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流出雑記 

てか皆がんばってんのな

2007年10月31日 | Weblog
今日は朝から大阪のとあるアニメーター養成学校で仕事。
ポーズしながら今デッサンしてるこの学生達はセル画やら背景を描きながら生きていこうとしているのだなあと、その決心を見守った。
偏見ではなく、どこかしら臆病で不器用で盲目的なところを持っているんだろうと思う。今までの私を省みればも共感できるところもある。
自分の嗜好を客観的に見る能力とか社交性とかいろいろ身に付けなあかんものがあるぞがんばれ。
既成のアニメキャラからの影響と観念に浸ってきた目に生の人体はどう写ったのだろう。
モデルの身体、存在は特別なものではなく、様々な個人的な記憶の背景を背負ってはいるが、極力ただ一個の身体という物体としてそこに立とうとする。
私は私を描いてほしいのじゃない。
描き手の身体に近いものでなければならない。
しかしそんなことを思っていると、私が今在るに至るまでの様々な出会いや記憶が沸き上がって、表面的には静止のポーズ中に心境が異様に感極まってしまうことがある。
私がある、という感動にぶつかって。
湯気が出ていないか心配になる。
彼、彼女らがこれから作るアニメキャラの基礎の一端に今日の仕事が多少なりとも効果的に残れば良いのだが。

京阪電車の北浜から地下鉄に乗り換え一駅 がもったいないので一駅歩いて浮かす。行き帰りで400円分。
お昼に仕事を終え、天神橋筋商店街のローカルパン屋でサンドイッチをひとつ買う。いい天気。
パンがふわふわでおいしい。
帰りに中ノ島公園のばら園に寄り道。日本生まれのバラ、香りの薄いものが多い。 ピースという大輪の白ばらをバックにホームレスのおっちゃんが昼寝をしていた。

秋の遠足

2007年10月28日 | Weblog
姫路ばら園へゆく。
春より花数は少なく、気温が低いので香りは飛びにくいらしい。
確かに春のばら園の溢れかえるボリュームはないが、それでも色とりどりに何百種ものばらが咲いていた。
喫茶室で紅茶にばらジャムを入れて飲んだ。優雅な気分。メニューにはばらトーストやばらアイスクリームなどもあった。
お土産にばら羊羹というものが売ってる。試食したが、まぁ話の種にはなるかしらといった感じ。
ばらは色や品種によってまったく違う香りがする。細かく言えば時間帯や咲き方によっても変わってくる。ばらの香りと言って市場に出ている合成の香りから平均的にイメージされるばらはあるが、私のばらをつくるのもまた一歩深めておもしろい。今日いちばん気に入ったのはブレダンというイングリッシュローズ。フルーティさの中にアニマルのようなくせが少しあり、アニス様な部分も感じた。
今夜はそれをイメージしながらつくってみよう。

ひねの

2007年10月26日 | Weblog
昨夜はいちばん下の妹の下宿先に泊まった。
大阪のはずれ、二駅で関空に着くところに住んでいる。
ダーリンが映画祭の招待で中国に行くことになり、関空10時発で、京都からだと始発に乗らないと間に合わない為出発の前の晩に一泊させてもらうことにしたのだ。
四角い白いロフト付きの部屋は一人暮らし初心者の彼女になかなかよい住心地の様子。
23時半頃に辿り着き、3人でコンビニプリンを食べ較べ、一位は「黄金比率」というのに決定し、私の一押しおやつオールアップルを食べて許せる昆虫と許せない昆虫の話をしながら寝た。
翌早朝ダーリンを駅まで送ってからふたりで朝ご飯を食べた。
アボカド・トマト・ツナ・チーズマヨのホットサンドを作ってくれた。バジルをふるなどおいしい工夫もしてくれる。
バター醤油で炒めたしめじの乗った水菜サラダはごまドレッシングがよく合っておいしい。デザートに林檎までむいてくれた。
こんなにおいしい朝ご飯のもてなしは初めてだ。すばらしかった。
テレビでは亀田長男がものすごいフラッシュの中、会見を受けている。記者の質問の仕方がここぞとばかりに攻撃的。
ひといきついてりんくうタウンのアウトレットへ。
妹のランニングシューズを見て回る。足が大きいのでレディースよりメンズサイズでなかなかいいのが見つからない。アディダスに振られニューバランスに振られナイキで見つかった。プーマは店が無かった。
服屋も数件入ってみたが、アウトレットといえど元が高いのでやっぱり高い。
途中でものすごい雷雨。飛行機が心配になった。
フードコートでクレープとたこ焼きを食べたりして平日の贅沢な遊びを満喫した。クレープはいつもチョコバナナ生クリームにしてしまうが妹とかぶったのでチョコマロンにしてみた。予想していたとおりマロンクリームがものすごく甘い。ちょっとおかしいくらい甘い。たこ焼きは特筆すべき点がなかったがやっぱり銀だこの方がおいしいな~とか言いながらたいらげた。
妹は部活なので昼過ぎに別れ、私はただ今帰路の環状線。
私は妹たちが大好き。ほんとうに姉妹がいてよかったなといつも思う。
携帯電話は立ちながらでも打てるからいいね。
家で待ってる梅ちゃんが心配。
先日うっかり開いていた二階ベランダから勝手に外に出ていってしまった。やばいトタン屋根に乗って脅かさないように必死で呼んで確保。家猫は逃げて迷子になっても自分で帰ってこれないらしい。開いてるドアを見たときは生きた心地がしなかった。家を出るときは確認してきたから大丈夫だと思うけど。

