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流出雑記 

1月30日

2009年01月30日 | Weblog
2時半就寝10時半起床

起き上がってまず昨日干した洗濯物を取り込んだ。
今日は午後から必ず降るそうだから。

朝ご飯は餅。今日はあべかわ餅。

ゴミを出し、身支度をして12時過ぎ家を出る。雨はまだ降っていない。
父の勤める新聞社の文化センターで仕事。
2時間4ポーズクロッキー
俯いた座ポーズで自分足の脹脛の辺りを見ていた。肌は黄色と赤と青が混ざり込んでそういう色をしている。
終わるといつも向かいの喫茶店で先生と受講者とお茶する。
懸賞と宝くじの話題で盛り上がる。

小一時間程話して解散。
今日は夜、大阪でもう一件あるので京阪に乗る為出町柳へ移動。雨はぱらぱら。
途中で、以前妹がおいしよと教えてくれたロールケーキ専門店を発見してしまう。
反射的に中に入ってしまい、試食用に一口大に切って置かれていたのを勧められるがままに食べる。素直な味。
小さい店内、他に客はおらずそのままありがとうと言って出るに出られない雰囲気に苺の入ったのを1カットだけ買う。

電車を待ってる間ホームでロールケーキを食べていた。

天満橋で乗り換え地下鉄谷町線
早めに着いたので近くにあるフレッシュネスバーガーに入る。夜は遅くなるので6時前だが晩ご飯。
ここのチーズバーガーが好きなのだ。食べて武田泰淳の「富士」を読む。

時間が来たので会場に移動。
2時間4ポーズクロッキー

2ポーズ目辺りで足に生暖かいものが伝う感じがした。
休憩にはいってから確認すると血だった。トイレで血を拭く。
この事態に誰も動揺しないのはこの場だからだなあとぼんやり思う。
最後のポーズはムービングで、20分間ゆっくり動く。
チーズバーガー燃える血流!という言葉がよぎった。





迷路

2009年01月25日 | Weblog
2時半就寝10時半起床。

伊丹のアイホールに舞台を見に行く。
2時半伊丹に着き、3時からの公演を見る。
『迷路』という作品。

照明器具などを吊るグリットが室内の天井くらいの高さまで下ろされていて、そこにワイヤーを張って舞台全面シーツが干されて空間は迷路状態になっている。
舞台はある城の広大な庭 庭にシーツが一面に干されているのだ。
そこに労働者として囚われた男、その城の主と娘、などが出てくる。

ところが舞台が数十分進んだ辺りで突然照明が落ちた。
進行の中の暗転ではないし、スタッフがブレーカーを見に行っているような小走りの音と客席の不安げな空気、一瞬止まったが暗闇の中喋り続ける役者。

しばらくして作業用の水銀灯の明かりがついた。
演出家が役者の演技を止める、しばし舞台に放置された「役者」たちの置き所のない体。
照明はすぐに復旧しないようだが、このまま作業灯の中で続行しますと演出家のたどたどしい説明と謝罪があり、続きが始まる。

作業灯は白く明るすぎて、素っ気なく白いシーツがよりそれを強調し、役者が演技を重ねるほどすべてバラされていくような虚しさが募る。
終演後どうするのだろうとぼんやり考えながら、物語は終わる気配になった。
終わったな と思った時に急に舞台と何の関係もないようなノイジーな音楽が流れ、シーツの干されたグリットが幕が上がるようにしてのぼっていく。

何もなくなった舞台の中央に出演者、演出家が格好良く並んでいる。
演出家は後ろを向いた。彼の背中には紙が貼付けられ、こう書かれていた。

「全部ウソ」

その瞬間照明が思いっきり付いて、出演者、演出家は奥の搬入口から逃げ去った。

つまり、照明のトラブルも、演出家の謝罪も、放置された役者もすべてが仕組まれたことであった。

演劇はつくり事である。
観客はそれを知りながら芝居の中の役者を、物語を観にやってくる。
劇場という箱の中、観客は安心してつくり事を鑑賞する。
そのとき舞台の機構自体に何らかの不具合、特に照明が落ちるということは芝居の中では致命傷だ。
それを敢えて演出に組み込むということは、はなから物語を演技によって語ることをしたかったのではなく、劇場にいる観客に演技や物語による感動ではない揺さぶりをかけたかったということになる。
動揺というのだろうか。途中で観客は否応無くさめさせられる。そして一同、何かしらトラブルに遭遇してしまった連帯とまでは言えないようなうっすらとした連帯感に包まれる。
舞台を観ている意識されない自分から突然観に来た着席している自分たちに引き戻され、観客はそこでその時にその場に「立ち会っている」という感覚を持たされざるを得ない。
これはかなり強制的なやりかたであるし、してやられたという明瞭な感覚もあらかじめ土産として用意されている。中には怒る人もあるだろうけど。

