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流出雑記 

2013/5/29

2013年05月30日 | Weblog

梅雨入りらしい。
朝、豆ごはん。
鞘から豆を出す。鞘をあけて整列した豆をしばし眺め、ボウルに豆を溜めていく。鞘を洗ってまず鞘だけ10分茹でる。そうやってだしを取る。それから塩をひとつまみ入れ豆を5分くらい茹でて火を止め茹で汁につけたまま冷ます。ここまでを前夜に済ませておく。
冷めたら豆と茹で汁をわけて、洗った米に茹で汁、酒、塩を入れて足りなければ水を足して炊く。
豆は炊き上がってから混ぜる。するとしわができず、ひすい色も残る。豆を入れて炊く方が簡単だが、年のうち1、2回、この時期しかしないことだし、この方法が豆のポテンシャルを最大限に引き出せる気がする。ただし豆を入れた後長く保温するとこの手間の意味はなかったことになる。

オーニソガラムの咲き納め、雄しべの色が黒から緑に変わっていた。これもまたひすい色。

 

 

 

 


2013/5/26

2013年05月27日 | Weblog
晴天続く。
毎日季節の変わり目の洗濯物を洗っていく。今日は巻き物類。
ホットカーペットも片付けた。ホットカーペットの上に敷くカーペット、なんとなく次にもう一度敷く気が進まないので処分する。
昨日クロッキー会でもらったパンで食事。かぼちゃと人参を茹でて凍らせたのに、レンジで火を通した新玉ねぎ、豆乳をミキサーにかけて冷たいスープを作った。他の野菜の甘みを引き締める程度の塩コショウ。
もらったパンはパウンドケーキくらいの型で焼いたぶどうパンとブリオッシュのような生地のパン、食べ切りサイズのガーリックフランス。これはもう棍棒のように堅くなっていたので、薄く切って焼いてラスク状にした。
ライ麦カンパーニュ。カンパーニュはスライスして冷凍庫に入れ、何枚かを焼き、先日、本気のパスタを作ると言ってオイルサーディンやらアンチョビなどと一緒に夫が買ってきたグリュイエールチーズの残りを薄く切ってのせて食べた。おしゃれな味がする。
サーディンのパスタを応用して福井の郷土料理さばのぬか漬け、へしこでパスタができないだろうか。あるいは炒飯。冷凍庫にへしこがいっぱいあるから。

アンバークイーンの最初の花が咲いた。隣のディオレサンスはもうついたつぼみを全部開花させてフリルの房になって揺れている。
ディオレサンスは強香、アンバークイーンは中香と表記されていることが多いが、アンバークイーンの方が香りが強く感じられる。
香りの持つインパクトはディオレサンスの方が強いが、芳香自体の強さはアンバークイーンに軍配が上がるような気がする。尖ったところのない温和なばらの香りは琥珀色と調和する。
先日うちにきたブルドゥパルファムは新苗でふたつのつぼみが付いていた。苗を育てるために咲いてわりとすぐに切ったけれど、モーヴのコロンとした色形がとても好み。花もちも香りもとてもいい。大きく育ててたくさん咲かせたい。
赤に白い絞りのミニバラ。
絞りは花が大きいとくどい感じがするかと思い、ミニバラにしたけれど、毎回赤と白の割合が変わるのが思いの外おもしろい。ホームセンターでわりと安くデルバールのクロード・モネを見つけてどうかなと考えてやめたが傍に置いてもよかったかも知れないと思った。その横にブリーズもあってこれにも悩んだ。コロンとした型に弱い。
昨夜絞りのばらばから集めている人のサイトを見つけた。植物館ができる偏愛ぶりだった。
もう一種冬に買ってきた名も知らないミニバラはやたらたくさんつぼみをつけているが、なかなか開かない。薄桃色の花を咲かせたかと思うと開ききるのに数日かかっている。花びらは多く重たそうに皆首を垂れている。香りはない。
そして軒先はあじさいの時期に移行する。




