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流出雑記 

2009/10/30

2009年10月30日 | Weblog


昼、高校時代の友人と会う。
彼女はいつも付け睫毛を上手に付けている。

四条烏丸で待ち合わせて、近くのなんかスタイリッシュなカフェに入った。
パスタ、パン、サラダ、ドリンク付き980円
何種類かあるパスタから選んだのは、ふたりとも蕪の葉とホタテのたらこパスタ。
注文してすぐにリーフレタスのサラダとパンが運ばれて来た。

彼女は大阪で服の販売をしている。
その店のターゲットは30代の働く女性だそうだが、お客さんに多いのは40代女性らしい。
30代の女性が惹かれるデザイン性よりも落ち着いたものが多いのに、スカートの丈やサイズ展開が30代向けなので40代女性が試着して、ちょっと短いわ~、きついわ~と言って帰っていくそうだ。
なんとかなりそうなのに、なんともならないらしいその状況が聞いていて歯がゆかった。

パスタが運ばれてきた。大きなホタテが3つくらい入っていたので喜ぶ。

食べ終えて街をぶらぶらする。大阪で働く様になってから京都にはあまり来ていないという彼女と、高校生の頃よく来た藤井大丸を巡った。
彼女はいくつかの店で試着して、ファーの帽子を買った。

ショーケースに並ぶケーキに惹かれて四条通のリプトンに入る。
平日なのに店内は込んでいる。女性客ばかり。

私、かぼちゃとチーズのタルト
彼女、イチジクのタルト

このかぼちゃのタルトすごくおいしい。

その後、八坂神社の近くの安井金比羅宮という神社に行った。
有名な縁切りの神社らしい。
彼女の悪縁を切りに来た。

上の写真の様にもとはどういう形なのか全く分からない程にお札が張り重ねられた中に人が一人這って通れる程の穴が空いている。
縁切りの願いを書いたお札を持ってその穴を通り、振り返ってもう一度通ると、悪縁が切れて良縁が結ばれるらしい。
人との縁だけでなく悪癖などでも良いそう。
貼ってあるものを見ていると、佐々木君とマユミの縁がボロボロになります様に という怖いものもある。「縁」と「ボロボロ」を結びつけていることが妙に怖い。

穴を通って出てくる彼女を見守った。

付き合ってくれたお礼にと一枚お札を買ってくれた。
縁を切りたいものを考えたが、これといってない。
やっと思いついたのはダーリンの喫煙だったが、やっと思いつく程度なので縁切りをお願いするほどでもない。でも肺がんは怖いし長生きしていただきたいので貼っておいた。  

その神社に幼稚園くらいの女の子がいた。神社の娘だった。
愛想よくしゃべる子で一人っ子で詰まらないからお客さんと話すのだと言う。
かわいい子だが、なかなか帰らせてくれないので私は後半面倒くさくなっていた。それを悟ってか女の子も彼女の方に懐き、好きな人の名前を彼女にだけ告げた。

帰りは三味線の音の聞こえる祇園の裏通りを抜けて、阪急で別れる。




2009/10/29

2009年10月29日 | Weblog
難波の高架道路に沿ってしばらく歩いたところにひっそりとライブハウスがあった。
地下に降りると黒いドアの向こうから熱唱が聞こえる。
中に入ると慣れないボリュームに鼓膜が怖じ気ずく。
端の方に椅子を見つけてとりあえずそこに掛けた。
音楽を聞きに行くという文化が私にはどうも根付かず、数える程しか来た事の無いライブハウスに体が馴染まない。そこにいて自然な座り方を考えて、しばらくもぞもぞしていた。
二十人というバンドを見にきた。
どういうバンドかは形容し難いが、このバンドのヴォーカルはレオタード姿で現れ持ち時間の半分くらいは踊っていた。
音楽の事に詳しくないので演奏のことは説明できないが、良いなと思うメロディーが何カ所かあった。
楽器を演奏するために体を動かしている事と音が区別出来なくなるような瞬間を羨ましく思う。

ヴォーカルの踊りについては、現在の日本で一生活者として生きる身体、それにまとわりつく様々なものの中で生き、それによって構成されているのに、彼の身体に於いては同時にすべてが急速に腐り、堆肥と化しているように思える。
土着的ではないのに土気があるのはなぜかと考えていてそう思い当たった。
それはもちろん当人のエコ意識の有無にかかわらず、生活を取り巻くものへの執拗に意識的な愛着や憎しみが熱を帯び、発酵を招いているように思われる。
分解しきれなかった残留物質も孕んだまま長い手足が奇妙に加速する、彼を動かしているのは発酵の際の発熱のようにも思える。
偽らない身体が晒されていた。誰にでも出来る事ではない。

