先日病院から携帯で投稿しましたが、退院したので、再投稿します。
11月16日 名古屋ー広州便は尖閣列島の問題が影響してか定員の20-30%、しかし広州ーカトマンズ便はほぼ満席、中國人の観光客が多い、夜遅くにも関わらずヒマラヤンスマイル社長KPさんの出迎えを受ける
11月17日 KPさんがガイド2名を連れてくる、トレッキングガイド=Furi Lama29歳 名古屋の田辺さんがダウラギリに挑戦した時サポート隊として参加、登山ガイド=Onchho Sherupa30歳 マナスル、チョユーなど経験
カトマンズールクラ順調に飛行できる、予定通りパクディンまで行1泊
11月18日 パクディンーナムチェバザール泊、3440m
11月19日 高地順応日、8時30分発ー10時10分エベレストビューホテル(1972年三原さん建設)、エベレストを見ながらコーヒーを飲むー11時10分 ゴンパ(イエティーの頭の皮を見る)ークムジュ村でランチーナムチェバザールに帰り、アイランドピーク登山届を提出、1パーティー600ドル必要
11月20日 8時 ナムチェバザールー13時15分 テンボチェ、3857m 、大きなゴンパが有り有名、ここからもエベレストが見える、カラパタールを目指したパティーのヤマガールが1名が高山病でガイドと下山して来る(他の人はトレッキング続行)
11月21日 8時 テンボチェー13時20分 ディンポチェ、4350m
11月22日 ディンボチェ停滞、高地順応、近くの丘4600mまで登る、Iさん高山病の症状が出る、ダイヤモックスを渡す
11月23日 8時30分 ディンボチェ発ー10時30分チュクン、4743m、午後ロープワークの確認のため近くの急斜面でユマーリングなどの練習、Iさん高山病の症状ダイヤモックスを渡す
11月24日 ガイドが風が強く寒いのでハイキャンプ設営を諦め、ベースキャンプから日帰りのアタックを提案される、しかしBCから6183-4950=1233mあり私の体力では無理と予定通りハイキャンプ設営を要請、了解を得る。しかしその後Iさんが高山病を理由にBCまでで引き返えしたいという希望を出す。この場合トレッキングガイドはIさんに対応すると登山ガイドとポーター1名でハイキャンプを設営しなくてはならず、それは出来ないという要請が有る。ここで私が妥協しBCから日帰りでアタックを掛けることにするが、登頂を断念したと同然である。
9時40分 チュクンー12時25分 BC 風が強く砂埃がすごい、14時Iさん下山
11月25日 1時起床、1時30分スタートー3時ハイキャンプ、風が強く追い越して行ったパーティーが登頂を断念下山して来る、私も登頂を断念、よろけながら下山開始ー4時BC着、明るくなる、まで休憩、ガイドがBC撤収してかスタートするから先に行けというので1人で下山開始ー途中チュクン付近で追いつかれる、-10時15分チュクン、Iさんが近く丘にハイキング中、帰りを待ち、ディンポチェまで下る、15時ディンポチェ
11月26日 8時30分 ディンポチェー16時 ナムチェバザール着
11月27日 8時30分 ナムチェバザールー13時10分 パクディン泊
11月28日 8時30分 パクディンー11時30分 ルクラ泊
11月29日 12時発になんとか乗れるー13時 カトマンズ、KP氏迎えに来てくれる、予備日を殆ど使わなかったのでオプショナルツアーを相談、チトワン国立公園2泊3日にする。
11月30日 カトマンズ観光
12月1日 費用を抑え沿道の風景を見たかったので、長距離バスを使う、バス停まで送っていただく、途中で昼食になるがバス料金に含まれるー13時30分頃チトワン到着、現地ガイドが迎えにくる、夜チトワン原住民タル族の舞踊を見る
12月2日 午前中、ジャングルの川下り、ジャングルウオークを午後象に乗りサファリを楽しむ、サイ、クジャク、アリゲータ、イノシシ、鹿等を見ることができた。
12月3日 カトマンズに帰る
12月4日 自由行動日、私は休息日、体調不良
12月5日 帰国日ー出発までヒマラヤンスマイルの事務所で休ませていただく
12月6日 約3時間遅れ23時30分頃名古屋着
12月7日 咳、下痢のため入院
