英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

王座戦第1局 その1 ~藤井ファンの気持ちがよく分かる~

2012-08-31 15:26:28 | 将棋
 王位戦の羽生×藤井戦にまつわる記事で「将棋とは結局羽生が勝つゲームである」といった定義があると揶揄されていたが、羽生×渡辺戦に限っては「結局、渡辺が勝つ」が定着しつつあるというのが悲しき現状である。

 実は、この第1局と羽生×渡辺戦の考察を、巨匠(『ものぐさ将棋観戦記』のshogitygooさん)が「2012王座戦第一局 渡辺王座vs羽生二冠」という記事を書かれている。
 私が書きたいことはもちろん、それ以上の考察をされており、その筆致の素晴らしさは私など遠く及ぶところではない。
 なので、私が書く必要性は全くないのであるが、羽生敗局の悔しさを紛らわすためだけに巨匠の記事は見なかったことにして、書くことにしました。


 この第1局も羽生王位・棋聖が機敏に動き、細い攻めを繋いでいき、渡辺竜王・王座が受けに回るというパターン。攻めの成否はぎりぎりながらも、羽生2冠が間違え渡辺竜王が最後にきっちり勝つという両者のタイトル戦における結末に到達してしまった。
 その受けに回った渡辺竜王の指し手が頑強。羽生二冠が攻めかかってきているのに、それを放置して「次に攻めますよ」と相手陣に圧力を掛けるのだ。羽生二冠に対して「かかってきなさい」と言っているのだ。
 「攻めるは守るなり」という格言があるが、それは先に攻めるか、相手よりより過激な攻めを見せて、相手を守勢に回らせ攻めるいとまを与えないという戦略だが、渡辺竜王のそれは、そんな生易しいものではない。「あなたの攻めは、1手手を抜いても大したことはない(受かる)ので、攻めが切れたら今度はこちらが攻めますよ」という姿勢だ。相手にプレッシャーを掛けて、余裕のある攻めを許さないのだ。竜王の強守としては、自玉の上部の相手の駒を攻めて、足場をなくし「入玉をしますよ」というパターンもあるが、同じ旨である。
 羽生二冠もこれに応え、細い攻めをうまく繋いで攻め続ける。両者の読みの激流が激しくぶつかりあい、ぎりぎりの均衡が保たれていくが、羽生二冠がついに竜王の圧力に屈し、誤ってしまう。
 竜王の圧力ゆえか、羽生二冠の竜王に対する自信の無さゆえか、自身の第一感を信じ切れず、深く読もうとし過ぎて誤ってしまうように思われる。

 羽生二冠は渡辺竜王と対すると、どこか攻め急いで余裕がないように思われる。上記のパターンも悪くはないと思うが、もう少し泰然としても良いのではないだろうか。
 渡辺竜王は羽生二冠が相手となると、強さが増すように思える。気のせいだろうか?
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2学期制(福井市と敦賀市)では、昨日から学校が始まったそうです

2012-08-30 12:56:08 | 時事
福井テレビのホームページの報道記事より
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2学期制 94校で授業始まる~福井・敦賀(2012/08/29 12:03)
2学期制をとっている福井市や敦賀市の小・中学校94校では、夏休みが終わり29日から授業が再開。子どもたちが元気に登校しました。

福井市の麻生津小学校では、夏休みを満喫した児童が元気よく登校し、出迎えた先生と大きな声で挨拶を交わしました。
朝礼では、石田和幸校長が、「一人ひとりが目標を持ち、学校生活を送りましょう」と話し、いじめのない学校生活をおくるよう呼び掛けました。
教室に戻った児童らは、夏休みの思い出や抱負を発表し、成長した姿を見せていました。

3学期制をとる小中学校 約180校は、9月3日から授業が再開されます。

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 今年は9月1日、2日が土、日曜日なので、普通の3学期制の学校は9月3日から2学期が始まります。なので、2学期制の学校は5日早く夏休みが終わるので少し気の毒です(9月1、2日は2学期制も休みなので、休みとしては3日間の差です)。
 2学期制(前後期制)にするメリットとして、学期の期間が長くなるので行事やイベントを組む自由度が高くなることや、定期テストや始業式と終業式が減ることや、夏休み前の宙ぶらりんの状態がなくなることから、学校の日程に余裕ができ、授業数も増えるといったことが考えられます。

