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流出雑記 

2014/4/28

2014年04月28日 | Weblog

久々に曇りのち雨

午前中の仕事を終え、買い物をして帰って来た。昨日安かったので買っておいたスルメイカで今夜はパエリアを作ろうと思っていたが、夫の帰りがどうやら遅くなるらしく、夕食がいらなくなるかも知れず、冷蔵庫に横たわっているスルメイカ2ハイをどうしたものか考えている。冷凍して後日パエリアか、昨日おろしそばを作るのに買った大根と炊くかで迷っている。要領がいいのはイカ大根だが、たぶん数日分できてしまうイカ大根、そんなに食べたいかと自問しているが、まあ致し方なしと思っている。

でもそれより現在の気掛かりは冷めるのを待っているシフォンケーキのこと。明日、母の誕生日で実家に集まる予定なので妹はタルト、私はシフォンを焼くことになった。久々のシフォン、生地作りの段階では問題なくできたつもりでいたのに、焼きはじめるとどうも膨らみが悪い。途中、上の方がこげそうになったので、アルミをかぶせる為にオーブンをあけたら明らかに生地がしぼみ始めた。焼きが甘い段階でオーブンをあけると縮むのは知っていたし、問題のない時間は経っていた。もしかしたら水分量が多かったのかも知れない。分量としたら型いっぱいに膨らむはずだが、背が低いし、さめるともっと縮みそうな予感がするし、あまりに縮んでいたら作りなおさなければならない。ひとつ作るのに卵6個使うのに。ザ 卵大量消費。

さらにハインツのケチャップを買う為に帰りに寄った輸入食品店で安く売っていたので興味本位で買ってしまったスペイン産の豆乳は不気味な甘さをしている。そして必要と思っていたのにお茶パックは買い忘れ、今日はもう台所にまつわる運が悪いのではないかと思う。こうしているうちにも冷蔵庫のイカは鮮度を落としていく。さっさと炊いて冷ました方が夜食べるときに大根に味が染みておいしいに決まっている。もう今日の私が浮上するにはイカと大根を炊くしか道はない。今すぐに。

 

追記 シフォンケーキは型から外すのが今までで一番うまくいって味見したら結果的には上出来だった。イカ大根もおいしかった。


2014/4/26

2014年04月27日 | Weblog

寝室の窓際は東側で、午前中日がよく入る。小麦は朝いつもそこにいて朝日を浴びている。猫らは一日のうちで一番心地よく過ごせるところを転々としている。季節や時間帯に合わせて。
玄関のばらが鬱蒼と茂ってきた。虫もよく来る。出来るだけ薬を使わないでいたいが、次々卵を産みつけにくるのを見ていると、孵化する頃がおそろしくなり最低限ばらを守るために薬を散布した。2、3日目を離していると葉が一気に食われてなくなっていることもある。でもオトシブミが葉で小包を作っているのを見つけると感心してしまう。本当にうまく作られている。モッコウバラは放ったらかしでもどんどん伸びて今開花している。それに絡んでいる羽衣ジャスミンもそのうちに咲く。去年はひょろひょろの苗だった山紫陽花も立派に育っている。
毛布を洗えるコインランドリーを見つけて、今年こそと思ってごみ袋に詰めてバイクで運んだ。乾燥までで1500円したけれど、とにかく丸洗いできたのが嬉しい。

暑いのでソフトクリームを食べた。
コンビニの周囲に同じ青いTシャツを着た男性がわらわらいて、大学のサークルか何かと見ていたけれど、どうも年齢層が幅広い。夫がTシャツに書いてあるなんとかsagaというのを検索したらアイドルグループの名前で、すぐそばでライブがあるらしいことがわかった。

毛布を回収してから、鞍馬に行ってみた。鞍馬寺。上まで上がったのは5時近かったので、あまり人もいない。
ベンチで休もうとしたら、マルボロメンソールが置いてあった。中はほとんど残ったまま。誰もいないので、これは天狗がそっと置いて行ってくれたものと理解し、夫が頂戴して帰った。よく見ればパッケージも緑で山。
ついでに貴船神社にも行ってみた。貴船全体のみずみずしさは心地いい。

