figromage

流出雑記 

6月17日

2009年06月17日 | Weblog
10時半起床。
洗濯。先日買った柔軟剤を入れてみたら香りがかなり強い。外国の古着に着いているしつこい残香に似たような。

最近ヨーグルトを育ている。数年前に主婦の間で流行ったカスピ海ヨーグルトを母はいまだに作り続けていたのでそれを分けてもらった。ヨーグルトに牛乳を加えて一晩置くと、個にして全、全にして個というふうな粘菌状のヨーグルトになる。そうして無限に増やしていくことができる。市販されているヨーグルトと違い粘りがあり、酸味は少ない。生きてるものを育てて食べる感じに妙な快楽がある。
一昨日ダーリンの実家から自家栽培のじゃがいもと玉ねぎが沢山届いた。
それで一先ず昨日の晩に肉じゃがを鍋いっぱい作った。いったん冷めて味が馴染んでおいしくなっている。
午後、自転車に日傘を装着し出掛ける。
坂を下る途中の畑は去年は夏野菜を作っていたが今年はお米を作るようで水がはってある。
北白川に出て大学の前を通りすぎ、グランディールでクロワッサンを買う。3種類あって、一番おいしそうに見えた発酵バターのにした。最近クロワッサンを食べ比べている。今のところ阪神百貨店で食べたポールのクロワッサンがダントツ。
疎水沿いを走りながらさくさく噛る。
御蔭通りの角の花屋、いつものところに時計草が咲いていた。うちの軒先のも咲いている。
区役所の前には立派な泰山木が大きな花を咲かせている。嗅ぎたかったがちょっと高い。
役所の中は相変わらず陰気臭く対応は素っ気なくオキシドールの憂うつになるにおいがする。待たされるのを覚悟して行ったがものの3分で発行された。
それで時間に少し余裕ができて、鞠小路通り角の思文閣美術館に寄る。
気になっていた『アーミッシュの生き方』展 を見る。そのことはまた別に記す。
その後一旦松ケ崎まで戻り、ドラッグストアの前で証明写真を撮る。400円。しつこく撮り直していたら時間がきて選べないままプリントされた。
地下鉄で京都駅へ。
パスポートの申請をしに来たのだ。
少し混んでいる。書類を書いて並ぶ。
受付の30代くらいのお姉さんは自筆のサインの確認に「はい、このサイン誰が書いたんですか~?」「私です」「そうですね」「じゃあこっちの署名は誰が書いたんですか~?」「私です」「そうですね」
こんなやりとりをしっかりとする。

証明写真の表面に少し傷が入っていると言われ撮り直してくるよう言われる。

来月母と妹と韓国に行く。完全に遊びに。旅行の手続き等は妹に任せきりで、とにかくパスポートだけは取ってと言われていた。

小梅が遊んで転がしてどこかにやってしまったアイライナー用シャープナーを買い、その他ボディークリーム、クレンジングオイル、さやいんげんなど買って帰宅。
行きしな水がはってあった田んぼは、田植えが完了していた。
夕飯は肉じゃが。

深夜小梅が台所のラックの下を執拗に覗き込んでいた。小さいゴキがいた。

オレンジの橋がかり

2009年06月03日 | Weblog
『ブリッジ』というドキュメンタリー映画を観た。
サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ。
全長2737メートル水面までは227メートルの吊橋。
美しい弧を描く印象的な朱色の橋は観光名所であり、自殺の名所でもある。
『ブリッジ』は橋を行き交う人、季節や時刻によって変わる様々な橋の表情を眺めながら、そこから飛び降りた人々の家族や友人、目撃者、奇跡的に一命を取り留めた自殺者本人へのインタビューで構成されている。
実際に橋から飛び降りた瞬間を捉えたシーンも幾つかあった。カメラできちんと追えない速度で落下し、水しぶきがあがる。
飛び込んだ人のほとんどは精神疾患が原因で比較的若い。

浴室、納屋、森、ビル…いろんな場所での自殺があるがゴールデンゲートブリッジを選ぶ人々がいる。
車や人が常に行き交う橋の上から飛び降りるにはどうしても人目に触れることになる。
実際の映像には今にも飛び降りるという人を横目で見ながら通り過ぎる人、車の窓越しに目撃する人、歩道に引きずり降ろして助ける人、言葉をかける人、説得する警備隊などの姿。

何かをする人とそれを見る人。
その間にはどのような濃度にせよある関係性、ある物語が生まれる。

ゴールデンゲートブリッジから飛び降りるということは、死ぬということを『』入れるような意識があるように思う。
まるで『死ぬ』ということを演じるような意識の要素を感じた。その意識が事を実行させる推進力として加担しているように思えた。もちろん飛び降りれば実際に死ぬ事は理解した上で。
死ぬのでなく『死ぬ』ということをする。
選ばれた舞台である橋。ピリオドの打ち方を、ある日決心をしてそこへやってくる。

死への橋がかりを歩む「私」は散歩や観光やドライブの人々とすれ違う。
今日も明日も生きるであろう人々と死ににいく「私」。
その温度差は否応なしに「私」の輪郭を浮かび上がらせる。
「私」を掌握することと手放すことが同じことであるような飛び降りた瞬間、一瞬の恍惚。

というのは私の想像で美化した見解だろうか。
実際はもっと絶望に包まれて感覚は萎縮しているのかも知れないし、止むに止まれぬものに追われて背中を押され、自分もその他のものも受け入れ不可となった場所を投げ捨てるようなことで、体感する余裕もないままに着水するのかも知れない。
それとも目の前に広がる風景に目を奪われたり、肌に風を感じたり、巨大な建造物の上にいるときのすがすがしさを連れて行くのだろうか。飛び降りた場合の生存率は2%。

ゴールデンゲートブリッジはインターナショナルオレンジという色で、霧が多いため視認性を考慮しこの鮮やかな朱色が選ばれたらしい。
この色は緊急事態を表す色でもあるそう。