英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

世界柔道2013 その5「求められる審判の公正さと、試合を見極める技術」(第5日)

2013-08-31 21:05:39 | スポーツ
 「その1」の記事で軽く触れたが、ロンドン五輪後、ルール改正がなされた。
 「指導が技のポイントに入らない」「組み手遂行の強化……組み手を拒む行為の禁止(指導)」など、より積極性を重視し、「一本」を取る見栄えのする柔道を目指したもので、評価できる。
 しかし、審判の技術が伴わないと意味がない。

Ⅰ 求められる審判の公正さと、試合を見極める技術
 「その2」で述べた立ち技からの脇固めの反則を見逃した件や、そのコメントで名無しさんが指摘した疑問の「指導」の多さなど、審判の技術に疑問を感じることが多い(それでも、以前よりはかなり改善されてきている)。
 これまでに気がついた判定について、「名無しさん」へのレスで書いたので、それを引用します。

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 地元に甘く、日本に厳しい傾向はあります。女子57kg級決勝、シルヴァ(ブラジル)×マロイ(アメリカ)の試合、試合開始直後、マロイの柔道着を掴んだシルヴァの右手を片手で軽く払っただけで、指導を取られました。確かに、組手を拒むことを厳しく反則を取るようにルールが変更されましたが、試合開始後、いきなりというのは、マロイはリズムが崩れたのではないでしょうか?その40秒後、マロイが不用意に内股に行ったが、シルヴァに小外刈りを合わされて、一本を取られてしまいました
 ただ、それ以外にも、疑問の判定が多いです。目についたのは、「その3」で取り上げたサィンジャルガル(モンゴル)に対する判定はやや厳しかった。
 あと、抑え込みに入る直前に、それほど時間が経過していないのに、「待て」を掛けられてしまう事も多いですね。

 しかし、そういった「甘い」「厳しい」という程度の問題ではなく、「消極性」「掛け逃げ」の解釈や、技の理解を明らかに間違えている審判としては失格の審判もいます。
 ロンドン五輪後ルール改正は、柔道の正常化に動いているので、その動きを信じたいです。と言っても、私は長年、「JUDO」には幻滅し続けているので、疑心暗鬼ですが。
 とにかく、あの脇固めについては、とことん追求すべきです。

 男子81kg級決勝、私が主審なら、優勝したペトリ選手は4回指導で反則負けにします。(実際は指導3回)
=====================================

 今大会、「指導」の判定で「早過ぎるのでは?」とか「(指導を与える選手が)逆なんじゃないか?」と感じることが多い。上記にもあるが、「消極性」「掛け逃げ(積極性)」の解釈を間違えているお粗末な審判も見かける。
 大会5日目の日本女子3選手は、疑問の「指導」が敗れた大きな要因になったと言える。
 女子78kg級佐藤瑠香、2回戦でも不可解な2度の「指導」を取られたが、準々決勝は気の毒だった。
 まず、主審の試合の仕切りがおかしい。開始24秒にソル・キョング(北朝鮮)に掛けられた技が、30秒以上経過した後に「有効」を宣告、その他にも意味不明の試合中断もあった。
 試合は、佐藤が有効を取り返したが、残り2分にソル・キョングの技を不用意に捌いて「技あり」を取られてしまう。
 その後のソルの逃げは露骨だった。引き足ばかりで場外際に逃げ、そこで決める意志のない技を繰り出して時間を稼ぐ。技ありを決めた時点で指導は0だったので、3回は受けても大丈夫の計算だ。
 そんな状況が続いた残り1分20秒、場外に出たソルを佐藤が両腕で軽く突き飛ばした。これを主審が注意したのは当然だが、ここで突き飛ばしていなかったら、ソルに「指導」が与えられたのではないだろうか。この後もソルは逃げ続けたが、「指導」は3回で逃げ切られてしまった。
 「消極的な試合運びを是正する」がルール改正の主旨に従い、厳しく「指導」を取るとしたら、「掛け逃げ」と「消極性」で10回の「指導」を取って当然だった。
 敗者戦では、逆に佐藤は簡単に「指導」を3回取られていたが、先の準々決勝で、この主審だったらどういう判定が下されたのだろう?(日本(佐藤)にだけ厳しいような気がする)