2013/5/25

2013年05月26日 | Weblog

近所の家の解体現場で足がとまる。

 

内側だったものが外に出ている。

台所、置き去りの棚、扇風機、室内の、内側の余韻。埃が立たないように水が撒かれたあとで濡れた土壁のにおいがする。郷愁と官能をあわせもった複雑な心境にさせる魅力的なにおい。パチュリーの精油にある土臭さ。土のにおいにはやはり催淫効果があるという不思議。

花もつぼみのときは内側にあって咲くと外になる。香りも咲くまでは漏れてこない。崩されるのと咲くのは力のかかり方が違うけれど、どちらにせよ惹かれる。

花が咲くのは自発的なことだろうか。
建物が解体されるのは建物の意思ではないけれど、花を見ていると咲くことは受動的ないとなみに見える。種を残す目的を持ってはいるが、咲いてくるのは季節のうながしに見える。冬を越えて春に咲くばらと秋に咲くばらは色も大きさも違う。そのときが反映されている。花は咲こうという意思によって咲くというよりうながされて答えるもののように見える。

布団が干してあるのも、内側のものが外にはみ出している感じがいい。布団はその家に住む人が無防備に体を横たえる敷物なのに、それが窓やベランダに舌を出すようにべろんと引っ掛けられて、長閑に天日にさらされているところが良い。

ついでに、戸川純と神聖かまってちゃんが好きな理由も内側が外に出ている感じがあるからだ。あとフランシス・ベーコンも。生まれもってしまった体臭や気配を消せないで、それをまとい、それにつきまとわれ、対象化しようと試み、何かしら為さざるを得なくなってしまう人のおこないに惹かれる。

今日は昼と夜よく働いた。土曜で大阪駅は人も多く、移動自体にも疲れた。絵を描いている方にパン屋のおじさんがいて、パンをたくさんもらった。


2013/5/21

2013年05月23日 | Weblog

8時に起き奈良で仕事。
かぼちゃと人参を茹でて凍らせたのを豆乳とミキサーにかけてかぼちゃジュースを作る。
燃えるゴミを出す。
お昼のおにぎり、作り置きのきんぴらごぼうとネギ味噌と竹輪を刻んだのをごはんに混ぜる。
5月だったと忘れていた菖蒲の柄の服を着る。
自転車、地下鉄、近鉄、車。
奈良県宇陀市。室生寺が近くにある。密教のお寺は人里はなれたところに建てられるらしい。

廃校になった小学校を染色、木工、絵を描く人に貸しているふるさと元気村というところが仕事場。季節を過ぎた鯉のぼりがまだ校庭の端から端にわたって吊るしてある。風でロープに絡まって半分くらいは泳げていない。最近滅多に見ないような大きな鯉のぼりはすべてこの辺りの民家からの寄付だそう。

車で30分走ってもコンビニが見当たらないところ。昔からこの土地に住んでいる人と田舎暮らしに憧れて移り住んでくる人が住む過疎の村。

来るのに時間がかかるのだから帰りも同じ。夕飯は前の晩にだいたい用意しておく。帰りの電車でうとうとして後ろの窓に2度頭を強くぶつけた。

昨日牛すじで肉じゃがをしておいた。あと水菜と玉ねぎスライスの豆腐サラダ、ニラとキムチのチヂミ。肉じゃがの味が薄かった。

夜super8という映画を見た。SF映画。もう単純におもしろかった。

先日改めてキューブリックのバリーリンドンを見て、ロココ趣味の豪華な衣装で着飾り音楽鑑賞や賭け事に興じる青白い顔につけぼくろをつけた貴族たちの姿が印象に残っている。衣食住満ち足りすぎ退屈でたがの外れたような人の姿。

 

 


