エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

山の神は自宅に在らずの巻

2011-06-27 | 民族学、考古学!?
先日OSACが会議の場を借りている、「りぶら」のサポーターズクラブから依頼され、登山の魅力と地図読み(読図)の重要性について、講演しました。
その中で登山の歴史を話しましたが、日本では山を神聖な場所と考えながらも、修験者を中心に登山が普及していました。
私が6月中旬に登った別山は石徹白(いとしろ)から延々20km歩いて白山に登山するルートで、これは平安時代からかなりの人が登っていたと思われます。途中今はない建造物の名残りがありました。
ところで最近読んだ「山の神と日本人」を参考に我々の宗教心の原点を探りたいと思います。
今でも彼方此方に残る、巨岩や大樹を祭る風習が有りますが、我々の祖先は身近に有るこれらの威厳に宗教心が芽生えたと考えれれます。
私はこの本を読むまで忘れていましたが、日本でも極最近まで焼畑農業が行われ、東北地方ではマタギと呼ばれる狩人も居ました。(今も居ますが、これで生計を立てることは出来ない)彼らは当然生きるために山に入り、山からの恵みで生きていました。
また平地に定着した村人も蒔きや山菜、茸などを得る為、里山に入る必要が有りました。
その中で山に対する宗教心が芽生えたと思います。
そして死後、霊は山に帰り、1/年、お墓の有る場所や集落に戻って来ると信じられるようになったと思います。
また集落には近くで祈る場所として、お宮が出来、山に有る巨岩なども山の神の象徴として信仰の対象になったと思います。
私が住んでいる岡崎市の近くでは豊川の砥賀神社は村のお宮で、本宮山頂上にも奥の院があります。