今話は三谷氏に太田愛氏(『相棒』などの脚本を手掛ける)が乗り移ったかのような脚本だった。(三谷さん、太田さん、変な表現でごめんなさい)
やけに登場人物に優しさや義が感じられたので、変なことを感じてしまった。
時政……前話で妻・りくや娘・政子ら北条家の気持ちを思いやり、頼朝に激しく異を唱えてしまった。そのことで隠居したが、りくの京都への思いを叶えることをができなくなり、りくに詫びる
りく……京への復帰は叶わず、不本意な田舎暮らしを強いられるが、時政が自分の為に怒ってくれたことに感謝し、新生活に慣れようと努力する。また、政子の為に亀の居所を聞き出す
頼朝……叔父・行家の要求をきっぱりと道理を言い、拒絶。亀の件では自分に非があると謝る。
しかし……亀のところへ出向き、政子と鉢合わせ。退散するも八重の下へ、「来てしまいましたぁ!」と欲求の捌け口を求めるが、指を噛まれ、「是非もない……鎌倉へ帰ろう」(「それが宜しいかと」と被せる安達もナイス)
亀………御台所の心得を厳しく説く(単に男に言い寄るだけかと思ったが、まるで別人)
政子……亀の説教を真摯に受け止め、「あのぅ、さしあたって、何を読めばいいでしょうか?」と教えを乞う
上総広常……鎌倉の現状を冷静に分析(武衛・頼朝の弱みと天賦の才も評価)、義時の苦労も労う
源範頼……真面目、優しい。比企夫婦の娘を利用した懐柔を全く気に留めず立ち去る。誰も取り合わない行家にもにも気を遣う。使者に同行する義経を歓迎
木曽義仲……まさに“義”の男
「源氏が一つになり平家を滅ぼすのが望みだ」
「噂とは、流す者に都合よくできている。惑わされてはならぬ」
「北陸に兵を進めたのは、東海道へ向かえば、頼朝殿や甲斐武田にぶつかるからだ」
(平家と通じていない証に人質を差し出せという要求に)
「自分を頼ってきた者を追い出すような真似は出来ぬ……(行家の代わりに)息子でいい」
義仲と対照的な行家と甲斐の武田信義
信義「義仲は平家に近づこうとしているという噂。いづれ、この鎌倉に攻め入るとか、来ないとか」 義仲が言うように、自分に都合が良い噂を流す。
この信義を義時は「あの方の言葉に誠はありません」と断じる
行家……何の功もないのに褒賞を要求。受け入れられないと今度は義仲に接近。「逃がした魚は大きいぞ、うぉほほほほ…」(「魚が自分で言うか」と義村の突っ込み)
まだまだ未熟な義経……駄々をこねて義時に使者同行の了解を得るが、色香に惑い、朝寝坊
今話のクライマックス 義時の恋、ついに成就!
節操のなさ、不実な軽薄さが、邪心しか感じさせない頼朝が、結果的にアシスト!
頼朝の後に、見返りを求めず、ひたすら八重の幸せを願う義時の思いを示され、八重の心が傾く
(「かつて心を通い合わせた相手が、今も思いを引きずっているなんて、殿方の勝手な思い込み」という八重の言葉……私にも心当たりが(笑))
でも、前半部分はストーカーそのものだった(笑)
木曽に出向く前
「私は好きなのです………八重さんの笑っている姿が」
「いつか、八重さんの笑いながら、“おかえりなさい”と言ってほしい」
頼朝が退散した後
「ここ(江間)に頼朝を招き入れたとしても、私は構いません」
「幼き頃の思いはずっと変わらない。それを大事にしたい。
振り向かなくても構わない。背を向けたいのなら、それでもいい。私はその背中に尽くす。
八重さんの後ろ姿が幸せそうなら、私は満足です」
……ついに八重
「小四郎殿、お役目、ご苦労様でございました
おかえりなさいませ (にっこり)」
コメディ部分も秀逸だった
読経合戦
京から呼んだ祈祷師……「おまえかぁ(文覚)」(うつむく頼朝)
文覚「この文覚にお任せあれぇい」←「声が大きい!」(安達)
そして、文覚と大声合戦!は大爆笑!(一人で大笑いするのは爆笑とは言わないが、こう表現したくなった)
板東武士(御家人)たちの不平文句合唱
「あいつらの話も聞いてやってくれ」(義村)
「わあわあ、がやがや、喧々諤々、まあまあまあ」
《義仲との源氏内での争いに巻き込まれるのは御免》《亀の焼き討ち騒動の件も許せない》と言う。
「儂らは鎌倉殿の為なら何でもするってわけじゃねえんだよ」と繰り返す岡崎に義村が「それは聞いた」と、すかさず突っ込む
そんな中でも「まあまあまあ」「いささか言い過ぎではござらぬか」と取り成す土肥実平…好きだなあ(私のお気に入り)
梶原景時は、三浦館に集まった者の名を控えておく(千葉、土肥、岡崎、三浦親子、和田、畠山、義時)
抜かりないと言うか、マメと言うか……この覚書、意味があるのか?今後、何らかの意味を持ってくるのか?
