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流出雑記 

映画をみれなかった日

2010年12月07日 | Weblog
東京から帰って以来、5時に寝て12時に起きるような生活になっていたが、今日は久々に母校の高校で1限目、8時半からの授業の仕事が入っていた。前日から思考の約20%が明日起きられるかどうかへの懸念に占められていた。その甲斐あってか無事6時45分のアラームでぱきっと目覚めた。
ゴミを出して自転車で向かう。
目覚ましの缶コーヒーを買って教室に入る。授業の担当教員は今年から先生となって母校に戻ってきた私のひとつ後輩の青年だった。
芸大洋画受験対策で着衣の人物を描く授業。1年生のときから知っている女の子がもう受験生になっている。彼女は私の末の妹にどことなく雰囲気が似ていたのでよく覚えていた。皆受かってほしいが彼女には殊更そう思う。

授業は10時半に終わる。それから出町柳まで戻って自転車を止めて夫を待つ。
映画を見に行く予定だった。京都シネマでやっている『セラフィーヌの庭』というのが見たかった。上映時間が午前中と12時半からの2回しかない。
11時頃バイクでひろってもらい烏丸方面へ室町通を南下する。

その途中で夫が気になっていたという喫茶店ユニオンに寄る。色あせた雰囲気の店構えで、店内はがらんと広い。石油ストーブが2台離れた場所に置かれて赤く燃えている。ストーブの周りを囲むように椅子が置かれていて、客が座って手をあたためられるようになっている。それがとても良いなと思う。冬のぬくいにおいがする。
客は我々以外にはおらず、たとえ昼時でもこの店内が一杯になるほど客が来ることがあるのだろうかと思うほど広い。フロアの中央あたりには天窓があって、全体的に灰色で暗い店内のそこだけ自然光が落ちている。そこを舞台に何かやれそうな感じ。窓際のシートに座ってブレンドを注文する。もう一度映画の上演スケジュールを確認しようと携帯で調べて気付く。今日の上演は午前中1回のみだということに。

せっかく出て来たのだしとりあえずお昼を食べることにする。
行ってみたかった富小路のト一という食堂へ。日替わり定食、今日は赤魚の煮付けと冷や奴、小鉢に味噌汁にお新香、ご飯がついて525円也。夫は天ぷら定食630円。おいしくて安いが、ごはんの大盛りは何故か出来ないと言われた。

それから四条烏丸界隈をうろつく。私は夕方もう1件仕事があったのだが、それまでにまだ時間がありすぎた。他になにか映画はないかと探してみたが惹かれるものがなく、みやこめっせに人体の不思議展を見に行くことにした。
毎年どこかでやっていて私は3回目だったが夫は初めてだった。

初めて見たのは大学1回生の頃だから8年くらい前になる。その頃と標本は変わっていない。初めてみたときはこれが人であり、知的欲求に身を任せた人の行ないかという衝撃に飲まれたところがあった。
腐敗の原因になる水分や脂肪を抜かれ筋繊維や骨や神経、内蔵をさらけ出しひっくりかえった人体を目の前にしても、もともと生きた人だったということがほとんどリアルに迫って来ない。よくよく見れば顔に産毛が残っていたり、それぞれに特徴ある顔立ちをしているし、喫煙者の肺は黒かったり、生きていたことを思わせる痕跡はあるにも関わらず。というよりその体は生きていたためにあったものでその痕跡には違いないのに。それは標本という目的を帯びているからだろうか。半永久的に保存が可能なために痕跡と呼ぶにはなんだか硬質すぎる物質に変容してしまったためだろうか。
それらはもう標本でしかなくなっていて、実際の行為としては体を開いてその内実に迫ろうとしているのに、なんだか標本化された体を前にそれ以上奥行きも広がりもなく只これはどんつきだと思うに尽きるという感じがあった。

みやこめっせを出て銀閣寺の大判焼きを目指して行ったけれど休みだった。
そのまま北上、なぜか上高野のミニストップにたどり着き、肉まんとあんまんを食べる。家に帰る道、バイクで走ると目の前に山並みの風景が迫ってくる。夫は冬の山の景色を見るのが好きらしい。

一旦家に戻りコタツに潜って冷えた体を温める。5時頃再び仕事へ。

10時頃帰宅。洗濯物くらいはたたんでおいてほしかった。