毎朝更新の携帯ブログ

全館輻射熱冷暖房住宅システムの開発者・福地建装・代表取締役会長
福地脩悦の毎日更新の携帯ブログです。

温暖地にこそ蓄熱暖房器を…東京

2007年02月28日 20時47分25秒 | Weblog
エアコン暖房は室内気温を10度しか上昇させられません。室内気温が5度の時、エアコンの噴出し気温は15度となり、充分な暖房熱と言えないのです。室内気温を出来るだけ早くエアコンの噴出し気温に順応するよう、家の性能を確保する必要がありますが、気密性能、断熱性能、日射遮熱性能、調湿性能などがキーワードとなります。

新築の場合は、最初からこのような家の性能を確立する事が出来ます。しかし、既存の建物に気密、断熱の性能を追加させるにはとてつもない費用がかかります。このような既存住宅でのエアコン暖房を、高品質、高効率で快適暖房を行う場合に蓄熱暖房機が有効です。
蓄熱暖房機は深夜電力でケーシング内のレンガを温めて、昼間に放熱して暖房します。

安価な深夜電力を活用し、家屋内のベース気温を15度程度まで暖めておき、エアコンで微小加熱を致します。ベース気温15度の室内気温をエアコンは25度に加熱して噴出し、短時間で快適な暖房気温にする事が出来ます。蓄熱暖房機は室内気温の微調整がし難いのですがエアコンでは、その微調整が自由に出来ます。

安価な深夜電力で、エアコンの最も苦手な暖房温域(0~15度くらい)をつくっておくのです。そのベース気温の15度を20度以上に待ち上げるエアコンの最も得意な温度域となります。エアコン暖房は、低温域からの稼動においてエネルギー消費効率(COP)が極端に低下します。エアコンの稼動メカニズムは低温域からの暖房が苦手で、快適気温の微調整稼動を最も得意とします。

電力会社も余剰設備を活用できる深夜供給で発電効率が向上するため、安価な電力料金が設定出来ます。更に発電効率が向上するためCO2排出量の削減にも貢献いたします。
200Vの配電設備が必要となるため、電気クッキングヒーターや電気給湯器を導入させて、オール電化優遇料金の適用を受け、システム電化を薦める切り口にもなります。
北海道のような寒冷地は最初からエアコン暖房を設備しておりません。
しかし、温暖地の多く家はエアコン設備をしております。つまり、蓄熱暖房器の市場は温暖地にこそ広がっていると言えるのです。

写真は今日28日、ファース本部が推奨品指定している蓄熱暖房機メーカーの日本スティーベル株式会社の本社を訪れました。向かって右が社長の松本公之さんとQCマネージャーの平田精次さんです。
今日は蓄熱暖房器の温暖地対応を協議しました。
松本さんと当方とは20年前からの付き合いです。互いにオール電化住宅の普及推進事業に取り組んで来た松本社長ですが今日、社長職の最終日で、明日からは会長職だそうです。松本さんが羨ましい…私は明日も都内で分刻み…
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鈍感と鈍感力は180度異なるもの…北斗市~函館~東京

2007年02月27日 20時39分50秒 | Weblog
小泉前首相が安倍総理に鈍感力を働かせるべきと提言を行ったと言います。
ただの鈍感とは周辺の環境を観察する能力もなく、関わる人々の思いや心情を察する事もも出来ない、無神経、無能者にほかなりません。だいたい仕事の出来ない人は、ほぼ鈍感であると言えるかも知れません。
人は鈍感になってはいけません。

渡辺淳一の本を読んだ訳でありませんが、鈍感力と鈍感は正反対で、鈍感力とは人一倍、敏感である事が前提だと思われます。その敏感さ故に起こり得る様々なプレッシャーを、反力として活用出来る包容力と寛容性のある事がその前提だと私は思うのです。人は一人では生きられませんが、個々の思いだけで物事を進めたがる習性を持っているようです。

人間の個性や感性はその全てが異なり、その全部が感性の異なる人間どうしで社会を構成しています。それに利害が絡めば強く反発する人も出てくる事でしょう。人間は人間である前に動物なのだから…
野生動物の世界で鈍感では生存して行く事など出来ないでしょう。
常に敏感であり続ける事です。人間も生存競争の厳しい世界です。故に敏感でなければ生きて行けないのです。しかし、その敏感さをそのまま行動に移すと思わぬアクシデントに見舞われります。つまり鈍感力とは備わった敏感さを寛容する大きさの事だと思われます。

周辺の情報を冷静にそして正確に分析しつつ、その情報の何処をどのように生きるために活用するのか…その冷静さはともすれば冷酷さとも写る事でしょう。
万人の意見を聞いて万人の思い通りに事を運ぶ事などは絶対に出来ません。
人は敏感でありつつも、鈍感を装う事がどれほど出来るかが鈍感力なのでしょう。

私は家づくりにおける抜本的な改革を行うべき活動を行っております。
同業者にとっては、はた迷惑に思う方々も多くおります。
私も様々なバッシングを受けていますが、鈍感力が必要です。まだまだ充分ではありませんが…

