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流出雑記 

キムチ鍋とプチトマト

2008年10月30日 | Weblog
4時就寝。

朝9時半頃玄関をノックする音。
インターネットの回線を換える工事の人が来たようで、ダーリンが飛び起きて出た。
そんなんで下に人が居るし私は寝ていることにして寝すぎて10時半起床。

昼前に今日から本番の公演の舞台映像班のダーリンは家を出た。
観たいのに3回の公演時間すべて仕事とかぶっていて、ゲネを観せてもらえないか聞いてもらったがゲネの時間も仕事と重なり残念ながら私は行けず。

昨日マッシュしておいたかぼちゃに片栗粉を混ぜてフライパンで蒸し焼きにしてみた。
すると餅のようなかぼちゃができあがった。
きび砂糖と醤油をかけて   うま。

溜まっていたアイロン仕事。
アイロンの醍醐味はやっぱり白いシャツ。
それと布からあがってくる温いにおい。

今日も夜7時から固定ポーズ。
仕事場のアトリエと実家が近いので父に連絡してみたら、今日は夜勤の日だった。父は夜勤の日、晩ご飯を5時頃に食べてちょっと寝て8時過ぎに出勤する。昔からそうだ。
私も仕事が終わって帰宅は11時になるので早めの晩ご飯を一緒に食べることにした。

仏花を買って、5時前に実家に着く。
ただいま~と玄関を開けると父が台所に立っていた。
何か切ってる  白菜。

父は別居するまでレトルトカレーすら作らない人だった。母が全部してしまっていたとも言えるが。
だから父が白菜を切っている姿は私にとって父の自立を垣間見ることと、どこかしらさみしくなるのと微妙な心境になる。
「キムチ鍋したろと思って」

どこかファミレスにでも行くものだと思っていたので驚いた。
まさか父のもてなしをうける日が来るとは。
ちょっと泣きそうになる。

白菜4分の1、葱3本、ニラ2束、玉ねぎ1個、水菜1袋、もやし1袋
2人分の材料の適量はわからないらしい。
机にセットされた電気鍋には既にキムチ鍋のスープと鶏肉が煮えていた。

白菜以外の下ごしらえを父と代わって私がやり、ふとプチトマトが2パック買ってあるのに気がついた。
「お父さん、プチトマトは何に使うん」
「あ、それ鍋に入れるねん」
「え、プチトマト」
「カレー鍋に入れたらおいしいて書いてあって、キムチ鍋でもいけるかなと思て」

独自のアイデア。

キムチ鍋はおいしかった。
プチトマトも思いのほかおいしく、ふたりで感動した。
おいしいなあ とふたりでたくさん言う。

昨日は自分ですき焼きをしたそうだ。
外食ばかりも飽きてきたらしい。

平らげて、父が何気なく あー体がうれしいと言った。
 
父は某新聞社の印刷部に努めている。
去年完成した印刷工場は世界で一番高速で印刷できる施設だそうで、ギネスに申請しようとしたが手続きが恐ろしいほど面倒でやめたらしい。
この前、父のいる新聞社のカルチャーセンターの絵画教室に仕事に行ったよというと、今度来た時連絡しろという。飯と社内見学させてくれるそう。

デザートに柿を剥いておいてくれた。
父は季節のくだものが好き。

やたらとキャッチセールスに気をつけるように言われる。
6時半、私は家を出発し、父は仮眠。

まだうちには招待していないので今度呼んでみようと思う。

10月29日

2008年10月29日 | Weblog
またコタツで就寝10時起床。

洗濯。
結婚式で着たワンピースも手洗い。

引き出物でいただいたバームクーヘンを引き出物の食器セットでいただく。
バームクーヘンの背中がシャリシャリしておいしい。
ダーリンはコーヒーに浸して食べている。

最近料理に乾物を使うことが多い。
切り干し大根、ひじき、くるま麩…
賞味期限が長いからなかなか使わなかったりで、気がつけば流しの下の収納がごちゃごちゃしてきたので年末が来る前に積極的に使っているのだ。
切り干し大根とひじき、人参、大豆を炒め煮。
醤油がちょっと多かった。ごはんに混ぜるとちょうどいいくらい。
昨日買ったかぼちゃを無水鍋で蒸し煮。 
半分はマッシュして、半分はサラダに。
ハロウィンが近いのでかぼちゃパンやらスイーツやらよく目に留まるこの時期はうれしい、困る。