 ここからは推測ですが、通知表の作成が3回から2回に減ります。通知表の作成は大変でかつストレスが溜まる作業だと思われます。単なる作業ではなく、児童や生徒を評価しなければなりませんから。
 これが3分の2になるのはかなり大きいと考えられます。ただ、これが一番の要因だったら困りますね。嫌ですね。

 デメリットとしては、生徒が尻を叩かれる機会(テスト・通知表・懇談)が減ること。家庭に入る学校生活の情報量の減少もあります。
 あと、夏休みが短くなり、秋休みが出来ること。暑い夏に授業して、一番効率の良い秋に休むのは不合理です。
 学期の終わりに秋休みを設けて、学期が改まるという区切りをつけたいのでしょうが、それなら1日だけ休みにして、夏休みは出来るだけ減らさないようにして欲しいです。
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ホザキナナカマド(穂咲き七竈)【6月28日撮影】

2012-08-29 15:10:03 | 歳時

ホザキナナカマド(穂咲き七竈)【6月28日撮影】(南越前町今庄長沢)
 実は花の名前が全く分からず、2時間近く「夏の白い花」で検索、ネットサーフィンならずネット浮遊していました。
 で、ようやくたどり着いたのが「ナナカマド」でした。ところが、ナナカマドを代表とする「バラ科ナナカマド族」とホザキナナカマドやニワナナカマドなどの「バラ科ホザキナナカマド族」があって、区別がよく分かりませんでした。
 記述をよく読むとナナカマド(5~10m)ほど樹高が高くなく、おしべの先も黒っぽくないので、「ホザキナナカマド族」であると判断しました。ちなみに、ナナカマドは秋には鮮やかに紅葉し、球形の赤い実が垂れ下がるそうです。(「ホザキナナカマド族」についての記述はなし)
 で、一見落着かというとそうではなく、今度はホザキナナカマなのかニワナナカマドなのかが分かりません。
 両者の樹高はホザキナナカマドは2~4m(2~3mという記述もあり)、ニワナナカマドは3~4mと区別の決め手にはなりません。
 両者の見分け方として、
①雄しべ……ホザキナナカマドは花弁より長く突き出る、ニワナナカマドの雄シベは花弁と同長か短い
②小葉……葉先は尾状に鋭く尖るり具合に差があるようですが、どちらが尖っているかは、サイトにより逆だったり、写真を比べても違いが分かりません。(共通点は互生でギザギザがあるということ)

 【参考】
『花図鑑』 「穂咲き七竈」 「庭七竈」
『樹木の部屋(夏8月)』 「ホザキナナカマド」 「ニワナナカマド」

 『花図鑑』の方の写真は両者の違いが分かりません(もしかしたら、庭七竈を撮ったつもりが実際は穂咲き七竈だったのではないかと思うほど似ています)

 結局、私が撮ったものは雄しべが長く見えるので、「ホザキナナカマド」と推定しました。
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タチアオイ(立葵)【6月下旬撮影】

2012-08-28 15:28:42 | 歳時
夏の花の先陣を切るように、あちこちで見かけます。グングン伸びて、花をいっぱい咲かせます。このブログでは、2009年に1枚だけアップしました。しかも、タイトルは「ヒメジョオン」で記事の最後に登場しただけです。
 説明文はその時のものを使用(手抜き)・

タチアオイ(立葵)
 かなり高く伸びますが、花が咲くまで気がつきません。いきなり咲くという感じです。写真は1週間前のもので、その少し前から目立つようになりました。
 アオイ科タチアオイ属で、花の色は赤・濃赤・桃・黄・青紫・白・黒とさまざまです。アオイ科の仲間にハイビスカスや芙蓉があります。


【6月24日撮影】

 毎年、撮り損ねている思いがあり、今年はたくさん撮りました。
 咲き始めたのは6月初旬。本当にスッと伸びてきて、サッとつぼみを付け、パッと咲くという感じです。上の写真は近所なので、今年は注意していました。その時から20日ほど経過しているので、長い間咲いています。(いっぱい花を付けるからなのでしょう)


【6月26日撮影】(南越前町)



【6月28日撮影】(南越前町、上の写真とは2キロほど離れています)


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マツバギク(松葉菊)【6月15日撮影】

2012-08-28 15:17:14 | 歳時
2か月以上、前のもので、遅れまくっています。
昨年も登場しています。「チガヤ、ホタルブクロ、マツバギク 【6月25日撮影】」