今回は喜村と安達の突っ込みが冴えていた
第1話「大いなる小競り合い」
第2話「佐殿の腹」
第3話「挙兵は慎重に」
第4話「矢のゆくえ」
第5話「兄との約束」
第6話「悪い知らせ」
第7話「敵か、あるいは」
第8話「いざ、鎌倉」
第9話「決戦前夜」
第10話「根拠なき自信」
第11話「許されざる嘘」
第12話「亀の前事件」
【ストーリー】番組サイトより
政子(小池栄子)が男児を出産し源頼朝(大泉洋)の嫡男誕生に沸く鎌倉であったが、頼朝の浮気が大騒動に発展。激怒した北条時政(坂東彌十郎)は伊豆へと戻り、これを比企家の好機と捉えた能員(佐藤二朗)は源義経(菅田将暉)らに近づく。そんな中、義時(小栗旬)は八重(新垣結衣)のことを一途いちずに思い、鎌倉と江間を往復する日々を送っていた。一方、平家に敗北し再起を図る源行家(杉本哲太)は木曽義仲(青木崇高)を頼り……
脚本:三谷幸喜
演出:吉田照幸
やけに登場人物に優しさや義が感じられたので、変なことを感じてしまった。
時政……前話で妻・りくや娘・政子ら北条家の気持ちを思いやり、頼朝に激しく異を唱えてしまった。そのことで隠居したが、りくの京都への思いを叶えることをができなくなり、りくに詫びる
りく……京への復帰は叶わず、不本意な田舎暮らしを強いられるが、時政が自分の為に怒ってくれたことに感謝し、新生活に慣れようと努力する。また、政子の為に亀の居所を聞き出す
頼朝……叔父・行家の要求をきっぱりと道理を言い、拒絶。亀の件では自分に非があると謝る。
しかし……亀のところへ出向き、政子と鉢合わせ。退散するも八重の下へ、「来てしまいましたぁ!」と欲求の捌け口を求めるが、指を噛まれ、「是非もない……鎌倉へ帰ろう」(「それが宜しいかと」と被せる安達もナイス)
亀………御台所の心得を厳しく説く(単に男に言い寄るだけかと思ったが、まるで別人)
政子……亀の説教を真摯に受け止め、「あのぅ、さしあたって、何を読めばいいでしょうか?」と教えを乞う
上総広常……鎌倉の現状を冷静に分析(武衛・頼朝の弱みと天賦の才も評価)、義時の苦労も労う
源範頼……真面目、優しい。比企夫婦の娘を利用した懐柔を全く気に留めず立ち去る。誰も取り合わない行家にもにも気を遣う。使者に同行する義経を歓迎
木曽義仲……まさに“義”の男
「源氏が一つになり平家を滅ぼすのが望みだ」
「噂とは、流す者に都合よくできている。惑わされてはならぬ」
「北陸に兵を進めたのは、東海道へ向かえば、頼朝殿や甲斐武田にぶつかるからだ」
(平家と通じていない証に人質を差し出せという要求に)
「自分を頼ってきた者を追い出すような真似は出来ぬ……(行家の代わりに)息子でいい」
義仲と対照的な行家と甲斐の武田信義
信義「義仲は平家に近づこうとしているという噂。いづれ、この鎌倉に攻め入るとか、来ないとか」 義仲が言うように、自分に都合が良い噂を流す。
この信義を義時は「あの方の言葉に誠はありません」と断じる
行家……何の功もないのに褒賞を要求。受け入れられないと今度は義仲に接近。「逃がした魚は大きいぞ、うぉほほほほ…」(「魚が自分で言うか」と義村の突っ込み)
まだまだ未熟な義経……駄々をこねて義時に使者同行の了解を得るが、色香に惑い、朝寝坊
今話のクライマックス 義時の恋、ついに成就!