私には歌詞があまり聞きとれず、もう少し言葉を聞きたいと思った。







2009/10/28

2009年10月28日 | Weblog
我が家より京都の北の方、電車を降りると川と石橋、紅葉を待つ緑、旅行者の気分になる風情。
駅から少し歩いて、山際の階段を上がったところにある広い庭付きの日本家屋が画家アトリエだった。 ここは今日初めて来る仕事場。
玄関に通されると、古い日本家屋の一階独特のひんやりした空気に迎えられ、きりっとする。
二階の部屋がアトリエになっていて、窓から入る日差しと円筒形の石油ストーブに温められていた。
聞き覚えのあるクラシックが流れている。

イーゼルと大小様々なキャンバスが並んでいる。
油彩に入る前に何枚か画用紙にクロッキーをさせてほしいので好きなポーズをとってもらえますか、と画家は柔らかい言葉で話す。

普通どこに仕事に行っても、ポーズ時間はタイマーで測るが、画家はしばらく描いてまちまちのタイミングで休憩を入れる。しかも休憩の方が長い。
固定ポーズに入っても、ポーズがずれないように手や足の位置をテープなどで印しておくのだが、それもしたことないと言う。
少々動いてくるのはかまわないらしい。そいうことは相当人物を描いてきた人にしか言えない。 ポーズの狂いに描いているものが狂わされないということだからだ。
画家はポーズ中、何かを取る為に少し椅子を立つ時、ちょっと鉛筆取りますね、と声をかけてくれる。些細なことだがそういうモデルへの配慮を端々に感じる。

休憩中はもう亡くなった画家の師匠の話しや、画家が私と同じ年の頃に奥さんを連れてフランス留学し、絵の勉強をした時の話しを聞いた。
26歳なら、今から望んだものになれる。僕も師匠にそう言われた、だからこそ僕は26歳からもう一度絵の基礎をやり直したよ、と言っていた。

音楽がずっと流れていた。
ずっとヴィヴァルディの四季、それも春の第一楽章がリピートされている。
なぜかこれが一番落ち着くそうで、もう22年間絵を描くときはこれらしい。
春はアトリエの空気の成分のようだった。

二階の窓から見える大きな木は胡桃の木だと教えてくれた。
売っている胡桃はほとんどアメリカ産で、国産の胡桃なんて聞いたことがない。
帰りに落ちた胡桃を見せてもらった。
アメリカ産のものよりふたまわりほど小さく、殻の表面の凹凸も少ない。
殻がものすごく固いが、味はとても濃厚だそう。次に来る時に割っておくと約束してくれた。

帰り際に、旦那さんにおいしいものを作ってあげてこれで、と小皿を差し出された。
300年前の中国のものだという。画家が趣味で収集した古い陶器のひとつ。コレクションの中で一番古かったのは縄文土器の破片だった。
最初冗談かなと思ったが、そんなに価値のあるものではないけれど、古いものがひとつ家にあるのはいいよと、本当にくださった。
割れたところが金で接着されてる。金継ぎという補修だそうで画家が自分の手で直したという。
割れない様に仕事着に包んで持って帰った。

12月でモデルを始めて7年になるが、方々で仕事をし、いろんな人々を経由してこの画家との出会いに結びついた。
安定もボーナスもないこの仕事を辞められない理由は、やはりそれでもいいと思える出会いがあるからだ。
この仕事がどうしても「時の花」であることは承知の上、だからこそ今これをやっているのだとも思う。

最近髪を伸ばしているのも、黒髪を美しいまま伸ばせる時期に限りがあるなと思ったから。
自分が今どういう姿であれば良いのか、時間の流れに沿いながら凡そのあたりを付けイメージを血流に巡らせる。それはやがて表皮になる。

