予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
感染
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・・・・・・・・・・
ふと目に付いた本「感染」、タイトルが気になりつい買ってしまった。
医学系大学出身の仙川環さんの作。
仕事の合間をみて、夢中になって読んでしまった。
内容は子供の臓器移植と親子の愛情、そして異種移植が絡んだ重い
ものだった。
元気になる前であったら絶対に読めなかった本、なにせこの手の情報
を完全にシャットアウトしていたから。
妻には「こんな時にそんな本読まなくてもいいしょ」とか言われつつ
今だからこそ読んでみようと思った。
そろそろ目の前の現実に真正面からぶつかっていかなければならない、
なんて偉そうなことではないが。
それにしても日本の移植医療の後れ、他国に比べ40年も後れをとっ
ているという現実。
小さな子が命を求め外国に行く姿をTVで見るたび、なんとも言えない
気持ちになる。
この本の中で、主人公の夫、移植外科医が
「臓器さえ提供してもらえれば何人の命が救えるのか」
と憤慨する。
そして
「誰もが心臓や肝臓を灰にしてしまう」
と嘆く。
賛否両論渦巻くこの問題、移植そのものを良しとしない人がいる現実。
それでもただ一つ言える事、
みな可能性がある限り、生きたい、生き続けたいということ、
そして移植によって助けられた命が実際にあるということ。
この本を読んでみて、移植に対する研究、医療技術の発達、これらが
決して後退しないよう祈るばかりです。