写真は今日、弊社ファース本部の智専務と、研究開発室の岩山係長の遣り取りを見ていて思わず撮ったものです。
この二人、普段は敏感そうにも見えるのでが、話のテーマが大問題なのにも関わらず、平然と冷静で…何処まで寛容なのか、はたまま鈍感なのか…

今日も穏やかな一日でした。その北海道を飛び立ちこのブログは東京のホテルで更新です。
明日は東京特別研修会の最終日で講義をします。
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素朴さ尊し…函館~北斗市

2007年02月26日 19時41分44秒 | Weblog
今日はトビ職の頃に一緒に働いた人が亡くなり、そのご家族のところに弔問に行ってきました。
遺族となられた奥様と、亡くなっられたご主人の昔話しを懐かしんで参りましたが、40年前にタイムスリップしたような気分でした。
お付き合いのあった頃は一緒に飲んだり食べたり、泊まったりの仲だったのですが、私が東京で独立してからは付き合いが全く途絶えていました。

亡くなったと言う話を聞いて弔問に出かけたものの、既に一月以上も前の事でした。
彼との付き合いは遺族となった奥さまが嫁がれる前からです。
故人は本当に口数が少なく、朴訥さと素朴さを絵に書いたような人でした。
仏壇の上の遺影に手を合わせ、奥さんに彼の生前、昨今の話を伺い、私は彼との昔話しをして来ました。

彼だけでなく我々トビ職仲間と仲よくする連中は、私も含めて人前で話しをする事が極めて苦手な人種です。
腕の良い職人ほど喋らないと言いますが、ペラペラと喋るほどに職人の腕が劣るもの…
師匠からは、喋ったり飾る事に尽力しない分、中身が凝縮するのだと教わりました。

昔は素朴さや朴訥さがレギュラーだったのでしょうか、違和感など全く感じませんでした。
現在、素朴さや朴訥さを貫いていたら、時代に取り残されそうな時代となりました。
10年一昔と言いましたが、ITの世界は1年一昔とも言います。とにかく時代の流れが40年前の数倍もあるような気が致します。

昔の家はどうだったでしょうか…戦前まではモルタルに白いリシン仕上げが殆どでした。
北欧では昔も今も、白いモルタルの家ばかりです。しかし、それでも一棟一棟に風合いと個性を感ずる事が出来ます。
素朴さを貫き通しても表情や情緒性を醸し出す事が出来るのです。
創る家の外装の色が一軒一軒と異なるのは日本だけ…色で雰囲気を変えるのは最も安易な方法だと思うのですが…

写真は今日26日、訪問したファースの家で、そこの奥さまがご家庭内の工房で作り上げた陶器の少女の焼物です。その素朴さの中に凝縮された作り手の感性があります。
作品の作者は10年前、23歳まで立派に育てた上げたお嬢さんを急病で亡くしました。
そのお嬢さんを今もこよなく愛し続けており、この陶器の人形に、作り手の愛情がとてもよく現われています。
素朴さゆえになせるわざなのでしょう。まさに素朴さ尊し…
明日は東京に…
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幸せを分かち合うために…山形~仙台~八戸~青森~木古内~北斗市

2007年02月24日 19時07分27秒 | Weblog
22日、23日のファース全国大会in山形イベントに参加してくれた総人数が386名です。
イベントが終わり、自分一人になって考えたました。多くの方々に貴重な時間とお金をかけて参集して人々は、暇だから来てくれた人など一人もおりません。イベント参加で「何かを見つけたい」と心から思うからこそ駆け付けたのだと思います。

工務店経営者、工務店スタッフ、ユーザーさん、販売代理店さん、協力業者さん、そして建材メーカーさんと同じ家づくりに関わるものであっても、全く立場の異なる方々が一同に介しました。売る側、買う側で利害関係が錯綜しています。
住宅産業は、情報の少ない工務店、値切られる協力業者、価格競争のメーカーと、素人の建主さんなどなど…ともに金銭勘定が何よりも優先させられる業界です。

ここにハウスメーカーが入れば更に彼らの利益追求が加わります。
我々、ファース本部も霞を食べて生きている訳でなく、それなりの利潤がなければ企業として成り立ちません。しかし、必要以上の金儲けに興味の無い人種で構成しています。
金儲けの話は、私のところに様々な形で頻繁にアプローチがあるのですが、全社員で魂をお金で売る事だけは絶対にしないようにしようと誓い合っています。

ファース本部の仕様でファースの家をつくり、温熱環境の性能が確立しない場合の責任は我々、ファース本部にあります。つまり代表の私に全責任が集中してくるのです。
一昨日、昨日、全国大会に参集してくれた人々のご尽力で、私はもとより、我々ファースグループの存続が成している訳ですから当然です。

我々は建主さんの立場に立つ事が基本ですが、時には工務店の立場で、時には販売店の立場で、時には資材メーカーの立場にも立つ場合があります。
家づくりに関わる人々の幸福を分かち合うのですから…

