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全館輻射熱冷暖房住宅システムの開発者・福地建装・代表取締役会長
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幼い子供の手を引く小さな子供の姿…函館~北斗市

2007年02月12日 21時49分13秒 | Weblog
車の窓から見ていた光景ですが、ツルツルに凍った路面を幼い子供が連れ添って歩いておりました。
突然、小さな子供(3歳くらいか)の方が仰向けに転び動けなくなりました。一緒に歩いていた大きな方の子供(5歳くらいか)は持っていた荷物をその場において、転んだ子供の横に回って抱き上げて起してあげ、くっついた雪を懸命に掃ってから、しっかり手を繋いで歩き始めました。この素早い一連の行動はせいぜい10秒程度だったと思います。

二人とも男の子のようだったと思われますが、たまたま信号待ちでの短い時間で見たもので、その後の様子も、何故、幼い子供だけで道を歩いていたのかは解りません。
あの小さな子供に、子供が困った時には助けてあげるようにと教育をしていたとは思えません。
転んだ子供を抱きあげて雪を掃ってあげ、再度歩き出すまでの動作が極めて自然であったのです。

我々には誰に教わるまでもなく、幼い子供の頃から相互扶助の思想が本能的に潜在しているのかも知れません。
その純真な本能が大人になるつれ、しだいに色褪せてしまうのか…
先日のテレビで「団塊世代の扶養を誰が行うのか」のテーマで議論をしておりました。
現在のままでは国策による社会システムが崩壊する事が明らかだからです。

戦後の日本経済をつくってきた我々のような団塊世代が、今度は社会から扶養される立場になるのか…誰が誰を扶養するのか…確かに人々は高齢化に伴って身体的な負担が大きくなるのでしょう。扶養負担が大きくなる若い世代と、当然のように社会に負担を求める団塊世代が激しく論争する姿がありました。それぞれに然るべき理由がありますが…

相互扶助とは、年齢、世代、立場などに関係なく、扶助できる人が扶助を求めている人に行う行為であると思われます。
敵味方の関係なく負傷者を治療する戦場の赤十字の野戦病院のように…
子供の頃には備わっていた相互扶助の精神が、生存競争を生き抜く知恵を積むのと反比例し、しだいに希薄になってしまっているのでしょうか。

一人では絶対に生きて行けないと言う現在の社会構造が現実にあるのです。
相互扶助の自然な行動は、決して他人のために行うのでなく自分自身のためなのでしょう。
滑って転んだ子供と、助ける子供の立場が瞬時に逆転する可能性があるのです。

写真は今日の北斗市から撮った駒ケ岳の姿です。
昼間は穏やかに晴れ上がりましたが、夜になったら冷え込んだ参りました。
現在マイナス4度で雪が激しくなりました。
どんなに気温が低くても、昼間に見た幼い子供たちの支え合う姿を思うと心温まるのです。
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