阿修羅のごとく

2009年10月27日 | Weblog


9時半起床

ダーリンは昨日から福井の実家に里帰り。

洗濯機を普通とドライ、2回まわす。

突然雨が降りだした。今日は曇りのち晴れ降水確率30%
ドライの脱水が終わる頃には雨は止んでいた。洗濯物は、シャツが多い。

そのあとお昼のカレーを温めた。4日目のカレー。
作る時にトマトジュースとヨーグルトを入れたら酸味が出過ぎて、かなり蜂蜜を入れたが修正不可能であった。
作ったその日は、カレーであってカレーでないもののようだったが、日が経つにつれ酸味の角がとれてゆく。それに、火を入れる度に煮詰まった分牛乳を入れるのでまろやかになる。
食後に昨日、大丸の北海道物産展で買ってきた大福くらいの大きさのチーズケーキを食べた。食感はスフレのようだが、軽すぎず重くもなくおいしい。

細々したことを済ませて3時前に北山方面へ。
仕事は夕方から。
北山通りのボタンとビーズを売っているドログリーという店に向かう。
途中雑貨屋で欲しかったファーの襟巻きを買ってしまう。ブルーフォックス、らしい。

ビーズ屋でいろんな色、形、艶を見ながら、組み合わせをシュミレーションする、ひとつ1000円くらいするボタンもある。
今日は何も買わない。

仕事は6時からだが、それまでにはまだ時間がありすぎる。
出町柳の方に向かい、柳月堂でくるみパンを買い、川沿いのベンチで食べた。

放し飼いのミニチュアダックス2匹。走り回る雄は白と茶色のブチ、おとなしい雌は真っ黒で両耳に赤いリボンを付けている。ジャージ姿の中年男性が飼い主らしい。我が物顔で腹の立つ飼い主代表のような態度で煙草を吸っている。
犬は無邪気に駆け回り、サッカーボールを蹴りながら歩いている少年の足にまとわりついたり、あちこちであらかわいいワンちゃん、と言われていい気になり、持ち前のかわいさをさらに振りまいていた。
雄の方が、くるみパンを食べている私の足元にもやって来た。
一口たりともやらん、というメッセージを込めて見つめ返すとまたトトトと掛けて行った。

日が暮れかけて座っていると冷えてくるので、さっき買った襟巻きをまく。
それでも寒いので、近くのミスドでカフェオレを飲んで暖をとる。

5時半、仕事場の芸術会館に早めについて、展示室でやっていた現代水墨展を見た。
中に大きな枝下桜を描いた屏風があった。
老木の枝に爛漫の桜。
花に桜色をのせているものと、花を白抜きにしてその周りを桜色にぼかした二種類の描き方をしている。
そうやって花の重なりに立体感をもたせているので、咲き誇っているけれど、画面がぼてっとならず、春の陽気に花びらが舞う華やかさと軽やかさが描かれていた。
しばらく見惚れる。

6時になり、ようやく仕事。
3時間6ポーズ。
立ちポーズ。
今日はいつもより髪を高い位置でアップにしていた。
描いている人から、今日は興福寺の阿修羅みたいやね、頭も顔も似てるね言われる。
私は微笑んでいるつもりなのだが。

帰りに、このクロッキー会の世話役の方に、皆から、と結婚祝いをいただいてしまった。申し訳なく思いつつ、でもやはり祝ってもらうのは嬉しい。

帰りにローソンでねぎとろ巻きを買った。
ダーリンは今頃福井でおいしい寿司を食べているに違いない。


2009/10/24

2009年10月25日 | Weblog


京都新聞の夕刊に載ってる辺見庸氏のコラム『水の透視画法』をいつも必ず読んでいる。今週のカットに香水瓶が載っていた。
なんだなんだとよく見ると、アラブの男性がプリントされた瓶。
なんとビンラディン・コロン。
9.11同時多発テロから三ヶ月半経った頃、氏が米軍による空爆最中のアフガニスタンに向かう途中、パキスタンの路地裏で土産物として売られていたのを見つけて買ったものらしい。本人もその存在を忘れたまま7年と9ヶ月、書斎の棚に放置されていたそうだ。

写真では分かりにくいが、微笑むビンラディンの背景には、爆煙をあげて崩壊しかかっている貿易センタービルの写真があしらわれているそうで、さらに驚くべきは、この外箱の裏には販売元として、ニューヨーク五番街の香水店の名前と住所が記されていたという事。
テロ発生後の、ましてやニューヨークに、この香水の製造を発注することが可能とは思えない。テロ発生前でも可能どうかと思うようなものだが、まだ飛行機がビルに突っ込んで崩れ落ちる映像を誰も目にしていない頃、その香水瓶の背景がこれから起こる事を表しているとは思いも寄らない。

