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流出雑記 

2011/7/31

2011年07月31日 | Weblog
7月最後の日。休日。

ジーパンを裏返して洗う。
昨夜から中華が食べたいと夫は寝床で唸っていたので、お昼は百万遍の白水に行くことにする。
が休み。老安記も安み。結果宝ケ池の王将となる。昼2時近かったが待ちが出るほど繁盛している。冷麺と、唐揚げが食べたかった夫はチューリップも注文する。私はこの日チューリップを初めて食べた。

そのあと家賃や各種支払いを済ませて御蔭通から志賀街道をしばらく走る。山の斜面に立つ妙法山日天寺というお寺に向かった。何度か前を通っていつか入ってみようと言っていた場所。

下から見上げると修行場でもありそうな雰囲気が漂っている。急勾配の階段を上がり切ると息があがった。
上がり切ったところは然程広くはなく、寺とあるが鳥居が立っている。社と一軒の家があり、家の庭先と境内がごっちゃになっていて、まだ整備中なのか木材やビニールシートのかかった雑然としたところに犬が吠え、猫がてくてく散歩し、ひとりの老婆に出迎えられた。
老婆によれば伊勢の神様が祀られているそう。もともとは海沿いに祀られていたが、その神様は海でなく山の神様で、海沿いにあるのはよくないということで、老婆が両親の財産分けの際に何がほしいと聞かれて、ここにお社を建てて伊勢の神様をお迎えしたいと言って建立されたものらしい。なのでそれほど歴史の古い場所ではない。この老婆の一族と伊勢にどういう関係があったのかまでは聞かなかったが、病弱だった老婆はそれからというもの風邪ひとつひかず元気に暮らしているという。

寺を後にして夕飯の買い物を済ませ、夕立ちがきそうだと思っていた帰り道、夫が急にバイクを止めた。何かと思ったら、ツバメが地面に落ちていた。巣から落ちたのではなくもう飛べる立派なつばさが生えているのに、左の羽つばさの動きがなんだかおかしい。飛んでいる途中に何かにぶつかったのかも知れない。親か兄弟が鳴きながら低空飛行で呼んでいるのに答えようと鳴いてバタバタ羽ばたくが、一向に体が持ち上がる気配はなかった。
そうこうしているうちに大粒の雨が地面を打ち始めたので、傍のマンションの駐輪所にツバメと避難した。真近で見た事なかったが、首の後ろにかけてプルシャンブルーの光沢があり、喉のあたりはイメージほど赤くはなかったが、美しい姿をしている。
どうすればいいのかしばらく考えていた。野鳥を保護して育てるのは難しいと聞いた事がある。
しばらく傍にいたが、突然雨の中に出て行って、植え込みの影に身を寄せた。何か食べているように見えた。そのあと白いフンをした。それからまた雨の中に出て行って長いあいだ空を見上げていた。首が痛くならないかと思うほど。近くの電線には4羽ほどの親兄弟らしきツバメがとまっていた。
1時間ほど経ったころようやく雨は上がり、そのあいだツバメを見ながらここにこのまま、と思った。

帰宅。洗って自転車にひっかけて干しておいたヨガマットはびしょびしょになっていた。
ジーパンは物干の屋根に守られて無事。

晩ごはんは豚と小松菜のパスタ。夫作。
パスタを食べた後いつも強烈に眠くなるのだが、なぜだろうか。


2011/7/26

2011年07月26日 | Weblog
9時半起床。燃えるゴミがその場で燃えてもおかしくない夏日。

夫は徹夜したもよう。
梅ちゃんに朝ごはん。暑さのせいで少し食欲が落ちている。

昨日ココナッツミルクを買ったので、今朝のかぼちゃジュースに入れた。これはとてもおいしい。
くるみとカレンツのパン。加熱した玉ねぎ、ブロッコリー、など冷蔵庫にあるものを食べる。