一度きりであろうこの方法を試されたのだろうが、次に何をするのかは考えどころではないか。

観客を舞台に引きずり込むということは容易ではない。
でも人間を見入ってしまう瞬間を諦めたくないと思う。 
舞台の上で人は晒されなくてはならないが、それがどのようにすれば可能になるか と思う。



12月24日

2009年01月24日 | Weblog
3時就寝10時起床

コンクリートが固まったらしく今日からまたベランダの工事開始。
2階の寝室の窓のすぐ外で朝から絶好調の工具の騒音にも関わらずダーリンと小梅はすやすや眠っている。

朝ご飯は餅。クリームシチューの残りに餅を入れる。

午後から仕事。
自転車で出町柳の辺りへ。

3時間6ポーズクロッキー

5時に終わってそのまま北山に向かう。6時から小中一緒だった友人2人に会う約束。
約束より早く着いたのでフランスの素敵なボタンやビーズを置いている店、ドログリーに寄る。
めずらしいものがたくさんあるが値段が高い為、気に入ったものがあるとそれをメインに他の必要な素材は安い店で揃える。
ふと携帯を見るともう約束の時刻に近かった。こういう店に足を踏み入れるといつも時間はすぐに過ぎてしまう。
待ち合わせのカフェに移動。私が先に着いて5分後くらいにふたりがやって来た。
ひとりは去年の12月に2歳の子供を見に訪ねたが、もうひとりは成人式以来だった。昔から髪型は肩下くらいのストレートで小柄な女の子らしい女の子の印象は今も変わらない。そこに勤めている25歳の女性の雰囲気が加わっていた。

数種類あるディナーセットのメニューの中からふたりはパスタ、私はごはんを食べたかったのでジンジャーとトマトのボークソテーというのにした。

皆あんまり変わってないよねというところから会話がはじまる。
それぞれの姉妹のこともよく知っているので各々自分の家族周辺のこと、これからのこと。

サラダが運ばれて来た。レタスとベビーリーフににスモークサーモンと茹で豚が乗っている。

未婚の友人は今年の9月に結婚する。
滋賀の15代続く宮大工の家の長男のもとに嫁ぐそう。
同じく旦那の実家が滋賀である子持ちの友人は滋賀の親戚付き合い、近所付き合いは密接だと言う。
結婚してすぐに旦那の実家で、しかも姉夫婦同居の大家族で1年ばかり生活してきた彼女の苦労話を聞く。
彼女はとてもよく喋る。

料理は私のポークソテーとごはんが先に運ばれて来た。ふたりのパスタもすぐに運ばれてくる。

身ごもっている時と産んだ後の体の感覚の違いは何かあるか聞いてみた。
手や足が冷える質だったのに妊娠中は体がずっとほかほかしていて、冬でも薄いセーターだけで平気なくらいだったと言う。
心臓がふたつだったからだろうか。

食べ進めて豚肉の脂身が多いと思いはじめる。でもポーズした後で空腹だったのでおいしく食べている。
ふたりは嫁に行くのに料理がまったくできない友人に料理教室がてら昼食をふたりで作って食べたそうでおそらくそんなにお腹がすいていない。パスタはそれなりに口に運ばれた後皿の上で冷えていく。
私さっきまで裸だったとふと思う。

子育てについて、いろいろ悩むと言う。
自分の知識なりいろいろの浅はかさを思い知り、もっと器の大きい人間になりたいと。
確かに、自分が産んだとは言え自分ではないひとりの人間に様々なことを伝える前にもう一度自分のものの見方、価値観を疑ってみることは必要かも知れないと意見を述べた私は私に胡散臭さを感じる。

ミニデザートのガトーショコラとバニラアイスクリームに一同喜ぶ。
親の偉大さについて話していたと思う。
程よい時間になった頃帰路につく。

寒波がやって来て空気は冷えきっている。
寒さに身を縮めて自転車の帰り道、私を連れて帰る そんな感じの帰り道。

その数時間後、胃もたれに苦しむ。




 