 結局、ソル・キョングがこの階級を制してしまった。こういう選手をチャンピオンにしてはいけない。

 女子78kg級には佐藤の他に、緒方亜香里も出場している。緒方は2010年世界柔道銅メダル、11年世界柔道銀メダルの実力者。相手はオランダのベルカーク。
 この試合、両者、組み手争いが激しく、組み合わない。主審が試合を止め、緒方にだけ「指導」。その少し前に、ベルカークが緒方の腕を強引に振りほどいたにも拘らず。
 その次、主審が試合を止め、ベルカークに「指導」(組み合いなさい)を与えたが、ジャッジからそれを取り消し、緒方に「掛け逃げ」の与える指示が出た。
 確かにその前に、緒方が「掛け逃げ」に見える状態になったが、それは緒方が掛けた技に対して、ベルカークがそれを防ぐのに突き放した時に、緒方の体勢が前に崩れただけで、「掛け逃げ」の意思は全くなかった。そんなことも見抜けないジャッジ、あるいは、意図的な判定か?
 残り2分20秒、更に緒方に消極的な「指導」。これも、ベルカークが緒方に攻められないように先に技を仕掛ける(決める意図はなく、掛け逃げを取られないよう注意して)ので、結果的に緒方が「消極的」と判断されてしまったもの。
 その後、疲れの出たベルカークは技を掛けられないだけに注意して動きを落としたが、これに対しては「お構いなし」。
 結局、指導の数3-0で敗れた。(技のポイントなし)

 女子70kg級田知本遥も同じような被害を受けた。指導1-2で敗れた(技のポイントなし)が、この試合も、田知本だけに厳しく、相手は「指導」を取られないという不公平な判定だった。

 柔道の今後を考えるのなら、きちんと審判の育成をしなければならない。技の有効度合(一本、技あり、有効)の基準、技の解釈、「消極性」「掛け逃げ」「組手拒否」などの指導の解釈をきちんと理解しなければ、適正な判定はできない。
 もうこの際、国際審判は日本だけにすればいい。日本は審判員の技術は高いし、贔屓もしない(と思う)。

Ⅱ 技の軌跡も考慮して判定して欲しい
 現在の技の効果度の判定基準は、畳についた部位が「背中全体」「背中の一部」「肩、腕など横向きなったか」だと考えられる。
 しかし、それだと、何かの拍子で背中がついても「一本」あるいは「技あり」となってしまう。たとえば、技が強引で自ら体勢を崩すのと、受け手の方も技を防ぐため、反射的にリアクションを起こしたのが重なっただけでも「一本」となってしまう。
 また、技が段階的になっても技が継続していると考え「一本」や「技あり」と判定されるのもすっきりしない。技が段階的とは、技を掛けて相手が肩などがついて、そのあともう一段階、体を回転させるなどして相手の背中を付けるという状況。
 逆に、相手の体を完全に浮かせても、体が畳に付いた状態が腹這いなら有効にもならない。つまり、相手を引き倒すような投げていない技だと腹這いになる余裕がなく、体が浮いた分だけ腹這いになる余裕があるという皮肉な状況である。もちろん、相手の体を浮かせたあと技を決めきれば腹這いに逃げられることはないとも言えるが、釈然としない。
 この体のついた部位による判定をするのは、「分かりやすい基準」を求める西洋的発想であるが、技の結果しか見ることができない未熟さとも言える。もっと技の軌跡、満足度、完遂度を評価して欲しいものである。

 「一本」についての改正を見ると、「一本については、背中が畳につく際に本当のインパクトがある技の場合のみ一本とみなす」とある。
 であれば、現状の技の判定はこれに即していない。誰もが認める気持ちの良い技だけしか「一本」にしないならば、選手自身がインパクトがある技を決めようとし、よりすっきりとした競技、魅力ある柔道となるはずである。


【参照】(過去記事)
その1「この中継も酷いなあ」(第1日)
その2「まさかの…」(第2日)
その3「3日連続ならず?(ちょっと残念?)」(第3日)
その4「えげつない危険な絞め技/女子63kg級金メダリスト・ゲルビ」(第4日)
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世界柔道2013 その4「えげつない危険な絞め技/女子63kg級金メダリスト・ゲルビ」(第4日)