昼前、家を出る。
サリーを着る仕事今日で終り。はればれ。

仕事場の傍にあったガーデニングショップを覗くと、探していたレモンバーベナの苗があった。あと夫のパスタ用にバジル。びろんびろんに伸びたレモングラスもあった。買って刈り取ってドライにしてもけっこうな量になりそうだった。ちょっと悩んだが宝塚から京都まで持って帰るのに往生する丈だったので諦める。うちのレモングラスは伸びたしりから梅にかじられ今年も育たず。

ギャラと苗を連れて京都に戻る。
電車に揺られながら、今夜は熱い魚介だしに昨日作った焼豚と煮卵を入れて蕎麦を食べようと考える。
最近半熟煮卵が好きな食べ物の上位に食い込んできている。

仕事柄いろんな電車に乗るが、車窓からの風景が面白いのは、出町柳からの京阪、進行方向右側の窓から見る八幡あたりの風景。家の裏側がおもしろい。民家の裏に否応なく蓄積した歳月の痕跡、ごちゃごちゃ物の置かれている様や、長屋のトタンのつぎはぎや、窓からほり出されている布団干しなど。布団が干してあるのを見ると、その家の下着がべろんと出ているように見え、なんというか生あたたかい気持ちになる。それを見るのが好きだ。

近鉄は緑が多く目の保養。田んぼの波や里芋の葉っぱや蓮などが目に入る。

そういえば、いま緑色のチラシをデザインしている夫いわく、緑色を長時間見ていると目がチカチカしてくるらしい。赤や黄色より緑は目に良いような気がするが、そうでもないのだろうか。

阪急の車窓はあまり面白くないので寝る。

帰って苗を植えて蕎麦をゆがく。
しばらくして夫も帰宅。ろくに寝ないまま写真を撮る仕事などで外に出ていて空腹と眠気、疲労困憊。
蕎麦か米か聞くと米。焼豚を軽く炙ってたれを煮詰め丼のごはんの上に盛り、半熟煮卵とねぎ。
大盛りをぺろっと平らげその場で沈没。

月曜の休日

2011年07月25日 | Weblog

休日。二度寝して10時半起床。

洗濯機をまわしつつミカトレ。首の後ろが詰まっている。昨日の稽古でずっと上を向いていたからだろう。肩関節、右の太もものうしろはいつも通りかたい。

朝はまずかぼちゃジュースが最近の定番となっている。茹でて潰したかぼちゃを冷凍庫に常備している。こういう習慣化したものをうっかり切らすと一日の出端をくじかれた気持ちになるので抜かりなく常備する。かぼちゃ、豆乳、アーモンドパウダー(これは消費したいので入れている)きび砂糖。

昨日の夜焼いたカイザーゼンメルにサラダ菜と玉ねぎとリエットを挟む。

安かったカナダ産豚バラで焼豚を作る。どうしても不格好に仕上がるのは凧糸を巻かないからだが、凧糸を買うのをずっと忘れ続けている。代用出来るものはないかと家の中を探してみると麻ひもが出て来た。これならと生肉にきちっと巻き付け、焼いて茹でてたれに漬け込む。

ビールをきゅっと飲んで寝てちゃんと朝に起きると言って昨日の深夜にビール買いに行って飲んだにも関わらず、昼過ぎても起きて来ない人約一名。ビール代無駄だった。私が朝から出ている日もこうなのかと思いたくはない。

洗濯物を干すが思ったより晴れていない。念のため天気予報をチェックすると夕方雨マークが付いていた。

3時過ぎ、一緒に買い物に出る。

郵便局、カナート、ドラッグストア、スーパー、最後に酒屋を覗くツアー。

最近夫はパスタに凝っている。ひとりのときのお昼やお腹がすいた夜なんかにペペロンチーノをよく作っている。うちの狭い台所の私でジャストサイズの調理台に向かい腰を折ってにんにくを剥いている。やり辛そうだと思って見ているが、それでも最近は慣れて来たようで要領よく下準備をして麺を茹でている。お湯の量やらにんにくの刻み方やらこだわりもあるらしい。

輸入食品店でパスタ1キロと瓶に入ったアンチョビフィレ、バジルを買い込んだ。今日は夏野菜パスタにするそうで、スーパーでブロッコリー、茄子など買う。1000円以上買うとたまご1パック98円だったので、200円分くらい買い足して1000円にした。