 説明文も、その時のものをそのまま使います。(手抜きです。なにしろ、撮りっぱなしの写真がいっぱい溜まっています)
マツバギク(松葉菊) ツルナ(ハマミズナ)科(撮影場所、王子保地区)
 あちこちで見かけ、街路樹の下にもよく見ることができます。あと、庭の石垣のところにビッシリ咲いているのも見かけます。この写真は家からホタルブクロの撮影地点までのどこかです。
 「キク」という名がついていますが、キク科ではありません。また、サボテンギク(仙人掌菊)の別名もありますが、サボテンとも関係ないようです。

 花火のようですね。
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『平清盛』 第33話「清盛、五十の宴」

2012-08-26 23:43:56 | ドラマ・映画
平の新喜劇
「何奴じゃ!」
「お初にお目にかかります。忠度にございます」
「忠度?」(清盛)「忠度?」(経盛)「忠度?」(教盛)
「はて、誰であったかのう?」(清盛)
「なんと、殿も経盛様も教盛様もご存知ないと?」(貞能)
「ない」(一同)
「ひどうございますぅ。末の弟君でございます」(貞能)
「(凝視)……………………………………………………おお!」(清盛)「おお!」(一同)


「おお!教盛の兄上、噂に違わぬ豪傑とお見受けいたします」(忠度)
「だが、文才はまるで無しとの噂はござりませぬか?」(時忠)
「おいぃ!」(教盛)
「北の方様の御弟君、時忠様にございまする。口の悪さは天下一品」(盛国)
「おぉ誉めるなあ」(時忠)
「誉めてはおりませぬ」(盛国)
「あのぅ」(経盛)
「ご心配なく、此度は見えております。経盛様にございまする」(盛国)
「経盛でござる」
「経盛殿は文には長けるが武に弱く、教盛殿は武には優れているが、文は劣る。すなわち二人合わせてようやく一人前の御兄弟でござる」(時忠)
「時忠様…」(盛国)
「真の事ゆえ、言い返せぬ」(経盛)
「認めてどうするのじゃ!」(教盛)


そこへ藤原摂関家の基房と兼実兄弟が乱入!
新喜劇から芸能発表会に
 芸能においてもなかなか手ごわい平家一族に基房、太鼓でも叩き出すのではと期待したが(仮面ライダー響鬼)、負け惜しみを吐くだけ。
 そこで、清盛、厳島神社の新構想(水上神殿)を披露。目指す国家の方針を重ね合わす。


最後は清盛が神通力を披露!
 摂関家兄弟をやり込め、得意満面の清盛、薄暗くなったので危ないという皆の忠告を無視し舞い始める。

「ああ、愉快じゃ。斯様に愉快な日が終わって欲しゅうない。はははは…」
そこへ雲が晴れて清盛に日が射し込む。これが、一度沈んだ太陽を清盛が再び登らせたと拡大解釈される。(そう言えば、東の方にも拡大解釈をしている輩が)
 あまりの得意絶頂振りに、日が射すと同時に倒れるのかと思ったが、そうではなかった。今週の最期に倒れるとは、時間差攻撃も見事!(ちがうか)


【その他の感想】
・滋子の舞は、伴奏とずれることが多く、動きも稚拙に思えた。それにしても、母親になると変わるのかもしれないが、「(平家一門より)我が子が大事」の滋子の変わりぶりに唐突感を感じた。
・和歌の勝負に忠度を起用したのは、単なる思いつきだったのはガッカリ。
・次回、白河院復活?はかなり不安。