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採血と点滴
ちーさんにコメントを頂き、採血の辛さを思い出してしまいました。
ということで今日のブログ。
入院中はほぼ毎日、朝6時にその日の採血がある。
基本的には点滴の入っていない腕から摂るのだが、採血が重なってくると
血管が固くなってくる。
クッキリと浮き上がって、いかにも血を摂って下さい、というような状態でも
固くなると、注射針が弾かれてしまうらしく、なかなか入らない。
なので腕を左にしたり右にしたり、微妙に場所をずらしたり、工夫しても
上手く針が入らない時は、痛いながらも、必死で挑戦する看護士さんが、
気の毒になったりした。
確かに看護士さんにも、注射が上手な人とそうでもない人が居ることには居
たが。
採血も大変だったが、点滴も大変だった。
点滴は1回注射針を挿すと1週間近くそのままなので、上手くいった時はい
いが最初から痛い時など悲惨だ。
とても上手な先生、看護士さんがいて、なんの違和感も感じない場合は3週
間近く、そのままにしたり(本当はだめなんだろうけど)、それでもすぐに
挿す場所がなくなる。
それは血糖値を測定する時もそう。
針を挿す指が無くなる。
自分でインスリンを打つ時もそうだ。
自分では腹に挿すのだが、腹も固くなり挿す場所が無くなっていくのだ。
ちなみに点滴の針を挿すのに、一番しっくりいったのは、二の腕の内側、痛
みもあまり感じず、行動するのに邪魔にもならなかった。
逆に一番勘弁してほしかったのが手の甲、特に手首の曲げに影響のある場所
は、痛いのと手を使うのに不自由なのとで、できるだけすぐ変えてもらって
いた。
それでも入院中はそれらが当たり前で、あまりに日常で、耐えられないとい
うことはなかったが、今は2週に1度の採血が、とても辛い。
入院中の5倍くらい痛く感じるのは、・・・贅沢??
ということで今日のブログ。
入院中はほぼ毎日、朝6時にその日の採血がある。
基本的には点滴の入っていない腕から摂るのだが、採血が重なってくると
血管が固くなってくる。
クッキリと浮き上がって、いかにも血を摂って下さい、というような状態でも
固くなると、注射針が弾かれてしまうらしく、なかなか入らない。
なので腕を左にしたり右にしたり、微妙に場所をずらしたり、工夫しても
上手く針が入らない時は、痛いながらも、必死で挑戦する看護士さんが、
気の毒になったりした。
確かに看護士さんにも、注射が上手な人とそうでもない人が居ることには居
たが。
採血も大変だったが、点滴も大変だった。
点滴は1回注射針を挿すと1週間近くそのままなので、上手くいった時はい
いが最初から痛い時など悲惨だ。
とても上手な先生、看護士さんがいて、なんの違和感も感じない場合は3週
間近く、そのままにしたり(本当はだめなんだろうけど)、それでもすぐに
挿す場所がなくなる。
それは血糖値を測定する時もそう。
針を挿す指が無くなる。
自分でインスリンを打つ時もそうだ。
自分では腹に挿すのだが、腹も固くなり挿す場所が無くなっていくのだ。
ちなみに点滴の針を挿すのに、一番しっくりいったのは、二の腕の内側、痛
みもあまり感じず、行動するのに邪魔にもならなかった。
逆に一番勘弁してほしかったのが手の甲、特に手首の曲げに影響のある場所
は、痛いのと手を使うのに不自由なのとで、できるだけすぐ変えてもらって
いた。
それでも入院中はそれらが当たり前で、あまりに日常で、耐えられないとい
うことはなかったが、今は2週に1度の採血が、とても辛い。
入院中の5倍くらい痛く感じるのは、・・・贅沢??
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特定疾患医療受給者証
病気になってみて初めて医療保険の大切さを知りました。
そして移植手術の場合、その条件によって保険が適用になる場合、なら
ない場合で微妙なラインがあることも知りました。
「特定疾患医療受給者証」
この病気になるまで、いや病気になった後もしばらく、この言葉さえ聞
いたことすらありませんでした。
勉強不足と言われればそれまでですが、長い入院生活の中で、これを知
らず高い治療費を払った人の話しを良く聞きました。
思いもよらぬ病気で戸惑う中、医療費の事が頭をもたげ、透析治療で1ヶ
月間入院していたK病院で、看護士長さんから妻が教えて頂き、運良く
知ることができました。
この「特定疾患医療受給者証」の詳細はこのサイトにあります。
地域によってその内容に多少違いがあるようですが。
特定疾患の対象になる疾患は全国統一では45種類ありますが、その中
でも「劇症肝炎」は重症の部類に入るようで、少し驚きです。
実際に必要とした費用ですが、ワタシの場合典型的な劇症肝炎、よって
手術費用はもちろん、入院治療費、検査費、そして退院後の外来診療費、
全て保険適用となり、支払いは0です。
もちろん、病院着などは自己負担となりますし、他にもありとあらゆる
ことに金銭的負担は少なからずあります。
前述の話しですが、大部屋に移ってから色々な方の話しを聞くうち、こ
の「特定疾患医療受給者証」を知らないか、もしくは支払い後に他の患
者さんから聞いて初めて知った、という人がいかに多いかという事を知
りました。
問題なのは
・医療費を支払った後、受給者証を取得しても、支払った分は戻らない
事。
・こちら(患者)側からアプローチをかけなければ、誰(医療関係者)も
懇切丁寧に教えてくれない事。
実際、一年間の入院生活で、最大の情報源は大部屋での患者さん同士の
会話でした。(これは患者さん共通の思いだと思います)
これも自己責任なんでしょうか??
昔から良く聞いていたのは、健康保険にも、一般には良く知られていな
い救済項目があるという事。
民間生命保険会社の特約隠しと通じるものがある、と考えてしまうのは
ワタシだけでしょうか。
ところで「特定疾患医療受給者証」。
申請から受け取りまでが異常に長い。
それを知ってから有効期限の2、3ヶ月前から申請するようにしたので
すが、それでも期限切れ後に手元に届くこともありました。
更に、いつまで申請が受理されるのか、という話しですが、ワタシが
医師に直接聞いたところでは、「完治するまでは大丈夫ですよ」
ということでした。
そこで「完治」です。
我々移植患者は免疫抑制剤を一生飲み続けなければなりません。
「完治ってことは、死ぬまでずっと、ってことだよね」
妻とはこう話してます。
制度が変われば別ですし、もしかしたら地域間格差もあるのでしょうが。
法律や、お役所のさじ加減で振り回されるのは「ヘブスブリン」で充分
です。
難病ということで保険に助けられているのは間違いのないことですが、
ちなみに、一年間の入院生活、自営業のワタシの場合、その間の収入が
0だった事は言うまでもありません。
助かったのは、直前に入院特約付きのガン保険に入っていた事、キチンと
した生命保険に入っていた事、そして何よりも家族の協力があった事。
今は元気に働ける、この当たり前の事がうれしくてしょうがありません。
妻と二人の子供、両親、祖母、二世帯住宅一家7人の生活がみんなの
支え合いで成り立っていることが、幸せです。
そして移植手術の場合、その条件によって保険が適用になる場合、なら
ない場合で微妙なラインがあることも知りました。
「特定疾患医療受給者証」
この病気になるまで、いや病気になった後もしばらく、この言葉さえ聞
いたことすらありませんでした。
勉強不足と言われればそれまでですが、長い入院生活の中で、これを知
らず高い治療費を払った人の話しを良く聞きました。
思いもよらぬ病気で戸惑う中、医療費の事が頭をもたげ、透析治療で1ヶ
月間入院していたK病院で、看護士長さんから妻が教えて頂き、運良く
知ることができました。
この「特定疾患医療受給者証」の詳細はこのサイトにあります。
地域によってその内容に多少違いがあるようですが。
特定疾患の対象になる疾患は全国統一では45種類ありますが、その中
でも「劇症肝炎」は重症の部類に入るようで、少し驚きです。
実際に必要とした費用ですが、ワタシの場合典型的な劇症肝炎、よって
手術費用はもちろん、入院治療費、検査費、そして退院後の外来診療費、
全て保険適用となり、支払いは0です。
もちろん、病院着などは自己負担となりますし、他にもありとあらゆる
ことに金銭的負担は少なからずあります。
前述の話しですが、大部屋に移ってから色々な方の話しを聞くうち、こ
の「特定疾患医療受給者証」を知らないか、もしくは支払い後に他の患
者さんから聞いて初めて知った、という人がいかに多いかという事を知
りました。
問題なのは
・医療費を支払った後、受給者証を取得しても、支払った分は戻らない
事。
・こちら(患者)側からアプローチをかけなければ、誰(医療関係者)も
懇切丁寧に教えてくれない事。
実際、一年間の入院生活で、最大の情報源は大部屋での患者さん同士の
会話でした。(これは患者さん共通の思いだと思います)
これも自己責任なんでしょうか??
昔から良く聞いていたのは、健康保険にも、一般には良く知られていな
い救済項目があるという事。
民間生命保険会社の特約隠しと通じるものがある、と考えてしまうのは
ワタシだけでしょうか。
ところで「特定疾患医療受給者証」。
申請から受け取りまでが異常に長い。
それを知ってから有効期限の2、3ヶ月前から申請するようにしたので
すが、それでも期限切れ後に手元に届くこともありました。
更に、いつまで申請が受理されるのか、という話しですが、ワタシが
医師に直接聞いたところでは、「完治するまでは大丈夫ですよ」
ということでした。
そこで「完治」です。
我々移植患者は免疫抑制剤を一生飲み続けなければなりません。
「完治ってことは、死ぬまでずっと、ってことだよね」
妻とはこう話してます。
制度が変われば別ですし、もしかしたら地域間格差もあるのでしょうが。
法律や、お役所のさじ加減で振り回されるのは「ヘブスブリン」で充分
です。
難病ということで保険に助けられているのは間違いのないことですが、
ちなみに、一年間の入院生活、自営業のワタシの場合、その間の収入が
0だった事は言うまでもありません。
助かったのは、直前に入院特約付きのガン保険に入っていた事、キチンと
した生命保険に入っていた事、そして何よりも家族の協力があった事。
今は元気に働ける、この当たり前の事がうれしくてしょうがありません。
妻と二人の子供、両親、祖母、二世帯住宅一家7人の生活がみんなの
支え合いで成り立っていることが、幸せです。