夕飯の相談をしていたら、おろしそばが食べたいと夫。山に行くとそば気分になるのはなんかわかる。
いつも行かない岩倉のスーパーに寄ってみる。
入ったことのないスーパーに入るとそんなに品揃えが様変わりする訳でもないのに、見慣れない銘柄の牛乳とか、パンとか惣菜コーナーのラインナップ、ちょっと珍しい野菜が混ざっているだけで知らない町に来た感覚を味わえる。
日野菜の摘み菜を見つけて買ってみた。さっと湯通しして胡麻和えにしたらおいしかった。おろしそばは、確かに確かな今日のy夕食だった。


2014/4/25

2014年04月26日 | Weblog
もう十分に春なのはわかっているけれど、我が家の一階は朝夕まだ寒いので、コタツを片付けられずにいる。毎年コタツの撤収時期に悩んで5月になるとさすがにそろそろと重い腰をあげる。
コタツ自体を付けているのではなく、ホットカーペットを付けてコタツ布団を被せて保温している。何よりこの布団がなくなるのがさみしい。

ミントシロップを作りたいと夫が言っていた。昨年福井のカフェで飲んだミントシロップ入りのアイスコーヒーが美味しかったらしい。
うちには今レモンバームしかなかったので、ミントを手に入れないと、と思っていたとき、仕事先の母校の校舎通路脇にミントの群生地帯があったのを思い出した。行ってみるとやはりその一帯すべてミントだった。
土というより半分砂利みたいなところでよくもこんなに増えたなと思わせる生命力。根も浅いところに張っているので、すぐ抜ける。5本ほど根付きのままもらって帰った。
植える場所を作らないといけない。ばらとアジサイと時計草、羽衣ジャスミン、の鉢はもう他の物を植えられない。
唯一、クロッカスとオーニソガラムの球根を植えた寄せ植えの鉢は、放ったらかしにしたせいか今年はほぼ咲かず、オーニソガラムの長い葉が横たわっている状態で、これに手を入れるしかなかった。
掘り返すと植えたときより球根が増殖していてちょっとこわかった。

持ち帰ったミントを植えて摘芯しておく。
これはなんていう種類のミントなのか調べた。茎の部分が黒く葉は尖ってきる。葉の表面には細かい毛が生えている。おそらくブラックペパーミント、あるいはその亜種と思われる。ミントはすぐに他のハーブと交配して、寄せ植えにするとすべて同じ香りになってしまったりする。
持って帰ってきたミントが正確には何なのかわからないけれど、摘芯した葉でミントティを煎れてみたら、メントールが強く出ていたし、ペパーミントの遺伝子が強いのは確かだと思う。

昔あるところで、正しいハーブティーの煎れ方は、フレッシュハーブの場合、一度目に注いだ湯を捨てて二度目の湯で蒸らすと聞いた。そうすると青臭さが抜ける。
ミントシロップの作り方をいろいろ調べると、10分煮出している人もいれば、5分煮出して5分蒸らす、10分蒸らすと様々だった。なんとなく火にかけて煮出さない方がいい気がする。
だから作るときは一度湯通しして10分蒸らすくらいがいいのではないかと思う。


2014/4/24

2014年04月25日 | Weblog

天気がいいので隙があったら洗濯をしたくなる。

午前中カレー作る。夫の方法を参考にして玉ねぎ、にんじん、ホールトマトをミキサーにかける。

まずそれを圧力鍋で10分加圧する。圧が下がったら、昨日の内にスパイスとヨーグルト漬けておいた鶏むね肉を入れさらに3分加圧。蓋があいたら5人前のルー、クミン、コリアンダー、カルダモン、にんにく、フェネグリーク、ナツメグ、味の調整、濃度を見ながら濃ければ牛乳などを足して少し煮る。ルーとスパイスで半分ずつ担って箱に書いてある10皿分はできる。野菜をペーストにするとそのとろみがつくので、ルー10皿分使ってしまうとごてごてになるのだ。そうなっても水分でのばせばいいけれど、予想を超えた量ができ、思惑より数日カレーが続くことになる。鶏がもも肉の時は一度皮を焼いた方がいい。このカレーは野菜を炒めない為か、初日は玉ねぎの主張が強いが、一日置くと全体が馴染み一体化したことを特に感じられるカレーである。