【ストーリー】(番組サイトより)
 1167(仁安2)年、乙前(祇園女御:松田聖子)は京にとどまり、後白河上皇(松田翔太)に今様の稽古をつける日々を送っていた。後白河上皇は乙前に京にきた理由と清盛(松山ケンイチ)との関係を聞くが乙前はあいまいにしか答えなかった。
 六波羅の清盛邸では清盛に、重盛(窪田正孝)らが、朝議で音戸の瀬戸の開削が決定したことを報告した。朝議には宗盛(石黒英雄)や時忠(森田剛)も参加していた。清盛はわずか百日で太政大臣を辞任していたが、思惑どおりに事をすすめていたのである。精力的に働く清盛は、妻・時子(深田恭子)が五十の賀の宴をしたいと話しても、五十歳になるのが清盛自身のことだとは気がつかないほど、自らの夢にまい進していた。
 清盛の義理の妹である滋子(成海璃子)は、後白河上皇との子・憲仁(のりひと)親王(のちの高倉天皇)が東宮(次の天皇)になったことで権勢を強めていた。ある日、滋子は後白河上皇の前で見事な舞を披露した。舞の途中で雨が降っても平然と舞う滋子の姿に上皇の近臣・西光(加藤虎ノ介)や成親(吉沢悠)らも口々にほめそやした。
 そこへ以仁(もちひと:柿澤勇人)と八条院子(あきこ:佐藤仁美)が訪ねてきた。以仁は後白河上皇の子であり、以仁の養母である八条院は鳥羽法皇と美福門院得子の娘、後白河上皇の異母妹だった。憲仁がすでに東宮と定められたにもかかわらず、彼らは以仁こそが嫡流だと訴えた。後日、滋子は実の兄である時忠を呼び出し、東宮のわが子憲仁の座を安泰にするため、平家の力を使い、以仁を邪魔立てするよう画策するのだった。
 嚴島神社で清盛は神官・佐伯景弘(温水洋一)をたずね、嚴島神社の修復を申し出た。また、博多までしか来られなかった宋の船を京の隣・大輪田泊まで呼び込むという事業を進める中、その航路にある嚴島神社の存在が大きくなることを告げた。その壮大な構想に景弘は感激して言葉もなかった。
 清盛の五十の賀の宴の日、六波羅の館に、源頼政(宇梶剛士)がその子息、仲綱(須田邦裕)を連れてお祝いに訪れた。つとめで時間のない中、ひと言だけでもと訪れたのだ。仲綱は平家にこびるそんな父の態度に不満がつのっていた。
 宴には平家一門が集まり、清盛にお祝いを伝える。そして壮大な酒宴がはじまった。清盛邸には常盤(武井咲)も息子・牛若(のちの義経)をともなって訪れていた。常盤は一条長成の妻となっていたが、牛若は清盛こそが実の父と思っていたのである。清盛はにこやかに牛若の礼を受ける。また、熊野で生まれ育ち、清盛にとって末の弟になる忠度(ただのり:ムロツヨシ)も突然宴席にあらわれた。気さくな忠度は清盛ら兄たちと初対面ながらもすぐに打ち解け、熊のような風貌で祝い踊りを披露し、一門はおおいに盛り上がる。
 そこに現れた藤原摂関家の基房(細川茂樹)と兼実(相島一之)兄弟。平家の栄華を心よく思わぬ彼らは、「嚴島の社を修復するには、雅(みやび)を解する心がなければ」と舞や歌で勝負を挑んできた。まずは基房、兼実が見事な舞を披露し、平家をうならせる。清盛は返礼として重盛と宗盛が舞を見せ、経盛(駿河太郎)が笛を吹いた。基房、兼実はその舞と演奏に目をみはる。
 兼実は次に和歌の勝負をもちかけた。清盛はその相手になんと会ったばかりの忠度を指名した。歌の名人として知られる兼実は見事に歌を詠むが、忠度も意外にも秀逸に歌を詠み、一同を感嘆させた。悔しさをかくせない基房は清盛に、嚴島改修の一件は絶対に認めないと言い放つ。
 すると、清盛は嚴島神社の修復した姿を描いた絵図を見せる。それは海上にうかんだ寝殿のような古今東西に例を見ない荘厳華麗なものだった。これは清盛が考えた画期的なもので、圧倒された基房と兼実は引き下がるしかなかった。
 その後も宴はつづき、清盛はゆかいな気持ちになり踊り続ける。そこで奇跡のような光景が起こる。この愉快な日が終わってほしくないと願う清盛が扇子で夕日を仰ぐと、沈んでいた夕日が再び姿をあらわしたのだ。この奇跡は人々のあいだにまことしやかに伝わっていく。伊豆に赴任した源頼政は北条時政(遠藤憲一)にこの話を伝えた。時政は頼政に源頼朝(岡田将生)のすっかり生気を失った姿を見せ、清盛の影響で赤子を殺されたことを伝えた。
 そんな絶大な力を恐れられる清盛は、突然の病に襲われる。1168年、嚴島神社の修復に向かおうとするやさき、清盛は熱病に倒れ意識を失い、清盛危篤の情報が全国をかけめぐった。
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いちご探検隊

2012-08-25 16:34:07 | いちご
8月8日夕方6時30分、「さあ、やるぞ」という意気込みが、長い舌に現れています。


隊長のいちご以下、副隊長、護衛、撮影班等、総勢1匹と1人、6時を過ぎたとはいえ、まだ日差しも強く、空気も暑いのに、暑いのに、暑いのに………出発!(ピントが甘いのは、脱走をしないよう気を張っていたからです)

あちこちに鋭い眼光を飛ばす隊長。


むっ!危険な気配が!