自分の机の微妙な散らかり加減についに苛立を覚え片付け。
丁寧に掃除機をかける。よく働く掃除機なのですぐゴミが溜まる。7割梅の毛。捨てて分解しフィルターとホルダーを洗う。

7時から仕事、夕方家を出る。

今日は朝から左目の二重のラインがいつもと違う。
顔の左側が全体的に少し腫れぼったい。

なんでだろうと思っていたのだが、これはポーズのせいだと気がついた。
ポーズは肩が凝ったときのように左手を右肩に乗せて首を左側にひねっているのだが、左肩がものすごく詰まる。
リンパ液が塞き止められている感、休憩中は出来るだけほぐしているが追いつかないらしい。
あと2日左側を腫らして暮らします。






謎の自転車盗難

2008年10月28日 | Weblog
コタツで寝て9時起床。
午後から母校の美術高校の胸像の仕事。今日からだいたい週2回来年の1月まで。

ダーリンは10時頃家を出た。
出たと思ったら玄関がまた開いて「自転車ないけど昨日どこかに置いてきた?」と聞く。
昨日は雨も降ってなかったし、間違いなく自転車で帰ってきた。
人通りがほとんどない路地なのでいつも鍵をつけたまま家の前に停めている。

やられた。

電車に乗る為いつもより早めに家を出る。
駅までの道を下りながら、その辺に乗り捨てられてないかときょろきょろしながら歩いていた。
すると案の常、家から100メートルほど離れた民家の塀の側に停めてあった。
おおチャリ と近寄って乗ってみる。
もともとぐらついていたカゴが割れて外れている以外は問題なかった。

それにしてもどういうことなのか、何かすごく重いものを積んで走ったのだろうか。
誰かが乗ったと思うと少々乗り心地が悪い。

高校に着く。
1年生の授業。最初の「お願いします」の挨拶がとても元気。

3時間6ポーズ固定

ポーズを終えて、今日は夜にもう一件あるので仕事場のアトリエの近くに移動。
実家の近くなので立ち寄り休憩。
向かいにある自転車屋でカゴを新しいのに付け替えてもらう。1600円。

実家は父不在。

台所に吊るしてあるバナナ3本のうち2本はずるっと棚の上に墜落していた。
最近値段も上がって品薄のバナナ。
冷蔵庫にあった特濃ミルクと墜落した1本を食べた。
久しぶりに食べるバナナはおいしい。

あんまり寒いので毛糸の上着をクローゼットから出して羽織り出発。

画塾で4日間の固定ポーズ。
7時~10時と時間が遅い。

立ちポーズに決まる。
足下が冷える。

6ポーズ終えて帰り道、北大路通りを西大路から北白川まで延々走る。北大路駅辺りまでは下りでほとんど漕がなくても走る。
頭がきーんと痛くなるほど寒い。

11時帰宅。帰って湯船にじっくりつかる。
湯せんのレトルトカレーの気持ちになった。


くりかえされるよみがえる

2008年10月27日 | Weblog
3時半就寝8時半起床。
晴れ。
二階は朝日が入るが一階はひんやり。去年ストーブが壊れてしまったので、この冬はパネルヒーターを買う計画。

ダーリンは今週末本番の公演の舞台映像班で今日から仕込みに入るので9時過ぎに家を出た。
私は午後から大阪で仕事。
10時半出発。
出町柳に自転車を停め、京阪に乗る。
天満橋で下車。改札を出てすぐのパン屋を覗くと、片手サイズのかわいいくるみあんぱんが焼きたてだった。
買って食べながら谷町4丁目まで一駅歩く。
つぶあんがたい焼きのように熱い。
行儀は悪いがパンを買って歩きながら、または自転車に乗りながら食べるのが好きだ。