11月16日 名古屋ー広州便は尖閣列島の問題が影響してか定員の20-30%、しかし広州ーカトマンズ便はほぼ満席、中國人の観光客が多い、夜遅くにも関わらずヒマラヤンスマイル社長KPさんの出迎えを受ける
11月17日 KPさんがガイド2名を連れてくる、トレッキングガイド=Furi Lama29歳 名古屋の田辺さんがダウラギリに挑戦した時サポート隊として参加、登山ガイド=Onchho Sherupa30歳 マナスル、チョユーなど経験
カトマンズールクラ順調に飛行できる、予定通りパクディンまで行1泊
11月18日 パクディンーナムチェバザール泊、3440m
11月19日 高地順応日、8時30分発ー10時10分エベレストビューホテル(1972年三原さん建設)、エベレストを見ながらコーヒーを飲むー11時10分 ゴンパ(イエティーの頭の皮を見る)ークムジュ村でランチーナムチェバザールに帰り、アイランドピーク登山届を提出、1パーティー600ドル必要
11月20日 8時 ナムチェバザールー13時15分 テンボチェ、3857m 、大きなゴンパが有り有名、ここからもエベレストが見える、カラパタールを目指したパティーのヤマガールが1名が高山病でガイドと下山して来る(他の人はトレッキング続行)
11月21日 8時 テンボチェー13時20分 ディンポチェ、4350m
11月22日 ディンボチェ停滞、高地順応、近くの丘4600mまで登る、Iさん高山病の症状が出る、ダイヤモックスを渡す
11月23日 8時30分 ディンボチェ発ー10時30分チュクン、4743m、午後ロープワークの確認のため近くの急斜面でユマーリングなどの練習、Iさん高山病の症状ダイヤモックスを渡す
11月24日 ガイドが風が強く寒いのでハイキャンプ設営を諦め、ベースキャンプから日帰りのアタックを提案される、しかしBCから6183-4950=1233mあり私の体力では無理と予定通りハイキャンプ設営を要請、了解を得る。しかしその後Iさんが高山病を理由にBCまでで引き返えしたいという希望を出す。この場合トレッキングガイドはIさんに対応すると登山ガイドとポーター1名でハイキャンプを設営しなくてはならず、それは出来ないという要請が有る。ここで私が妥協しBCから日帰りでアタックを掛けることにするが、登頂を断念したと同然である。
9時40分 チュクンー12時25分 BC 風が強く砂埃がすごい、14時Iさん下山
11月25日 1時起床、1時30分スタートー3時ハイキャンプ、風が強く追い越して行ったパーティーが登頂を断念下山して来る、私も登頂を断念、よろけながら下山開始ー4時BC着、明るくなる、まで休憩、ガイドがBC撤収してかスタートするから先に行けというので1人で下山開始ー途中チュクン付近で追いつかれる、-10時15分チュクン、Iさんが近く丘にハイキング中、帰りを待ち、ディンポチェまで下る、15時ディンポチェ
11月26日 8時30分 ディンポチェー16時 ナムチェバザール着
11月27日 8時30分 ナムチェバザールー13時10分 パクディン泊
11月28日 8時30分 パクディンー11時30分 ルクラ泊
11月29日 12時発になんとか乗れるー13時 カトマンズ、KP氏迎えに来てくれる、予備日を殆ど使わなかったのでオプショナルツアーを相談、チトワン国立公園2泊3日にする。
11月30日 カトマンズ観光
12月1日 費用を抑え沿道の風景を見たかったので、長距離バスを使う、バス停まで送っていただく、途中で昼食になるがバス料金に含まれるー13時30分頃チトワン到着、現地ガイドが迎えにくる、夜チトワン原住民タル族の舞踊を見る
12月2日 午前中、ジャングルの川下り、ジャングルウオークを午後象に乗りサファリを楽しむ、サイ、クジャク、アリゲータ、イノシシ、鹿等を見ることができた。
12月3日 カトマンズに帰る
12月4日 自由行動日、私は休息日、体調不良
12月5日 帰国日ー出発までヒマラヤンスマイルの事務所で休ませていただく
12月6日 約3時間遅れ23時30分頃名古屋着
12月7日 咳、下痢のため入院
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