ちっ、小物か。


 本当は、シャカリキになって飛び跳ねていました。
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『遺留捜査』 第6話

2012-08-24 14:16:42 | ドラマ・映画
 本当はこのドラマ、素直に観るだけで書くつもりはないのですが、先週はあまりの出来だったので書いてしまい、今週は思いのほか面白かったので、書いてしまいます。

 糸村(上川隆也)が、被害者の財布に入っていた、もんじゃ焼きのハガシに固執する。ハガシなどスルーしてしまいそうだが、確かに財布の中に入っているのは不自然であるし、気になる。しかし、まあ普通の者なら後回しか、忘れてしまいそう。
 そこにこだわるのが糸村らしく、そのハガシから被害者の青春ストーリーや昔の恋人への思いが浮かびあがる。

 しかも、例によって、糸村の勝手な単独捜査。これが気に入らない佐久間(八嶋智人)を中心とした捜査が別々に行われ、やがて絡み合っていく。結局、佐久間が不本意ながらも糸村の良さを認める。
 今回、この遺留品から展開する被害者の人生、糸村の単独捜査に反目する捜査(佐久間)がうまく描かれていた。……先週と今週、同じ脚本家とは思えない。


☆些細な突っ込み
・母親の死が医療ミスだとしても、それで計画的(自分の仕事道具を持ち出す)に殺人を犯すとは考えられない。話がもつれて激高、衝動的や偶発的に殺人というパターンならあるかも。
・ミスリードのための後輩の医師が容疑者の中尾(川野直輝)に、嘘の密告電話をさせるが、真犯人にとっては、余計な証拠(証人)を残すだけ。

★佐久間の突っ込み
「糸村の3分間は、3分では終わったためしがない」
 よくぞ、突っ込んでくれました。

【ストーリー】(番組サイトより)
 月島中央署刑事課をまとめようと肩に力の入る佐久間裕司(八嶋智人)はある日、二宮功一(岡田義徳)、仙堂卓己(正名僕蔵)、遠山修介(眞島秀和)ら同僚刑事を屋形船に誘い、労をねぎらっていた。ところがそのとき、佐久間は剣道教室の教え子・中尾亨(川野直輝)が岸辺で男を殴っている現場を目撃する。亨を止めようと、佐久間らは急いで陸上へ。ところが到着したとき、すでに亨の姿はなく、そこには頭から血を流した男の遺体と、亨のイニシャルが入った凶器のパイプレンチが残されていた…。

 被害者は大学病院の心臓外科医・深山隼(東根作寿英)。亡くなった亨の母親の心臓バイパス手術を担当した執刀医だったことが判明する。しかも、亨は母親の死が医療ミスによるものだと疑っていたというではないか! これらの証言と凶器の指紋から、月島中央署の面々は亨が犯人であるという線で捜査を進めることに。そんななか、糸村聡(上川隆也)だけは深山の財布に入っていた、もんじゃ焼きのハガシに固執。単独捜査の末、ハガシが約20年前に作られたものだと判明すると同時に、深山とある噂のあった高校時代のクラスメート・松下友美(伊藤裕子)の存在が浮かび上がる。

 一方、佐久間によって署に連行された亨は、頑として殺害を否認。また、医療ミスについては病院関係者を名乗る男からの密告電話で知った、と証言する。佐久間は亨の証言を信じようとするが…。


ゲスト:伊藤裕子 東根作寿英 今井朋彦 ほか
脚本:大石哲也
監督:伊藤寿浩
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トッカン -特別国税徴収官- 第6話

2012-08-23 20:21:22 | ドラマ・映画
 すみません、簡単感想です。

①他の案件で職員総出で出払ってしまい、ぐー子ひとりで計画倒産に当たることになったが、1人ぐらいぐー子の補助に回っても影響ないと思う。10人→9人(←人数は適当ですが、1割減)と1人→2人(倍増)と考えるが…

②冷徹(そうな)役人役の島田久作さん、相変わらずいい味出すなあ。(『ATARU』の時もよかった)

③まったく役に立ちそうになかった署長(岩松了)が陰で活躍したとは

④藤原摂関家(堀部圭亮)が、現代で悪事を!