ビジネス街は昼時で通りにはお弁当屋が売りに来ていたり、サラリーマンが並んでいる定食屋があったり。

20分くらい歩いてアトリエに着く。
5時間9ポーズ普段着固定
苦手な床座りのポーズだった。左のお尻に体重がかかっていて後半の方は時間が過ぎるのをひたすら待ってしまった為に長く感じた。
主婦の方が多い集まりで、休憩中にパンやら果物やらコーヒーをいただける。
今日はほうれん草のおひたしもあった。

体はそんなに疲れるポーズではなかったが、体勢維持のために脳の奥が疲労した感じ。

9ポーズ終えて帰宅。
今日は行きも帰りもずっとZAZEN BOYSの「自問自答」をひたすら聴いていた。

くりかえされる諸行無常 よみがえる性的衝動
くりかえされる諸行無常 よみがえる性的衝動

この歌詞は「自問自答」以外の曲のにもくりかえし使われる。
向井秀徳の声に「帰って来たヨッパライ」の歌のような高いエフェクトの声が重なって歌われてる。
あのふざけたような声が くりかえされる諸行無常~ よみがえる性的衝動~ と歌うのだ。
無責任で機械的な無邪気さの冗談みたいな大仏を連想してしまう。
いや、大仏と言ったが大きさは豆みたいだ。
軽量化プラスチック感無機質もしかしたら録音をひたすら再生しているかもしれないような仏の声。
でもなんだかこの想像が気に入り、くりかえし聴きたくなるのだった。

帰りの電車、ドア側の補助席に座り、手すりに顔からもたれて寝てしまい、変な跡がついていた。

買い物して帰宅。
ダーリンは夕食いらず。
最近そんな日が続いていて、あまり料理していない。
先週たくさん作りすぎた、輪切りの切り干し大根とひじきと大豆の炒め煮を毎日食べている。ごはんに混ぜるとおいしい。
あと納豆、みそ汁(しかもインスタント)。

ミルクティーに砂糖だけでなく、塩を少し入れるとおいしい。



マリアージュ

2008年10月25日 | Weblog
今週末は雨の予報だったが、木、金曜の間に降り、今日、土曜は気持ちのいい秋晴れで絶好のウェディング日和となった。
正午に幼馴染みの結婚式。

私も朝から髪をコテで巻いたりしてドレスアップしたが、地下鉄の駅まではいつものようにチャリで行く。
送迎バスがくる。
おそらく出席者であろう若い人たちが数人乗り込んだ。

彼女と私は小学校1年生まで同じ社宅に住んでいたが、私が転校しその2年後彼女も転校していった。
同い年で名前が同じで誕生日が一日違い。背格好も似ている。
幼稚園に入る前から一緒にいて、入園してからも他の友達と遊ばずいつもふたりだった。
そんなだったから転校することは私にとって一大事であり、覚えていないが母から聞く所に寄れば、そのころ私は自家中毒を起こしてよく吐いていたらしい。

山の側にあるチャペル。
受付を済ませて待っているあいだ辺りを見回すが職場、高校生時代からの友人方なのでやはり知っている人は無し。

時間になりチャペルの中へ。
牧師はフランス人。
カメラマンとビデオの記録の人が入っていた。式場記録の仕事をしているダーリンはこういう感じなのか…と観察。

新郎、新婦入場。
華奢なウエストから広がるボリュームのある白いドレス。私も手伝って一緒に作ったアクセサリーが色白の胸元を飾って、長いヴェールに包まれた花嫁。

賛美歌を歌う。セレモニーに立ち会っているぞと思う。

指輪交換、誓いのキス、フラワーシャワー、ブーケトス、名前は忘れたがシュークリームのタワー。 で披露宴。
お酒が注がれ料理が運ばれてくるがあまり手がつけられない。
スピーチを頼まれていたのだ。生まれて初めての。
ほとんど暗唱できる内容を組み立てはいた。
しかし喋りはじめると、妙に感極まり声が震えた。
「大人になったら結婚式には呼んでな」というあの頃の約束を彼女は守ってくれた。実現している、そう思うと極まった。