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小さな移植患者
病室のベッドに寝ていると、出入り口に引かれたカーテンの下から見えるのは
大人の足。
患者さんの足だったり、見舞いの方の足だったり、はたまた医師・看護士だったり。
でも時々、目と目が合うことがある。
小さな小さな移植患者だ。
1年過ごした7階外科病棟には、お母さんに伴われた2・3歳くらいの子ども達も
共に入院生活を送っている。
産まれつきの胆道狭搾で移植を受けた子ども達が多かった。
H大に転院して初めに驚いたのが、これだった。
自分のいる外科病棟に小さな子どもがいる事、そして皆移植手術を受けている事。
大人の患者さん達が、自分も含め、ある種の悲壮感を漂よせているのに対し、
子ども達は皆明るい。
わけがわからない、ということももちろんあるのだろうが、見ていてかなり元気
を貰った。
いつも考えていたのは、もしこれが我が子だったら、ということ。
もちろん条件さえ合えば、自分が真っ先にドナーになっていただろう。
痛さも辛さも上手く伝えられるのだろうか、とか、苦しみを表現できるのだろうか
とか、そんなことを思いつつ、また一つ考える。
それは・・・、肝臓を貰った身としては、万が一、万が一この先、子どもになにか
あった時、自分がドナーになることはできないんだ、ということ。
せめて子ども達には同じ思いはさせたくない。健康であることを願うばかりだ。
大人の足。
患者さんの足だったり、見舞いの方の足だったり、はたまた医師・看護士だったり。
でも時々、目と目が合うことがある。
小さな小さな移植患者だ。
1年過ごした7階外科病棟には、お母さんに伴われた2・3歳くらいの子ども達も
共に入院生活を送っている。
産まれつきの胆道狭搾で移植を受けた子ども達が多かった。
H大に転院して初めに驚いたのが、これだった。
自分のいる外科病棟に小さな子どもがいる事、そして皆移植手術を受けている事。
大人の患者さん達が、自分も含め、ある種の悲壮感を漂よせているのに対し、
子ども達は皆明るい。
わけがわからない、ということももちろんあるのだろうが、見ていてかなり元気
を貰った。
いつも考えていたのは、もしこれが我が子だったら、ということ。
もちろん条件さえ合えば、自分が真っ先にドナーになっていただろう。
痛さも辛さも上手く伝えられるのだろうか、とか、苦しみを表現できるのだろうか
とか、そんなことを思いつつ、また一つ考える。
それは・・・、肝臓を貰った身としては、万が一、万が一この先、子どもになにか
あった時、自分がドナーになることはできないんだ、ということ。
せめて子ども達には同じ思いはさせたくない。健康であることを願うばかりだ。