今日は、全国大会の会場である山形県天童市からの帰り道ですが、朝の8時30分に天道ホテルを出て、北海道の本社に着いたのが午後6時30分となりました。

写真は、弊社ハウジング事業部の小泉常務と函館のファースユーザーさん金橋孝行さんです。金橋さんは新築して3年間、自宅の性能状況をリアルタイムでメモリーし、また、全国大会も毎年参加され、ユーザーの視点で我々、ファース本部に貴重な情報を提供してくれています。
明日の日曜日は休養が出来そうですが…
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人生は寂しいもの、悲しいもの…山形県天童市

2007年02月23日 22時24分16秒 | Weblog
先日にある会合で、人は悩んでは駄目!常に前向きに明るく元気にしていなければ光明が見出せないのだ、と言うスピーチがありました。その通りなのですが…
誰もがそのようにして過ごしたいと思う事でしょう。しかし、人と言う生き物は悩むと言う特性を持っています。
どんなに明るく元気にしていたいと思っていても人は皆、否応無しに悩まなければいけない場面に突き当たるのです。

悩みもまた人生の1ページ、苦悩を重ねるからこそ本当の幸福の意義が実感できます。
苦悩を経験すればこそ本当の幸福に行き当たるのです。
つまり苦悩は幸福を掴む手がかりなのです。

人は絶対に一人では生きて行けません。
青いただ広い大空、膨大な大自然をボーっとして見詰めていると、人の存在の小さな事に気付きます。
関わった人々が自分の前を通り過ぎて行き、自分だけが取り残され、人生は寂しいものです。人生は悲しいものです。

特に工務店経営者は孤独感と恐怖感に包まれながら毎日を過ごしているのです。
30社以上もの協力業者さんの頂点に立ち、大手建材メーカーの社員にまで強権を使います。
その強権を行使すればするほど裸の王様に見られがちな疑心暗鬼に苛まれ、北の将軍さまのような憐れな時間を送る事になり易いのです。

今日は第8回ファース全国大会in山形に数百名の工務店経営者が集りました。
其々が苦悩して悲しみを抱え、悲しさに耐えているのです。そしてその苦難の先に大きな幸福の兆しを見つけるためにこの山形に参集しました。工務店経営者が相集い、厳しさを共有する仲間たちがいる事に気付き、勇気と希望を得るのです。
彼らの幸福は建主さん、協力業者さん、納品業者さん、建材メーカーさん、そして工務店社員の方々の幸福に直結するのです。

写真は式典のオープニングで、地元山形県に古くから伝わる、山伏祝詞を何と山形ファース会のメンバーである社長さんたちの合唱で迎えてくれました。
「住む人と幸せを分かち合う家づくり」の基本理念のもとに参集した参加者の方々は式典と大会懇親会の終了後、溢れるような笑顔がありました。
ファース本部と一緒になって大会運営を担って戴いた山形ファース会と関係者の方々のご尽力に衷心より感謝申し上げます。
疲労感こそありますが、参加者の笑顔が焼きついています…皆さん、ありがとう!!!
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第1回ユーザー全国大会の開催…札幌~山形~天童市

2007年02月22日 23時58分30秒 | Weblog
住宅メーカーが供給した家のユーザーさんがつくる「ユーザーの会」がありますが、殆どが「○○ハウスユーザー被害者の会」と言うもので、様々な問題を共有しており、会を作って組織的に抗議要求をしようと言うものです。
住宅展示場で見学したモデルハウスの外観、屋根の形状、外壁の彩色、室内内装、キッチンセットや家具建具、明るい吹き抜けなどなど…誰もが自分の家をつくる事に大きな夢を描くものです。しかし、住んだ後に…

見学だけでなく住宅雑誌などを買い込みながら、夢実現のために奔走し、とうとう念願の新築住宅が完成され、引っ越す事になるのです。当然、今まで住んでいた社宅、マンション、アパートなどと異なり、自分が住む事を前提に設計施工した訳ですから、その快適さや喜びもひとしおなものなのです。

新築時はどんな家でも総じて快適だと感じるのです。しかし、家の真価は、ユーザーさんが住んだ後に試される事になります。今まで住んでいたアパートなどと対比して、玄関やトイレの広さ、居間の広さやベランダの位置と大きさ、キッチンセットの配置、内装仕上がりなどに視点をむけて新築住宅を創り上げました。
満足感が充実していて不満が出るくるのはもう少し先では…

家の住み心地に内装仕上げや建具の意匠、キッチンセットの豪華さなどは関係しません。
真夏にエアコンで空気をキンキンに冷やして身体に吹きかけていませんか…真冬に暖房機で空気を温めて頭付近の身体に当ててはいませんか…梅雨時に家の中も一緒にジトジトになっていませんか…このような家は、やがて内部結露などを誘発し、構造体と住む人に少しずつダメージとストレスを与えて行きます。

そのストレスをハウスメーカーに訴えてもらちがあかず、そして被害者の会の設立とは…本当に住む人の幸せを包む住宅は、温熱環境の性能を優先して待たせた家でなければ為し得ません。
正しい温熱環境の充実は、住む人と家自体のストレスを緩和させ、家の寿命に大きく関わってきます。

