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登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

標高866m、秋の秋葉神社上社参拝の巻

2014-11-04 | 日記
昨日町内会として秋葉神社に行き、町内安泰を祈願し御祈祷を受けて来ました。
梅園学区、町内会関係者でバス1台です。
秋葉山に行ったのは2回目ですがまだ子供が小さい時35年位前のこと奥宮まで行きませんでしたので昨日行った奥宮に入るのは初めてです。
ここで秋葉山の歴史を少し調べました。
秋葉山本宮秋葉神社は、浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端に位置する、標高866mの秋葉山の山頂付近にある神社。
日本全国に存在する秋葉神社(神社本庁傘下だけで約800社もある)、秋葉大権現および秋葉寺の殆どについて、その事実上の起源となった神社である。
神社と言いながら後述の通り寺からスタートしたようで、日本人も信仰の曖昧さを象徴する神社である。
創建時期には諸説があり、701年に行基が寺として開いたとも言われるが、社伝では最初に堂が建ったのが709年とされている。
「秋葉」の名の由来は、大同年間に時の嵯峨天皇から寺に賜った和歌の中に「秋葉の山に色つくて見え」とあったことから秋葉寺と呼ばれるようになった、と社伝に謳われる一方「行基が秋に開山したことによる」「焼畑に由来する」などの異説もある。
ここを参拝後、可睡斎と法田山尊永寺に寄り帰路に着いた。
可睡斎は百合園で有名な観光地ですが曹洞宗の寺として、室町時代初期に恕仲天、禅師によって開山された。
後になり徳川家康が、幼い頃武田信玄の軍から逃れ父と共に匿われた礼に訪れた際、席上で居眠りをする仙麟等膳和尚を見た家康は「和尚我を見ること愛児の如し、故に安心して眠る、われその親密の情を喜ぶ、和尚 、眠るべし」と言い、以来和尚が「可睡和尚」と呼ばれたことから、いつしか本来東陽軒であった寺の名も可睡斎となった。
家康が父と共に隠れたとされる洞窟は六の字穴として今も残っている。
法多山 尊永寺は高野山真言宗に属し厄除観音として知られています。
袋井市の観光名所「遠州三山」の1つとして、初詣や季節の催しには静岡県内有数の賑わいをみせます。
参道は長くお店も多くでていました。
11月3日は丁度名物の団子祭り、お土産に買ってきました。
最初タイトルに奥宮と記載しましたが、上社でした、かなり離れた、麓に下社があります。


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