1月23日

2009年01月23日 | Weblog
3時過ぎ就寝11時起床

朝、新聞と一緒に紙が一枚入っていた。
うちの隣のおばさんが昨日亡くなり、葬儀の日時と会場を知らせる町内会からの紙だった。
昨日餅をもらったおばあさんは右隣、亡くなったおばさんは左隣。
表札にはご主人と娘さんとの3人の名前があるが、ご主人は既に亡くなり娘さんは嫁がれているようで、我々がここに越して来た2年前すでに一人暮らしだった。
初めて挨拶に行った時も何かわからないことあったら聞いて下さいねと穏やかな表情が印象的な方だった。
病気がちで入院されていることもしばしばあり、救急車で運ばれて行くのに出くわしたこともあった。
家に居る間もあまり外出されず、週に何度かヘルパーが来て生活介助をしているらしかった。
右隣のおばあさんによれば、ご主人が亡くなって家にこもりがちになり鬱傾向の時期もあったと言う。

隣からは以前から鳴り続ける電話の音が聞こえることがよくあり、人が訪ねて来ても出られないこともよくあった。
昨日の夜も雨音の中2回ほど掛かってきて鳴り続けていた。
それから30分ほどたって近くで救急車が止まり、隣だろうかと思っていたらやはりそうで外で数人の人の話し声、担架の音などがしている。
少し玄関から顔を出してみると、傘をさした若い女性が立っていた。目が合って会釈したがなんとなく事情を聞き辛くドアを閉めた。
もしかしたらという思いはあったが、今朝亡くなっていたことを知る。

ひとり暮らしの初老の女性の洗濯物はいつも寂しげだった。
死亡を知らせる紙に書かれた「ご逝去」という文字は死を硬い箱に入れたように見える。
家族を作り子供を育てた家、ひとりひとりいなくなる。
家は使われなくなった鍋、ボウル、お玉、洗濯機、醤油、小麦粉、石鹸、櫛、アイロン、肌着、シャツ、毛布、押し入れの中の品々を抱えたまま黙っている。
黙っている壁一枚隔てた所にいる。
手を動かしたくなりクッキーを焼く。
小麦粉190グラム砂糖50グラム紅花油60グラム卵M1個バニラエッセンスシナモン190度18分

夕方、南禅寺の国際交流会館で仕事。
早めに出て近くのギャラリー虹を覗く。
「泥の夢から醒めるまで」という絵画展。
すべての作品はモノクロで、パネルに墨と油彩、それにジェッソを使って描かれたざらついた壁のしみのような中に部分的な裸婦が描かれている。体も背景に溶けているようになっていて黒い液状に感じられる。
作家は学生で私より3つほど若い男性。今後の作品が見たいので住所を書いて出た。

6時半から仕事
2時間半5ポーズクロッキー

大黒屋で苺と牛乳とほっと梅を買って帰る。


1月22日

2009年01月22日 | Weblog
3時半就寝、11時前起床。
寝る前に枕元の明かりで高村光太郎の『智恵子抄』をなんとなく開く。大半の詩は智恵子があんまり高らかに詠い上げられているように思われ、私は疲れてしまうのだが、中で3つ好きな詩がある。「晩餐」「梅酒」「同棲同類」

昨夜、ダーリンと後輩E君は2階の仕事部屋で映像編集作業をほとんど徹夜でやっていたようだ。
私は1階のコタツで寝ている。コタツをいちばん低温にしてそのまま寝るので浪費だなあと思うが、朝起きると体はほかほかで起き上がってもしばらくほかほかは続くほど暖まっている。
しかしいよいよ自分の体温で保温する能力は退化しているように思う。冷たい布団にひとりで入るといつまでも眠れない。

今日も午後から雨の予報。
昨日の残りのシチューとトーストと寒さのせいで常温でも冷蔵庫に入れた時のように黒くなってしまうバナナを食べて『富士』を二章読んでから降り出す前に外に出る。
壊れてしまった物干の蛸足などを買いにコーナンへ。
蛸足と切れたつり下げ部分を補修して使っていた洗濯バサミがいっぱい付いてる靴下などを干すやつも新調。あと小梅のおやつ。合わせて大体1000円。
出ると小雨が降り始めていた。園芸コーナーをちょっと歩いて帰宅。