今日22日は、全国からファースの家にお住まいのユーザーさんが、この山形県天童市に参集し「第1回ファース・ユーザー全国大会」を開催しました。
工学博士の山本里見先生の基調講演と東北電力山形支店、お客様本部長、斉藤敏さんの歓迎挨拶の後、北海道、東北、関東、信州、山陰、四国から御出でなったファースユーザーさん9名の方々からスピーチを戴きました。異なる地域の異なる住み方をなさるユーザーさんのスピーチは何よりも研究開発の糧になります。

住宅の良し悪しは、我々、供給者側が主張しても全く説得力がありません。とにかく実際に住む人々の感想が一番です。
事実を伝える伝道師たる約300名の参加者の方々に感謝!感謝!
写真はそのユーザースピーチの模様を撮りました。
左から北海道北斗市の渋谷さん、山形の阿部さん、同じく山形の加藤さん、宇都宮の小嵩(こじま)さん、木曽郡木曽福島の古畑さん、鳥取倉吉市の田中さん、東京都文京区の味方さん、長野県飯綱町の石川さん、そして香川県丸亀市の成行さんです。

今日は昨日、降雪で飛行機が飛ばなかった北海道も開催地の山形も快晴でした。
明日は、本番の大会式典の開催を…
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布基礎とベタ基礎とは・・・北斗市~函館~札幌

2007年02月21日 21時39分48秒 | Weblog
従来の基礎コンクリートは、布基礎が一般的でした。
この布基礎とは、土台の落ち着く部分に逆Tの字形に打設する基礎の事です。
土台の上には柱、間柱が立ち上からの集中過重を逆Tの字の底の部分で抑えます。
土台は殆どが部屋ごとに立ち、部屋の数だけコンクリート間仕切りが増える事になります。

特徴としては布基礎を細かく設置する事で上からの過重に強くなります。
問題点としては、床下の家の中央部分に外部の通気がなされ難いため、土台が腐るなどの問題も起きやすい基礎です。

最近はベタ基礎にする家が多くなりました。
私は30年前からベタ基礎で家をつくっております。
ベタ基礎の特徴は布基礎の集中過重と異なり、平べったいコンクリートの板で上からの過重を分散(等分布過重と言う)して抑えます。

平べったいコンクリート基礎の上に外周と床束となる部分だけが立ち上がっております。
特徴としては、家全体で過重を受けるため不同沈下がし難いのと、床下の湿気をシャットアウトする効果があり、床下の環境管理に最適です。
問題としては立ち上がり部分が地震時に横からの耐震性に乏しくなる場合もあります。

防蟻対策としてはベタ基礎が有利です。
蟻は布基礎のコンクリート沿いに地中を掘り、逆Tの字の底を潜って安々と床下にまわってしまいます。ベタ基礎ですとコンクリートの下にまわっても、床下に這い上がる亀裂が無いかぎり床下たらの蟻の被害に遭遇する事はありません。
基礎はまさに家全体を支える重要な部分ですが、更に湿気やシロアリなどの対策にも適切な設計施工をしなければなりません。

いずれにしても、床下地盤面の高さが、外部地盤面の高さより必ず高くなっている事が重要な要点となります。
ベタ基礎の場合は、ベタ基礎の土間部分の高さに注意です。

ファースの家は必ず、150ミリ以上の高さが基準となっています。
これは、外部はガーデニングや舗装などで地盤面が上がって行く事がありますが、床下の地盤面は新築時と変わる要素がないからです。
床下が低い場合、雨が降り続くと湿気が地盤を浸透して床下に浸み込み、カビ、腐朽菌などの被害に遭うことが多くなります。

今日は環境企業会の会合で札幌にフライト移動でしたが札幌の丘珠空港が降雪のため函館空港に一度引き返し、二回目のフライトで到着しました。予定が大きく狂うこのようなフライトトラブルは、年間200フライトも飛行機を利用するのですが、10年ぶり、2回目の経験でした。写真はその飛行場の様子を取りました。

明日はいよいよ、第8回ファース全国大会in山形、前夜祭の開催ですが、札幌から直接、山形にフライトです。
明日の天気が心配です。
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経営をしなければ経営破綻もしない…北斗市

2007年02月20日 17時28分00秒 | Weblog
去年の8月30日に書いたブログにサオ竹屋と小規模工務店は経営破綻をしないものだと記述しました。
最初から経営などしていないから経営破綻もしないのです。

誰もが一度は聞いた事がある「サオダケ~~~…」小さな軽四輪に拡声器を付けて叫んで歩くサオ竹屋さんの独特の売り声です。だれもがあの売り声を聞いた事があるのですが、実際にあのサオ竹屋さんからサオ竹を買った人がいるのでしょうか…自分はもとより買っている光景を目にした人も本当に少ないと思います。でも何故、潰れないのか…

日本全国、どこのサオ竹屋さんも、バタバタと発動機みたいなエンジン音を響かせ、3万円程度で買ったと思われる軽四輪に、キンキンと声が割れるスピカーを取り付けて走り回ります。中にはサオ竹をスーパーで買うのが面倒なのでスピーカーの音を聞いてその気になって、道路に出たら既にはるか向こうへ…サオ竹屋で経営を成立させようとしていません。

