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流出雑記 

2010/4/26

2010年04月26日 | Weblog
9時半起床
身支度して出発。最近、変速切り替えと暗くなったら自動でライトが付く自転車に乗り換えた。冬に坂道で大転倒してから自転車の軸が歪んだらしく、どうもペダルが重かったので買い替えたいと思っていたら、ちょうどそれが盗まれて決心がついた。
出町柳で自転車を駐輪場に入れ、柳月堂でくるみパンを買い、京阪に乗る。
京橋から環状線、天王寺でさらに乗り換え奈良の「志都美(しずみ)」というきりっとした名前の駅で降りる。初めてくる仕事場。
電車の道中、志都美に近づくに連れて風景に田畑の割合が増えていったので、閑かなところなのだろうという予測はついた。
地図を見ながら歩く。駅前付近は若い家族が住むような戸建てのハウスが並ぶ。軒先にはピンクのハナミズキの頼りない枝が揺れ、ベランダでは小さい鯉のぼりがはたはた泳いでいる。
もう4月末だというのに京都は朝夕コートがないと寒く感じるが、こちらはもう少し暖かい曇り。
駅前から離れるとだんだん瓦屋根のずっしりした町並みに変わり、漆喰の白が目につく。蔵付きの家もあり、わざわざ「家屋敷」と呼びたくなる様相をしている。
野菜や菓子類、その他日用品をごちゃっと売っている、店の奥にただならぬ湿気を感じる商店。お堂が妙に大きくて立派なお地蔵さんの前で花柄の日傘を差した老婆がよくスーパーで売っている98円のわらび餅を供えて屈み込んでいる。
その側を流れる用水路の緑の水の中には赤い花びらがたくさん浮かんでいた。よく見ると大小様々な金魚だった。
10分程歩き、地図の目印になってる郵便局まで来て電話をかけると仕事の依頼主が迎えに来てくれた。

周囲の家と同じように大きな家。

応接間にいると上品な奥様が「おぶうでもどうぞ」とお茶を出してくださる。お茶をおぶうと言ったのを初めて聞く。
九谷焼の茶器に煎茶、小豆の入った干菓子が懐紙の上にふたつ。
こういう時、私が小学生くらいで、実家で来客があった時、お茶にお菓子を添えた場合、大概の大人は手を付けなかったことを思い出す。
せっかく出されたのになぜ食べないのか、手を付けるといやしくおもわれるのだろうかと遠巻きに眺めつつお客が帰った後、母や祖母に了承を得て、そのお残しにありつくのを待ち詫びていた。
大人になった今そういうことは時と場合によると思うが、目の前の干菓子は小豆の寒天寄せで、まわりには砂糖が薄氷のように張っている。食べたい。 それで、ひとつ食べてお茶をすすりもうひとつは耐えた。砂糖のシャリという食感。
この家には玄関がもうひとつあり、そこには犬が一匹横たわっていた。
何枚も毛布やタオルが敷かれていて、上からもバスタオルをかけられているので、首から上しか見えないが柴犬。前足を一本、目を塞ぐように顔にのせている。その手が時々動く。人で言うと120歳近い老犬で、もう立つことも自分で食べることできないので、注射器でミルクを飲ませ、時々カステラをちぎってあげているそうだ。犬も人も最後はおんなじようなことになるなあと依頼主は言う。

依頼主は数年前に退職し、どうみても悠々自適の生活を送っている。

仕事を終えると、奥様が「ちょうど時候のものですから」と柏餅を出してくださった。皿にはまたふたつ乗っている。
依頼主は英語の教師だったそうで、書斎には英語の小説ばかり並んでいた。英語なら1冊で済む本を日本語訳で読むと2冊分くらいになるそうで、英語のまま読む方が早いし表現もわかりやすいので読書は今も英文だそう。作家の名前は忘れたが推理小説にはまっていると言っていた。

台所に戻り、またあらわれた奥様、今度は芍薬一輪持っていた。
もうすぐこの家に同居する孫の家庭訪問で先生がいらっしゃるからと花瓶を探している。広い庭から切ってこられた薄桃色の芍薬は、真昼の陽気で開ききって外側の花びらが今にもこぼれそうだった。

柏餅もひとつは頂き、ひとつは耐えた。

私が帰るのと入れ違いに嫁と孫と小学校の先生にも出くわす。なんだか可笑しかった。

また電車を乗り継ぎ京都に戻る。
今日の夕飯は簡単に炒め物にしようと思っていたが、案外早く戻って来れたので、帰りながら何故か無性に食べたくなっていたハンバーグを作ろうと、挽き肉を買って帰った。

2010/4/20

2010年04月22日 | Weblog
19日母の誕生日。それぞれの予定を合わせて20日、1日遅れの誕生日パーティー。午前中奈良で仕事してそのまま宇治の実家へ。駅の近くのスーパーに寄って食材を買い込み帰宅。
この日、ずっと作ってみたかったものをついに作ってみた。
「魔女の宅急便」でおばあさんから孫娘のパーティーにと雨の中キキがお届けしたが、受けとった孫娘から、私このパイきらいなのよねと言われてしまう「かぼちゃとにしんのパイ」。