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インフルエンザとタミフルと脳症
ついに、というかやっと、というかインフルエンザが流行りだした。
免疫抑制剤を服用する者にとってはまさに脅威だ。
札幌市内や近所の小学校まで、学校閉鎖や学級閉鎖が相次いでいる。
小学生と中学生の子の居る我が家も他人事ではない。
今何かと話題のタミフル。
このサイトにもあるように、絶対的な薬では決してないようです。
治す薬ではなく、ウイルスの増加を抑えるだけとのこと。
人に依って考え方はさまざまでしょうが、しっかり自分の目で見て、耳で聞いて、
自己判断していきたいと思ってます。
それよりも怖いのが、中学生に多くみられる異常行動。
亡くなられた方もいるので大変なことです。
タミフルとの因果関係はまだはっきりしていないようですが、いずれにしても
インフルエンザ脳症の事もあり、薬の処方時には、一日二日、目を離さないよう
指示されるようです。
脳症といえば、肝性脳症とはまったく異質のものでしょうが、それを踏まえた
上で、どんな状況かというと、少なくとも自分の場合は、脳症という意識は
まったく有りませんでした。
お見舞いに来てくれた方とも普通に会話し(妻に言わせれば、普通ではなかった
ようですが)、自身の意識もはっきりしていて、良くドラマであるような、
大声を出して叫ぶ、とかそういう幻覚とか妄想とは全然別のものです。
頭の半分は冷静(のつもり)で、もう半分の頭では北朝鮮からミサイルが飛んで
来るのです。
そんなバカな、という思いと、「ありえない事」が真実となっている思い、が混
在しているのです。
色々な「ありえない事」があった中で、ずっと言い続けていたのが、病院の
屋上で花火が見れる、という事。
これはまさにありえない真実。妻にも看護婦さんにも何度も話し続けていた
事です。
感知センサーを敷かれ、病室のドアは施錠され、屋上に上がることはありませ
んでしたが、もし抜け出して屋上に上がっていたら、と思うとゾッとします。
もちろん屋上のドアも鍵がかけられ出ることはできなかったでしょうけど。
他の人から見れば異常でも、本人はいたって普通。
また逆に本人が異常と思っても他の人から見れば普段と変わらない、という
こともあったと思います。
現実に今、異常行動をする人がいるのですから、注意し過ぎて困ることは
ありません。
自分は勿論、最大限の注意は払います。
皆さんも、「まさか自分が」とか、「そんな事って」とか思わずに、くれぐれも
注意して下さいね。
自分にも家族にも!
でもインフルエンザに罹らないことが一番。
そしてもし罹っても安静にして、寝ていることが一番のようですよ。
免疫抑制剤を服用する者にとってはまさに脅威だ。
札幌市内や近所の小学校まで、学校閉鎖や学級閉鎖が相次いでいる。
小学生と中学生の子の居る我が家も他人事ではない。
今何かと話題のタミフル。
このサイトにもあるように、絶対的な薬では決してないようです。
治す薬ではなく、ウイルスの増加を抑えるだけとのこと。
人に依って考え方はさまざまでしょうが、しっかり自分の目で見て、耳で聞いて、
自己判断していきたいと思ってます。
それよりも怖いのが、中学生に多くみられる異常行動。
亡くなられた方もいるので大変なことです。
タミフルとの因果関係はまだはっきりしていないようですが、いずれにしても
インフルエンザ脳症の事もあり、薬の処方時には、一日二日、目を離さないよう
指示されるようです。
脳症といえば、肝性脳症とはまったく異質のものでしょうが、それを踏まえた
上で、どんな状況かというと、少なくとも自分の場合は、脳症という意識は
まったく有りませんでした。
お見舞いに来てくれた方とも普通に会話し(妻に言わせれば、普通ではなかった
ようですが)、自身の意識もはっきりしていて、良くドラマであるような、
大声を出して叫ぶ、とかそういう幻覚とか妄想とは全然別のものです。
頭の半分は冷静(のつもり)で、もう半分の頭では北朝鮮からミサイルが飛んで
来るのです。
そんなバカな、という思いと、「ありえない事」が真実となっている思い、が混
在しているのです。
色々な「ありえない事」があった中で、ずっと言い続けていたのが、病院の
屋上で花火が見れる、という事。
これはまさにありえない真実。妻にも看護婦さんにも何度も話し続けていた
事です。
感知センサーを敷かれ、病室のドアは施錠され、屋上に上がることはありませ
んでしたが、もし抜け出して屋上に上がっていたら、と思うとゾッとします。
もちろん屋上のドアも鍵がかけられ出ることはできなかったでしょうけど。
他の人から見れば異常でも、本人はいたって普通。
また逆に本人が異常と思っても他の人から見れば普段と変わらない、という
こともあったと思います。
現実に今、異常行動をする人がいるのですから、注意し過ぎて困ることは
ありません。
自分は勿論、最大限の注意は払います。
皆さんも、「まさか自分が」とか、「そんな事って」とか思わずに、くれぐれも
注意して下さいね。
自分にも家族にも!