それでも潰れないのは経営のための投資もせず経費もかけていないからです。
もとから投資はもとより経費をかけるべき財源がないからです。
またサオ竹はホームセンターで数百円程度で売っている商品で投資や経費をかけてまで行う商売でもありません。

それでもサオ竹屋が存在するのは、長いサオ竹を店から家まで買って運ぶ事を面倒がる人が少数ですが存在し、一日20本も売れれば採算が合うと言います。
遊んでいるなら一回りしてくるか…これは経営をしている事になりません。

昔の棟梁による家づくりも、このサオ竹屋によく似ており、経営をしておりませんでした。
昔の大工棟梁は、大工仕事だけでなく基礎から建具、屋根、左官までの全てを指揮して今の工務店と全く同じ仕事をしておりました。しかし、建主さんから戴いたお金の範囲で職人や材料費を支払うので資金繰りの必要がありませんでした。

我々ファース・グループの工務店も、昔の棟梁方式の良い点だけを採用した小規模工務店経営で、大きさでなく建主さん、と地域住民の信頼保持と財務内容充実に勉めています。
実際にファース加盟工務店で潰れるところが無いのです。

写真は今日、ファース本部本社を訪問してくれた帝国データバンク、札幌支店の山下浩さん(左)と同じく函館支店の中野架津洋さん(右)と弊社の智専務(左端)と撮りました。
帝国データバンクは企業倒産の時に倒産情報ばかりを提供する企業のように思いますが、潰れそうな企業ばかりを調査しているのでなく、飛躍する企業、老舗の企業、ユニークな企業などの情報も多くもっています。
我々、ファース本部とも連携した新しいビジネスモデルも創れそう…

さて今夜はこれから倫理法人会の会合に出てきます。
明日から札幌、そして山形での全国大会への移動を…
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大学卒と中卒者とのコラボレーション…北斗市

2007年02月19日 19時32分51秒 | Weblog
東京大学の入試に合格する生徒の中学時代は、クラスや学年で常にトップクラス、そして秀才ばかりが集る進学高校でも当然ながらトップクラスに位置していなくてはなりません。まさに小中学、高校は神童と言われるような生徒ばかりです。
この東大を卒業すると将来設計の選択肢が大幅に増えるのでしょうか…
逆に私のように中学校しか出ていない者は選択肢が狭いのでしょうか…

東大のようなエリート大学を卒業すると下手な職場や職業に就く事が極めて難しくなります。
少なくとも地下足袋を履いて仕事をする肉体労働者になる人はいないでしょう。
工員などの手作業を行うブルーカラーにもならないでしょう。
東大を出たのだからプライドが…と言う観念が自分自身も周りの人達も持つからです。

高校はともかく、中学しか出ていない私のような者を公務員として採用してくれません。
しかし、20年前までは会社を興す起業者が、その中学しか出ていないものの割合が高校、大学卒を上回った時期が続きました。公務員にもなれず、大きな企業も採用されず、肉体労働者で働くか、自分で企業を興すかのどちかの選択肢しか残されていなかったからです。

学問、知識をどんなに身に付けても、その学問や知識をどのように仕事に活かせるのかが大きな要素となります。
大学、大学院で学びに学者になって様々な分野で研究活動を行ったり、学問を広める人々も必要です。
しかし、経営学者は偉大な経営者になれないとも…
経営には市場の雰囲気を肌で感ずる事の出来る勘、そして感性が重要です。
経営を学問で知りすぎると、理論や数値が先行し「勘」で経営を読む事はタブーとします。

特に家づくりの業界では、住む人の感性も、木を刻む大工さんも、多くの協力業者さんも、全て現場から情報を発信しています。この現場の情報源にいる人達の中に東大卒が存在していたとは聞いた事がありません。
そのような人は情報を管理する立場なのでしょうか…
現場の知らない人々に現場から上がってくる情報を理に適う分析、管理が出来ると思いません。

家づくりの現場では、家の不具合に悩むユーザーさん、元請の傲慢さに泣かされる協力業者さん、価格を叩かれるメーカーさん…そして建主さんの喜ぶ笑顔や工務店さんの満足そうな充実感なども混在しているのです。

写真は今日、当社のハウジング事業部を訪れた中卒でタイル業を営む㈲水島興業の水島秀之社長と大学卒で函館の大手建材店、㈱高橋建材店の飯山哲浩課長です。大卒、中卒コンビが何とも調和が取れていて…
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こだわりは金儲けの次元を超越する…福岡~東京~函館~北斗市

2007年02月17日 17時35分13秒 | Weblog
博多の夜の街…
焼き目をつけた焼き鳥の美味しそうに写った看板に誘われて入った店でした。
でっぷりと太った三重顎のオバハンがけだるそうに「らっしゃい」と気の無い声を出して空いてる席の方にアゴを突き出します。とんでもない店に入ってしまったと後悔しながらも仕方なく、席に座って焼き鳥定食を注文しました。

