【学力テストの目的】
全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、
各地域における児童生徒の学力・学習状況を把握・分析することにより、
教育及び教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図ること
つまり、
①全国のどこであっても、均一な教育が受けられるよう、地域による学力差を把握し、教育環境の改善を図る
②児童・生徒の学力の長所・短所を把握し、学習指導の改良に役立てる
であろう。
しかし、目的とは裏腹に、実施前から危惧されていた、都道府県単位や学校単位の順位に目がいき、都道府県のメンツのための成果(点数)主義が強くなり、また、学校の序列化が進む弊害が生まれつつある。
上述したような目的ならば、都道府県単位の成績を公表する必要はない。
もともと、日本全体の学力を上げるために、順位を公表して各都道府県の尻を叩くのが目的であったのではないかと、勘ぐりたくなる。
そもそも、“全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上”と言うならば、
・(今回から理科も加えられてはいるが)社会や英語、体育や音楽、美術はテストしなくてもいいのか?
・たった1回のテストで、把握できるのか?
・年1回必ず実施する必要があるのか?
・事前学習で成績をアップさせることが可能であり、しかも傾向と対策を練るのなら、真の学力は測れない
学力テストの経費は62億円だと聞く。弊害の方が大きそうなこの学力テスト、大いなる無駄に思える。
大阪府の利己主義、ゴリ押し
その上、「毎年春の全国学力テストの結果を、大阪府教委が高校入試の内申評価に使う」と方針を打ち出した。
以前、静岡県知事が、学力テストの結果を校長名を公表しようとしたことがあった。(詳しくは、「静岡県知事の馬鹿な発言」、「静岡川勝知事がルール無視、学力テスト結果を独断で公表」)
この時、私は「暴挙」という表現をしたが、今回の大阪府はそれ以上だ(何か、ピッタリした表現はないかな)。
大阪府の主張は
「入試の公平性を担保するための“統一的なモノサシ”として学力調査の結果を活用したい」
レベルの違う学校でも「内申点」が同等に与えられているのは、不公平である。例えば、学力の高いA学校の中位にいる生徒が50点、一方、学力の高くない学校の中位の生徒も50点の内申点をつけている現状は、公平でないというのだ。
私も、こういう不合理は昔から感じていた。その内申点の偏りを是正するのに、各学校のレベルによって内申点の総点を調整しようという主張で、これが“統一的なモノサシ”の指す意味であろう。
この主張を否定するつもりはない。
しかし、学力テストの結果を用いて、その内申点の調整、つまり、学校の序列化をするのは、間違っている!(花咲舞の口調で)
「大阪府のような目的、行為に学力テストの結果を使用しない」というルールを無視している。
松井知事は「従う義務はない。僕らペットじゃないんで」と言い切っていたが、どこをどうつついたら、こういう言葉が出てくるのか、不思議でたまらない。
静岡県知事と言い、学力テスト以前に、知事適性試験が必要なのではないだろうか?
たった3教科で、しかも、行う時期が春(テスト範囲は中学2年生まで)というのでは、適正な評価は無理であろう。
学校の序列化はともかく(私は反対)、もし、序列化したいのなら、学力テストに便乗するのではなく、大阪府が責任を持って調査すべきである。
さらに、学校の評価で、個人の入試の可否が左右されるのもおかしい。
大阪府の愚行は、学校の序列化をするだけでない。
大阪府は「過去問題を勉強することは、学力向上につながる」と主張するが、学力テスト点数が上がるような点数主義に陥ってしまう危険が大きい。
学力の向上と言うよりは、都道府県順位の上昇の為としか思えない。
さらに情けないのは、文科省が大阪府のゴリ押しを、今年度に限り認めてしまったことである。
全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、
各地域における児童生徒の学力・学習状況を把握・分析することにより、
教育及び教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図ること
つまり、
①全国のどこであっても、均一な教育が受けられるよう、地域による学力差を把握し、教育環境の改善を図る
②児童・生徒の学力の長所・短所を把握し、学習指導の改良に役立てる
であろう。
しかし、目的とは裏腹に、実施前から危惧されていた、都道府県単位や学校単位の順位に目がいき、都道府県のメンツのための成果(点数)主義が強くなり、また、学校の序列化が進む弊害が生まれつつある。
上述したような目的ならば、都道府県単位の成績を公表する必要はない。
もともと、日本全体の学力を上げるために、順位を公表して各都道府県の尻を叩くのが目的であったのではないかと、勘ぐりたくなる。
そもそも、“全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上”と言うならば、
・(今回から理科も加えられてはいるが)社会や英語、体育や音楽、美術はテストしなくてもいいのか?
・たった1回のテストで、把握できるのか?
・年1回必ず実施する必要があるのか?
・事前学習で成績をアップさせることが可能であり、しかも傾向と対策を練るのなら、真の学力は測れない
学力テストの経費は62億円だと聞く。弊害の方が大きそうなこの学力テスト、大いなる無駄に思える。
大阪府の利己主義、ゴリ押し
その上、「毎年春の全国学力テストの結果を、大阪府教委が高校入試の内申評価に使う」と方針を打ち出した。
以前、静岡県知事が、学力テストの結果を校長名を公表しようとしたことがあった。(詳しくは、「静岡県知事の馬鹿な発言」、「静岡川勝知事がルール無視、学力テスト結果を独断で公表」)
この時、私は「暴挙」という表現をしたが、今回の大阪府はそれ以上だ(何か、ピッタリした表現はないかな)。
大阪府の主張は
「入試の公平性を担保するための“統一的なモノサシ”として学力調査の結果を活用したい」
レベルの違う学校でも「内申点」が同等に与えられているのは、不公平である。例えば、学力の高いA学校の中位にいる生徒が50点、一方、学力の高くない学校の中位の生徒も50点の内申点をつけている現状は、公平でないというのだ。
私も、こういう不合理は昔から感じていた。その内申点の偏りを是正するのに、各学校のレベルによって内申点の総点を調整しようという主張で、これが“統一的なモノサシ”の指す意味であろう。
この主張を否定するつもりはない。
しかし、学力テストの結果を用いて、その内申点の調整、つまり、学校の序列化をするのは、間違っている!(花咲舞の口調で)
「大阪府のような目的、行為に学力テストの結果を使用しない」というルールを無視している。
松井知事は「従う義務はない。僕らペットじゃないんで」と言い切っていたが、どこをどうつついたら、こういう言葉が出てくるのか、不思議でたまらない。
静岡県知事と言い、学力テスト以前に、知事適性試験が必要なのではないだろうか?
たった3教科で、しかも、行う時期が春(テスト範囲は中学2年生まで)というのでは、適正な評価は無理であろう。
学校の序列化はともかく(私は反対)、もし、序列化したいのなら、学力テストに便乗するのではなく、大阪府が責任を持って調査すべきである。
さらに、学校の評価で、個人の入試の可否が左右されるのもおかしい。
大阪府の愚行は、学校の序列化をするだけでない。
大阪府は「過去問題を勉強することは、学力向上につながる」と主張するが、学力テスト点数が上がるような点数主義に陥ってしまう危険が大きい。
学力の向上と言うよりは、都道府県順位の上昇の為としか思えない。
さらに情けないのは、文科省が大阪府のゴリ押しを、今年度に限り認めてしまったことである。