でもインフルエンザに罹らないことが一番。
そしてもし罹っても安静にして、寝ていることが一番のようですよ。

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臓器移植ということ Part Ⅱ
・
↑ 未確認微生物
・・・・・
先日H大病院で、35時間にも及ぶ移植手術が行われた。
まだ20代の方で、脳死肝移植だったという。
自分の場合生体肝移植で、運良く姉の肝臓が適合し、ドナーとなってくれた。
姉の健康な体に危険と傷を負わせることに強い抵抗を感じていたが、医師達の
努力と最新医療技術によって自分ばかりか、姉もすっかり以前の状態を取り戻
している。
(傷は一生残ってしまうが)
脳死肝移植のことは良くわからないが、また、まったく別の思いがあると思う。
ドナーから臓器の提供を受けるという事は、ドナーの死を意味する。
つまり臓器提供者を待つという事はその人の死を待つこととなる。
結果論かもしれないけれど、生体肝移植を受けられた自分は恵まれているの
だろうか。
ただ、不幸にも命を落とされた方の死を無駄にしない為に、脳死移植はある。
決して、移植を待つ人がいるから脳死となってドナーとなる人がいるのでは
ないことはわかっている。
生体肝移植にしろ、脳死移植にしろ、それによって助かる命が確実にあること
だけは確かだ。
できれば早く、人工肝臓や他の人工臓器が開発されて、移植すれば助かる命が
一人でも多く救われることを願う。
臓器移植を切に望んでいる人が、すぐ近くに、たくさんたくさんいる。
↑ 未確認微生物
・・・・・
先日H大病院で、35時間にも及ぶ移植手術が行われた。
まだ20代の方で、脳死肝移植だったという。
自分の場合生体肝移植で、運良く姉の肝臓が適合し、ドナーとなってくれた。
姉の健康な体に危険と傷を負わせることに強い抵抗を感じていたが、医師達の
努力と最新医療技術によって自分ばかりか、姉もすっかり以前の状態を取り戻
している。
(傷は一生残ってしまうが)
脳死肝移植のことは良くわからないが、また、まったく別の思いがあると思う。
ドナーから臓器の提供を受けるという事は、ドナーの死を意味する。
つまり臓器提供者を待つという事はその人の死を待つこととなる。
結果論かもしれないけれど、生体肝移植を受けられた自分は恵まれているの
だろうか。
ただ、不幸にも命を落とされた方の死を無駄にしない為に、脳死移植はある。
決して、移植を待つ人がいるから脳死となってドナーとなる人がいるのでは
ないことはわかっている。
生体肝移植にしろ、脳死移植にしろ、それによって助かる命が確実にあること
だけは確かだ。
できれば早く、人工肝臓や他の人工臓器が開発されて、移植すれば助かる命が
一人でも多く救われることを願う。
臓器移植を切に望んでいる人が、すぐ近くに、たくさんたくさんいる。

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きのうの晩ごはん

・・・バレンタインデイ・キ~ッス♪バレンタインデイ・キ~ッス♪
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.暮れ~
「それじゃぁいつものやりますか。100から7を引いていって下さい。」
「100、93、86、75、・・・あれ?」
回診の時のいつものやり取りだ。
透析治療でK病院にいた頃から、Fせんせいが来るたび、やっていた。
H病院での移植手術後も、いつからか復活していた。
この病気の外見的な指標として、こういった脳の働きを診るのが有効らしい。
今考えるととても不思議だが、いつも86、79と言えない。
必ずといっていいほど、79で引っ掛かってしまう。
たまに79、72、65と順調に言えても、頭の中で本当にいいのかな、と
悩みながら答えている。
そして、それにも増して答えられなかったのが、「きのうの晩ごはん」。
「Mさん、きのうの夜の食事は何食べました?」
「え~~~~~~~?」
「たしか、魚か。」
「いや、肉だったかな」
いくら思い出そうと思っても思い出せない。
医師や看護師や、周りにたくさんいて、「あ~ぁ」ってな顔をして
こちらを見ているので、悔しいやら情けないやら。

あまりに悔しいので、意味が無い、と思いつつも、その時食べたものを
メモして残しておくようになった。
そして回診の直前に見直して、バッサリ答えてやるのである。

すると、「オー良く思い出せたね」 などと言ってくれるので、その時だけは
気持ちがいい。
その事を妻に話すと、「全然意味ないっしょ」 と言われ撃沈。

しかしながらこのメモ、その後結構役にたったりするのだ。
外泊や一時退院の時など、食べて良い物、だめな物に迷った時、このメモの
おかげで、食べて良い物だけはハッキリとわかる。
病院食として出ていた物は安心して食べられた。

そんなこんなで2005年も暮れていき、年末で入院から4ヶ月半、
体調は良いものの検査値は高め安定。
医師達も思ったような改善が見られず、退院の予定も立たないまま、
「Mさんの場合、何かが引っ掛かっているんだよね」
とか言われながら、2006年を迎えようとしていた。

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臓器移植ということ

・・・・・
最近、猛烈な仕事の忙しさと、毎晩、ペイントでお絵かきしていたので、
すっかり更新をサボってしまいました。
ということで、まりもっこり!

・・・・・
先週金曜日(9日)は定期検診の日。
おまけに午前中、泌尿器科の診察もあったものだから大変だった。
結果は良好。
再発防止薬のヘブスブリンを中止して2ヶ月弱経つので、少し心配だったが、
肝臓の血液検査の結果も前回より良くて安心した。
GOT=33
GPT=33
γ-GTP=62
T-ビリルビン=0.9
アンモニア=45
どれも標準値に入ってきた。
CTの写真も見せてくれたが、昨年6月の時点よりかなり大きくなっていた。
移植手術以降、ずっと不安定な状態が続き、一生このままかな、などと
考えたりもしていたので、こうして仕事ができている状態が夢のようだ。



この日は採血の時、同じ病室だったKさんと再会。
Kさんも移植経験者で、自分より4ヶ月後に手術しているにもかかわらず、
すっかり元気だ。
ただ、現状では2週間おきに通院しなければならず、長期地方出張のある
前職を辞めたとの事。
やはり大きな病気。その人の人生を変えるだけでなく、家族や周囲の生活
にも多大な影響を与えることを、あらためて知らされた。

そして第一外科の診察の後、これもまた以前同室で、現在入院中のSさん
のお見舞いに。
Sさんもこれまで2度の手術を経験。
今は抗癌治療で入院中だ。
移植の道を探りつつ、ドナーの問題、金銭面の問題、いろんな問題を抱え
ながら前向きに明るく生きている。
いつも元気をもらっている。
自分のように移植によって助けられた者にとって、想像もできないような
思いを抱いているだろう。