⑤変女3人組(井上真央、木南晴夏、美波)がいい感じだった

⑥大島プラスチックが何とかやっていると聞きホッとした。まあ、あの状態から立ち直るのはご都合主義だとは思うが

⑦「法律にだって心が要る」という理屈は説得力はありませんが、そうあって欲しい

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甲子園 ~勝利至上主義~

2012-08-23 14:49:36 | スポーツ
実は、昨日の記事には続き(というか、本題)があったのですが、少し過激な内容なので一旦アップした後、削除しました。しかし、せっかく書いたので、やはりアップします。


 今回も出場していてベスト4に進出、常連校であり強豪校である明徳義塾。今年のチームも好チームであった。ここまで読んで、「ああ、あのことかな」と思い当る方もいらっしゃるかもしれない。
 このチームの監督が馬淵監督で、氏の顔を観るたび複雑な気持ちになる。プロフィールには同校の教頭とある。

「1992年8月16日、第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦において、明徳義塾が、星稜の4番打者・松井秀喜を5打席連続して敬遠する作戦を敢行し、この試合で松井が一度もバットを振ることないまま星稜が敗退した出来事である」(ウィキペディアの文をそのまま引用)
 詳しくは、ウィキペディアの「松井秀喜5打席連続敬遠」の項を。

 ランナーを背負っている場面ならともかく、7回表の松井の第4打席では二死無走者(3-2と明徳1点リード)からの敬遠は、やり過ぎだと思う。
 確かに、潔く力の差を認め、ある種の代償(1塁に出塁させる)を払って勝負を避ける(危険を回避)するのは、正当な作戦である。
 しかし、甲子園は高校球児にとって憧れの地で、そこで思い切りプレーをすることを目指して厳しい練習や苦しい県予選を戦ってきた松井選手の気持ちを思うと、あまりの仕打ちではないかと憤慨した。(松井選手は春のセンバツでは、初戦の対宮古戦で2打席連続本塁打、2回戦の堀越戦でも本塁打を打っている。また1年生の時も出場、2年生の時もホームランを打っているので、「甲子園」でバットを振っていないというわけではない)

 ただ、これだけなら、20年も前の事を何の関係もない私が書くべきことではない。
 しかし、馬淵監督のコメントを読むと、どうしても書かずにはいられない気持ちになってしまう(ウィキペディアを鵜呑みにしてはいけないとは思うが)。この気持ちは、今年持ったわけではなく、20年間胸にくすぶり続けている。

「松井への全打席敬遠は私が指示した。生徒達には『オレが全て責任取るから心配するな』と伝えた。本当はためらったのだが、こちらも高知県代表として初戦で負けるわけにはいきませんから。負けるための作戦を立てる監督は誰もいない、私は全てを読んだ」

 高知県を代表すると初戦で負けてはいけないのか?高知県民は、一生懸命戦って負けたものを責めるのか?
 「負けるための作戦」=「松井選手と勝負する」なのかという問題は難しい。ただ、二死無走者で敬遠するということは、「松井選手と勝負する」=「100%ホームランを打たれる」という式が監督の頭には出来あがっていたのだろう。


で、この記事を書く決定的な因となったのが、次の文章

馬淵は現在でも当時を回想したインタビューで「あの作戦は今でも正当だと思っている。当時としては最善の策だった」と述べている。毎日新聞(2008年)のインタビューでも「彼と勝負するならインコースしかなかった。でも、詰まってもホームランの確率があるのだから…それだけ松井君が偉大だったということですよ。勝つ確率と負ける確率を考えて、勝っただけ。力のない者が勝つにはどうすればいいのか。野球は確率だと思っている」と当時を振り返った。2011年にも、週刊ポストのインタビューにおいて、「私は今でも間違った作戦だったとは思っていない。あの年の星稜は、高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった。あれ以前も、あれ以降も、松井くんほどの大打者と僕は出会っていません。甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」と語った。

5打席連続敬遠から20年後がたった2012年の夏の高知県大会決勝の高知高校戦においても相手の4番打者を4打席連続(うち、最後の2打席は連続敬遠)を含む5四球という作戦を決行し延長戦の末、甲子園出場を決めた



 「勝つ確率」「最善の策」と言われるとそうかもしれないが、馬淵氏にとっては「甲子園では勝つことが何より大事」なのだなと思ってしまう。
 「甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」
 こう言われると説得力があるが、勝つことに徹したことで、この試合で両チームの選手の心に落とした影は非常に大きく暗いものではなかったのか?
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