2013-08-30 21:24:54 | スポーツ
 女子63kg級。まず、日本選手は、阿部香菜(三井住友海上)は準決勝ヤーデン・ゲルビ(イスラエル)に絞め技で一本負けし、3位決定戦でも敗れた。また、準々決勝で阿部に敗れた田中美衣(了徳寺学園職)は敗者復活戦ティナ・トルステニャク(スロベニア)に一本負けした。

 さて、阿部を破ったゲルビだが、実にえげつない技を使う。
 寝技に持ち込む瞬間、意識的に左側の裾を帯から外し右手で持つ。そして、相手の上体に覆いかぶさる時、相手の首にその裾を蒔きつけ、覆いかぶさった自分の上体を反らして畳に仰向けになり、足で相手を上体を固定して、体重を掛けて締め上げる。
 下手をすると、上体を反らして尻餅をつくように締め付けた瞬間、相手の首の骨が折れる可能性もある。しかも、その後、柔道着を使って体全体で締め上げる。この時、柔道着はタオルで締め上げるのと同じような役割を果たしていて、非常に危険。
 もちろん、相当な高等テクニックであろうが、気絶した相手(世界ランク2位で決勝に勝ち上がるのだから相当な実力者)を気遣うそぶりを見せるが、その表情は「してやったり」という気持ちがにじみ出ていた。もちろん、金メダルを獲得した喜びもあるが……

 関節技も絞め技も、相手を痛めつけるのが目的の技である。生ぬるい考えかもしれないが、禁止すべきではないだろうか。

【参照】
「その1」「その2」「その3」
コメント (13)
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世界柔道2013 その3「3日連続ならず?(ちょっと残念?)」(第3日)

2013-08-30 20:25:44 | スポーツ
「その1」「その2」の続きです。(世界柔道に関しては、全く欠く予定がなかったのですが…)

 3日連続にならず、少し残念。
 いえ、3日連続、男子は金メダル、しかも、その内容も素晴らしかった。
 では、何が残念かというと、この3日目も男子決勝の試合中に、番組の放送終了時間が迫っていた。前の2日間より若干進行が早かったが、このままいくと、試合終了前に放送時刻終了時刻になってしまう可能性が高かった
 ところが、幸いにも、大野将平選手が鮮やかに一本を取り、無事、放送枠に収まってしまった。個人的には、前の2日間と同じような状況となった場合、フジテレビがどういう対応を取るか、非常に興味があったので、少し残念だった。

 それはともかく、大野選手は素晴らしかった。反則(警告勝ち)を含めてオール一本勝ち。しかも、その技のキレが見事!
 対戦相手も強力メンバーで、2回戦2008年北京五輪銀メダル、09年世界柔道金メダル、10年世界柔道銅メダルの優勝候補ワン・キチュン(韓国)に、ほとんど何もさせず、指導4回で反則勝ち。3回戦はスコウロウモニウスに一本勝ち。4回戦ロンドン五輪・66kg級銀メダリストウングヴァリ(ハンガリー)にも指導4回の反則勝ち。
 準々決勝は、2011、12年の世界柔道銀メダリストエルモント(オランダ)。この試合は、大苦戦。残り40秒で有効を取り延長戦に持ち込んだ。延長戦では、相手の息が上がっており、渾身の力を込めて掛けてきた技を返して、見事に一本(この技の切れも素晴らしかった)。
 準決勝は、2009世界柔道銅メダリストファンティシェル(ベルギー)。1分弱で、大外刈り一本で畳に叩きつけ、快勝。
 決勝は、ロンドン五輪銅メダリストルグラン(フランス)。先述したように、見事な内股。教科書に、あるいは、技の模範演技のビデオに残しておきたいような見事な技の切れだった。
 この73kg級で強いと思った選手は、サィンジャルガル(モンゴル)。2011年世界柔道、2012年ロンドン五輪銅メダリストで、階級が違うんじゃないかという体格で、上半身の力は凄そう。ただ、技が強引で、それが裏目に出て、準決勝、3位決定戦で不覚を取っていた。
 大野×サィンジャルガルの決勝戦を観たかった気もする。

