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流出雑記 

問いがあふれる日

2010年12月12日 | Weblog
朝、さつま芋を洗ってホイルに包み無水鍋に入れて弱火にかけ焼き芋を作る。さつま芋はゆっくり加熱すると甘くなるらしい。重宝している無水鍋は大学時代の先輩が卒業して郷里に帰る際に譲り受けたもの。鍋は彼のお母さんが下宿をするときに持たせてくれたものだろうが、彼はこの鍋がひとつ2万円以上するものとは知らなかったのだろう。私も知らずにしっかりしたいい鍋だなと思っていたが、のちにとあるブランド鍋であることを知った。これは一生ものなので、大切に使わせていただいている。感謝。

午前中、小豆を病院へ。インターフェロンを注射してもらうとかなり体調がいいようす。

午後は伊丹でワークショップ。
様々な体と時間を過ごす。

体を動かす時の先入観と構えを出来る限り捨てること。
そこからどのような余白を過ごすことができるだろうか。
余分と思われるものをどれくらい引き入れることができるだろうか。
そういうときに鍛錬とは何か。
どのような基礎をつくっていけば良いか。
予定をなぞりながら動くことに終始せず、再現を繰り返すのではない時間が「私」である者たちそのものから立ち上がってくる、そういうものが点在しつつ同時にひとつの空間にあること、それが豊かさとしてあらわれ、舞台作品として成立させることができるだろうか。そのための緻密とはどのような肌理で、意識の置き所はどこか。
できる限りなにも持たずに。
技巧的を軸に体を支えるのではなく、引き算の為にまずどのような軸を用意するか。
どのように立っていればいいか。
どのように立っていたいか。
そうして何をどのように見るか。誰と出会うか。誰といたいか。
その為に何をすれば良いか。