良いスピーチありがとう、とよく知っている彼女のお父さんとお母さんに言っていただけたのが嬉しかった。

結婚式をすること、親に花嫁姿を見せることは親孝行だなあと思った。





 










花嫁へ

2008年10月20日 | Weblog
2時過ぎ就寝10時起床

洗濯機2回転。
夏にはほとんどなかった靴下を干す量が増えてくると秋だなあと思う。

最近朝にコーンスープとくだものを食べる。
今日は梨。

ダーリン風邪気味。私がうつしたのかも知れない。
ダーリンはきのこ焼きそばと梨。
黒砂糖と生姜をたくさんすりおろしてチャイに入れる。

午後から幼馴染みに会う。
松ヶ崎の駅まで自転車で下りる。そこからは彼女の車で。
彼女は今年の夏から旦那さまになる人と産大の辺りで暮らしている。

今週末結婚式で、先月からちょくちょく会ってふたりでウェディングドレスのアクセサリーを作っている。
ティアラとネックレスを式場からレンタルするだけで5万かかるそうで、もったいないなあと話しているうちに自力で作れるような気がしてきて、せっかくだし作ろう作ろうということになった。

先月のうちに白いウェディングドレスとお色直しのピンクのドレスのネックレスとピアスは完成していた。
今日は最後の難関ティアラに挑んだ。

針金に大小様々のパールやスワロフスキーのビーズを通して10ほどのパーツを作り組み立てていく。
本を見ながらやっていたが、デザインを変えたり、やっているうちにここはこうしたほうがいいとお互い自己流にやりだす。
日々の献立や身に感じた不条理なんかを話しつつふたりでほぼ休みなく4時間かけてティアラを完成させた。
達成感のある仕上がりにはしゃぎながらまた送ってもらう。

夜8時頃に出る予定があるというダーリンに晩ご飯を作っている時間がもうなかったのでコロッケを買ってダッシュで帰宅。
2階に上がると彼は床でのびていた。風邪の顔をしている。
熱はなかったが〆切が近いデザインの仕事数件と来週小屋入りの舞台の映像をやる予定があるこの時にまずい状況。
とにかく悪化させず早く治るよう努める。

役者に風邪を移せないので行く予定だった稽古はキャンセルし稽古後の打合せだけ行くと言う。

コタツでかぼちゃスープをすする。
買って来たコロッケをかじる。
ひとつの皿にのせたコロッケを小さいコタツでふたりで食べていると貧乏ごっこをしている気分になる。
実際貧乏でもある。


自景

2008年10月19日 | Weblog
2時就寝6時半起床。

見た夢。
小学校の非常勤のような立ち位置の私。
一泊校内宿泊行事で隣で寝ている谷村美月のような顔の低学年女子の頬っぺたを撫でたりしながら軽い性的衝動を抱く。
最近学園ものの夢をよく見る。

10時から大阪、天王寺で仕事。
6時台に起きるのは久しぶりで緊張しながら寝たらぱしっと目覚める。

午前午後の仕事なのでお昼のおにぎりを作る。
ダーリンを起こしなんとか上半身起き上がったのを見届けて8時前に家を出る。
自転車で出町柳まで行き、京阪に乗る。
四条と五条の駅名が「祇園四条」「清水五条」に変わっていた。

天満橋で地下鉄に乗り換え天王寺へ。
美術館の人物画教室。
4時間半、立ち固定15分を11ポーズ


午前の部が終わり1時間の昼休み。じりじり暑いくらいの日差しに天王寺公園内のバラも辛そう。
おにぎりを食べて、美術館でやっていた佐伯祐三展を観る。
今日が最終日で日曜なので混んでいるに決まっているが観たいと思った。