 女子53kg級は、山本杏選手が出場したが、準々決勝でパビアに敗れ、敗者戦を勝ち3位決定戦に進出したが、ベアエティ(スロベニア)に敗れた。
 山本選手(19歳)は、2009年講道館杯52kg級で、一般選手を次々に破り、中学3年で3位入賞するなど、ジュニア時代からジュニアの枠を超えて活躍してきた逸材。
 敗れた2戦を見る限り、試合に覇気が感じられない。特に、全く意味のない巴投げが目立つ。「掛け逃げ」の印象が強く、試合の流れも自ら手放してしまうように感じる。
 中学時代から、周囲の期待を感じている分、重圧も大きいのかもしれない。
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世界柔道2013 その2「まさかの…」(第2日)

2013-08-28 16:58:26 | スポーツ
「世界柔道2013 ~この中継も酷いなあ~」の続きです。
まさか、「その2」を書くことになることになろうとは………


Ⅰ 学習能力なし、視聴者無視のフジテレビ/スポーツ中継
 某巨大掲示板で、激しくフジテレビが叩かれているが、流石にひどい。前日でも相当不評を買ったと思うが、今朝のはさらに酷かったようだ。
 私も、録画したものを番組終了で中断したところまでしか見ていないので、間接的にしか事態を把握していない。(『めざましテレビ』も録画しようと思ったが、まさか二日連続、同じ事態になるとは思わなかった。心の底では≪再現されるのでは?≫とよぎったが、今回の世界柔道にはそれほど興味がなかった)
 なので、某掲示板以外の記事を引用。引用元は『東スポWeb』の記事

【以下引用】
<世界柔道>フジテレビ連日の失態 生放送中断中に「逆転金メダル」東スポWeb 8月28日(水)10時37分配信

 フジテレビが連日の失態だ。柔道の世界選手権2日目(27日=日本時間28日、マラカナジーニョ体育館)、男子66キロ級はロンドン五輪銅メダルの海老沼匡(23=パーク24)がオール一本勝ちで連覇を飾った。

 しかし、前日の高藤の決勝戦に続き、またも決勝戦の最中に地上波生中継の番組が終了。海老沼が左ヒジを痛めてピンチに陥った状態で中継が切れてしまい「めざましテレビ」内で中継が再開された時には、すでに決着がついていた。海老沼の起死回生の大内刈りのシーンはVTRでの映像。歓喜の瞬間を生で流せなかった不手際は、今後物議を醸しそうだ。
【引用 終】


 スポンサーのCMを蔑ろにできないのは分かるが、フジテレビのお粗末さを感じたのは、本放送『世界柔道』が終了してすぐ『めざましテレビ』が始まり、その後、試合途中にもかかわらずCM挿入。CM明けに結果を知らせVTRを流した(らしい)こと。 本放送のスポンサーのCMが残っていてそれを流したのなら理解できるが、「めざましテレビ」が始まり、柔道中継を引き継いだのなら、あのタイミングでCMを挿入する必要はない。
 そもそも、放送枠を延長せず『めざましテレビ』の中で知らせるという体制に『めざましテレビ』>『世界柔道』の力関係を感じる。
 両番組でどのような引き継ぎの打ち合わせをしていたかは不明だが、『めざましテレビ』側は、「柔道中継を番組に割り込んでくる厄介者」ぐらいにしか考えてなかったのかもしれない。
 前記事で述べた「日本選手の奮闘ぶりだけを伝えたくて、世界の柔道を全く伝えようとは思っていない」中継スタッフも残念だが、テレビ局そのものが視聴者の気持ちを全く考えていないということを露見させた二日連続の失態だった。


Ⅱ 反則を見逃した審判の無能さ
 立った姿勢から相手の肘を決め、体重を掛けてその肘を痛めつける反則技。相手を倒す武術としてなら、立派な必殺技であるが、スポーツとして見るなら、相手を壊すだけの技で、掛けるのは容易、防ぐのは困難な悪質な反則技である(寝技で行う脇固めは認められている)。
 過去にも、この技で痛められ、苦境に立たされた日本選手は多い。(特に、ある国の選手が多く行っていたように思うが、確証がないのでここでは言及しません)