誰がどのようにこの香水をオーダーし、どんな調香師がこの香りを組み立て、そしてどんな匂いがするのだろうか。

辺見庸氏は「むせるほど濃厚で安っぽいポマードのにおい」と書いている。

香水は本来、冷暗所で保存、開封後1年くらいで使い切るのが良い。
香料の劣化によって香りは微妙に変わってくる。この香水の保存状態は定かでないが、買った当時一度封を切っているとしたら、作られた頃からは多少変化しているものと思われる。

ポマードと表されているのでフゼアノートの組み立てだと予想できる。
フゼアとはシダの香りを意味するが、実際にシダから香料は作られておらず、フゼアのイメージは調香香料で表現される。
オークモスなどの苔の香りにラベンダー、桜の葉に含まれるクマリンという甘い粉っぽい香り(桜餅を想像いただくと近い)を中心に構成され、私はこういう組み立ての香りが好きなのだが、主に男性向け整髪料等に使われてきたのでおじさんの匂いというイメージがついてしまっている。
香りに重厚感があり古典的な香水に多く普段使いという感じではなく、最近は軽いタッチの香水が主流なのであまり好まれないかも知れない。

フゼアノートに土臭いパチュリーや甘重いバニリンが合わさってポマードを思わせる油脂的なねっとりした印象…

一体、いつ誰がどんなシーンでこの香りをまとうのか。

塩と砂糖と雪

2009年10月11日 | Weblog


どこかで見てふと目にとまった画家や作家の名前を携帯のメール保存欄に残している。よほど気になるとすぐに図書館で画集を探したりネットで調べたりするが、メモしたきりそのままになっているものも結構ある。
もう何をしている人なのかすっかり忘れた名前の羅列をひとつずつ調べるのも面倒になってしまい、消去するにもせっかく蒔かれた出会いの可能性を無にする、と思うと気が進まないので結局そのままになる。

そんなメモの中にヴラマンクという名前があった。
これは比較的新しいもので、仕事で通っていたアトリエに置いてあった「絵画と痕跡」だったか、そんな企画展の図録で見た絵の作者である。
休憩中になんとなく手に取りぱらぱらめくっていると、雪道を描いた一枚の絵に見入ってしまった。
厚く塗られた絵の具が雪道を走った車の跡を描いていた。タイヤの摩擦で地面の土と雪が溶けて混ざってまた冷え固まって出来た痕跡が妙に生々しく魅力的だった。

帰ってから調べてみた。
モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)1876~1958年
フォーヴィスム(野獣派)に分類される19世紀末~20世紀のフランスの画家。

ヴラマンクは、徹底した自由主義者で、自分の才能以外の何ものも信じず、何ごとにも束縛されたり、服従することを嫌った。絵画についてもあらゆる伝統や教育を拒否し、少年時代に多少絵の手ほどきを受けた程度で、ほとんど独学であった。
1900年、シャトゥー出身の画家、アンドレ・ドランと偶然知り合って意気投合し、共同でアトリエを構える。1901年には、パリで開かれていたゴッホ展を見に行き、そこでドランを通じてアンリ・マティスに紹介されている。

数日後、造形大の図書館で画集を探してみた。4冊程あり、雪道、街角など風景を描いたものが多い。明るい色彩の絵もある。
画集の解説を読んでいて気付いたのだが、以前この日記にも描いたが(自景)、佐伯祐三が初めてパリに渡り、憧れの画家に自分の絵を見せて「アカデミック!」と一蹴されたという、その画家がヴラマンクだったのだ。
相当なショックで佐伯祐三の絵は次の様に変容した。
渡仏前

渡仏後


ヴラマンクの言葉で印象的だったもの
「白い布の上に白い皿、その上に角砂糖と卵を置いて鉛筆で描け、塩と砂糖と雪が描き分けられるようになれ」
絵画に於ける伝統や教育を否定し、ほぼ独学で絵を描いたヴラマンクのこの言葉。
単に技法に頼るのではない方法で、自分の感覚でなんとか分け入って微細に質感を追求する、その姿を想像したとき以前ある踊り手が、テクニックとは物質よ と言っていたのを思いだした。
体が出会った他者や物をどのようにフォルムとして可視化するか。

「如何に」「何を」するか ではなく「何を」「如何に」するか

方法は素材によって引き出されなければならない


All you need Is Love

2009年10月07日 | Weblog
Doiさんとイクエさんの結婚式の日に幸せのコサージュをいただいた。
生花なので枯れるのが惜しくて、帰ってからワイヤリングを外して器に飾った。
2日経ったけどきれいに咲いていて、見るたびに素敵だった式の余韻に浸る。

ほんとうにおめでとうございます
どうぞ末永くお幸せに!