昨日は珍しくはじめて行く仕事場だった。神戸のアトリエ。少人数で定期的に描かれているデッサン会。神戸には画家が多いと聞くが、この会も職業画家と趣味の画家が入り混ざっていた。神戸の画廊事情など話されているのを聞きながら、知っている名前が出たので、神戸ではそういう位置取りなのかと思ったりしていた。今日は終わってから参加者のひとりの方の大学卒業祝いの会をするそう。予約しているレストランのシェフはこのデッサン会主催者友人で、どうやらとても腕のいい料理人らしい。何かの寄り合いがある時はよくこの店を使っているらしく、あのときの肉料理はものすごくおいしかったなと話している。しかし店の立地が悪いし商売っけがなさすぎ、あの店もいつまで持つだろうと危ぶまれていた。でもあの人の腕なら今のお店を潰しても、どこからでも声がかかるシェフやからと言っていた。

神戸の人は~している というのを、~しとう という。うはおに聞こえるときもある。大学に入ってからこの方言で喋る女の子に初めて出会った。小柄な彼女とこの方言が合っていると思っていたが、おっさんが使うのを初めて聞く新鮮さがあった。

 

最近夕飯のときに家政婦のミタを見ている。カレーは半日置いたので少し落ちついていた。福神漬けでなくても、柴漬けでも合う事に気付いた。


2014/4/22

2014年04月24日 | Weblog

ふたりとも休日の朝。久々にトーストを焼いてみたら、トーストってこんなに美味しかったかと思った。週間天気予報では傘マークがついていたけれど、曇りになっているので、出掛ける。
夫は村上春樹、私は保坂和志の本がほしかったので、まず三条のブックオフに行った。この古本屋、規模は大きいが保坂和志はほとんどない。

そのすぐ傍にある三条通りの気になっていた定食屋、篠田屋に行ってみた。

昭和の時を留めた店内は昼どきで中年男性たちで半分ほど席は埋まっているがしんとしている。テレビモニターも音楽も流していない。いわゆるという感じの麺丼ものが並ぶお品書きの中でおすすめらしい中華そば、この店オリジナルらしい皿盛りというのを注文する。お手洗いに行くのには厨房を通る。厨房は土間になっていて、大きな釜があり、炊事場という雰囲気だった。そこで老夫婦が調理をし、その娘と思われる中年女性が注文、会計などをしている。中華そばは期待通り中華そばと言われるもののセンターを貫いていた。皿盛りというのは、カレー風味の和風あんかけごはんに薄いトンカツが乗っているものだった。カレー丼ではなく、カレーライス形式に皿に盛りつけられている。客はほぼそれを注文し、そうでなければ中華そばをすすっている。
皿盛りを味見させてもらったら、カレーの風味も出汁もかなり優しい。カツにさっとウスターソースをかけるとちょうどいいくらいだった。私だったらあんにもう少し味をつけると思ったけど、これがこの店らしい感じの食べ物だった。

午後から映画を見ることにしていた。時間があったので、四条烏丸から錦、寺町、御幸町をぐるっと歩いて上映前に京都シネマに戻る。
気になっていた『アクトオブキリング』を観る。60年代のインドネシアであった大虐殺を行った、今はもう孫のいる年齢に達するブレマンと呼ばれた民間の兵士というかヤクザのような男たちを追ったドキュメンタリー。彼らは「共産主義者」と見なした数え切れない人々を虐殺しているが、その罪を問われることはなく、現在はインドネシア内で英雄的な立場にあり、裕福な生活を送っているらしかった。そんな彼らに当時行っていた虐殺の場面を映画の中で再現する話しを持ちかけると、それを喜んで引き受ける。自分たちのやったことを世界に知らしめるチャンスだと。自分たちの力と恐ろしさは彼らの誇りであり、殺人への罪の意識というものはそれらの記憶にまるで被さっていない口振りで、この場所で大量の人を殺したんだ、こうやって針金で首を絞めるんだと説明する。殺人者たちが殺された人も演じ、虐殺の場面が再現される。尋問、虐待、処刑。

