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頑張るということ

一時期、例えば闘病で、もう既に充分頑張っている人に、「頑張って。」って言っていいのかどうな
のか、ちょっとした話題になり、そして震災の後、再燃。

震災で家族を失い、家屋を失い、家財を失い、何もかも失くした人に、気安く「頑張って」と声を
かけることにどんな意味があるのか、果たしてそれが被災者にとってどんな言葉となるのか、かける
側の自己満足なのでは、と。



「がんばろう!!日本」キャンペーンとか、「絆」キャンペーンとか、一瞬、高揚させてくれる言葉
はたくさん産まれたけど、何かが引っ掛かる人も多いのではないか。

もちろん、自然発生的に湧き起こったものなら、なんの否定もできないけれど。






2006年8月、このブログを始めるにあたって、最初に決めなければならなかった「タイトル」。


それまでの一年間、今では考えられない痛みと苦しみに耐え、直後にどうなるかわからない手術を
控え、半ば開き直りとも、やけくそとも思える精神状態だった時。

自分と、自分を取り巻く全ての者への、正直な気持ちを素直に表わし「がんばれ!肝臓くん。。」と。


一年間充分頑張った(つもり)自分に、敢えて「がんばれ!」





病院のベッドの上で、いつも思い続けていたのは、「早く家に帰って仕事がしたい。」と「前のように
仕事ができるんだろうか。」


病気が治るんだろうか、とか、死ぬんじゃないか、とか、まったく考えていなかったと言えば嘘に
なるけど、圧倒的に頭の中を占めていたのは前者。

なぜなら、家族がいるから。家族の生活がかかっているから。



もし、置かれている環境が違ったら、あそこまで頑張れたかどうか。

きっと途中で挫折していたように思う。





みんな、「何か」に向けて頑張っているんだろうけれど、自分の夢とか、希望とか。

家族の為とか彼、彼女の為、親の為子の為。病気を治す為、お金を稼ぐ為。


目的が無いと多分頑張れないと思う。




逆に言うと、目的さえあれば他人に言われなくてもきっと頑張る。






「頑張る」という言葉が話題になってから、自分でも「頑張って」と言うのに一瞬躊躇する。

頑張り過ぎないことが人生を生きていく上で重要という見方もあるかもしれない。


でも、自分の中では、頑張っている人には「頑張ってるね。」と言うし、頑張れる人には迷いなく
「頑張って。」と言える人でありたいと思ってる。



頑張る、ということ、それは誰の為でもなく自分自身の為。




だから、どんな時でも目標を見失わないようにすることが肝心だと思うし、それが最大の努力目標だ。






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