 この危険な技を、世界選手権の決勝で放置するとは信じられない審判団の無能さ。しっかり処罰などの対応を取らないと、今後も同じような事件が起こってしまう。
 海老沼選手の歪んだ表情から激痛がうかがえるが、それでも、一本勝ちしたとは、驚き、感動、賞賛である。
 午後6時からのBS中継(録画)を是非、観なければ。

Ⅲ 素敵なブラジルの女子選手
 女子52kg級決勝は、橋本優貴選手を準決勝で破った世界ランク1位マイリンダ・ケルメンディ選手(コソボ)と世界ランク6位エリカ・ミランダ選手(ブラジル)の顔合わせとなった。
 試合は残り1分20秒、ケルメンディが内股の技ありを取り、そのまま抑え込みの合わせ一本で勝ち、頂点に立った。
 試合終了の礼の時、気落ちした様子のミランダであったが、ケルメンディを讃え抱きしめ、その後、ケルメンディの右腕を取り、「あなたがチャンピオンよ」という風にその手を高々と掲げたのだ。素晴らしい!

 この決勝戦も、残り2分30秒からの中継しかなかった。
 どうしようもない、フジテレビのスポーツ中継である。
コメント (3)
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世界柔道2013 ~この中継も酷いなあ~【追記あり】(第1日)

2013-08-27 18:00:26 | スポーツ
 柔道の素人の私が言うのも何だが、柔道って投げ技だけでいいのでは?と思ってしまう。
 もともとは武術、相手を倒すのが目的なので、抑え込み技、絞め技、関節技も含めて柔道なのだろう。
 しかし、ロンドン五輪後、ルールが大幅に改正され、その改正点の一つに、下半身に手を掛けての攻撃・防御が一切禁じられ、即反則負けとなった(連続技、返し技の中でも禁止)。
 柔道とはかけ離れた、投げ技とは言えない技(タックルなど)の禁止(タックルの禁止は2010年から)という意義は大きいが、防御する際、つい下半身に手を掛けて防いでしまい反則負けとなる悲劇も出てきている。まあ、これは、ルールに慣れるにつれ減ってくるとは思う。
 その他の大きなルール改正点は、指導(反則)より技の重視。指導をポイントとしては数えず警告扱い。つまり、4回の指導で反則負けとなるが、3回以内なら技のポイントをリードしていた方が勝ちとなる。(技のポイントが同じ場合は、指導の数が決め手となる)今回の改正で、最も評価される点であろう。
 以前は、指導1回で「有効」、2回で「技あり」、3回で「一本」扱いとなっていた(指導の前に「教育的指導」があったかもしれない)。なので、「有効2回」より「指導2回」の方が価値がある。それどころか、有効5本取っても指導2回の方が価値が高いという矛盾があった。

 さて、今朝(昨晩深夜~未明)の初日は、48kg級浅見八瑠奈が登場、無難に決勝に進んだ。しかし、決勝でモンゴルのムンフバトに立ち技から移行した腕ひしぎ十字固めを決められ敗れた。
 投げる意志は全くなく、初めから関節技を狙っていた。男子もモンゴル選手が決勝に進出しており、決め技狙いの傾向があった。
 ルールの中で戦うのだから文句は言えない。ただ、下半身に手を掛けることを禁止するのが「投げる柔道」を求めてのものなら、それとは離れた流れの技を認めるのはどうなのだろう。
 この際、投げ技だけにした方がすっきりして面白いんだけどなあ。

 準決勝で浅見に敗れたバンスニック(ベルギー)は、技の判定に不服だったのか、敗れた結果に不満足だったのか、試合後の礼が両手を腰に当てての礼であった。外国の選手で「礼」を重んじる選手は少なく、試合後に勝った相手を讃えることもあまり見かけない。握手も形式的なものが多い。
 この点日本選手の態度は素晴らしい。無念さいっぱいの浅見も、相手を讃え、悔しさを内に秘めて試合場を後にした。