インドネシアという国はどういう国なのか。つい最近、東ティモール独立運動に関するドキュメンタリーを見る機会があった。その映画のなかでも東ティモールに軍事介入し虐殺行為を行っていたのはインドネシア軍だった。
調べるとどちらもスハルト政権下で起こったことらしかった。スハルトのキャリアは軍人から始まっている。
スハルトの前の大統領はスカルノでつまりデヴィ夫人の旦那さんだった訳だが、親共路線だったスカルノ政権下に左派系軍人らによる陸軍将校殺人事件が起こった。そのことによる混乱を治めるため、スカルノはスハルトに事態の収拾にあたる権限を与え、スハルトはこれを速やかに鎮圧する。同年陸軍大臣兼参謀総長に就任したスハルトは事件に関わったとされる共産党指導者、党員、疑いのある市民を大虐殺し、物理的に組織を解体した。敵対するものは容赦無く粛清する。

東ティモールでのインドネシア軍の行ないもあまりに残忍で、虐殺現場の写真は何かの為に戦うというより、民間人に対してそこが無法地帯であるかのような振る舞いの痕を記録していた。

それが何によって引き起こされているのかわからなかった。

もうひとつ調べていて知ったことは、スハルトは郷土防衛義勇軍、略称PETA「ペタ」出身であるということ。
ペタとは、太平洋戦争期、1943年10月、日本軍政下におかれた東インド(現在のインドネシア)のジャワで、民族軍として結成された軍事組織。インドネシア人指揮官がみずから率いる民族軍として構想されたものである。こうした民族軍の設立については、日本側とインドネシア側の双方から要請があった。日本軍政当局が民族独立を確約せず、住民の動員や資源の調達に協力を求めることに不満が高まっていた。1943年5月に設置された兵補の制度は日本軍の補助兵力にすぎず、これもインドネシア人の不満を解消するものではなかった。彼らが望んでいたのは、日本軍から独立した、インドネシア人の将校と兵士からなる自前の民族軍の設立だった。
日本人の側には、武器を与えられた現地住民が反日運動に荷担するのではないかという不安があった(その不安は後のブリタル反乱事件で現実化する)。インドネシア人の側には、かつてオランダの植民地支配下にあったとき、現地住民から構成された植民地軍が民族主義運動弾圧に利用されたという苦い過去があった。
こうして設立された民族軍ではあっても、占領期間中は日本軍の指揮下に置かれ、軍事訓練等は日本軍の指導の下に実施された。訓練はすべて日本軍の歩兵操典を基準にしておこなわれた。訓練はきびしく、訓練兵のなかには病気になったり死亡したりする例もあった。軍事訓練とともに重視されたのは精神教育であり、そこでは日本軍の軍人勅諭が用いられ、祖国のための自己犠牲の尊さ、闘う勇気などについて、インドネシア人青年は徹底的に教え込まれた。

末端の兵士たちは纏わされた役割を引き受け、殺人者となり、そのうちに殺人に対する麻痺が起こって加速したという想像をする。人は、そうなることができてしまうし、なってしまうのだ。だからアクトオブキリングは映画タイトルではなく、実際に起こったことを言い表しているように思える。
東ティモールでもインドネシア国内での虐殺でも同じような陽動が根本にあったことは確かだが、それ自体は例えば指示をしたものに悪の根源があるかといえばそうとは言い切れない。もちろんそのように仕向けた人間はいて、そのことに罪がないわけではないが、目に見えるように個人に着せられるような罪でなく、歴史のなかで醸造された根深いものがあるのを感じた。

中庸を選ぶ事ができない状況、何かを淘汰すべしという思想のあり方は、どこかで誰かが追いつめられざるを得なくなるということ、その極点でこういう悲惨なことが現実に起きるということを改めて考えた。


2014/4/21

2014年04月21日 | Weblog

ハワイから戻って以来、先週の牛肉欲、肉食化疑惑はもしかすると単に鉄分を補おうとする欲求であったのかも知れず、血の入り用、目的が果たされたと同時に落ち着いたのだった。
朝、曇りがちで気温が低いのでヨーグルトを温めて食べようとレンジで加熱したらやりすぎて分離した。もろもろしたヨーグルト。ビフィズス菌も死んでしまったと思う。朝から不過視な殺生をしてそれを胃腸に埋葬する。

昨日伊丹へダンス公演を見に行った。阪急を乗り継いで、十三は火事があった方の改札がまだ閉鎖したままになっている。
伊丹でたいやき屋に寄る。そこはある時期までおはぎの丹波やだった。あんこの続き。
小雨のなかたいやきをかじりながら歩く。しっぽから食べて最後に頭が残るより頭から食べて最後にしっぽの方がいいのだと、この日やっと確信した。最後にしっぽの形を見ながら食べきったほうが完了型に感じる。