再現と一回性

2009年10月03日 | Weblog
例えば今週末、舞台公演を観に行くとする。
土曜か日曜かどちらかの公演を観る。日曜は友人と会う予定があるので土曜にしようと予約を入れる。この時殆どの観客は土曜も日曜も、同じタイトルの公演は大体同じことが為されると思い込んでいるし、演劇であれダンスであれほぼそういうふうに上演される。
最近観たものにそうでない例があった。
『日本国憲法』という演劇作品。
演劇計画2009ノミネート作品で、土日の2回公演。
私が観たのは1回目の公演だった。
しかしこれが今までお金を払って観たものの中で一番酷い代物だった。
『日本国憲法』をテキストとしているのだが、それをどのように聞かせたいのか、どのような時間を造りたいのか全く意図がわからず、ただ散漫な体と声、未完成な状態がさらされ、自分が観客として座っていることに後半耐え難くなるような公演だった。
仕方なく、腹立たしい腹を、つけ麺がおいしい「ろおじ」の本店、「高倉二条」のラーメンで鎮静して帰った。

ところが後日、演劇計画2009の授賞式・公開講評会を聞きに行き、今年度の奨励賞は『日本国憲法』です、と発表されたので驚いた。
表彰が終わり講評の最初に、審査員からことわりがあった。
1回目の公演を観られた方はこの結果に疑問を持たれているかと思います。審査員は全員2回目の公演を観て評価しました。 ということだった。
つまり、1回目と2回目で作品が全くと言って良いほど変化したらしい。
物語の筋をたどる演劇ではなかったし、シーンを入れ替えたり足したり省いたりはある程度できる構造ではあったけれど、一体なにが起きたのか。
変わった方を観ていない者にはどう良くなるのか想像できない。
批評を聞くところによると、1日目と同じく、どうにも観ていられないことをやる役者がいて、そこで為されていることを観る集中力がどんどん削がれ、観客や周りの様子(劇場は外に面するドアがすべて開け放たれていて、観客以外の人が歩いているのが見える)に目が行き、読まれる日本国憲法を耳にしながらふと自分もここにいる人たちも日本国民なのだ、という普段は意識されないことが浮かび上がるような時間だったらしい。その公演では内容と空間とがうまい具合に合致していたようだ。

確かに『日本国憲法』という同じタイトルの上演ではあったが、その内容が毎公演同じでなければならない理由はない。
ただ観客である私が2回ともほぼ同じことが為されると思っていて、だとすれば評価に値しないと見たものへの、予想外の評価に納得出来ないでいた。
審査員は作品を飛躍的に変化させたこと、その可能性も評価する点として挙げていた。

しかし、どうしても作品の出来を偶然性に委ねすぎているのではないかという疑念が残る。
委ねる事が一概に悪い事だとは思わないし、内容を造り込むことで取り落としてしまうものを作品化する、というようなコンセプトを先に提示されているなら観客として納得できるが、そうではないなら無責任ではないか。

舞台芸術のことを「なまもの」とか「一回性の芸術」と呼んだりする。
人が動いたり喋ったりし、それを人が観ることによって作品として成立する。
同じシーンでも日によって動きのタイミングや速度、言葉の強弱が違うことはあるし、客席の顔ぶれも違う。
同じタイトルの公演であっても全く同じ上演は出来ない。

一回性、生きていれば何事においてもそうであり故に意識されないことが常なので、流れ続ける時間の中に、ある密度をもった時間を図として浮かび上がらせるには、準備と仕掛けが必要である。
それを人が行うことによって野放しのまま無意識的な一回性が「一回性」として価値をもつ。
良い舞台というのはこの「再現」と「一回性」が分ち難く結びつき、綱渡りのようなバランスで上演されるものだと思う。

学生の頃、この一回性を舞台に立つ側として強く感じたい欲求を私は持っていた。
どうしても「再現」に縛られる上演にどこか息苦しさを感じ、即興にこだわっていた。それは今思えば作品性以前に、私の体感に固執する我が儘さだったのだが、意識の持ちようとしては一先ず肯定しておく。

なんとなくわだかまりの残る受賞は置いといて、今後彼らがどのような作品を作るかによって、いろいろわかるだろうと思う。
次を観たい。でもそれよりやりたい。