 48kg級と言えば、谷亮子の存在故、五輪代表になれなかった福見友子。谷引退後のロンドン五輪代表争いでは、その直近では含みを凌ぐ実績を持っていた浅見が、福見との直接対決前に敗れ去ってしまうという悲劇と呼んでも良い無念さを味わっている。
 その浅見は先のこと(リオデジャネイロ五輪)を考えずに世界選手権3連覇に臨んだ大会だっただけに、その悔しさは計り知れない。

 さて、本題に入ります。
 中継はフジテレビ。早朝というよりは未明の衛星生中継はいいのだが、その内容は散々なものだった。
 中継が始まったのは午前3時55分。準決勝が始まる少し前を見計らっての時間設定だったのだろう。期待通り、浅見も男子60kg級の高藤直寿も準決勝へ勝ち進んでいて、準決勝前の敗者復活戦の最中に、勝ち上がりの様子やルール改正の説明や両選手の紹介VTRが流され、気分も盛り上がる。
 そして、準決勝が女子から2試合同時に行われ、その後男子の準決勝も2試合同時に行われ、浅見、高藤も見事に勝ち上がった。
 ここまでは良かった(その階級の五輪の結果や今大会の有力選手などの紹介がないのは残念)……
 問題は、準決勝が終了してから。それが放送開始46分後。CMが2分30秒挿入され、決勝を前にスタンバイする浅見の姿と準決勝ハイライト映像を合わせて1分間映して、またCMを2分間。CM明けに準決勝を再び流し(8分間)、CM(1分30秒)。決勝を前にスタンバイする浅見の姿を40秒。さらにCM30秒。
 CM明けに、試合場入口で並んで出番待ちをする決勝進出のふたりを映し、その後、ムンフバトの準決勝で有効を奪ったシーンを10秒ほど流し、あとはスタンバイする二人の姿を延々と流すばかり。この間、20秒ほど大会前に決意を語る浅見のインタビューを流すだけ。
 延々と時間を繋ぐ実況と解説の福見氏はたいしたものだが、どうせなら、3位決定戦やもう一つの準決勝の試合をきっちり見せてほしかった。ムンフバトが準決勝で破ったメネゼス(ブラジル)はロンドン五輪金メダリストであったので、尚更、そう感じる。
 準決勝終了後、CMを含めると約22分、無意味な映像を流したことになる。その後、3位決定戦の終了間際(残り5秒)から試合が映り、残り0秒、メレゼスがキム・ソルミ(北朝鮮)から一本を取り銅メダルを決めた。3位決定戦はこのシーンのみ。
 この3位決定戦の技が決まった瞬間のスロービデオのあと、更に、1分30秒後、ようやく、両選手が入場。
 男子の決勝前も、ほぼこのパターンだった。

 『世界柔道2013』と銘打っているものの、世界の柔道を伝える意志は全くなく、『日本選手、奮戦レポート』とタイトルを付けた方が良い。



 さらに、インタビューも酷かった

「銀メダルという結果になりましたけれども、今のお気持ちを」
「………………………………………………う~ん悔しいです」
「今日はですね、まあ終始、集中して、日本の先陣を切るんだという責任感のもとに闘っていらっしゃったと印象を受けますが」
「そうですね、あの~、優勝して次につなげたかったんですけど、本当にこのような形になってしまって……………ほんとに悔しいです」
「振り返ってみて、決勝戦、どのような形で関節技が入ったということは記憶にございますか?」
「そうですね、相手があの……たぶんあれは狙っていたと思うんですけど、腕を、あの…立ち技からもうそのまま、関節に来ようとしていたと思います」
「え、今、ひじの方は大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「さて、まだ、世界選手権、毎年、そして、オリンピックの道というものもあります。今、現時点で、いかがでしょう、今のお考えをお聞かせください」
「そうですね…うぅん……ちょっと先のことは分かんないんですけど、悔しいという気持ちは、ほんとに強いです」
「その悔しさをバネに是非、このあとも…」
「…ありがとうございます。がんばります」
「これからもがんばってください」
「ありがとうございます」
「お疲れ様でした。浅見選手でした」

 インタビュアーはきっと優しい人なんでしょう。その気持ちと、インタビュアーとしての使命感が、「今のお気持ちを」とか「このあとも…」という問い掛けのような中途半端なものにさせたのだろう。
 浅見の気持ちへの気遣いや、これからも続けて頑張ってほしいという気持ちは見えるのだが、もう少し、浅見が答えやすい質問を用意して欲しかった。


 さらに、この中継には、強烈なオチがついていて、男子決勝途中残り3分のところで、放送時間終了時刻となり、「この結果は『めざましテレビ』の中でお伝えします」と言って、放送終了。

 私は録画したものを観たので、この後の『めざましテレビ』でどのように中継されたのかはわかりません。CMが挿入されて、『めざましテレビ』が始まる前に試合は終わったのでしょうか?それとも、すぐ中継を引き継いで無事中継できたのでしょうか?