2013/5/20

2013年05月21日 | Weblog

想像していたより軒先の花の開花時期は重なって騒々しい感じになってきた。もっとずれると思ってどの時期にも花があるように考えたはずだったけれど。
秋に球根を植えたオーニソガラム・アラビカムも伸びた茎の先に花を咲かせた。星のような乳白色の花に特徴的な少しプルシャンブルーを感じさせる黒い雄しべがあり、それを等間隔に囲む黄色い雌しべ。

数年前、奈良の橿原神宮の方へ仕事に行っていたとき、民家の玄関先に植わっていたのを初めて見た。青みがかった雄しべが白い花をより白く見せ、他の植物より人工的な雰囲気があったので一瞬造花にも見えたが、近づくと香りがあった。ヒヤシンスなどに近い、冷たい印象の花の香りだった。名前はわからないが、咲き方からして球根植物だろうと思っていた。
それからしばらく経ってホームセンターの球根売り場でふとあの花のパッケージを見つけてオーニソガラム・アラビカムという名前を知った。ベツレヘムの星とも呼ばれるらしい。

オーニソガラムの上の方に目をやると時計草も咲いていた。もう少し先かなと思っていたので不意打ちのようだったが、今年も凝った機械時掛けの花。
時計草はパッションフラワー、キリスト受難の花と呼ばれる。花の中央に十字があり、磔刑の図に見えるためらしい。 受難の花の下にベツレヘムの星があるのはたまたまである。

ブルドゥパルファムの苗が届いた。新苗で蕾がふたつ付いている。新苗は株を充実させるために咲かせず切るのがいいようだが、花の顔が見たいので咲かせてから早めに切る。

ディオレサンスのいちばん花は今朝切った。後続の蕾のため。
そんななかでなんとなくアンバークイーンは勢いがないように見える。蕾はついているけれど、新梢に勢いがあまりない。

大阪で仕事を終えて6時過ぎに出町柳に戻ってきた。自転車置き場に向かう途中、自転車の前に男の子、後ろに女の子を乗せて走る父の親子とすれ違った。空はまだ明るかったが白い月が出ていた。それを見つけた男の子が「お月さまがずっとこっち見てる、お月さまがずっとこっち見てる」と言った。自転車や車で走りながら見ると月の方がついて来ているように見えるあれだ。
それを聞いたお父さんが「そうかぁ」と言った。その声には、その感覚知ってるよという共感と、そういう息子の言葉を聞くささやかな喜びがあること、すれ違いざま耳に入った一言の感触ですべて伝わってきた。あれは月が動いてるんじゃないよと教えるのでなく、そうかぁと返す。それも言い方を変えれば無関心に聞こえるこの短い言葉なのに、息子の感じたことをきちんと受けとめたことがあらわれている声だった。

あたたかい言葉をかけるという日本語があるけれど、言葉に実感の伴う温度を感じたのはこのそうかぁが初めてかも知れない。少し目頭が熱くなる。なんでこんなに感動するのか。でもそれほどだった。同じ音なら私も何度となく口にしているけれど、まだこんなふうに言えたことはない。自転車で走りながら目頭をさます。月を見上げるとこっちを見ていた。


2013/5/17

2013年05月18日 | Weblog

昨日咲いたディオレサンスの今朝。これくらいの咲き姿がいちばん美しいと思う。朝陽が差してその熱で花から香りがたってくるのがわかる。シルバーがかったモーヴの花の色合いと青みが強い葉とのコントラストに目を惹かれる。

春いちばん最初に咲く一輪は後から咲く花より大きい。待つ方にも特別な一輪で、枝だけになっていた冬の時間がこの開花につながっていることを思い出す。花びらのかさなりに。
 
モッコウバラは長く咲いていた。今散っている。その上に羽衣ジャスミンが咲きはじめた。
良い天気が続き、滞留していた家の冬のものを順々に洗っては干して片付ける。部屋の布の分量が減って季節相応の軽さになる。コタツの巣がなくなったのはちょっとさみしい。
今年は暖かくなったと思うと寒が戻ってきたり、猫らの衣がえも毎年のようにいっときにごっそり抜けない。春が来ると猫も陽にあたりたいようで朝起きると窓とカーテンのあいだに入って日光浴していたりする。
 
