車で家へ。
家に着いて父と母は買い物に出る。
夫とその兄弟、私は居間にいて、それぞれ漫画を読んでいたりテレビを見たりしている。京都駅の本屋で買った伊丹十三の『女たちよ!』を読む。伊丹十三は映画監督としてしか知らなかったが、エッセイの名手であり、多彩な人だと最近知った。
別れた妻
そうして
まだ見ぬ妻たちへ
という冒頭。
夫はその本屋で柳田国男の『遠野物語』を買おうとした。あるかなと言いながら本棚から見つけ出したのは良いが装丁がよくなかった。確かに絵がうるさいし、この表紙を見ていると読む気が失せるけれど、欲しいのは書いてある中身なんだから外側は捨てればいいと言っても、購買意欲をそがれた夫は本を棚に戻した。
![](http://ecx.images-amazon.com/images/I/61R8CpZRBUL._SX230_.jpg)
本との出会いに装丁のイメージが強く関わることをもう少し配慮願いたい。
父と母買い物から戻り、夕飯の準備はじめる。一階の台所から三階の居間へ食器や切った材料を何往復かして運び、お膳を整える。久々のすき焼きだった。焼き肉かすき焼きかと言われれば私はすき焼きだと、今日確信する。ネギは寝かさず立てると出汁を吸い上げるそうで、ほんとうにストローのように吸い上がっていた。魯山人の方法らしい。
他には昨日の兄の釣果、鯵南蛮やカサゴの唐揚げ、酢でしめた黒鯛を乗せたちらし寿司など。料理したのは母。とにかくごちそうだった。
15日、終戦記念日が夫の誕生日。贅沢なお腹が落ち着いた頃ケーキでお祝いした。
翌日、午後から海へ。
車で30分ほど走ると鷹巣という海水浴場に着いた。海水浴場なんて小学生振りだった。砂浜に並ぶ浜茶屋。かき氷なんかをこういうところで食べた。子供の頃は毎年丹後半島の海水浴場に来ていた。年に一度の海、車から水平線を確認するとうみーうみーと大騒ぎだった。
掘建て小屋みたいな更衣室で5年前に買った水着に着替えtシャツを着て、あまり意味がなかも知れないが日焼け止めを塗る。
初めて泳ぐ福井の海。丹後の海は遠浅で砂は白く細かかったが、ここに砂は黒っぽくて粒が大きい。あと岩場がある。
やや緊張しながら波打ち際に立ち、腰まで浸かるのに時間がかかった。全身を浸してしまうまでは、海のなかにいる自分の異物感が皮膚にはね返ってくる感じで、海水との温度差の狭間、徐々に海水に慣れ沖の方へ歩いていくと、思ったよりはやく足が着かなくなった。深い、という恐怖。また足が着くところまで戻って平泳ぎはどうやってするものだったかとしばらく手足を動かして泳ぐことを思い出す。手で水をかき分ける、足の裏で水を押す。なんとなく感が戻って来たころ、沖に見えるテトラポットまで行ってみようと夫。何メートルくらいあるのか、随分遠く見える。でも泳ぐの止めたら沈む訳だからどうにか泳げるのじゃないかと挑戦してみた。波に逆らって泳ぐので進むのは遅い。どんどん深くなってくるのをひんやりしてくる水温の変化で知らされる。なんて量の水だろうと思いながらテトラポットの方へ必死で泳いでたどり着いた。夫はテトラポットの先端から飛び込んだりする。帰りはずっと楽だった。
水中メガネが売ってないかと夫は浜茶屋で聞いたら売ってはないがよかったらと貸してくれた。
小さい頃せっかく海に来ているのに大人はあまり海に入らず、水中にいるフグの赤ちゃんや、アサリを採ったりしないで楽しいのだろうかと思っていた。自分も大きくなったらそうなるのかと思っていたが、29歳になっても水中メガネを着用し思いっきり泳ぐ大人になっていると当時の私に報告する。
水中を見れる方が断然たのしい。波模様の砂、水の中の音、黒い食べられそうな魚も平然と泳いでいった。
背泳ぎして空を見ながら浮いているのが良かったが自分がどこに向かっているのか分からなくなる。
年に一度海で泳げたらいい。でもいつかそれも叶わなくなるかもなと、どうしてもそういうことが過るこのご時世。
3日間帰省し、少し料理もさせてもらい、家族に振舞えたことがうれしかった。あと母においしい太巻きの作り方を伝授してもらう。楽しかった。お盆の帰省はまるで子供の夏休みのようで、もう子供がいてもおかしくない年齢にさしかかって、自分の時間をすべて自分のために使い尽くしていることに罪悪感らしきものが伴っていることを自覚し、このしこりの持って行きようが今後の自分のあり方に関わるなと、そのことと共にあったお盆休みであった。