劇場には顔見知りが多かった。終演後頭の奥に鈍い頭痛があった。
公演を見に来ていた恩師と夕食には早いけど夕方からちょっと飲もうと寄った店に結局9時前までいたけれど、学生時代の回想から現在に至るそれぞれの状況、この十数年のことを話すことが有意義な時間だった。

保坂和志の波が来た。
運よく今日の仕事は本を読んでいるポーズだった。ポーズ中に私という演算を読み終えた。次の本を注文すべく今日の午前中にカートに7冊入れた。

仕事場が京都駅だったので、終わってから伊勢丹でレターセットに散々悩む。
ちょっと礼状を書きたいだけなのに、自分でもバカなのかと思うくらい紙の売り場を右往左往して、便箋の幅、紙のサイズ、質感を確認してしまう。

夕飯、すじ煮込みの残った煮汁でごぼう、にんじん、生姜の炊込みごはん。赤軸ほうれん草と水菜のサラダ、ドレッシングはなんとなく作ってうまく行った玉ねぎ生姜青のり。むね肉と玉ねぎピーマン甘酢炒め。月の終わりが近付くとむね肉に助けを求める。えのきワカメ吸い物。
炊込みごはんが炊けてくるにおいがしてくると早く炊飯器を開けたくなる。炊飯器という家電が好きだと思う。音も湯気がでる様子もいい。パカッと威勢良く蓋があくところもいい。さらに予約しておいたら時間通りに米を炊き上げ、あ、ごはんなかったという時には早炊きでさっさと炊いてもくれるし、炊込みごはんとか玄米とかコースが別れているのも何かしらそれに適した加減をしてくれる心配りがうれしい。さらにすぐ食べないときには保温も出来る。
例えばトースターは、油断しているとパンを焦がしたり、電子レンジは電磁波がどうとか栄養価を損なうとか真偽は置いといてどこか不安要素があるけれど、炊飯器にはそういったところ、目を離すと炊き過ぎるとか、調理におけるマイナスポイントがない。しかも使いようによれば煮物もできるし、さつまいもも蒸せ、パンも発酵から焼き上げまで出来るというこの器用。 私はタイガーのまわし者ではないです。


2014/4/18

2014年04月19日 | Weblog

季節と体調によるバイオリズムの低迷が合間って、そう言ってみても始まらないので、冬物、マフラー類を徐々に洗濯し、掃除し、豆ご飯の準備をする。
サヤを茹でた茹で汁で豆を茹でてそのまま冷ます。茹で汁と豆を分けて茹で汁で米を炊き、炊き上がってから豆をごはんに混ぜ込むと豆の色がきれいに仕上がり、サヤを含めた豆のモチベーションを最大限引き出せると知って以来そうしている。豆を炊飯器に入れれば豆ご飯は炊けるが、その手間を知ってしまうとそれをやらないことはやり残しに思えてしまうのだった。

伊豆すみれが数日前に咲いた。
なんとなく去年の4月の日記を読み返してみたら、同じ時期に伊豆すみれは咲き、ばらは伸び盛り、小麦がやはりくしゃみをしている。麦はやはり花粉症なんだろうか。
小麦、数日前にだしを取った後に机に置いていただしパックをそのまま引き千切って袋ごと食べてしまった。
袋はお茶パックくらいの大きさで、紙のようだけれどポリエチレンで出来ているので消化されない。
誤飲について検索するとナーバスになる。胃や腸に詰まると開腹手術だそう。排出されることを祈っていた。
ある夜、繊維質を含んだものを出した。しかも腸の中を掃除したようなデトックス的な排泄で、どうやらそれらしかった。その後小麦のようすを見ていると、食欲もあり、問題なさそうだった。

昼イエローカレー。玉ねぎ、かぼちゃ、ピーマン、きのこ少々。

午後大阪で仕事。

久々に来たクロッキー会。指導者が変わっていた。以前はけっこう熱心に指導される方がいて、趣味で描きたい高年齢層の描き手との間に明らかな温度差があり、これはどちらの方向に傾いていくのだろうと思っていたが、今日その結果をみた。

