あいじさいの 花垣に沿い 傘の雨
梅士 Baishi
いつの間にか、旧暦端午の節句を過ぎ、梅の実もとっくに黄色
に熟し、蛍を見ないままに蒸し暑くなった。
博多の街には飾り山の鉄骨が組み上がり、男衆もそろいの法
被でせわしくなり始めた。
さて、博多の一番蝉はいつ鳴くものか・・・。
今日の講義は、「二宮尊徳の経営倫理と聖徳太子十七条憲法」、
「幸福になれない幸福?の自己分析」、「日本防衛論としての北朝鮮
の戦力分析」という三題だった。
それにしても、勉強が足りない。
休日返上、昼飯返上でも追いつかない。
しかし、過激な講義が過激に聞こえない厳しい状況を学生たちも感
じ始めている。
言いたいことが言えそうだが、市場原理が働いている。
実用性のチェックが入る。
そこが大学との違いである。
競争原理、市場原理が働かない仕事は腐るのである。
それが働いているのに危機感のない職場は立ち枯れる。
自己保身の制度化、これが企業の公務員化である。
どれをとっても、公務員の大半が不要悪であると分かる。
【 日本の防衛禁止事情 】
日本は、「日本国憲法」の制度上、自国を防衛してはならない建前
である。
防衛とは自国の領空・領海・領土を他国の侵害から保全し、自国民
の生命・安全・財産に対する他国からの脅威から守るということであ
る。
他国が日本の侵略を宣言して進軍しても、領海・領空・領土に侵入
した後でないと反撃してはならず、陸上自衛隊はあるが、日本領土
に上陸した敵に対して、戦車隊などの軍隊は公道を通行してはなら
ないから演習用地に引き込まない限り、「防衛」はできない。
ミサイルに対しても領海・領空域に達した後でなければ迎撃できな
いし、敵国に達するミサイル攻撃は禁止される。
集団的自衛権も認められないから、同盟軍であるアメリカ軍が日本
防衛のために出撃して攻撃を受けていても、日本自衛隊は領海・領
空を出てこれを助けてはならない。
日本の防衛基地として米軍が駐留しているのに、痴呆自治体がこ
れを排除しようとしても、日本政府はこれを差しとめることができない。
それが痴呆自治制度らしいのである。
オバマ大統領が、自分の国を自分で防衛しようとせず、かつ、これ
を助けて防衛してやろうとする米軍に対してはののしって排撃運動を
するような日本を、なんでアメリカが人命の犠牲を払ってまで護らなけ
ればならないのか、という主張はもっともである。
日米安全保障条約は見直すべきである。
アメリカはホロコーストの国であるから、ナチスドイツ並みに非難さ
れるべき国である。
だからといって、日本の防衛をしなければならないとは言えない。
それは別問題である。
日本国民が外国の行為によって生命・安全・財産を侵害される危
機に直面しても、日本政府はこれを護らない建前である。
実際、救済して事例はない。
北朝鮮による国民の拉致と殺害に対しても救済はしなかった。
ペルーでも、アルジェリアでも、救済はしなかった。
遺憾というだけのことであった。
つまり、日本は、防衛放棄をしており、防衛してはならないという植
民地憲法に忠実であり続けているのである。
中国は既に、日本占領を宣言している。
早ければ2016年、遅くとも2022年と宣告している。
それでよいのかと、選挙で問うべきである。
自民党が中国と同盟関係の公明党との連立を解消せず、自衛権
について国民に問題提起する勇気がないなら、やはり、この国は「民
主主義」を棄てる革命を起こすべきである。
十七条憲法は天皇主権、政教一致の民主主義憲法である。
原点に戻るべきではないのか。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党