今の東京藝大にあたる学校を出てからパリに渡り、一度帰国し再度渡仏のち30歳で亡くなるまでの作品が展示されている。

印象に残ったのはパリの画学校で最初に描いた自画像を「アカデミック!」と批判され、それが相当なショックとなった佐伯祐三がその後しばらく描き続けていたという自画像の一枚で、はらっぱの道でパレットと絵筆を持った画家自身が茫然と立ち尽くしている絵。
顔の部分は削られている。
未完の作だそうで、パリの街角を描くに至る前の当時の佐伯祐三の状態をよくあらわしているということで展示されていた。
学生時代の自画像は、どれも鏡ごしに自分を見据え挑むような眼光だっただけに打ち砕かれたという様子はあまりにはっきりと見て取れる。

その後画家の目は街角に向けられる。
酒場、カフェのベージュにモスグリーンや深いプルシャンブルー、煉瓦色、の落ち着きと品のある色のペンキの壁、異国の文字、鮮やかな赤。
街の佇まいや色調に魅せられていくのがよくわかる。
そして佐伯祐三の絵と言えるスタイルが芽吹いた頃に家庭の事情で帰国。
その折に描かれた日本の風景は全体的に沈んでいる。
電柱が目につく風景が多く、画面のど真ん中に電柱を描いている風景もあった。
パリの街の風景に電柱や電線はない。
「日本では描けない」という想いを見ているような絵。

余談になるが、エヴァンゲリオンには電柱と電線の風景がしばしば出てくるように思う。
電柱と電線は都市という大きなからだをはしる神経回路のような有機的なイメージを喚起させる。
電柱と電線の風景と明朝体の美しさはエヴァから教わった。

帰国した翌年、再渡仏を果たした佐伯祐三の絵筆は息を吹き返したかのように踊る。
街並、文字、木立。
ポスターの描かれた余白の白になぜかドキドキする。

画家の目にうつる異国の街角の風景が画家本人へ移っていくような、それが自画像と等しくなるような照応。

そこからやがて新展開を求めてパリ近郊のモランという村へ写生旅行に出掛ける。
その村で描かれた風景画にはパリの街角に見られる踊るような筆跡とはまた異なり、輪郭線が強く引かれた寺院、どことなく不安になる歪みと重さのある建物が描かれている。
その後パリに戻って心身の調子を崩し30歳の若さで亡くなった。

印象に残った「立てる自画像」のポストカードを一枚買った。

昼休みが終わり、午後からのポーズ。
描いている方がレモンティーをくださった。
すべてのポーズを終え、帰る。
ホームで京阪を待っているとおばあさんに話しかけられる。
美人だった。

京都に戻りスーパーに寄って帰宅。
ダーリンと舞台映像を一緒にやる後輩E君が来ていた。
なにやらパソコン作業。

夕飯は3人で食べた。
カレー鍋というのをしてみたかった。
和風だしと市販のカレールー3分の2くらい適当な濃さにして、主にキャベツ、それからソーセージ、ねぎ、しめじ、油揚げ、残っていた豚肉とベーコンも入れて煮た。
おいしかった。
〆はやはりカレーうどん。

食べながらレジャーとは何かについて話した。


 

10月18日

2008年10月18日 | Weblog
2時過ぎ就寝7時半起床

午前、京都駅の近くで仕事。
昨夜切ってレモン汁をかけて冷やしたりんごを齧りながら身支度。すごくおいしかった品種を忘れた青りんご。

ダーリンも土日は式場カメラマンの仕事で早起き、9時前に私より少し早く出掛けた。
その10分後私も出発、地下鉄で松ヶ崎から京都駅へ。
人物を描くカルチャースクールの講座。
2時間4ポーズクロッキー。
秋から開始の講座の1回目で初心者の方もいらっしゃるようだった。