我が家の玄関には去年買った魚柳梅が寒空の下ますます鮮やか。この色の花に弱い。
挿し木したてのような弱々しい100円の苗だったが夏の間見る度毎に育ち枝数を増やした。
魚柳梅は小梅の花、と勝手に思っている。

玄関を掃いてその流れで靴磨きを始めた。
今年買ったカンペールの靴は大事に履きたいので靴クリームでまめにケアしようと思う。
ダーリンが式場カメラマンのスーツの時に履く黒い革靴、私のほとんど履いていない臙脂と茶色を混ぜたような編み上げブーツ、元はグリーンピース色で今は鈍い抹茶色に変色したツモリチサトのパンプス…。
靴クリームをいらなくなった靴下に馴染ませて磨くと、乾いた皮に油分が吸い取られるように馴染む。
クリームはガソリンのようなユウウツになる臭いがする。臭いがこもりそうなので玄関ドアを開けたまま磨く。
しっとりと光る靴は靴としての威厳を取り戻したような誇らしげな顔をしていた。

磨き終わったころ隣のおばあさんが出て来てふと覗いた。
うちの二階のベランダの工事の騒音のことなどをお詫びし、しばらく話していると、「お餅好きですか」と聞かれる。鏡開きをしたら中から食べきれないほど小分けパックの丸餅が出て来たと言って餅をたくさんいただいた。

うちの冷凍庫にも丸餅が5つほど、あと小さい鏡餅がまだある。
餅を消費する為に夕飯はキムチ白味噌鍋にし餅を入れた。
しかしまだまだあるのでまたぜんざいを炊く口実にする。

夜、小梅を捕まえて頬ずりしたら実家の押し入れにあったミンクのコートのにおいに似ていた。

 

1月21日

2009年01月21日 | Weblog
3時就寝11時起床
昨夜、オバマ大統領の就任演説を見ていた。
テレビで繰り返し歴史的瞬間と言うから見なければならないような気持ちになってホントに見たいかどうかよくわからないまま見たので19分の演説の後半は上の空だった。
オバマ氏の手相の運命線(手のひらの真ん中あたり)は中指まで突き抜けているらしい。そんなことを思い出していた。

目覚めるとダーリンは家を出た後だった。小屋入り中で朝早く伊丹アイホールへ。

掃除をしたり家のことを一通り済ませてから大学の図書館へ返却がてら向かう。
自転車で走り出すと小雨が降り始めた。
今日は午後から雨の予報。 

図書館は明日から試験期間に入るので貸し出し禁止になっていた。
武田泰淳の『未来の淫女』という小説を探しているが検索しても見つからず。
しばらく図書館をふらつき佐藤忠良の彫刻の写真集、ジーパン履いている上半身裸の像が変だと思いながら眺める。
『水』『土』というしゃがんでそれぞれ水と土に触っている形の裸婦像は素敵だった。

図書館を出て駐輪場に向かうガラスのドアを出た所の軒先に茶トラの子猫が2匹雨宿りをしていた。
生後半年くらいで人慣れしている。
しゃがんで呼ぶと1匹がととと…と寄って来てスカートの裾に入った。それを見てもう1匹も入った。
ごく自然な振る舞いでスカートをテント代わりにした。
しばらく温める。

その後古本屋で武田泰淳の『富士』を見つけて買う。半額に申し訳ないような気持ちになりながら。

カナートで買い物して帰宅。
「甘みのある~」という売り文句のちぢみほうれん草は茹でただけでも確かに甘みがあり醤油を少し垂らしただけでおいしい。
使い倦ねていた白菜をがさがさ鍋に詰めて蒸し茹でにし、かぼちゃクリームシチューの素を入れて煮てやった。

夕飯を終え、『富士』を読みはじめる。
導入部分は武田百合子の『富士日記』に描かれる山荘にやってくるリスや鳥のこと、草刈りのことから戦時中の精神病院を舞台に描かれる物語に移って行く。
山荘での穏やかな日々、移り変わる風景を武田百合子は不自然な積極性ともただひたすらな牧歌的享受でもない在り方で、スケッチするように鮮やかに言葉にしたが、武田泰淳の方は餌付けをはじめてあたりまえのように武田家山荘にやってくるようになったリスを見ながら「神の餌」という主題を見つけ言葉を練り上げていたのだなと思う。
同じ場所で暮らした時間の中で比重の異なる魅力的な作品が生まれている。富士日記の描写を思い起こしながら本の後ろに広がりを感じた。

