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流出雑記 

2014/11/29

2014年11月29日 | Weblog
昨夜、新長田からの終電だったのに途中で電車止まっていた。
地下鉄の最終連絡を逃して、まだ終電があった宇治の実家に避難。

稽古の毎日。振付家のアイザックはとても穏和で丁寧に人に接するけれど、いざクリエイションになると子供のように破天荒な一面が垣間見える。
西洋の人によってインストールされた東洋的な脱力感の雰囲気を持っている。名付けるなら「苔に包まれた無邪気」。
良くも悪くも時間感覚の舵取りがゆるいので、アイザックの逡巡に任せているとあらぬ方向に座礁したままもうこんな時間か、という具合になることがよくある。最初はそれに身を任せていたけれど、そうしているより何か言って場を動かす方が今回は活性化することがわかってきた。私の、この場における自分の振る舞い方のコツがわかってきたのだと思う。どれくらい待てばいいか、どれくらい話せばいいか。

昨日、ダンスドラマトゥルクのリムさんのお話を聞いた。ピチェの「Black&White」のドラマトゥルクもしていたそうで、この仕事がどういうものであるかというのを実際携わった作品の映像を交えて。
あるプロダクションのなかで信頼を得ながらフレキシブルに立ち回れることが要求される。ある意味パフォーマー。
リムさんの話しを聞きながら、ダンスドラマトゥルクって今回のアイザック制作に通訳で入っている伊藤拓さんのやっていることだと思った。
まずそれをするのに必要な人格的資質があり、自身でも演出をされるから、作品に対するサジェスションも出来る。とにかく単に言語だけの問題でなくてもう居てくれないと困る人。間違いなくいちばん働いている。演出助手ではない。助手ではない。
それまでのドラマトゥルクのイメージは、知識豊富な人が作品への助言をするというようなことが主だと思っていた。それが望まれる場もあるのかも知れないけれど、その人の持ち物でなく、その人自体が必要なのが今回の現場で、それはそのまま作品の方向性を示す言葉なると思う。


2014/11/25

2014年11月25日 | Weblog

雨。昨日までの3連休、京都は観光客でごった返していた。人ごみの埃を落とすような今日の雨はなんだかいい。

あるはずだった稽古が休みになった。妹の嫁ぎ先の田舎から送られてきたそうな石川県産サツマイモ、里芋、長芋の芋セットをおすそ分けしてもらった。サツマイモは無水鍋で焼き芋。里芋は鶏肉と煮ようとして砂糖を切らしていることに気付いた。外は雨なので出たくない。なにかしら甘味と思って最初に目に付いたのはホットケーキシロップだったけれど、これはさすがにいただけない。忘れ去られて煮えた黒飴を見つけ、それを2粒入れて煮たら、いい感じのコクとまろみが出た。そしてこのいただきものの里芋がすごくおいしい。濃密ねっとり感。福井のもそうだけれど北陸は里芋がおいしいのだろうか。

掃除したり着替えたりしているうちに無水鍋から焼き芋のにおいがしてくる。無水鍋にホイルを敷いて水をコップ1杯注いで蒸気が上がるまで中火あと弱火。小一時間ほどで出来る。 近所の人からもらった甘柿か渋柿か不明だった3つの柿を干していた。完全なドライフルーツになっていた。

午後、雨がやんで買い物に出た。路肩に止まった車から歩道に突然出て来た人を自転車で避けようとハンドルを切ったら、雨で濡れて地面にへばりついたイチョウの落ち葉の上で滑ってこけた。膝を擦りむいたけれど昨日買ったアットノンを塗って検証する場所が増えてちょっとうれしい。


2014/11/24

2014年11月25日 | Weblog

稽古で新長田に通う日々。往復約4時間の電車移動の間に毎日のことを記録しようと思っていたのに、座れたら寝てしまい、立っているときでも、もう文字を編成する気力がわかなかったり。