そいえば移植手術前、移植手術を受け入れられず、悩んでいる時、
移植コーティネーターの方に 「移植を受けられる、ということだけで
幸せなのよ」 と言われたことがある。
その時は「他人事だと思って、簡単に言えるんだ」などと不謹慎にも考えて
いたが、今にして思えば、臓器提供を待ち望んでいる人達がたくさんいる
現状を考えれば、本当に幸せなことだったのだ、と思う。

最近いつも考えることがある。
いったい、この病気は何だったのか、と。
別世界だった(はずの)臓器移植なんていうものが、ほんの1年ちょっと前、
何で自分の身に起こってしまったのか、と。
この思考錯誤は一生続く・・・・・・。

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メールのチカラ

----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.11月下旬~
移植手術後、しばらくは携帯電話を与えられなかった。
持っていたとしても使えなかったのもあるが、とにかく外と連絡が取れないので、
脳症のせいで被害妄想の時など、「家が地震の被害にあったのに連絡が取れない」
と言って騒いで看護婦さんを困らせたりしていた。
字を書く事と同様に、手先の細かい作業がとにかく辛かった。
手の震えが止まっていなかったし、目の焦点も定まらない。
連絡したい時にできないものだから、かなりストレスを感じていた。
そんな状況なものだから、肝性脳症が薄れ、自己判断がある程度できる様になり、
妻から携帯電話を与えられた時はうれしかった。
今や当たり前の事が、その時はものすごくうれしかった。
病院なので、使用できる場所と時間は決められているのだが、皆メールはOKと
いう感じで、最低限のマナーは守りつつ、病室で使っていた。
(本当は病室ではメールも禁止なのだが)
検査の無い時、回診の無い時は皆ひまだ。
時々看護士さんがやってくるくらい。
しかも夜になるにしたがって、皆寂しさや不安感が募ってくる。
そんな時、メールのやり取りはとても大切な時間となるのだ。
携帯電話を手にして以来、妻や友人と何度メールをやり取りしたかわからない。
少なくとも自分にとって最大の武器だった。
言葉で伝えられないことが、メールで、文字で、伝えられることがある。
そういう意味では、ブログなんかも同じようなものだと思う。
このブログは、2度目の手術の2週間程前に始めたのだが、ブログを通じて自分
を客観的に見る事ができた。
嫌で嫌でたまらなかった手術を冷静に乗り切ることができたのも、ブログの力が
かなり大きかったと思う。
そして今、こうしてブログを発信し続けることが、自分の為になり、病気と前向
きに向き合うことのチカラになっている。
・・・励ましのメールや報告のメール、涙で打った落胆のメール、必ず元気付けて
くれた妻からのメール、叱咤激励のメール、たまには”喝”!!のメール、
妻とのメールのやり取りで、携帯電話の容量はすぐに一杯になった。


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肝性脳症からの脱出

----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.11月下旬~
多分、11月下旬か12月初めだったと思う。
移植手術以来ずっと苦しめられてきた肝性脳症の症状が薄れていき、夜もあまり変な
幻覚に襲われることが少なくなってきた。
一つの要因は免疫抑制剤の種類を換えたこと。
それまで服用していたプログラフという免疫抑制剤を一時的にネオーラルという薬に
換えて以来、自意識が鮮明になってきた。
もちろん移植手術から日にちが経ち、状況が改善してきたこともあったのだろう。
とにかく12月に入ってからは周囲も驚く程、意識がしっかりしてきた。
夜に恐ろしい体験をする事もずっと減ってきた。
恥ずかしながら、この頃になってようやく、自分の体におこったこと、事の重大性に
気付き、理解し始めてきたのだ。
そして自分の中ではすでに一冬が過ぎ去り、入院して2度目の冬を迎えようとしてい
た。時間の感覚が麻痺していた。
毎日来てくれていた妻に色々聞かされ、少しずつ手術前のことからの状況がわかって
きた。
それでも手術のことはもちろん、その前後のこともまったく思い出せなかった。
それは今も変わらない。
手術後のことも2ヶ月間位は断片的にしか覚えていない。
強烈に覚えているのは、色々な経験をした肝性脳症の恐怖だけだ。
とにかく”気”は戻った。
12月、一度退院の話しもあったが、話しだけで終わってしまった。
体調も段々良くなり(あくまでも前に比べて、という程度だった)、早く我家に
帰りたかったが、実際の状態は自分の思っているのとは、かけ離れていたようだ。
段々と、段々と、自分の思いとは裏腹に、病院の主へとなっていくことになる。