掃除が行き届いておらず、厨房の入り口には週刊誌がコンクリートの土間から山積みされており、下の方は水に濡れて変色しておりました。店の厨房には誰かが調理をしているようですが、暫くしてそのオバハンが、お茶を運んで来て「私の漬け込んだ大根」と5枚に切った漬物を置いて行きました。

この漬物の美味しい事…ほのかな酸っぱさと、後からついてくる甘さが絶妙です。
4ミリほどの一切れを食べて溜め息が出る美味しさ…ご飯が来てから、その熱いご飯と一緒に食べると、ご飯の一粒にこんなに甘さあるかと思うような豊満な美味しさに変わります。
ご飯ってこんなに美味しかったかな…ご飯の味を引き出す白い大根の漬物なのです。

この白い大根の漬物とご飯によって焼き鳥が完全に無用のおかずになったようです。
めったにない、ご飯のおかわりをし、この白い大根の漬物を注文したらあのブッチョウ顔のオバハンが「漬物は売り物でありません」と言って、さっきより厚い5ミリくらいに切った漬物を10枚ほど置いて「いくらでも食べなさい」…焼き鳥は手付かずですが…

おそらく大根を酒粕のようなもので長時間にわたり漬け込み、醗酵させて作った漬物だと思われますが、あの漬物にかける執念みたいなものを感じます。
またそれを売り物にしないと言うのです。
「この漬物はどうして売らないのですか」と聞いたら「売り物にすればその味は出ない」…
このオバハンとは会話が成立しないようです。

汚い店内、無愛想で会話の成立しないでデブのオバハンでもこの店が、いつのまにか八割くらいもの席が埋まっており、見回したらそのテーブルにも白い大根の漬物が載っていました。
自分の作り出すもに、頑固なこだわりを堅持する事で金儲けの次元を超えています。
地域工務店の中にもこのような頑固な経営者もおります。

写真は乗り換えのために立ち寄った羽田空港ですが、どの店の定員さんも笑顔いっぱいで愛想がよく、ついつい何かを買おう…博多の漬物オバハンにこの笑顔は不釣合いなのか…

今日17日は朝、福岡で朝食を、昼、東京で昼食を、夜、北海道の自宅で晩飯を…
この状態を便利だと言えるのでしょうか…明日は休めそうです。
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小さな工夫が大きな成果となる…鹿児島~八女市~博多

2007年02月16日 20時05分06秒 | Weblog
大きな問題に直面した時は諦めて遠回りをするか、知恵を絞って難題を解決するかのどちらかでしょう。
知恵を絞って問題を乗り切れば同じ難題が再来する事はありません。
一般のサラリーマンでも仕事の出来る人と言うのは常に知恵を働かせて行動しています。
普通の人は難題を遠回りして回避する術を知っており、その回避行動が成長を抑制してしまいます。

知恵は絞れば出て来るのです。
家づくりの工事現場はまさに知恵と工夫のきっかけが山積しており、それは発明に繋がる特許の宝庫でもあります。
使い難い道具しかなかったら、遣い易くなるように知恵を絞り、現場の状況を変えるとか、道具に工夫を施すとか、使い方を変えるなどと様々な知恵と工夫が湧いてきます。
多くの方々が、使い難い道具であっても「それはそのようなものなのだ」と言う観念が固定化しおり、知恵や工夫を生み出す状況を完全に押さえ込んでしまっています。

人間関係においても、どうしてもフィーリングの合わない人が誰にでもいるものです。
自分がそのように思う人は、相手も自分をそのように思っている事でしょう。
人間関係も工夫次第で改善できるものです。こちらから笑顔で気さくに声をかけてみてはどうでしょう。
思い掛けない反応を得る事があります。
相手も自分に対する苦手意識があったのですが、さりげない笑顔と声がけで普通の人の何倍も仲良くなる場合があります。
互いに苦手意識を持ち続けては、その分だけの世間を狭くしている事になります。

大発明も最初のきっかけは「さりげない」極めて小さな工夫から始まります。
このようなものがあれば便利だと思った時点から工夫と知恵が回り始めます。

工務店経営は日常が山積した難題をどのようにして乗り切るかが大きな仕事です。
様々な情報を取り、その情報を分析し、工務店経営にどのように工夫して活用するかにかかっています。

取る情報量が多ければ多いほど難題解決の方法と、その選択肢が増える事になります。
今日は福岡県八女市で工務店経営セミナーで講演しましたが、参加した工務店経営者の方々は、その情報と知識を得るために真剣に勉強して戴きました。
セミナーの最初と最後では受講者の表情が異なって参ります。その落差を大きくするのが講演をするものの醍醐味なのかも知れません。

写真は今日のセミナーを主催した三協立山アルミ、八女営業所長の高森寛治さんと講演終了後に撮りました。
三協立山アルミはこの経営者セミナーをシリーズで定期的に実施して行くそうです。
工務店経営に明日から活用出来ると思われる内容のセミナーにしたつもりでしたが…
明日は北海道の本社に戻りますが…寒そう…
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日本の経済を支える零細企業…鹿児島