帰宅し、たまごを6つ半熟に茹でて焼豚のたれに一緒に漬けておく。

ブロッコリーはかために茹でて茄子とにんにく、ベーコンを切るところまでやって夫に台所を代わった。

オイルににんにく、鷹の爪、ベーコン。いいにおいがするのでサラダの準備をしながらフライパンを覗きにいく。油をまとった茄子の紫色がてらてらしている。

実のところ私もオイル系のパスタをうまく作る自信はあまりないのだった。大体塩気が足りない感じになる。

今日のパスタは上出来だった。パスタと炒飯は夫の勝ちを認めざるを得ない。

食べ終わると胃に血液をもっていかれたのかモウロウとして頭が働かなくなり、座椅子に座ったまま30分ほど気を失っていた。夫も扇風機の風に吹かれながらこっくり寝入っていた。

付きっぱなしだったテレビはいつの間にか音楽番組に変わり、懐かしの映像特集のようなのをやっている。10代の頃の安室奈美恵やtrf、篠原ともえなど中学生の頃にテレビで見ていた人たちが映っている。

今は28歳で、隣で寝てる人は夫で、さっきこの人が作ったパスタを食べて、テレビはあの頃みたいに箱型じゃなくて、地デジで、ちょろっと横を通った猫はうちの子で、しょっちゅう地震速報が鳴って、放射能に汚染された国に住んでいるよどう思う?  と ぼーっとしながら画面を見ていたら、現在のMAXが登場し、4人のうち3人は白いミニスカートの衣装だが、ひとりは白いパンツスタイルの衣装で、おおきな白百合の花束をもらった。彼女は懐妊のため歌い踊ることができなかった。

MAXは3人で彼女らのヒット曲を歌っていた。 

 

 

 

 


2011/7/17

2011年07月18日 | Weblog

天気予報通りの熱中症日和。
玄関ドアを開けると昨日より刺さる日差し。小梅も直射日光を避けて日陰に身を隠す。

かぼちゃを冷凍しておいたのと牛乳、レーズンをミキサーに入れてかぼちゃジュースを作る。
夫は冷凍してあるブラウンサーブのソフトフランスをトースターに並べて、リエットを小皿に盛っている。

リエットはこの前はじめて作ってみたが好評だったので、豚バラを使って倍作った。適度に油気があるほうがいいようだ。リエット作りは肉をほぐしながら水気がなくなるまで煮るので、肉でジャムを作るような感じ。

西陽がまともに入る夫の作業場の窓を背にして置いているデスクトップのパソコンが、暖房器具かというほど熱くなって唸るようになった。これはまずいということで夕方、宝ヶ池のホームセンターへ遮熱グッズを求めて走る。
前にテレビで窓に吹きかけるだけで遮熱できるスプレーを紹介しているのを見た。「暑い寒いそのとき」という商品名がすばらしいので忘れられない。しかしホームセンターにありそうなのに置いていなかった。ほんとうに残念だ。
仕方ないので、遮熱80%と書いてある銀色のすだれを2巻買った。

その後、岩倉の王将に餃子を食べに向かう。

なんでもないところにぽつんとある古い小さな店舗だが、餃子を焼くのが他の店よりうまい。あと、この店には餃子の味噌だれがあって、夫はこれがお気に入り。王将の餃子に足りないものをこの味噌だれは見事に補完するのだという。
オリジナルメニューの丼20種類というのもある。メニューにあるレバニラや麻婆豆腐などの一通りの炒め物をごはんの上に乗せるだけでは飽き足らず、謎なところではホウレンソウ丼、餃子丼なんてのもある。ホウレンソウ丼に素直に手の出せない興味をひかれつつ、それより茄子が食べたいので、麻婆茄子丼にする。この頃茄子が食べたい。
夫は炒飯と餃子のセット。