富士という言葉がいいなと思う。
ふじ
フジ
FUJI

富士…富士山の略 静岡県中東部富士川東岸にある市
不二…ふたつないこと ふたつでなくて同一であること
不次…決まった順序によらぬこと 破格 異例
不治…病気がなおらないこと
不時…予定外 不意 臨時
父事…父に対するように人に仕えること
扶持…そばにいてたすけささえること
藤…マメ科フジ族の植物の総称 5月頃花をつける

1月20日

2009年01月20日 | Weblog
3時頃就寝9時半起床。
今日も二階ベランダの工事の始まりが目覚ましとなった。

大工さんは親子くらいの年の差のふたりで時々ケンカ腰で話し合っている。
今日はベランダの足場になる部分のコンクリートが塗り固められ、明日あさっては乾かす為に工事はお休み。

午後から母校へ頭像の仕事、最終日。
1年生の初めての彫刻の実習で、それぞれ最終段階の髪の毛まで手をつけてはいるが、同じような頭部の塊なのに、顔の奥に骨格や筋肉の裏付けを感じられるものと、お面を貼付けたようなぺらんとした印象を受けるものといろいろある。

学生の中に舞台美術に興味があると言っていた女の子がいたので造形大の舞台コースの授業のことなど少し話す。

終わって昨日の深夜突発的に焼いたネコ型シナモンクッキーをかじりながら自転車で走る。あんまりうまくなし。

帰りにイズミヤで小梅のごはんを買う。膀胱炎になりやすい小梅は泌尿器ケアの高品質キャットフードを召し上がる。
あと食料品を買って帰宅。
干していた洗濯物を取り込みに二階の物干に上がる。そういえばこの間いつもタオルを干している蛸足のフックが折れて、タオルを物干竿にそのまま引っ掛けて干したのだが、洗濯バサミが足りず、心配しながらもそのまま引っ掛けただけで放置した。
すると案の定大半のタオルがトタン屋根の上にバサバサと飛ばされていた。落胆しながら湿ったタオルを拾い上げ洗濯機に突っ込む。明日は雨。

今日こそこの頃習慣のようになっている夕食メニューから脱することにする。
最近ダーリンは夜の稽古で遅くなり夕飯を食べてくる。
ひとりだとたくさん皿を並べるのが面倒になりご飯に何かしら甘辛いものを乗せて丼にするのとみそ汁を作るくらいの気力しか沸かず、日々衣笠丼だった。あと肉と魚を買って調理するのが億劫になる。肉と魚に買ってしまうと使わなければいけない生ものプレッシャーが伴う。
しかし数週間乳製品以外の動物性タンパク質を取ってなかったので何となく肉と思い、今日は牛肉の切り落としを買った。
牛きのこ丼。甘辛い玉ねぎが好きなので玉ねぎをたくさん入れる。

そして今日もはやく春が来るように苺を食べる。
昨日あまおう今日さがほのか。








1月19日

2009年01月19日 | Weblog
3時就寝9時半ノックの音に起こされる。
工務店の人。
去年大雨が降った日に玄関に面しているベランダの排水溝が詰まって真下の玄関が雨漏りした。それを大家さんに報告したら、老朽化している事もあるので直すと言う事になり今日から工事が始まる。
家の中には入らず外からの工事になるので、家の中から延長コードをひっぱってきてポストの穴からコンセントをぴろんと出す。

トーストにキリのクリームチーズを塗ってかじっていると程なくガガガガガ…と工具の音と振動が始まる。
小梅はなんだなんだと警戒した時のイタチ歩きでしばらくうろついてからコタツに潜った。

10時頃、大工さんによろしくお願いしますと言って家を出る。
伊丹のアイホールへ。
いつもはダーリンと一緒に出るが今日は同じくアイホールで別の公演の映像をやっていて小屋入り中なので朝早く仕込みに出掛けた。

1時頃伊丹に着く。
クリーミーなものが食べたくなる。
アイホールの向かいのスーパーでクリーミー欲を満たすものを探す。
友人に安いがおいしいと教えてもらったヤマザキのウサギのロールケーキを見つけて買う。
150円くらいだが、私が作るロールケーキよりきめ細かくふわふわで悔しい。