昼頃ポーズを終えると午後からもう一件仕事。
松ヶ崎へ戻り駅前に停めている自転車で下鴨神社の辺りへ移動。
下鴨本通にあるパン屋、グランディールに寄る。造形大の前にもあるおいしいパン屋さん。
黒糖くるみパンというのを初めて見るパンがあり、買ってみる。

これはまた買うと思う。
移動しながらパンを食べ、T氏宅へ。

3時間6ポーズクロッキー
休憩中なんとなくT氏に、絵を描かない日は何をしてるんですかと質問してみた。

「何にもしてへんなあ。たいがい新聞よんでるわなあ。」
「テレビ見たりは?」
「テレビはNHKやな。ニュース見てるわ。他のんはCMが多いしうっとうしいわなあ。」
「好きな女優さんは?」
「さいきんやったら井川遥やなあ。」
「じゃあ買い物とか、散歩に出たりはあんまりしないんですか。」
「せえへんなあ。週に一回ヘルパーさんが来はるから。」
「ヘルパーさんは良いかたですか?」
「(頷く笑っている)」
ポーズ中ぼんやり、語られないT氏の何も無い一日はどんなふうに時間が流れているのだろうと思っていた。
「年末で68歳や。もういつ死んでもおかしない。元気なんは目えだけやわ。あんたから見たらおじいさんやなあ。」

絵を描く事とはなんですかとはまだ聞いた事が無い。

T氏はあんころ餅と栗餅を出してくれた。

仕事を終えスーパーに寄る。
我が家の今夜と明日の夕飯の献立を考える。
T氏は今夜何を食べるのだろうと気になったが聞かなかった。
いつもT氏宅の玄関から出る時に見てしまう台所の床に置いてある炊飯器。

ダーリンが帰っていてシャワーを浴びていた。
帰って来たところだがまたすぐ打合わせで出るから夕食は帰ってから食べると言う。

今日の献立 酢豚風炒め物、小松菜とゴボウ天のおつゆ、煮物の残り、ごはん

食後カルダモンミルクティーとみかん。

明日は朝から夕方まで大阪で仕事。早起きなので早寝する心がけでいる。

月見会

2008年10月14日 | Weblog
3時就寝9時半起床。
風邪がまだ扁桃腺にひっかかっている。

雨音。
昨日干した大量の洗濯物を取り込んでないのに。
物干しにトタン屋根がついているので大半は濡れないが、屋根からはみ出したタコ足に吊ったタオルはびしょびしょだろう。
濡れてまた乾けと思う。

ダーリンは深夜作業のち床で寝てしまっていた。
うちは二階がダーリンの仕事部屋と寝室。

一階に降りると昨夜から吸水させた玄米が炊き上がったにおい。やわらかく炊き上がった。
おにぎりにする。

昼過ぎダーリン起床。
一階に下りてきて「伝統芸能~はげ踊り~」と唄いながらおどる。
起き抜けからそのテンションは心配になる。

私は雨の日の鬱々が全身に行き渡りコタツカタツムリになっていた。

今日は夕方から仕事。
身支度をするとしゃんとする。
その後描きに来られた方々と恒例のお月見会と銘打った食事会にご一緒することになっていた。いつもは自転車だがそういう遅くなる時はタクシーで送っていただけるので小雨のなか歩いて駅まで下る。

修学院から叡電に乗り出町柳で降りてすこし早く着いたので元ボンボンカフェだったところに行く。
イタリアっぽい店名に変わり、300円だったコーヒーは値上げして、安くて手軽でよかったサンドイッチ類がメニューから消えた。新しいメニューも安いことは安いが、店内が全体的にあまり良くないリニューアルを遂げていた。
カプチーノの頼み、努めてゆっくり飲む。

しばらくして店を出ると雨は上がっていた。
半日カタツムリだったのでひたひた歩くのが楽しい。

3時間6ポーズ固定
座ポーズで腕に体重をかけすぎた。手首が痛い。ポーズ中、何度もミスったと思う。 
ポーズを終えて四条河原町の方へ車に分乗して移動。夜は晴れて月が出ていた。