王将はこの飯を食らうって感じがよいねと、話しながらがっつく。暑さで生気が蒸散している体に中華の効用。
隣の席の中年男性はあんかけそばと酢豚丼(それぞれ単品)さらに枝豆をひとりで食べている。彼の週末の贅沢であろうと察する。
味噌だれは麻婆茄子丼にかけてもうまかった。明日も茄子がいいなと思った。


2010/7/14

2011年07月17日 | Weblog

起きた瞬間にちょっと走ったときのような汗をかいている。

午後、四条で高校の友人に会う。前に会ったときは震災以前だった、確か去年の秋頃かと回想しつつ、烏丸から地下道を歩く。
ショーウインドウに陳列している三十三間堂状態のブルーグラデーショントルソーを横目で見ながら待ち合わせ場所の藤井大丸へ。

お昼を一緒に食べる約束だった。何が食べたいか尋ねると、野菜が足りてないから野菜食べれるとこと言う。いつもそう言う。社食のメニューが揚げ物などに偏りがちで野菜といえば気持ち程度に添えられたレタスくらいで、慢性的な野菜不足だそうだ。
四条から御幸町を上がって、野菜のランチを出している店を覗いたが、平日なのに並んでいる。8組待ちで30分と言うので、早々に退散してさらに北上し、店先に夏野菜が並べてある店、ここら屋に入る。
お昼ごはんセットは魚か肉から選べて、魚は鰹のタタキだった。ふたりとも魚をとる。

タタキには大根おろしとミョウガ、トマトが少し、揚げ茄子が乗っている。それに小鉢がふたつと味噌汁、ごはん、わらび餅が付いて980円。
お膳に箸をつけながら積もる話を塩味や酸味や甘味と共に徐々に消化してゆく。
仕事のこと、家族のこと、これからのこと。

うちは一先ずふたりと一匹の目先の食いぶちがどうにかなり、自分たちのことだけ考えていることを許されているような生活だが、彼女は違った事情を抱えていて、毎日四時間睡眠で働いている。慣れてくるとさほど辛くないと笑っていた。

ふたりでバーゲンの服を見てまわり、これいいねと言いながら何も買わず、マルイの地下でかぼちゃのジェラートを食べた。
夕方、四条通りは歩行者天国になり、浴衣の女の子が徐々に地下から上がってきて色とりどりに散らばって行く。今日は宵々山。
彼女は南へ私は北へ。彼女は今夜も仕事に出る。体だけは壊さないように気をつけてほしいと思う。

彼女と別れてから自分の今後のことを考えていた。

やりたくないことはやらない。
尚且つ糧を得て、やりたいことに対して金銭的事情により消極的にならない状態を維持すること。
先のことを杞憂してばかりいても仕方ないが、今はまあなんとかなっている、というだけでは危うい実感もある。
無防備なままなるように任せているだけでは結実しないものがある。策士にならずとも現実的に方法は持たねばならない。

今やっていることは数年先の自分に繋がっているからね、とそんなごく当たり前なことをあえて口にした画家の言葉を思い出したり。
どうやって生きぬくか。
体に保温されているこの時間を何に使うか。


2011/7/11

2011年07月12日 | Weblog
梅雨明ける。
小梅は涼しいところを求めて日がな一日家のなかを移動している。氷を浮かせた水を飲む。毎年思うが毛を刈ってあげたい。

体温の高い夫も同じく辛そうにしている。既に夏バテ気味。
私が仕事で出ている昼間に、家の二階の蒸風呂状態の作業場でTシャツと短パンとパンツとメガネを残して夫が溶けさっているんじゃないかと炎天下移動中によく思う。

昼、納豆、酸味が出てきたキムチ、玉ねぎ、チャーシューなど冷蔵庫にあるもので炒飯。
材料は切ったが炒めるのは夫。
私が作るとどうしてもべちゃっと仕上がる。違いは油の量と火加減、鍋返しのダイナミックさ。