今日のエルダー世代とのワークショップはダンサーの白井剛さんを招いての、体を動かしてみましょうの回。
いつもの企画参加者の方々7名とこのダンスワークショップのみ一般の方の参加も募り5人ほど集まった。
私、演出のダーリン、音響のpsyさんも参加。
ワークショップは椅子に座って首肩のストレッチから下半身へ、ゆっくりと始まる。
そうして準備体操のような動きを反復し、ステップを入れたり音楽に合わせたりしながらいつの間にか短い振付けが出来上がっていた。
体がほぐれてきた後半はティッシュペーパーを使って体を動かしていく。
手のひらにティッシュペーパーを一枚ふわふわさせながら落とさないように動きをだして、それを他の人と交換しながら空間を動き回る。
最後にはティッシュを無くしてその質感をイメージで保ちながら動き、さらに体の中にその質感を浸透させていく…とおもしろくなってきたところで2時間のワークショップは終了。
全員初体験の試みだったが、参加者の方々は日常的なアイテムから始まった日常ではしない動きや関わりにおもしろさを感じられたようだった。こういうボディーワークを久しぶりにやった私も楽しかった。

いつものように椅子に座って机に向かっていると日常レベルの体の状態から出る言葉と距離感には一定の枠があり会話の内容も時事ネタや回想になってしまい、そういう側面からしか参加者の方々を見る事が出来ないような感じがあったが、そうでない体の関わり方が出来た事で何より私が作ってしまってい壁が少し砕けたのでそれがうれしかった。
会話でないものがないと不自由だ と何に関してもいつも思う。

ワークショップを終え、仕込みの続きがあるダーリンを置いてpsyさんと阪急で爆睡しながら京都に帰る。

家に着くとベランダはすっかり無くなっていた。
小梅は騒音の中留守番していたので好物のかつおのディナー。

ここ最近ダーリンは稽古で遅くなり夕食を食べてくる。
私はほぼ毎日飽きずに同じものを食べている。
衣笠丼。
甘辛いダシでおあげと玉ねぎ(本来は青ネギ)を煮て卵でとじる。簡単でおいしい。
みそ汁は白味噌キムチほうれん草。
デザートは苺、ココア。
本当に毎日同じだ。


1月14日

2009年01月14日 | Weblog
4時半就寝11時起床

午後から大学の友人RちゃんとKりんと会う。

ダーリンも来る予定だったが家で作業があり遅れて来ることに。

大学前で待ち合わせだったので大学の図書館で延滞していた本を返し、次に読む本を探す。
ちくま文庫の中に『百合子さんは何色』という本を見つける。
百合子は武田百合子だったりして…と手にとってみるとそうだった。うれしくて借りる。
昨年末、武田百合子の『富士日記』を読み終えた。
夫である作家の武田泰淳は日常生活では物事に一々細かすぎたり、我が儘で子供みたいな処がある。
山荘にいても突然「明日東京に帰る」と言って、その為に食料などを始末し帰り支度をしなければならなかったり、山荘へ行く時も数時間掛かる道中混むのが嫌だからと朝の5時頃に家を出ると言うのだが、そういう時の段取りや運転はすべて武田百合子の仕事。
この作家の妻をやるのはさぞかし大変だろうと思う。

でも日記の中に書かれている武田泰淳の何気ない言葉や行動にはなんとも言えない色気がある。すべてものと馴れ合わない人の孤独の醸造のにおいがする。
その傍らで、武田百合子の日々はまた別の魅力的な広がりをもってみずみずしい。
夫婦の結び目は台所の油汚れのようにベタベタしたものに覆われず、ある透明感をもって結晶化しているようなところがある。
書いてあるのは大げさなことでなく、その日の買い物、献立、来客、庭にやってくる鳥やリスのこと。
「特に何もなかった」と言ってしまうような一日にも様々な出来事が折り重なり、その中のひとつふたつを言葉で鮮やかにスケッチしているような日記。
その日々を私は美しいと思った。
富士日記は半年ばかり常に鞄の中にあり移動中や休憩中に開いていた。
後書きで知ったのだが、上~中~下巻の終わりまでの間に13年経っているらしい。