雨は止みました。
飛行機ちゃんと着いただろうか。

なんだかね

2007年10月23日 | Weblog
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小梅が打ちました。

時々いろいろ怪しくなる。
今は、望みであったかどうか。

花屋で働き始めた、その花屋が経営する飲食店があり、人手不足なので入ってほしいといわれた。夕方5時から夜10時までの時間帯。
やったことのないことだしやってみればいいと思える時と、バイトという雇われの身は便利屋のように使われるのだなという微妙な思い。身軽ではあるけれど。さすがに花屋朝8時から働いてからはしんどいのでかぶってない日に週3くらいって、そんなん花屋週4入ったら毎日になってしまう。

今19時16分。
私は16時30分にはあがらせてもらい家に帰って小梅をなでたり、サツマイモ蒸したり、洗濯したり、こうしているが、社員の人たちはまだ働いている訳です。社員のお休みはそれぞれ週一度で店自体は年中無休。

朝の込み合った地下鉄でも思う、みんな、生きている時間のほとんどを捧げながら毎日働いて、働いて。
そりゃ、車とか家とか10万のコートとか買えるわ。

仕事がやりたいことであるなら問題ないかも知れない。
養わなければいけない家族が居れば疑問に思わないのかも知れない。

でもよくわからない。
生きていくには何にせよ働かなければならない。
しかしなぜにそれほどまで働けるのか。
あれ、わたし今時の若者みたいですか。

ゆったりとした生活。
今これまでの生活とペースが変わろうとしてるから、これは郷愁のようなものか。
ひとりといっぴきの大切な家族との時間は減る、だからこそもっと大切に一緒にいる時間を過ごそうと思えるけれど。

いやいや、そういうことじゃなく本音はどこか。

花屋で働いていても、香水の学校に行ってても感じるそぐわなさがある。
そこにはっきりした欲望があるからだ。
将来的に身をたてるものを持っていようとか、スキルがほしいとか。
なんだかよくわからなくなる。
でもなにもしないではいられない。
いてはいけない気がしてなんか頑張ってる。


舞台は。
そこもまたそぐわない場所である。
でも他と違うのはそぐわないからこそ留まりたいと思う場所だということ。
ある意味そぐわなさの極地。
スペシャルである。

私にはどこかしら自発性の欠如した自分でも驚くほど物事に対してこだわりの無いスッカラカンなところがある。
あと運と反射神経が良い。
おかげでいろんなものと「出会い」やすい。
いつもとにかくやってくるもの次第で変形するようなところがある。
その性質は舞台上ではうまく機能した。