もう25年ほど続いているデッサン会で、開始当初からの方が今もいらっしゃる。
新年会も月見会も毎年同じビアレストランでやるので、店の人とも顔なじみといったふう。
私はここへ来るのは二度目。
会の代表の方が今日のメンバーに程よいビールと食べ物を手早く注文される。
「ここはカキフライがうまいんや」と、何がおいしいかはもう知り尽くされている。

10人で取り分けられる大きいオムレツが運ばれて来た。
80代の木版画家の女性がひとりいらっしゃる。
「椿さん」という素敵な名前の素敵な方。
食事もよく召し上がり、フライドチキンに齧りつき、好物はオムレツ。
今はおひとり暮らしのようで、「オムレツも卵よおけ使わんと一人分やとふわっとできませんのや」とおっしゃったのを聞き逃さず椿さんのためにチーズオムレツが追加されていた。
「もうだいぶよばれましたのに」といいながらチーズがぴよんと伸びるあつあつのオムレツをとり皿に取った。

メンバーの中に住職がいらっしゃり、修行中のおもしろい話しをたくさんしてくださった。
参加者は11名で60代の方が多い。

おもしろかった京都の地名の由来についての話し。
私は実家に居た頃親から、「この辺の土地は昔全部野原で、死体を捨てる場所やった。だから掘り返すと骨がいっぱい出てくる。」と聞いた。
なぜそんなことを言うのか、私は恐がりだったのでそれで夜寝れなくなった。
ただそれは本当の話しだったそうで、実家は千本通りという通りに面しているのだが、その千本とは卒塔婆が千本くらい立っていたというのが由来だそうで、地名で「野」と付く所は死体を捨てる場所だったらしい。実家の住所は「紫野」。
京都の中で他に思いつくもので北野、大原野、嵯峨野、高野など。
京都は平安時代、都であったと言ってもそれは本当に街の中心部だけの話しだったらしい。

あと宮本武蔵と吉岡一門決闘の地は「一乗寺下り松」ではなくほんとは上京区の「一条下り松」だと知った。
一乗寺は今住んでいる場所に近いしバガボンドを読みながら「武蔵、清十郎この辺で…」と思っていたのに。
近くの和菓子屋には「武蔵」というおまんじゅうも売ってるのに。


一次会終了後、数人で先斗町の品のいい料理屋さんに行く。
食事の気にならないお香の香りがしんとする座敷。床の間には壷にフウセントウワタや菊が美しく生けられている。

食事をしてきた後なので、季節のお料理が少しづつ盛りつけられたお皿が出された。
私は里芋を甘辛く煮てしまうが、そこのはダシの風味をまとった上品な里芋。
イワシの生姜煮、栗の甘露煮、和え物、お刺身。
焼いた銀杏が二粒。ほこっとして弾力のある食感、うっすらと苦み。自分で拾ったり、買ったりしないけど季節のおいしいものだなあと思う。

12時半頃解散。
タクシーは三条から北山まで川端通をずっと滑るように走る。



お山へいく

2008年10月13日 | Weblog
3時就寝9時過ぎ起床

洗濯機、3回転。
無理矢理ぜんぶ干す。

冷凍庫に入れたまま食べるタイミングを逃し続けていたぜんざいと粟餅。
ぜんざいを電子レンジで解凍、餅をトースターで焼く。
今年のはじめだったと思うが、いつ炊いたか思い出せないぜんざい。
解凍して味をみると冷凍庫の味がする。
ごまかせないかとシナモンをふってみたが無駄な抵抗だった。
餅は大丈夫だった。知覚される冷凍庫の風味をできるだけ無視してぜんざいを食べた。
まだあと一人前分凍っている。

12時半ダーリン起床。
家で仕事をしていると夜行性になってしまい、最近こんな調子で朝昼ごはんはバラバラに食べる。
冷凍庫味のぜんざいを出すわけにはいかないのでハムと卵とごま昆布の炒飯。