「魔女の宅急便」といえばユーミン

先日、向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブを見に行った。
「鉄風鋭くなって」や「tuesday girl」などナンバーガールの曲も数曲、最後に歌った「自問自答」で脈打つ観客席。
アンコールでユーミンの「守ってあげたい」。向井秀徳が歌うとこうなるかという説得力。


「かぼちゃとにしんのパイ」の中身は下湯でしたかぼちゃ、クリームソース、チーズ、にしんは無かった為鱈で代用。それにパイ生地を乗せてオーブンで焼くという料理。皆がそろう時間の頃合いを見てオーブンに入れて焦げ目がつくのを見守る。
大阪の下宿先から下の妹、散髪した夫、母、最後に真ん中の妹とその彼氏がケーキを携えそれぞれ帰宅。

パイは出来が心配だったが、まろやかな中身とさくさくのパイでおいしかった。
その他、豆サラダ、エビとニラのにんにく炒め、鶏と新ジャガさっぱり煮、肉団子の甘辛、〆は鯛飯という国籍不明なメニュー。

母へのプレゼントは妹と夫と3人で選んだ、使い勝手もデザインも良いグリーンの鞄。
アンリのケーキと母が苺狩りで穫ってきた山盛りの苺の誕生会。



2010/4/16

2010年04月16日 | Weblog
球が飛んでくる、近くに転がってきた球を見ている、拾うが投げ方がわからない、仕方ないので持っていた手提げに球を入れる、また飛んでくる、しばらく手の中で転がしてみるが適当に投げることが出来ない、手提げに入れる、それを繰り返す、時々あいた手で手を触る、手には油気がなく指紋の凹凸が擦れ合う音がする、きちきちきちききち、その感覚に寄り添っていると、安室奈美恵の歌が再生される、会いたい人がいる、I will be thereI will be thereI will be there、グローブをはめていないが、手提げはグローブの端切れの皮をつなぎ合わせて作ったもので丈夫である、だから球がいくらでも入る、手提げの中を覗くと、球は圧縮され、昔飼っていたハムスターの右耳に出来た腫瘍によく似た塊になっていた、思い出して泣く、腫瘍は良性だった、触ると触られている感覚がある、それは、私になっていた


2010/4/10

2010年04月11日 | Weblog
昨夜
いつもより少し早く床についた。二階の寝室は日中の日差しに屋根が熱せられたせいか少し蒸し暑いように感じられる。
朝からGAGAというダンスのワークショップを受けそのあと仕事、移動は自転車で走り回ったので、疲労で足が鈍くだるい。毛布が重くて寝付かれず、何度も寝返りをうち、枕の位置を変えて寝ようとするがなかなか意識が遠のかない。夫も寝苦しかったようでもぞもぞしていた。
寝ようとするとよけいに眠れなくなるなあと思っていると、足元で丸まっていた小梅が突然飛び起きて一階に走って行った。なにか物音でもしたのか、いつにない勢いだったので気になりはしたが、虫か何かだろうと私はそのまま布団の中にいた。しばらくして夫が起き上がり下に降りて行った。と思うとすぐにまた階段を上がってきて、ねずみが死んでる、と言う。
猫がうちに居る以上いつかはそんなこともあるだろうと思っていたが、今夜だったかと起き上がり一階に降りて、食卓テーブルの下を恐る恐る覗く。
目を見開いた小梅の傍に、間違いなくねずみが一匹ひっくり返っていた。今までバッタやトンボというのはあったがほ乳類の手応えは格別であろう。体は約5センチ、尻尾がそれと同じくらい。爪か歯かどちらでやったのか目立った外傷はなかったが、畳に少し引きずった跡の血が付いていた。置いておくわけにもいかないので新聞紙を持ってきてねずみを掬い上げてそのまま包んだ。こんなにねずみを真近で見たことなかった。動かないので精巧に作られたおもちゃのように見えるが、小さい爪も歯もベージュの細い毛もきちんと生えている。少し申し訳ない気持ちになりながら、燃えるゴミの袋に新聞紙を捨てた。小梅はまだしばらくねずみを探していた。
一日の大半を寝て過ごす家猫娘の中にも狩猟本能は生きている。獲物の気配を察知し仕留める方法を教えられなくても受け継いで知っている、小梅に流れる獣の血に畏怖のようなものを感じる。
台所用アルコールで畳を拭いて、一連の出来事に二人共もう完全に目が冴えてしまい、時計を見ると4時過ぎでなんとなく空腹だった。
凍らせておいた苺とヨーグルトをミキサーにかけて苺ヨーグルトシェイクを作る。夫は「龍が如く4」の続きをやり始め、私はぼーっとそれを見ながらコタツに潜っている内に眠ってしまった。