大学の大階段でRちゃんとKりんに落ち合う。
他にもいろんな同級生に声をかけたらしいが平日の昼間は皆働いているので集まらなかったそう。
我々が卒業してから新たな校舎が建って様変わりした学内をちょっと見物。
卵色の壁の新しい学食でわいわいしながらうどんを食べてみる。やっぱりきつねが甘い。

その後大学の向かいのそうげんカフェでお茶にする。ダーリン合流。
お茶とケーキと身辺の話。

5時前に別れる。
私は久々に、みなみ会館に映画を見に行こうと思っていた。
インドの売春窟で生まれ子供たちのドキュメンタリーにするかビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』かどっちを見ようか迷っていたが後者は光が美しい映画らしいので映画館で観るのはこっちだろうと思いビクトル・エリセにする。

自転車で松ヶ崎まで行って、地下鉄で京都駅に出て近鉄で東寺へ。

ビクトル・エリセの映画を観るのは初めてだった。
10年間で1本くらいのペースで撮っているそうで作品は数本しかないそう。

1940年、スペインの小さな村の養蜂家の家族の物語。

観客が迷わない話しのすじはあるが、ストーリーより場面場面の美しさに魅せられる。
風景の切り取り方、暗闇に浮かび上がる表情の捉え方、部屋に差し込む日の光はフェルメールの絵のよう。
それぞれの登場人物を取り囲む場所、風景があらわれてくるような映画だった。

残念なのは後半トイレに行きたくなりそわそわしていた私。


1月11日~12日

2009年01月12日 | Weblog
5時就寝11時起床

日曜なのでダーリンは式場カメラマン。

テレビで恒例の都道府県対抗女子駅伝がやっている。
もう後半だったがちょっと観る。
京都の中学生区間を走る2名は一卵性の双子の久馬姉妹。ふたりとも中学陸上界でかなりの実力者らしい。
8区を走った妹、体は細いが力強く大きなストライドの迫力ある走りでしばらく目が離せなかった。
実況の高橋尚子が「大物です」と言った。そこで一気に差をつけて京都は優勝。

午後から高校の頃の友人Mさんが来る。
お土産に阿闍梨餅をいただく。好物。
それと昨日焼いたかぼちゃチーズクランブルケーキを食べながら話す。
コタツでゆるり。気付けば時間が過ぎていた。

夕方、芸術センターの前田コーヒーで明日からのアイホールでのワークショップと今年7月の公演に向けての打合せ。
その後映像のE君と音響のpsyさんとダーリン、私の四人で居酒屋へ。
マッコリを飲んだ。口当たりが良いのであんまりお酒は得意でないが飲めてしまう。
お酒を飲むと途中15分間くらい抗えない眠気が来る。消化途中何処かの臓器を通過すると眠くなる構造なのだろうか。

12時頃店を出る。眠る錦市場を歩く。
あんまり寒いので皆でタクシー相乗りして帰る。

翌日、9時半起床 うっすら雪が積もっていた。
身支度をしていると、玄関に面している台所の窓にガツンと何かぶつかり、ガタガタ外から開けようとしているような音がした。朝からなんだとドキドキしながら近づいてみると猿だった。小梅がコンロの上に乗って窓を執拗にくんくん嗅ぐ。
猿が去ってから外に出てみる。
しめ縄の橙がむしられ、玄関先に皮だけ捨ててあった。隣の立派なしめ縄のみかんも同じ事になっていた。
ダーリンを起こし、伊丹、アイホールへ。
出がけに近くの大きな家の瓦屋根に猿が何匹かいて、そこは工事中なので鉄パイプの足場にぶら下がったりしている。小猿もいた。

1時過ぎ伊丹着。2時からワークショップ。
この日の参加者は69歳から94歳の方々7名
最近のニュースの話しが多い。
とめどなく打たれる相づちと途切れない社会問題への憤りの話し。

もう少し非日常的なことを話してみたいと思いながら、どう切り込めば良いのかわからず黙ってしまった。


終わって烏丸から自転車で帰る。
こんな冷えきった冬の夜はラーメンだと、一乗寺まで走る。
いつも行列の高安が空いていた。妙なインテリアの店内。
ダーリンが注文したラーメンと唐揚げ、ごはんのセットはかなりのボリューム。
ラーメンは際立ってうまいと思わなかった。
どうしてそんなに人気なのかわからん とふたりとも同意見だった。