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ヘブスブリン-IH

・・・・・・
昨晩、H大病院から速達が届いた。
以前から主治医に聞かされていたが、B型肝炎の再発予防薬のヘブスブリン-IH
の保険がまったく効かなくなったという通知だった。
もともと他県では保険の効かないところが多かったようだが、北海道では保険適応
となっていたので、今回の状況は大変なことだ。
なぜ大変かというと、まずその値段。
手術時、前後はもちろん、退院してからも基本的に一ヶ月に一度投与しなくては
ならないのだが、それが一回約12万円、年間で144万円もかかるのだ。
しかも、ヘブスブリン-IHを投与していれば再発の可能性はほとんど無く、
投与を中止して他の薬に変更した場合には再発の可能性が出てくるというのだ。
そもそも移植手術自体、自分の場合、特定疾患を認められ、保険の範囲内でおこ
なってこられたので随分と助けられたが、保険が効かず移植を諦めている人が
大勢いる。
肝硬変に癌を合併している場合には、肝内に5cm以下1個、または3cm以下
3個以内が存在する場合のみ保険適応になるというのだ。
最初、他の患者さんからこの話しを聞いた時には耳を疑った。
保険医療費の高騰や、手術施行の意味といった問題もあると思うが、いったい
この線引きの基準はどこからくるのだろう。
医療費の高騰は今の社会環境や食生活の変化、長寿社会といったことを考えれば
当然だろうし、官僚や政治家、社会保険庁などの無駄使いに比べればとるにたら
ない額であろう。
不摂生が原因の場合もあるだろうが、多くの、まったく予期せぬ、不意打ちを
食らったような我々健康弱者に何の罪が有るというのだろう。
手術で助かる命、薬で助かる命が目の前にたくさんあるのだ。
老人医療費負担増にしても、長年に渡って社会を支えてきたお歳よりに何の責任
があるのか。
自分が、家族が、友人が、突然病に倒れたら・・・けっしてお金で買えないもの
がある。
ただ、保険が効かないが為に、最先端の医療を受けられない為に、自分の将来が
不安で不安でたまらない人が、私の周りにもたくさんいる。
・・・23日、H大病院で今後の対処に関する説明会が開かれる。
決まったことは変えられないこと。皆さんどんな選択をするのだろう。
病気のことで悩むのはいい。でもこんなことで悩むのはもういやだ。



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肝性脳症の恐怖 PartⅡ





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<・・・一年前>
・・・2005.10月10日~
<肝性脳症の恐怖 その2>
なんとか個室に戻ってくることができたが、やはりそれからのことはあまり覚えて
いない。
当時を覚えているのは、なんともいえない幻覚症状だけだ。
起ったことも、移動したことも、数え上げたらきりがない。
例えば、良く聞く話しだが、北朝鮮のミサイルが飛んでくるとか、韓国の軍隊が攻
めてくるとか。
日中、妻や家族と普通(??)に話している自分がいる。
ところが、夜になると異常なことが、自分の中では普通になるのだ。
自分では極々冷静なつもりでいるのに、看護婦さんを呼び出しては「早く逃げなきゃ」
「ミサイルの落下地点はこの病室なんだ」と言っている始末。
今考えるとバカな話しだが、当時は本等に冷静に、普通に思って話しているのだ。
当然のことながら看護婦さんは相手にしてくれないので、翌日、妻に「何を言っても
誰も信用してくれないんだよね」とか言っている。
「誰も聞いてくれないから、ここだけの話しだよ」と言っている自分を,しっかりと
今も覚えている。
そのせいなのか、今も、妻に何か変な事を言うと「頭、大丈夫?」と真顔で聞かれる。
ただの幻覚と違うのは、変な行動や言動が、自分ではとても冷静に把握している、
ということ。
幻覚でありながら、リアルなんですよ。
結局、肝性脳症の症状は除々には弱まっていったものの、10月4日の手術から
2ヶ月弱も続いた。
・我家が売りに出され、病院近くに家族が引っ越してきた事。
・何度も何度も病院を変わった事。
・中国の古代から刺客がやって来て、危うく殺されかけた事。
・病院の屋上で花火を見た事。
・元の実家が地震で被害を受けた事。
・病院のホールで歌を披露した事。
・家族がバラバラになってしまった事・・・etc。
どれも自分の中ではリアルな世界。

しばらくの間、病室から出してもらえなかった。
どこで何をするかわからなかったらしい。
それに反発し、病室の備品を投げつけて壊してしまったのは、現実か幻覚か、
今でもわからない。
最後には移動を感知する、特殊マットをベッドの脇に敷かれた。
精神科から借りてきたらしい。
これらが全て、肝性脳症という移植手術後特有のものである、という事を知ったのは
かなり回復してからのことだった。

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ICUから個室へ

・・・
昨日はタイヤ交換をした。(北海道ではこの時期、夏タイヤからスタッドレス
タイヤに交換しなければならない。)
いつも30~40分程でできていたのだが、昨日は何と2時間弱もかかってし
まった。

筋力が無くなってしまったものだから、タイヤを運べない、持ち上げられない、
ナットは回せない、腰に力は入らない、と散々だったが、パワーが無いと、頭
で考るもので、段々と要領良くできたような、できないような・・・。

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<・・・一年前>
・・・2005.10月10日
ICUでは、とにかく苦しかった印象だけが残っている。
音は器械音だけ。常に照明が点いているので昼夜の区別が分からない。
面会時間も少なく、人工呼吸器のせいか、思う様に話すことができない。
肝性脳症の知識が少しでもあったなら、幻覚を幻覚として受け止められたの
かもしれない。
でもそんな余裕は無かった。
10月10日、ICUから病棟の個室に移る。
この日は妻の誕生日でもあった。
やっぱり、この時のことも覚えていない。
色々な管や点滴がつながれていたので、両手はベッドに縛り付けられたまま
で、眠たくて眠たくて起きていられなかった。
ずっと眠ってばかりいたそうだ。
移植された肝臓との拒絶反応がかなり強かったらしく、アンモニア値も高か
ったので、自分の意識はかなり低かった。
ただ、医師から「肝臓の相性が悪いので、日数はかかるが、必ず自分を取り
戻し、状態は戻ってくる」と妻は説明を受けていたそうで、安心はしていた
そうだが、この時の様子を見て、それが本当なのか、妻はとても信じられな
かったそうだ。