2007年02月15日 22時23分01秒 | Weblog
狭い日本そんなに急いで何処へ行く…
私も含め、創業経営者は気短で、せっかちで、直ぐに結論を求めたがり、移動時も早足でせかせかした感じの方が多いのです。
何故か?…時間が少ないから…創業者は何もないところから事業を興すのです。ビジョンを持ち、それを具現化させ、稼動するように操作し、利益を生むように仕組むのです。

創業者の一日はあっと言う間に過ぎ去ります。
お金をつくる。仕事をつくる。人をつくる。事業を組み立てる。組織を構築する。
この仕事をしようと思えば本当に時間が足りないのです。
自分ひとりでは回らなくなり、人を雇い会社が形成されて行くのでしょう。

どんな会社でも起業は最初の一人から次第に大きくなって行くのでしょう。
この起業時は経営危機などの事など微塵たりとも考えません。
大きなビジョンに向かってひたすら突っ走っているようなものです。
気がついたら組織的な会社になっておりました…
企業経営は理屈ではなく現況をどのように切り拓いて行くかにかかっているだと思います。

地域の小さな企業(工務店も含む)経営者の殆どが、自分の個人資産を担保に入れて資金繰りなどを行っております。自分の企業が破綻すれば個人資産まで没収されて無一文です。

創業者は自分の会社の状況が肌で感じているもので、数値に弱くても雰囲気の感触でほぼ掌握しているものです。
経営学と実際の企業経営は次元が異なると言っていいでしょう。

自分の会社が破綻状況にもかかわらず、飲み歩く経営者もおります。これは既に末期状態なった会社の経営者ですが二代目以降の経営者に見られます。
創業者は自分でつくった企業の息遣いなどを感触でサーチし、血眼になって再起のための法則を探索し続けるものです。

このような企業が日本の企業全体の90%もしめており、まさに日本経済はこのような零細企業によって支えられているのです。
社会的スポットを浴びる事も無く、行政の恩恵も受ける事も無く、社会を底辺から支えているのが我々零細企業なのでしょう。

今日は鹿児島周辺の地域密着の工務店経営者対象の経営者セミナーで3時間講演を行いました。真剣に耳を傾ける参加者の姿に感心します。
苦境の住宅業界の中で強かに健闘する工務店経営者ですが、必ず次世代を担う工務店経営者になる事でしょう。

写真は主催した三協立山アルミ、営業サポート部、理事の橋本久志さんですが、セミナー講演後に撮りました。
橋本さんはこのような直向きな工務店経営者などを支援、指導する部署の責任者で、わざわざ大阪から駆け付けて下さいました。
明日は福岡に移動して講演…
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聞き上手は誉め上手…北斗市~函館~東京~鹿児島

2007年02月14日 22時46分37秒 | Weblog
他人の事はよく見えるものである。
他人の良い事を真似し、悪いところをみながら、自分の行動規範をつくりあげる事が出来ればいいのですが…
よく見える他人の行動や言動を批判する事で、ひと時の優越感に浸ったりストレス解消にする場合が多いのではないでしょうか。

人の良いところ探す訓練を…
当社では社員全員で仲間の中でその月で一番、耀いたスタッフに投票する、月間MVP賞と言う制度をつくっておりますが、他人の良い部分を探し出そうと言う修練にしております。
仲間の良いところを誉める事の大切を実感できます。勿論、一票を投票するその理由を筆記します。
理由があれば自分自身にも投票する事が出来ます。

誉める事は、自分自身の自信に繋がります。他人を誉める事で自分自身が成長します。
つまり、他人を誉めると言う事は自分を誉める事なのでしょう。
当初は自分自身に投票する社員もおりましたが、しだいに他人を誉める事の意義を感じてきたようです。
誉められた社員は期待に応えようと奮起し、双方に様々な建設的な波及効果が及びます。

人格者と言われる人の共通点は人の話を上手に聴けると言う事のようです。
単に話を耳で聞くのではなく、じっくりと心で聴けると言う事です。
このような人は、話をする人の心の中にいつしか入り込んでいると言います。
話を聞いたら先ずは賛同する部分を賞賛します。
自分の意に沿わない内容でも賛同する部分も必ずあるものです。

言葉だけで誉める事は極めて簡単です。しかし、口先だけの誉め言葉に感動する人はおりません。また、叱る事も難しいのですが、叱ったらその何倍もフォローが必要です。
いずれも、人の話を聴く事の出来ない人には、誉める資格も叱る資格もありません。
さて、自分はその資格があるのかな…

写真は鹿児島で待っててくれた若き友人達…右がランドスコープ社長、永里伸一さん、左がファース工務店の保住宅サービス社長の保幸守さんです。
黒豚シャブシャブを食べながら楽しいひと時を過ごす事が出来ましたが、両人ともとても聞き上手です。
南国、鹿児島の将来はこの人達が担って行く事でしょう。

北海道は猛吹雪でしたが鹿児島は梅雨時を感ずる蒸し暑さ、やはり気候がおかしいよ…
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八百長疑惑は永遠に疑惑のまま…北斗市