なんでもできそうなものだけど、そうでもありません。

今ひとつわかった私は

よく切れる役立たずでいたい。

















2007年10月22日 | Weblog

朝が来た。


あの、


コーヒー

お湯入れるだけの

インスタントので
かまわないから

むしろ
インスタントの方がいい

ポタポタ送り出されるのは
こんな朝っぱらから
まるで脅迫のようで

だから、インスタントで全然いい
注いですぐ

こだわらないから
風味とか
カスが出るのは
こんな朝っぱらから
面倒

ポタポタ送り出されるのは

たまらないけど

溜まってきた

コーヒーのなかで溺死したらさぞかし
カフェインに満ちた体
目を見開いて
ぎらぎらと
やつれた土気色の3徹夜したような死に顔
安らかに眠れそうにない

でも溜まってきた

なんかビスケットみたいな
ちょっとかじれるもの
簡単なやつを
化粧しながら食べれる
ぽりぽり
化粧
ぽりぽり 
はい
ぽりぽり


名を名乗る

なをなのる

なのはな
菜の花
名のはながゆれる
なをなのる 
なのはながゆれる
なをなのる
なのはながゆれる
なをなのる
なのはながゆれる
 
クシュン

花粉が散る
それとも

溜まったのか

ぽりぽり


私と誰か
誰かにまつわる私
私の名前に
まとわりついて

まとってもいる
なんとかしようと
なんとかなろうと
ひたすら
来る朝

コーヒー

出掛ける
 
そういえばあの人が言ってた

コーヒーをわかす音

生まれたての地球に
珊瑚の呼吸で酸素が満ちる
世界の始まりの朝の
そんな音のようだと
 

生まれたて
コケコー



そろそろいかなければ

時間大丈夫
間に合う?
もう出掛けなければ

なをなのる

どこか

出掛けなければ

万物創世の
初々しい朝に
地下鉄だなんて
正気の沙汰じゃ

しかし
どこに?


眩しすぎて  

行く当てが見えない

そうか


これは
眩しいけど

朝じゃなかった

朝だと思っていたけれど

ここはまだ

だって私

まだ目も開いてない

首も座ってない
オムツだし
乳歯だし
左親指しゃぶるし
爪と鉛筆かじるし
にんじん嫌いだし
電気つけたままじゃないと眠れないし
人に道聞けないし
毛も生えてないし
ひとりで電車に乗れないし
靴ひも結べないし
自動ドア反応しないし
自転車補助輪付きだし
んま とか あー くらいしか言えないし
初経もまだだし
電気のひもとどかないし
おっぱいないし
手も足もないし
口もないし
コーヒーも飲めない

だから何も言うことができない

私はまだここにいない
いない

でも
朝は来た
なにもかも
まっさらの

まっさらの




ハタラク

2007年10月14日 | Weblog
学生の頃から絵画モデルを仕事としてきたが、このほど新たにバイトをはじめた。
花屋。
何だか一日中忙しいので時間を持て余すことはなく、おもしろくはある。
朝8時から夕方4時半頃まで。
モデルは一回の仕事が大体3時間で終わる。それで時給800円で8時間労働の約2倍のギャラが入る。が、毎月安定して仕事がある訳ではないのと、舞台があるときは都合が良いけれど目先に公演予定が無い時はゆとりがありすぎる生活に焦る日もあった。
モデルは創作に携わる部分にやりがいを感じてきたが、クリエイションする仕事をしてみたいという思いがずっとあった。モデルを続けていった先、ある年令に達して身を退いて、どうしようかと思ったのだ。
自分の仕事とは何か。
ほんとうに私がすべき仕事。それは生活する為の仕事に結び付かないのかも知れないけれど、なんとかしてある部分溶接しようとする努力は必要だと感じる。
自分の感性を世の中に突き合わせてみたときどうなるのか。
私の働く花屋は厳しい。
出来る限りの気を配り、反射神経で仕事をしている。
本来人当たりが良くなかろうと気が回らなかろうと、それを隠して必死で機転のきく人を演る。本性と捏造の間で摩擦が起こり研磨されて私のかたちが変わっていくのが自覚できる。私はいま確実に無理をしている。
そういうところは舞台をやって感じるおもしろみと共通している。
ひとつわかったのは、私は常にどこか必死になれる場所をほしがっているということ。
それは舞台の上なのだろうか。体を伴っていないと駄目なのだろうか。

とにかく芸術を理由に人より幾分か社会的な関わりを免除されたような位置にいて良しとしている私に、表現を続けるためにこのままじゃ絶対足りないものがあるように思った。

果実

2007年10月01日 | Weblog
ドライじゃないプルーンをよく買う。
プラムに似ているが、見た目はかなり大粒の葡萄のようで、もう少し果肉に歯応えがあり、甘味はあっさりしている。朝冷やしておいたのを噛るのがおいしい。
無花果はドライの方が好きだが、プルーンは生の方が好き。
はじめて生の無花果を食べたときは半分に切った断面の様子、気が抜けそうなとろんとした食感、甘味とどことなく青臭さが残る独特の味にまるで宇宙人食べてるように思った。
あけびもあの不思議な紫色にひかれて買ってみたものの、掴み所のない果物という印象が残る。山で木になってるのをもいで食べたら格別かも知れない。

以前住んでいたアパートの前の畑には蜜柑の木があった。夜中に何度か泥棒猫になったことがあるが、冬の夜に冷やされた蜜柑の水々しくキンと甘くおいしかったこと。
夏はバナナはジュースをかなり作る。ポイントはシナモンとメープルシロップ、そして凍らせたバナナをたっぷり惜しみなく使うこと。これはどこの喫茶店にも負けないと思う。
肌寒くなると林檎のお菓子を作りたくなる。

ところでうちの時計草に実がなった。まだ青いけどあれは食べられるのだろうか。