夫も昨日まで公演で私も終電で帰り着く日々のさなかに5年目の結婚記念日があった。とりあえずスパークリング清酒で乾杯するくらいのことしかできなかったけれど、その翌日家に帰ると机の上にピンクのカーネーションが飾ってあった。昨日は夫の公演を見に行くためサンダーバードに乗って福井。福井駅に降りるといつも出汁のいいにおいがしてくる。すぐ駅前の立ち食いそば屋から。福井に着いたらまずそこでそばを食べることは決めていた。『ナビゲーションズ』は見て踊ってみたいと思う作品だった。

今回は日帰りで、夕方またサンダーバード。7時前に帰宅。

深夜『青い塩』という韓国映画を見た。ソン ガンホが料理教室に通う元ヤクザの役。

映画のなかで生きるのに必要な3つの「금(グム)」があるというエピソードが出てくる。それは黄金(お金)「황금 」、塩(塩分)「소금」、 今(この瞬間)「지금」だと。

ソン ガンホを見ながらこの人の魅力について考えていた。韓流アイドルみたいなタイトな美男とは違いわりとごついし若くもないけれど、この人は生体としての色気を持っていると思う。身なりや仕草でつくれる色気とは異質なもので、身近にもそういうものを感じる人はいる。一般的に言われるセクシー、色気というものが異性に対する状態を基準とするなら、生体としての色気を持ってしまっている人は、無意識的に自分以外のもの全般に媚びていることになる。媚びと言ってもそれには意識的な嫌味が伴わない。備わっているものだから。それ故に目を引くし、生きている事自体に本人の如何によらず放蕩者である人。ただ、そういう自分に気付かないでいると、消えてしまう質のものでもあるように思う。


2014/11/11

2014年11月11日 | Weblog
昨夜『渇き』を借りてきて連夜パク チャヌク映画祭。

ソン ガンホ演じる敬虔な神父は、病院で死にゆく人々を見送る日々に疲れ、人の役に立って死のうと、全身に水疱ができ、出血多量で死に至る不治の病のウイルス研究所で実験体となることを申し出る。発症し末期の吐血がはじまると、集中治療室に運ばれ輸血を受けるが心停止。医師たちが死亡と判断し、顔に布をかけた直後、死んだはずの神父が祈りの言葉を唱えはじめた。
その奇蹟が知れ渡ると、人々に敬われ、ある母親から息子がガンだから助けてほしいと懇願される。
その息子は神父の幼馴染であった。息子を溺愛する母親と、息子の嫁のテジュ。テジュはみなし児で、その家で犬のように育てられ、そのまま息子の嫁に充てがわれていた。
神父の祈りが届いたのか息子のガンは寛解し、それ以来神父はその家に出入りするようになる。
神父は奴隷のように扱われるテジュを不憫に思いながら、別の意味で惹かれはじめる。
神父が病院で人々に祈りを捧げていたある日、事故で瀕死の女性が運ばれてきた。頸動脈からは、動悸のリズムと共に血がどくどく流れ出ている。
彼女の額と両手に聖油で十字を書いたとき、神父の手に血が付いた。神父は手を胸の前で組み反射的にその手を舐めた。
神父は一度死んで蘇ってから血に飢えていること、バンパイアになってしまったことを自覚する。定期的に血を飲まなければ、水疱が出て吐血し、血を渇望するようになっていた。それでも聖職者である神父は人を傷付けることが出来ないので、人に食べ物を分け与えるのが好きだった昏睡状態の友人の病室に忍び込み、夜中にこっそり点滴の針を抜いて管から血を飲んで生きていた。
血を飲むと水疱は消え、傷も癒え、若々しい生気を取り戻す。
血を求めることはそれまで自制していた欲望につながり、やがてテジュと密会を重ねるようになり、以前から彼女が殺意を抱いていた夫を事故に見せかけて殺す計画を実行する。

そのあとまだ紆余曲折あって、映画を見終わるとずっしり胃にもたれ感じが残った。ソン ガンホの色気は堪能したけれど、映画自体が私にはややくどかった。
映画のなかのウイルス感染の病状が、聞いたところによるエボラ出血熱の症状と似ていて、実際はどんななのかわからないけれど、こうだったら恐ろしいと思った。