実家に取りにいくものがあったので、仕事が終わってから帰ることにした。母に母の日の贈りものをまだ出来ていない。突然決めたので、もう花屋は閉まっている時刻。北白川の大黒屋は花屋を併設しているから、小さいアレンジメントなんかがあるかも知れないと思って寄ってみた。500円くらいのミニブーケはあったが、花がもうよくない。しばらく花コーナーや果物コーナーを行き来して何かを手に持っては戻していた。世界一というふつうのりんご2個ぶんくらいの大きなりんごを持ってこれはと思ったが、大味だったら嫌だなと戻す。
結局ばら売りの薄ピンクのカーネーションとクリーム色のトルコキキョウ、オレンジのガーベラ2輪にかすみ草が少し、デルフィニウムのブルー。デルフィニウムはギリシア語のイルカから名がきているらしい。なるほど。
買ってスーパーの台のところでばらばらにして花束にし直した。
 
 

2013/5/13

2013年05月16日 | Weblog

 

本場前はいつも押し出されつつあるトコロテンのような心境で過ごすことになる。終わったあとは空になった容器になる。花には開花後、お礼肥というのをする。開花に使ったエネルギーを補う為。それに倣って欲しかったバラの苗を予約した。私にお礼肥相当。
ブルドゥパルファムというまだ新しい品種。バラはモーヴ系の色にひかれる。 私の最初のバラ、ディオレサンスもモーヴで咲き進むとシルバーがかる。花びらはやや波打っている。ブルドゥパルファムはディープカップでコロンと咲く。この咲き方はモーヴではあまりない。イブピアッジェ、シャルトルーズドゥパルムと悩んだけれど。
ディオレサンスは1番早い蕾が緑の鎧を脱いで色のついた蕾になって数日、今年最初の花を咲かせた。2輪同時に。

葉の一枚がくるくる巻かれて小包み状になっているのを見つけた。
小学校の教科書か何かで見たことがあった。調べるとオトシブミというやつだった。あまりにうまく巻いてあるので申し訳ないけれど、孵化すると困るので取る。

今日は仕事のあと新長田に移動し、夜ダンスボックスで照明研究会にてインプロ。
はやく着いたので駅前の喫茶店、ミックスサンド330円は安いなと思って入った。住民の憩いの場という感じでレジもキッチンもおばちゃんが担当していた。カフェオレも頼んだら50円引きになった。
サンドイッチはおばちゃんがちゃっちゃと作ったミックスサンドだった。可も不可もなく、でも悪くない。
昨日の照明研究会は9人の照明さんと8人のダンサーで行う。。5パターンの明かりが12分ごとに変化し、ノンストップで1時間踊っていく。コントラストの強いシリアスな雰囲気の空間、身の置き所に困るほど明るくハイな空間。同じ場所でも印象は180度変わり、その都度空間が要求する運動量も変化するなかでダンサーは個々に応答しながらセッションする。始めて出会うダンサーの方もあった。


2013/5/11

2013年05月12日 | Weblog
みなみ会館で踊る日。
午後には上がる予報の雨だったが、昼を過ぎても雨音は止まない。荷物に資源ごみのナイロン袋をかぶせて自転車で家を出る。

「the Future」という映画の上映のあと、劇場内で即興をするというイベント。おそらくお客さんはダンスをあまり見たことがない方が過半数ではないかと予想していた。
客席と舞台上はかなりの距離があることから、ダンスをどうすれば客席に手渡すことができるかと考え、お客さんから音楽をかりるという方法をとった。これは以前からやってみたいと思っていたことでもある。
この頃はほとんどの人がスマートフォン等に音楽を入れて持ち歩く。
普段イヤホンから聞いている私的な選曲が、映画館のスピーカーから流れ、居合わせた人々の耳にも届き、さらに見るものにそれがつながるという状況は、興味をもってダンスを見てもらえるシチュエーションになるのではないかと考えた。まずその趣旨を話して音楽を選んでもらい借りて踊るというのを3曲分やった。

