密度にばかりものを言わせようとしなくても良いのではないかと芯で思えるまで力は抜けないし、それまでは抜いてはいけない。密度を手放すしかなくなるところに行きたくなったら。密度の蜜を吸い尽くしたらそこに行きたい。
縁切り神社にもそこの家の娘はいて、家に掛かってくる、大方は切りたいような悪縁に切羽詰まった人からの電話の応待をしたりもする。縁を切りたい、あるいは切ってやりたい相手のフルネームがわからないがそれでも大丈夫か、などの切羽詰まった問い合わせに柔らかく答える。そんな日常があったりもする。
気合いを入れて描いてしまって絵を潰すことがある。潰れるとは手を入れすぎて結果平板になってしまうこと。上からいくらでも描けるという訳ではない。自分が残した痕跡に重なっていくものと消えていくもののあわいを見定めて手を引かなければ、手の満足に絵は食われる。
それで、ああそうか、極端より微妙なところをどう渡るかだ、と思う。足りず過ぎず、満ちた欠損。それがいいな、色っぽいし。
それで、ああそうか、極端より微妙なところをどう渡るかだ、と思う。足りず過ぎず、満ちた欠損。それがいいな、色っぽいし。
見えもせず消せもしないものを肌の奥深くに施していく。そういうものを体に仕掛けておかなければ、何からも脱することができない。習得はおそらく本分ではなく、必要なのは距離を取れる絶対的対象。これはインスタントでは間に合わないから本物でなければならない。多くの体を通過し強化された型を借り、その価値をインストールする。それに全身全霊で取り組み、自ら疑う余地を持たないほどそれに「なってしまう」ように。そうすることで分別可能になる非価値をふるいにかける。尚且つ捨てておけない非価値への欲動を手に取り、仔細に見つめそれを煎じ詰めたら、何が残るか、なんにもないかも知れない。けれど知りたいのはそれだ。どうしてずっとそれに惹かれるのか、すべてのことの動機があるかなしかの屑のようなものによって支えられている。けれどその屑にしか砂金の所在も感じない。その他のことはすべて真摯なイミテーションだけれど、それは金に似せたものじゃない。イミテーションそのものとして強固な贋物、そうでなければつまらない。
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どうしてほしいのか言え
どう触れてどう消されたいのか言え
おまえがおまえの欲求に触れる形を持つまで
私はおまえを触り続ける
おまえが声を上げざるを得なくなるまで
表皮を削り色を加え陰影を与え続ける
やがておまえが私に指図し始めるまで
私を余すところなく使え
私の時間をおまえに蕩尽させろ
どうしてほしいのか言え
どう触れてどこを消されたいのか言え
どこにも行き場がなくなる唯一の居場所まで
おまえの満ち果てるまで私を道連れにしろ