2014/11/10

2014年11月10日 | Weblog

昨夜見たパク チャヌクの『JSA』。朝鮮の北と南の軍事境界線を守る兵士たちの話し。とてもよかった。パク チャヌク監督作品は『オールドボーイ』『親切なクムジャさん』を見たけれど、どれもおもしろかった。映画の展開のなかで撒かれたちょっとした出来事も終盤が近づくに従ってすべて回収されていく気持ちよさがある。物語自体はどれも後味が苦いけれど、映画の時間を見事に巻き取っていく手腕に魅せられる。すべての要素があるべきところに片付いて、それで舌の上に残った苦味がなおさら際立つ。次に『乾き』が見たい。

まっすぐ見ようとするのに右目が右斜め上、左目が左斜め上をどうしても向いてしまって、怖い感じになっているのはわかっているけれど治せず、仕事のときにどうしたのと言われて困る夢を見た。

午前京都、午後は大阪で仕事。京都の仕事場の駅前にあるパン屋のバターソルトという75円のパンをお昼に買う。飲み物を頼まなくても店内で食べられてありがたい。 電車移動中、携帯でリサイクル着物の販売サイトで帯の柄を延々見ていた。時々おかしな柄がある。平安時代の貴族がぎちぎちに詰まったのとか、らっきょう、なんか壷、阪神タイガース、しかも金と銀両方のバージョンで正絹とか。いちばん不可解だったのは黒い白菜柄。お太鼓の大きさいっぱいに黒い白菜がどんとひと玉。まさか黒くても白菜とかいう洒落だろうか。


2014/11/5

2014年11月06日 | Weblog
桐たんすを譲り受けた。掃除しにくいことこの上なかった背丈くらいのキャットタワーをついに解体。キャットタワー跡に桐たんすはぴったり収まった。
不織布でできた着物収納ボックスに寿司詰めだった着物と帯をやっときちんと仕舞える。
置き場がなくて押入れの前に使わなくなったテーブルを置いて設置していたプリンタを桐たんすの上に置けるようになったのでテーブルも解体し、部屋は随分すっきりして気持ちが良い。
秋はいちばん着物が着たくなる。
母からもらった、やや大きい上に一回着る度にほつれる魔の長襦袢のストレスから解放されたくて、着付けを習いに行っていた某教室で散々けなされていたポリの長襦袢を買った。もちろん正絹で誂えられたらいちばんいいけれど今はこれで。鳥獣戯画柄。Sサイズにしたので今までよりきれいに着られるはず。
それでさっそく久々に着付けの練習をした。
襦袢と着物を着るところまでは大丈夫。問題は帯。半幅と名古屋と袋帯の手順がごっちゃになって、整理して思い出すのに時間がかかった。帯締めの結び目が合っているかどうか不安になったり、しょっちゅう袖を通さないとこのざまかと思った。しばらくおさらいしていると思いだせた。
これからは機会を見つけて積極的に着ることにする。
着物の好みが変わってきた。
最初は銘仙などの鮮やかでアンティークな着物に目がいったけれど、今は着物は落ち着いたものがいいと思うようになった。着物の最大の楽しみは小物の合わせだと思っている。お気に入りの一着のために小物を選ぶこともあるけれど、譲り受けた帯や羽織を活かすには着物の色柄が控え目なほうが断然着回せる。
あと、着物はジャストサイズでなくても着られるけれど、本当にきれいに着ようとすると、大きすぎる着物は思うようにいかないこともわかってきた。
しわを取ろうとしてもそもそも体の大きさより布の余りが多すぎるとそのぶんだぶつきが出たり、長襦袢できちんと襟を抜いておいても着てしばらく経つと着物によっては戻ってしまう。
最初そういうのは単に着るのが下手だからと思っていたけれど、それだけじゃなく、着やすい着物とそうでないのがある。私の持ち物はすべて譲り受けたもので、いちばん着物を持っていた祖母は昔の人にしては大柄だった。裄は合うけれど、後巾、前巾がかなり余る。
母のはまだ合わせられる。いちばん合うのは、親戚の呉服関係のおうちからの着物だった。