1曲目は女性が提供してくれた。
イントロからしばらくは何の曲だかわからなかったが、聞いたことのある曲だとそのうちわかった。レディガガだった。
私自身何が来るかわからないし予め何も用意することができない状態が即興をする上でいいと感じた。

今回「反身寸」というタイトルをつけた。これでハンシャと読む。この企画の話しをもらった最初の段階で、映写機の光で踊らせてもらうことをお願いしていた。そうすると、テスト用のフィルムというのがあるから、それを回すのはどうかとの提案をいただいた。テスト用フィルムとは数秒のフィルムの繰り返しで、白地に何を示しているのかわからないけれど数字や文字が一瞬流れるもの。
映画館に来て映画を見るとき、映写室から投影された光がスクリーンにはね返り、それを見ている。普段意識的にならないが、映画館に来ると、ものは光の反射で見えているということにふと気付かされる。液晶で見るのとは見るものの届けられてくる距離が異なる。映画館で見るのと家でDVDで見るのとでは内容を知る体験は同じであっても、見ることの本質的な体験が異なる。
それと反射とは、生物学的にはある刺激に対する思考を介さない反応、つまり解釈したり説明したりする余地のない体であり、踊るときはそうありたいと思った為。

この企画のために最初に連絡を下さり、それから本番までの間ずっとやりとりしてきた若き館長は大変丁寧に対応してくださり、映写室との連携が必要だけれどリハーサルが出来ないなかで、進行をきちんと伝えてくださり滞りなく終えることができた。

自分が踊るとき、観客と対面する体は積極的に状況をうつすものとしてありたいと思った。創意が自己に向かったときにダンスの身振りは他者を払いのけるように感じる。いわゆる振付を練習して踊るにしても、観客の見るという行為においてそれがどういう体験をもたらすかを考慮しない限り、観客は何を見せられているのかわからないという状態に置き去られる。
体のことに向かい合い、真摯にやっているようでいて、それに隠された大きな盲点があるということを感じる。ダンスって何をどう見たらいいのかわからない。というのを打破するには、まずそのことに意識的にならなければいけない、と自戒をこめて。

2013/5/10

2013年05月10日 | Weblog

連休中続いていた晴れから久々の曇天。

今朝は同じ時間に起きた。9時半に家を出て仕事場に着くのが昼なので、おにぎりを持っていく。夫が先に家を出た。

仕事場まで長い電車の旅。寝て乗り越しそうになるので乗り換え駅につく5分前に目覚ましをセットしている。夫はお昼ごはんを食べに家に帰ってくるので、昼前に炊飯器にごはんが保温されていることをメールしておく。昨日は近くのスーパーでとんかつを1枚買って帰って来た。玉ねぎを切り、甘辛いだしで煮て卵でとじてごはんにのせ、その上にとんかつをのせて自分でカツ丼を作っていた。

いつも通りに仕事を終えて帰る頃には予報通り雨が降っていた。7時過ぎ帰宅。夫はまだだった。炊飯器が保温されたままになっていた。台所にも何か作った形跡がないのでどうも今日の昼は戻ってこられなかったらしい。仕事が長引いたりして休憩時間があまりないときは帰ってこないで外でお昼をとる。そういう日がたまにある。

夫はだいたい7時までに帰ってくるが、ちょっと遅くなるとメールがあったのでゆっくり夕食の準備をはじめた。といっても豚汁ととふろふき大根、大根にのせるネギ味噌を昨日の晩に作っておいたのでそれを温めるのと、完熟のアボカドがあるのでそれをわさび醤油で食べるのにスライスする、しろ菜と厚揚げと竹輪を炒めるくらいなのですぐできる。