昼間はかなり暖かかったのに夕方帰るときに外に出ると急激に冷えていた。

帰宅すると炊飯予約しておいた豆ごはんの香りが漂いはじめている。

昨年豆ご飯をしたときに、夫が不思議なたまご丼を作った。卵は卵黄と卵白にわける。出汁に片栗粉でとろみをつけてそこに卵白を入れて泡立てる。するとふわふわのものができる。卵黄は2個あたり10ccの油を混ぜて乳化させる。豆ご飯の上にふわふわの白身をかけてその上から黄身のソースをかける。これが豆ご飯のにとてもよく合い、どちらかといえばこのたまご丼目当てに豆ご飯を炊きたくなるのだった。

仕事が遅くなるかもと言っていた夫。待ちながら半玉残っっていたキャベツを刻む。塩をふって少し置く。キャベツを絞って千切りスライサーのにんじんを加える。酢、砂糖、ターメリック、クミン、コリアンダー、塩こしょう、ケチャップ少々、マヨネーズ、で我が家のコールスローになる。夫、結構遅くなるとメールで、夕飯も仕事先で出してもらうと連絡があった。

豆たまご丼は明日のお昼ごはんになる。


2014/4/17

2014年04月18日 | Weblog
昨日奈良で仕事。
道中の電車で旧友の妊娠を知る。

会場までバスを使わなければならない。描きての方の多くはこの会場まで車で来ているので、帰りは駅まで乗せてもらえる。この日は久しぶりにお会いしたよく知っている方に乗せてもらってその道中話していたら、○○というモデルを知っているかと聞かれた。初めて聞く名前だった。だいたいモデル同士が会う機会はあまりない。今日行った会場は珍しく2人モデルを呼んでいる。参加者が多いため。初対面の若いモデルさんだった。彼女は車で来ているらしかった。そういう人は珍しい。

○○という人は小説を書いていたそうで、ネットで読めるものを教えてもらっていくつか読んだらおもしろかったと言う。しばらく仕事に来ないし、小説も更新されないなと思っていたある日彼女の旦那さんと思われる人によって、彼女のFacebookに○○は永眠しました、と投稿されたらしい。
ペンネームみたいな印象だったから本名ではなさそうな、その○○という名前がいま全然思い出せない。

車で西大寺まで送ってもらい、西大寺の駅の中のショッピングセンターの八百屋で、赤軸ほうれん草というのが50円で売っているのを見つけた。レジに並ぶ主婦のなかで赤軸ほうれん草を持っていない人はいなかった。
夫は明日愛知で仕事があるので今日移動した。今日はひとり。帰ったら、生食できますと書いてあったこのほうれん草をサラダにし、作り置きのすじ煮込みとその汁をかけたごはんを食べる。

汁かけ飯は期待を裏切らない。一昨日大原で買った柴漬けがあってよかった。

食後久々に調香した。ばらを中心にした香り。




2014/4/16

2014年04月17日 | Weblog
去年も薄々気付いていたが、年々アレグラの効きが悪くなっている。4年前くらい初めて飲んだときは花粉症であることを忘れるくらいの効能を発揮し、神薬とあがめ奉ったのに。
今年に至っては飲んでいても朝方鼻水が流れて目が覚めたりする。
薬に体が慣れてしまったのか、症状が悪化してアレグラでは役不足となったのか、効かない原因は不明だがとにかく薬を飲んでいるのに辛い実感だけがある。
ちょうどアレグラが切れたのでアレジオンに乗り換えてみた。

昼前に飲んでからくしゃみも鼻水も今のところ止まっている。
効き目としてはアレグラ<アレジオン<アレロックらしい。
翌日もマスクなしで症状は完全に止まっている。春の新しい神が降臨した。
ハワイにいる間はやはり薬を飲まなくても大丈夫だった。このまま治ればいいのにと根拠のない期待をしていたが、北山杉に包囲された我が家に帰ったとたんその夢は破れた。