節操のなさ、不実な軽薄さが、邪心しか感じさせない頼朝が、結果的にアシスト!
頼朝の後に、見返りを求めず、ひたすら八重の幸せを願う義時の思いを示され、八重の心が傾く
(「かつて心を通い合わせた相手が、今も思いを引きずっているなんて、殿方の勝手な思い込み」という八重の言葉……私にも心当たりが(笑))
でも、前半部分はストーカーそのものだった(笑)
木曽に出向く前
「私は好きなのです………八重さんの笑っている姿が」
「いつか、八重さんの笑いながら、“おかえりなさい”と言ってほしい」
頼朝が退散した後
「ここ(江間)に頼朝を招き入れたとしても、私は構いません」
「幼き頃の思いはずっと変わらない。それを大事にしたい。
振り向かなくても構わない。背を向けたいのなら、それでもいい。私はその背中に尽くす。
八重さんの後ろ姿が幸せそうなら、私は満足です」
……ついに八重
「小四郎殿、お役目、ご苦労様でございました
おかえりなさいませ (にっこり)」
コメディ部分も秀逸だった
読経合戦
京から呼んだ祈祷師……「おまえかぁ(文覚)」(うつむく頼朝)
文覚「この文覚にお任せあれぇい」←「声が大きい!」(安達)
そして、文覚と大声合戦!は大爆笑!(一人で大笑いするのは爆笑とは言わないが、こう表現したくなった)
板東武士(御家人)たちの不平文句合唱
「あいつらの話も聞いてやってくれ」(義村)
「わあわあ、がやがや、喧々諤々、まあまあまあ」
《義仲との源氏内での争いに巻き込まれるのは御免》《亀の焼き討ち騒動の件も許せない》と言う。
「儂らは鎌倉殿の為なら何でもするってわけじゃねえんだよ」と繰り返す岡崎に義村が「それは聞いた」と、すかさず突っ込む
そんな中でも「まあまあまあ」「いささか言い過ぎではござらぬか」と取り成す土肥実平…好きだなあ(私のお気に入り)
梶原景時は、三浦館に集まった者の名を控えておく(千葉、土肥、岡崎、三浦親子、和田、畠山、義時)
抜かりないと言うか、マメと言うか……この覚書、意味があるのか?今後、何らかの意味を持ってくるのか?
今回は喜村と安達の突っ込みが冴えていた
第1話「大いなる小競り合い」
第2話「佐殿の腹」
第3話「挙兵は慎重に」
第4話「矢のゆくえ」
第5話「兄との約束」
第6話「悪い知らせ」
第7話「敵か、あるいは」
第8話「いざ、鎌倉」
第9話「決戦前夜」
第10話「根拠なき自信」
第11話「許されざる嘘」
第12話「亀の前事件」
【ストーリー】番組サイトより
政子(小池栄子)が男児を出産し源頼朝(大泉洋)の嫡男誕生に沸く鎌倉であったが、頼朝の浮気が大騒動に発展。激怒した北条時政(坂東彌十郎)は伊豆へと戻り、これを比企家の好機と捉えた能員(佐藤二朗)は源義経(菅田将暉)らに近づく。そんな中、義時(小栗旬)は八重(新垣結衣)のことを一途いちずに思い、鎌倉と江間を往復する日々を送っていた。一方、平家に敗北し再起を図る源行家(杉本哲太)は木曽義仲(青木崇高)を頼り……
脚本:三谷幸喜
演出:吉田照幸
政子に、「最低限の教養は必要だよ」、と教えてた
そう、やはり、会話ができる相手が楽しいのです
幕末、桂小五郎とか伊藤博文とか、奥さんが芸者さんというのが多い
それは、どうしてそうなっちゃうかというと、基礎教養があって、話をして会話が成立する、世間を知ってる人と話したい、ということだったんでしょう。
当時の芸者さんは情報に接する機会が多くて、聡明な芸者さんの場合、それを分析とか洞察して、ぽろっと的確な意見が言える
そういうのが愛されたのでしょう
というように、物心つくまで京の都で育ったであろう頼朝は、ある程度の教養のある人たちの中で大きくなってきたわけで、基礎教養が乏しい政子と一緒にいても、なんかつまんない、不満が大きかったのかなぁ
だから、亀さんは、「もう少し、教養つけなよ」とハッパかけたんでしょう
「自分が本当に鎌倉殿の妻としてふさわしいのか、よく考えなさい。足りないものがあったら、それを補う。あなた、御台所と呼ばれて恥ずかしくない女になんなさい。憧れの的なんだから、坂東中の女の。そんなふうに考えたこと、あった?」
義務教育の制度がない時代って、親の見識とか本人のやる気がないと、女性は向学心なんて持たなかったんだろうな。親は、男の子には、文武両道ビシバシ教育しただろうが。
レスが遅くなり、申し訳ありません。
レスをしなければと思いつつ、羽生九段の対局が気になり……敗れて8連敗(おそらく自身ワースト記録)。
意気消沈していました。
確かに、教養があれば上手に会話ができますね。私も教養が欲しいです。
確かに、一流の芸者さんは努力して教養を身に着け、会話に役立てたと聞きます。
それに、幕末だと、各藩などの動きに通じていたと考えられます。
>物心つくまで京の都で育ったであろう頼朝は、ある程度の教養のある人たちの中で大きくなってきたわけで、基礎教養が乏しい政子と一緒にいても、なんかつまんない、不満が大きかったのかなぁ
そうかもしれませんね。
ただ、今年の大河の頼朝は根っからの女好きですよね。
これに意味があるか?