2007年02月13日 18時59分33秒 | Weblog
角界の八百長疑惑の報道は今に始まった訳ではありません。
小柄な強い横綱が連勝優勝を続けるたびにこの話題が噴出してくるのです。
いつぞや学生出身の力士が八百長相撲を告発した事がありました。しかし、その後を見ると告発力士の方が社会的な制裁を受けたような状況になってしまいました。

血を流すプロレスを真剣に見て八百長だと告発する人などおりません。
プロレスは競い合いの演技を見る事で楽しめるように定着したようです。
人をいかに楽しめるかを計算しつつ、演じる技を磨き、その磨いた技を競うのだと言います。

相撲も巡業の地方場所では、その地域出身のご当地力士が必ず勝つように演出されていると言います。ご当地力士に花を持たすのも人情で、見物人も大横綱が負けてくれた事を賞賛して見ているのです。

プロレスも相撲も見せるスポーツ…
見ている人にどのような感動と勇気を与えるられるかにかかっています。
プロレスを本当に死ぬ気で闘っているとは観客の誰もが思っておりません。
本場所で相撲を見る観客は立会いの一瞬で勝負の付く闘いを真剣勝負と見ているのです。
 
相撲の極意はまさに瞬間に勝負をかける真剣勝負が基本です。
それであっても所詮、人間どおしが闘うわけで、そこに人情や利害、不浄な駆引きなどが皆無とは言えないでしょう。
現役を退いて完全に角界から関係がなくなった元力士から話を聞くと誰もが口を莟めます。
角界内部で聞いた様々な話にその手の話も行き交うそうです。しかし、八百長の有無は証拠が全くありません。
かの告発力士は「証拠はあるのか」の問いに「私自身が証拠だ」と述べました。
本人が証拠だと言っても、当事者が否定すると成立しません。

いずれにせよ八百長疑惑の持ち上がるのは、強い力士である事が前提です。つまり相撲は八百長疑惑の出るような力士に早く出世しなければならないと言う事なのでしょう。
偽物が出るようになって初めて本物だと言います。
ファースの家も偽物が出回るようになりましたが、喜んではいられない…

写真は威風堂々とした富士山の姿ですが相撲は日本の国技です。
日本国の象徴である富士山のように常に威風堂々とした風格を保って戴きたい…
今日13日はヒヤッと底冷えする北斗市でしたが、明日は南国、鹿児島に移動…
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幼い子供の手を引く小さな子供の姿…函館~北斗市

2007年02月12日 21時49分13秒 | Weblog
車の窓から見ていた光景ですが、ツルツルに凍った路面を幼い子供が連れ添って歩いておりました。
突然、小さな子供(3歳くらいか)の方が仰向けに転び動けなくなりました。一緒に歩いていた大きな方の子供(5歳くらいか)は持っていた荷物をその場において、転んだ子供の横に回って抱き上げて起してあげ、くっついた雪を懸命に掃ってから、しっかり手を繋いで歩き始めました。この素早い一連の行動はせいぜい10秒程度だったと思います。

二人とも男の子のようだったと思われますが、たまたま信号待ちでの短い時間で見たもので、その後の様子も、何故、幼い子供だけで道を歩いていたのかは解りません。
あの小さな子供に、子供が困った時には助けてあげるようにと教育をしていたとは思えません。
転んだ子供を抱きあげて雪を掃ってあげ、再度歩き出すまでの動作が極めて自然であったのです。

我々には誰に教わるまでもなく、幼い子供の頃から相互扶助の思想が本能的に潜在しているのかも知れません。
その純真な本能が大人になるつれ、しだいに色褪せてしまうのか…
先日のテレビで「団塊世代の扶養を誰が行うのか」のテーマで議論をしておりました。
現在のままでは国策による社会システムが崩壊する事が明らかだからです。

戦後の日本経済をつくってきた我々のような団塊世代が、今度は社会から扶養される立場になるのか…誰が誰を扶養するのか…確かに人々は高齢化に伴って身体的な負担が大きくなるのでしょう。扶養負担が大きくなる若い世代と、当然のように社会に負担を求める団塊世代が激しく論争する姿がありました。それぞれに然るべき理由がありますが…

相互扶助とは、年齢、世代、立場などに関係なく、扶助できる人が扶助を求めている人に行う行為であると思われます。
敵味方の関係なく負傷者を治療する戦場の赤十字の野戦病院のように…
子供の頃には備わっていた相互扶助の精神が、生存競争を生き抜く知恵を積むのと反比例し、しだいに希薄になってしまっているのでしょうか。

一人では絶対に生きて行けないと言う現在の社会構造が現実にあるのです。
相互扶助の自然な行動は、決して他人のために行うのでなく自分自身のためなのでしょう。
滑って転んだ子供と、助ける子供の立場が瞬時に逆転する可能性があるのです。

写真は今日の北斗市から撮った駒ケ岳の姿です。
昼間は穏やかに晴れ上がりましたが、夜になったら冷え込んだ参りました。
現在マイナス4度で雪が激しくなりました。
どんなに気温が低くても、昼間に見た幼い子供たちの支え合う姿を思うと心温まるのです。
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