午後、香料に触る。
4時過ぎ夕立。
雨が止んだ頃稽古場へ向かう。

稽古場にはやたら蚊が多く、肌が露出しているところをふと見ると大概とまっている。

ずっと子猫の鳴き声がしていた。屋根に近い壁面に四角い通気口があって、そこから時々猫が覗いていることがあったので、通気口の中で産んだのかなと話していた。
通気口の下には大きな棚があって、何が入っているのかよくわからないダンボールが積まれ、目隠しの布が張ってある。
あんまり鳴き声が大きいので、もしやと布をめくって下段のダンボールを覗いた人が、「あ」と言った。ダンボールの中に一匹の子猫がいたのだ。暗くて柄はよくわからないが、黒かサビ。

ここで産んだのか、親猫が運んだのか、よくこんな場所を見つけたものだ。
子猫は親猫を呼んでいるが、稽古場に人がいる間は警戒してやってこないようだった。

稽古中もミエーミエーという子猫のあの小さい体のどこからこんな音量が出るのかという鳴き声が響き渡り、我々が繰り返している曖昧な身振りや言葉をかき消さんばかりに鳴く。猫の言葉はわからないが、必死で親を呼んでいること、命の掛かった声であることは十分すぎるほど伝わってくる。

親猫はちゃんと戻って世話をするだろうか。
下手に人が触るとにおいがついてしまって親猫は子猫を育てなくなるので、構うことができない。
一先ず稽古が終わったら速やかに退散し、次の稽古のときに様子を見るしかない。ずっと気になっている。

2011/7/10

2011年07月11日 | Weblog
香りのするものが好きだが、私自身香水が大好きで毎日つけるというわけではない。
調香に興味を持ったのは、五感のなかで置き去りにしているように思われた嗅覚が気になったからだった。そもそもにおいのするものは好きだったが、アロマを楽しむとか香水を集めるという他に嗅覚を使う事はもっとないだろうかと思っていたとき調香に出会った。

日常のなかで嗅覚をいちばん使うのは台所。料理と調香はよく似ている。
料理はもちろん味覚によるところが大きいが、バランスをとるためにいろんな調味料を使って味を整えていくところは、香りを組み立てていく感覚に近い。料理が好きなのはやはりそういうところがおもしろいからだ。単に食い意地が張っているというのもあるが。

調香をはじめて間もない頃はイメージに沿う材料ばかり選んでいた。しかしこの頃、ひとつの香りが完成に近づいて来て、でもどこか拡散性にかけるなあと思ったときに、あまり手を付けなかった要素の香りを加えると、わっと咲いたように香りが膨らむことがある、ということがわかってきた。逆に1滴によって香りが沈んでしまう場合もある。そうしたときに何を加えれば再浮上するか、とにかく瓶の中の液体の輪郭を縁取るような作業になる。
最初にある香りのイメージと現実的にその香り立ちのバランスを取る作業のなかで着地点を探す。

今ふたりの人に頼まれた香りを組み立てている。
それぞれに好みの香り、どの季節に向くものか、など香りのかたちをつくる為のイメージを聞いて試作する。それを一度嗅いでもらって調整し、小さいアトマイザーに入れて実際に試してもらう。試香紙の上で嗅いでいるのと肌につけてみるのとでは香りが違って、つける人自身のにおいと混ざってひとつの香りなので、それは試しておかないといけない。それで最終的に調整してガラス瓶に入れて完成。

よい香りとは何か。
ゲランの夜間飛行という香水に憧れていたが、自分の肌につけるかおりとしては非現実的だった。名香と言われるものでも、自分がつけるとなったらどうにも重厚すぎてまとえない香りだった、ということがある。
市販されているものの中に好みのものを見つけることは出来るが、売り場で「芸能人の~さん愛用」など書いてあると良いなと思ってもああこれは既に誰かの香りでもあると思ってしまう。

それで香りを当て書きというのをやりたいと思った。
今までもそう考えたことはあったし、実際に作った事はあった。
手持ちの香料の限界や技術的な部分での不安もあるが、香水を頼んでくれる人の嗅覚にとってよい香りを探す事はできるのではないだろうか。
調香と今後どう関わるべきか長らく測れないでいたが、その間に他者を挟む事によってようやく焦点があったように感じる。