再手術の時もそうだったが、外科手術というものが、いかに計算され、高い
医療技術で計画通りに進められた場合、人間の回復力の素晴らしさを教えて
くれるものであるか、つくずく感じさせられました。
この後、意識の回復と共に、肝性脳症による恐怖がまた始まる。

12月初旬までの2ケ月、いろんな世界を経験した。
現実と幻覚が混同したり、昼間は普通(のつもり)でいられるのに、夜に
なると脅迫概念が強くなるのだ。





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肝性脳症の恐怖

・・・
今日は家族4人、インフルエンザの予防接種を受けた。
自分にとっては初めての予防注射だ。
免疫抑制剤を服用しているので、ウィルスに対する防御は弱い。
移植の医師に確認すると、皆さんに受けてもらっているといことだが、抑制剤
を飲んでいることによって、予防注射が効きにくいということもあり、なんと
も皮肉なことだ。
とにかく、いつも子ども達がお世話になっている少児科で注射してもらった。
そこのせんせいのお父さんがやはり劇症肝炎を患い、42歳で亡くなっている
という話しをお聞きし、複雑な思いを抱きつつ帰宅した。
当時の医療では、どうすることもできなかったそうで、これも自分の運命か、
医療の進化に感謝するしかない。

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<・・・一年前>
・・・2005.10月4日~10日
<肝性脳症の恐怖 その1>
手術室からICUに移ってどれ位で意識が戻ったかは覚えていない。
覚えているのは恐ろしい幻覚だけだった。
肝性脳症という言葉さえ当時は知るよしもなく、それはまさに超リアルな世界。
・・・ICUのベッドの周りに医師・看護士らしき人が4~5人立って、こちら
を覗き込みながら何か話しをしているのがわかる。
話しの内容は、その時は理解できた。ただ、その表情や誰が居るかなどは、目の
前に、もやがかかっているようでわからない。
しかしとても息苦しく、それを必死に訴えようとするのだが届かない。
今にも息が止まりそうなのだ。
そうこうしているうちに周りには誰一人いなくなり、疲れて寝てしまうのだが、
本当の恐怖はここから始まった。
それから何度も目覚め、息苦しい状態はずっと続くのだが、なんと目の前の状況
がさっきと同じなのだ。
何度眠りにつき目覚めても、周りの人間、会話、時間までもが同じなのだ。
それが実際、どの位の時間の中での出来事なのかはわからないが、自分の中では
一週間近くに感じられた。
そう、自分の中では一週間、時間が進まなかったのだ。
何度も日にちを聞いたのを覚えているが、時には時間が逆戻りしていることも
あった。
あまりの息苦しさの為か、これは幻覚というよりもおそらく夢だったのだろうが
三途の川まで見てしまった。
きっとこの時、気を強く持っていなかったら、そのまま引き込まれていたような
気がする。



目覚めると、リアルな状態で、時間が進まない恐怖、どうですか?
なんとかこの状況を乗り越え、10月10日、ICUから個室へ戻ることができた。
しかし、肝性脳症による恐怖は、まだまだ始まったばかりだった。
色々な医療器具による肉体的痛みを忘れるような、精神的な恐怖に次々と襲われる
ことになる。




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生体肝移植手術 PartⅡ

私だけ? 最近自分が 小梅太夫に似てる、と思ったのは・・・私だけ?

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<・・・一年前>
・・・2005.10月4日
生体肝移植手術の日。
執刀は第一外科のベテラン医師達。
朝8時の手術開始予定に合わせ、ICUから手術室へ。
個室からICUに移った頃から意識はほとんど無かったので、当然、手術前後
のことは、覚えてはいない。
ドナーになってくれた姉は、手術前日に入院。
歩いて手術室に向かったそう。
翌朝、2時30分頃手術終了。18時間以上に及ぶ大手術だった。
ドナーの姉も当日午後5時頃終了、9時間に渡る手術だった。
その間、家族は7階デイルームにて待機。
妻や姉、父を始め、親戚等たくさんの方が見守って下さった。
自分のからだが切り開かれ、内臓に対して、究極の外科手術が施されていたこ
とに、今でも信じられない気持ちで一杯で、体の傷を見ない限り、現実のもの
と理解できないでいる。
しかも、何も病を持たない、ドナーの姉が、同じような傷を負い、危険に身を
さらし、痛みを受けなければならない生体肝移植ということに、何かやるせない
思いを抱き、そしてそれは今も感じ続けている。
そしてきっと、ずっと死ぬまでそのわだかまりは持ち続けていくと思う。
手術後、姉は個室へ、そして自分はICUへ。
ICUと、そして個室に戻ってからも、意識がはっきりとせず、本当に恐ろしい
幻覚に見舞われることになるが、姉が順調に回復し、思ったより早く退院できた
ことが,何よりの救いとなった。
術後、肝性脳症 との闘いが始まるのである。



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