あると思います!
内容じゃなくて、そういうことがサラッと出来るということが、意味がある
前回、亀の前の事件の回で、義時が上総広常を訪問するところがあって、部屋のすみに拙いひらがなが書いてある紙があって、
「お孫さんの手習いですか?」と小栗旬が言うと
ちょっとムッとした感じの佐藤浩市が
「俺が書いたのだよ。」
驚いた義時、「これは、ご無礼を」とひれ伏す
佐藤浩市が説明するように
「若い頃より戦ばかりでまともに文筆は学ばなかった。京へ行って公家どもにバカにされたくねぇだろ。だから今のうちに稽古してるんだよ。・・・人に言ったら殺す」と言う場面ありました。
つまり、男子ですら、文字を書くという基本的なことすら、都育ちの者たちとは格差があったということです
狭いエリアで小競り合いとかしてる間はともかく、日本の中の、関西・四国・関東とエリアが広くなってくると、戦の状況とか伝達するには「簡潔に文章で書ける」ことは重要になってくるでしょう
大将である広常じたいが文筆が心もとなくて、部下がそういうことに長けているか、どうでしょうねぇ? よく言うじゃないですか、この親にしてこの子あり、とか。じゃあ、この大将にして、この部下ありかなぁ
坂東武士が全部、広常みたいに文筆小学一年生並みかはわからないけど、義時が平均じゃなくて、義時はかなり優秀で、広常が坂東武士のあるあるじゃないでしょうか
だったら、義時を「手放したらイカン」と思うように、景時も重用されそうです
過去のドラマや映画で、頼朝が誰それを贔屓して、誰それを疎んじたとかいうのに、わかりやすい解説がなかった
でも、きっと『鎌倉殿の十三人』を見ていたら、なるほどなぁ、と思えるようになるかもしれない
>(梶原景時が三浦館に集まった名前のメモを見せる
ことに意味がある)…内容じゃなくて、そういうことがサラッと出来るということが、意味がある
梶原景時が「文章を書く」「即座に覚書を書ける」という能力に長けていることを描写しているわけですね。なるほど。
あと、景時の諜報力、参謀能力を示すシーンでもあると思いました。大場影親を見切った判断、善治を雇う人材利用力など、味方につけると心強く、敵に回すと怖い人物ですね。
あの覚書ですが、あの場に集まった者の名前がしっかり読み取れるほどクローズアップされていたのが、気になりました。
>つまり、男子ですら、文字を書くという基本的なことすら、都育ちの者たちとは格差があったということです
なるほど。
ただ、武衛という呼称を知っていて、うまく利用する機転を働かした義村、理解していた畠山、そして義時はできる部類でしょう?
それでも、できなさ振りを発揮していた時政も都での務めを果たしていたのですから、和泉式部云々はともかく、実務的読み書きなどは坂東武者も出来ていたのかもしれません。
>過去のドラマや映画で、頼朝が誰それを贔屓して、誰それを疎んじたとかいうのに、わかりやすい解説がなかった
そうですね。脚本の三谷氏は、登場人物の行動の動機(心情)を丁寧に巧みに表現していますね。