7時半過ぎに夫帰宅。雨用装備を脱いで一息ついたときおもむろにある告白があった。

心配すると思ったから連絡しなかったけど、から始まり、実は今日事故にあったと言い出した。バイクで配達中、交差点で3tトラックとぶつかったという。言われるまでそんなことがあったとは微塵も思わないほど見たところ怪我はない。外傷はなくても頭など打ってないかと聞くと、どうも大丈夫らしかった。

事故現場を携帯で撮ったのを見せてもらったが、バイクは横倒しになり、タイヤの方がトラックのバンパーのところにややめり込んでいた。この状況で本人がどういう体勢で受け身をとったのかよくわからないが、cっっっっっっっd(←小麦が打った)とにかくバイクは壊れたけれど本人の体は大事に至らず、午後の仕事もそのまましたらしい。しかしいろいろいつも通りに手際よくいかず、雨の中、配達先の不在などもあって厄日だったという。

それでも不幸中の幸いとはまさに。ひとつ間違えば大けがもしくは死んでしまっていたかも知れない。数年前に妹がバイクで事故をして病院から電話が入り生きた心地のしなかった7月7日を思い出した。バイクは廃車になったが妹もたいしたけがをせずに済んだ。そのときは笑い事ではなかったが、今では七夕にかけて「お星様にならなくてよかった事件」と呼ばれている。

もしも大事に至っていたら、この豚汁もふろふき大根も一緒に食べることはなかったし、明日踊ることも出来なかった。ごはんの後テレビを見ているうちにこたつで寝てしまいスースーいう目の前にある姿もなかったかも知れない。


2013/5/8

2013年05月08日 | Weblog
朝から大津で仕事。
夫の出勤のやや後に家を出るので、まだ大丈夫だと福井土産の五月ヶ瀬をかじっていたら、なぜか地下鉄に間に合うのにギリギリになり、朝から自転車を全速力で走らせた。
朝は冷え込むという予報だったがそれを感じる隙もなく、でも電車には余裕で間に合った。
京都からJRで大津はすぐ。駅からまっすぐ琵琶湖に向かって歩く。会場の公民館は演芸ホールも兼ねていて、朝の清掃の女性が誰もいないグレーの廊下にモップをかけている。建物自体は新しくないけれど廊下はつやつやに光っている。
着衣4ポーズ途中でトップスを変えるサービスをした。
モネの水蓮みたいな柄の7分袖ハイネックはやはりモネみたいやねと言われた。もう10年以上着ているが、生地にほとんど傷んだ様子がない不死身。終わってまた京都に戻り、サンドイッチを食べて今週末の衣装探しをする。
何でもない長袖を探していたが、なかなか見つからない。もうあるものの方がいいような気もしてきて歩き疲れて帰ることにした。
はじめてguを覗いてみた。
ほとんどの服に3ケタの値段がついていた。そのかわりぺらぺらで、引力のない服がとにかく大量にある。
「いのちの食べ方」で見たプランテーションでシステマティックに栽培された野菜を思い出した。
とにかく安く、数を作ってどんどん着捨てられるものだという縫い跡の布。でもあの価格設定が馴染んだらまともな値段の服が買えなくなりそうだ。そういうやり方で根を張る商売なのだろう。とてつもないインスタント感。でもむしろその軽さがフィットする年齢、体の時期があるのはわかる。

スーパーに寄って帰宅。水やり、セーターとか洗濯、掃除、昨日干したの取り込み畳む、一人稽古、夕飯仕度。

だしと醤油に玉ねぎスライスとすりおろしを入れたところに焼いた鶏と茄子を漬ける。
新玉じゃないのに水にさらすのを忘れたら玉ねぎちょっと苦辛かった。
水菜、豆腐、トマト、ポテトサラダのサラダ。ニラ玉味噌汁。
味噌が切れた。