ハワイから帰って以来なぜか肉食。別に向こうで肉ばかり喰らっていた訳ではない。どちらかと言うエビだった。
しかも豚や鶏でなく牛なのでたちが悪い。肉々言っていたある日、遅くなるので夕食を夫に頼んだら、大きな肉が焼かれていた。
すりおろした玉ねぎを揉み込んで、ハーブソルトを使い、火を通しすぎない焼き加減がちょうどよかった。ふたりで食べて十分な1枚は1000円くらいのオーストラリア産だったらしい。だったらひと月のうち3回くらいそれを食べるために他の日を節制しようかと肉食欲は提案する。

実家は牛肉びいきだった。たぶん祖父母から。
覚えているのは母が妹を産むために祖父母のもとに預けられているときの食事。
牛肉の薄切りを砂糖醤油で甘辛く炒めたのに千切りキャベツが添えてあるもの。肉の味でキャベツも食べられる。
もう一つは牛ひき肉と玉ねぎを炒め、ソース、カレー粉などで味付けしたドライカレーみたいなもの。
なぜかどちらも未だに味の輪郭がちゃんと思い出せる。
京都の人は牛肉が好きというのを何かで読んだことがある。これはハワイで暖まった京都の血だろうか。




2014/4/9

2014年04月15日 | Weblog

ハワイ最後の日。

成田着の飛行機は午前11時発で、ホテルで回収してくれるスーツケースのピックアップも朝7時半と早かった。そのため東京から来ている同室の友人は早起きだった。8時過ぎにホテルのロビーに降りて彼女を送り、関空着の私ともうひとりの友人は12時のホテル出発時刻まで昨夜決めていたハワイ最終朝計画を実行にうつした。
まず近くの商店に行って朝ごはんを調達する。半分に切ってレモンを添えてあるパパイヤ、ヨーグルト、ローストビーフの挟まったサンドイッチ、スパムおにぎり。
パパイヤをスプーンですくって食べるのは初めてだった。メロンと柿の間くらいの感じがした。友人は初スパムおにぎりに挑戦し、私はサンドイッチだったが、パンを食べたいというよりむしろ牛肉が食べたかった。牛。
それから昨夜、その存在にようやく気が付いたホテルのプールとジャグジーに入る。滞在中散々近くに温泉あったら最高なのにと言っていたのに。温泉でなくても野外に湯船が、こんなに近くにあったのだ。そんなに広くないけれど、誰もいないのでふたりで貸し切った。

プールからあがってまだ時間があったので散歩。すぐ近くの川沿いに行ってみた。堤防がないので台風が来たらすぐ氾濫しそうに思えた。そういえばハワイで猫を見なかった。鳩はじめ鳥が多かった。頭に赤い羽の生えた小鳥がいた。

バスで空港へ。
4時のフライトまで2時間あった。スタバでコーヒーを買い、大きい柔らかいタイプのクッキーとポテトチップスを分けて食べた。クッキーは固い方が好きだ。

行きより帰りの飛行機の方が時間がかかるらしい。
行きで機内食のスケジュールを把握していなかった反省を生かして今度はちゃんと空腹だった。選択肢はポークカツカレーと鶏と大根の煮物だった。カレーを選んだ場合、カレーのにおいが機内に充満するのではないかと恐れて鶏にした。
炊いたものに胃が和む。サラダ的に添えられた蕎麦にも愛着を感じる。

熟睡は出来ないまま、駄作と話題の永遠のゼロを見た。亡き夫は例え死んでも戻ってくると約束したと、彼の遺言を受け取り彼の代わりに彼女を助けるべくやってきたという若い男に夫を見、まっすぐに眼差す妻。しかしそんなふうには絶対に思えず、生きているものも死んでいるものも、その身の代りがありえないのが生きるということだし、そんな納得の仕方があるだろうかと見終わってから沸々怒りの湧いてくる映画だった。

21時頃に関空に着いた。

南海電車でなんば、京都へ戻る。途中の泉佐野あたりで40代男性たち、クラス会でもあったのかという雰囲気の酒気を帯びた軍団が同じ車両に乗り込んで来た。

友人とは途中で別れ、阪急から地下鉄、最寄り駅に着いた電車は終電だった。駅までは夫が向かえに来てくれた。夜はまだ寒い。

軒先のばらが一段と茂り、猫たちとの再会。数日まったく猫を見なかったので3割増にかわいかった。

ぼーっとするのは体感時間では朝の6時とかそんなくらいだからだと時差を見て納得する。すでに遠く離れてしまった南の島の温暖さと風を思った。