本を読む。
2時前ダーリン打ち合わせで出る。
4時頃私も自転車で買い物に出る。
今日の気温と湿度、4時過ぎの日当たりは完璧だった。同調して和三盆の菓子のようにシュンと溶けられると思える外気。
ペダルも軽い。ふわーとしながら造形大辺りにたどり着く。
打ち合わせが終わったダーリンに電話してみると近くの本屋だった。
舞台映像をやる後輩と喫茶店に行くところだった。私も一緒に行く。
何度も前は通ったが初めて入る喫茶店 ミュー。
ごちゃごちゃしたカウンター、マンガがタワーのようにそびえた立ち、貼ってあるポスター類はなぜかぼろぼろ。床には踏まれ切った毛布が部分的に敷いてあり椅子も喫茶店としての限界を超えてなお使われてる。
マスターも店に来る馴染みの客も皆訳あり感を漂わせている。
でもカフェオレは普通だった。
ダーリンたちは機材を借りる段取りを相談している。私はスポーツ新聞や週刊誌をぱらぱら。
その後はS/Nの事や、京都にいるアーティストの生活のことや音楽遍歴を話して6時過ぎに別れる。

「雨に歌えば」が聴きたい病にかかったダーリンとカナートのHMVでサントラを探すが見つからず。
催し物広場で北海道物産展がやっていた。ちょっと試食。
ビデオ屋とリカーマウンテンに寄って帰る。

晩ご飯、豚バラと根菜の煮物(3日目)、ごはん、鯖の粕漬け、納豆みそ汁。
煮物の汁をごはんにかけて食べるのが好き。

夜、今村昌平監督の「楢山節考」を観る。
主演は先日無くなった緒形拳。
信州山間部の農村が舞台、長い冬は雪に埋もれてしまうようなところ。
限られた耕作地で作った限られた食料を家族で分け合い過ごす冬は死活問題に関わる。
そんな村では長男以外は嫁をもらうことを禁じられ、次男以降は奴(やっこ)といわれ、一生独身のままその家の労働力になり、女の子は近くの村に嫁に行くか、町へ売られてしまうということが実際普通にあったそうで、そんな習慣の一つに「姥捨て」があった。
70歳になると冬が来る前に、「山の神様のもとへ行く」。
家族の為に滅私奉公で働いて働いて年老いて、孫が嫁を連れきたその年の冬が来る前に「お山へ行くだ」と自ら言う。

山への険しい道のりは息子の背中に負われて行く。
その道のりでは口をきいてはならず、もう自分の足で歩く事も無い、棺桶のような体。

そして自分の祖父母や父や母も白骨化した場所にひとり置き去りにされる。
鴉が番人のように待っている。
自ら志願して山へ行く人もあれば、半分痴呆になり縄でくくられて山へ連れて行かれ、嫌だ嫌だと泣き叫んでいるのを「お山へ帰ってくれ!」と谷底へ突き落とされるという老人も描かれていた。

食べるものがないから、家族にとって邪魔になる。 
というあまりにはっきりとした理由が「山の神様のもとへ行く」という言葉の裏側にどうしようもなさと諦めの了解のもと、しきたりとして成り立っている。

嫁をもらえない奴たちの性的葛藤、顔も見ないまま決まる隣村からの妻、村人の食料を盗んだ一家を子供も含めて生き埋めにし根絶やしにする村人の共犯関係という繋がり。閉鎖的な村の中、濃度を増したように浮き彫りになる生と性。
深い穴に6人くらいの家族を放り投げて村中の男たちが無言でひたすら土をかけているシーンが印象に残っている。

とにかく生きる事、衣食住以外のことにかかわり合ってる暇もなく、人権とか選択の自由とかそんなことが疑問視される前に子供は孕まれ、年老いたものは捨てられる。
選ぶ事なんかできない。
そうなっている。

今はそうなっている中にいろいろ言い訳をする隙があるなと思う。