【追記】
 女子52kg級、橋本優貴は準決勝で世界ランク1位ケルメンディに指導の数1-2で敗れた。お互い技のポイントはなかった。
 技のポイントなし、つまり、「投げられていないのに負け」、「投げていないのに勝ち」というのには違和感を感じる。技のポイントがない場合は、延長戦にしてもいいと思う。
 この考えには、「技のポイントがある場合、その内容が同じなのに、指導の数で勝敗を決めるのはおかしい」という反論が成り立つ。
 が、やはり、「投げていないのに勝ち」という違和感はポイントありで同ポイントの場合より違和感は大きい。
コメント (4)
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『八重の桜』 第34話 「帰ってきた男」

2013-08-26 21:02:28 | ドラマ・映画
 先週は、≪感動したけれど記事を書く段になって、いろいろ引っかかりを感じた≫が、今週は、≪さしたる感動はなかったと思ったが、記事を書くときになって、面白いシーンがいろいろあったなあ≫と逆の印象である。

今回のテーマは
八重とキリスト教の出会い八重と新島襄との出会いである。

★八重とキリスト教の出会い
 会津で育った八重の信条とは反対(に思える)のキリスト教の教えを、まったく理解できない八重。ただ、理解できないとはいえ、それを受け付けず排除しようとしないのは八重らしい(ヒロインらしい)気もするし、違和感も感じるところだ。
 八重らしいと感じる因は、着物姿にアンバランスな靴を履いている八重。これには、未知のモノでも、それが便利ならば取り入れようとする革新的な思考を感じ、未知な教えでも理解しようと試みる八重らしい姿勢とも考えられる。
 一方、会津の「什の掟」に基づく「ならぬものはならぬ」「強くあれ」という強い正義感を持ち、さらに、義を尽くしたにもかかわらず逆賊とされた理不尽な仕打ちや会津戦争で多くのものを失った恨みを抱えていた八重が、それを捨てろというキリスト教に嫌悪感を持たないのは不自然のようにも感じた。


「悲しむ人は幸いなり。その人は慰められであろう」
 八重…悲しむ人がなぜ幸せなの?悲しいことなんか、ない方がいいの決まっている。(私もそう思う)
「右の頬を殴られたら、左の頬も出せ」
 八重…やられっぱなしでいんのは卑怯者か臆病者だけで、武士のすっことではねえ。
「敵を憎むな。敵のために祈れ」
 八重…殴ってきた相手を憎まない人間がこの世にいんべえか?

 八重は、キリスト教を学ばせる兄・覚馬の意図が分からない。(覚馬は、会津戦争で八重が負った心の傷や怨念から解放させるのに、キリスト教が手助けになるのではと考えた)

★八重と新島襄の出会い
 八重がヒロインなので、上記のような書き方をしたが、今話の内容だと「新島襄の八重との出会い」の方が妥当かもしれない。

新島襄の求める女性像(伴侶像)
「顔にはこだわりません。ただ、東を向いていろ、と言われたら三年でも東を向いているような、そんな婦人は、御免なんです。
 学問があって、自分の考えをはっきりと述べる人がいい。
宣教師は、いつ、どこで命を落とすかわかりませんから。一人で生きていけなければ困ります。
 私の仕事を理解し、もし私に過ちがある時は、教え、導いてくれるような人。
 私はそういう人と、暖かいホームを築きたい」


 『東を向いていろ、と言われたら三年でも東を向いているような』という言葉に覚馬は反応。
 この言葉を聞いた槇村は「そげな怖ろしげな女子、ワシは大の苦手じゃがの……≪!≫…待てよ、ワシの苦手な女子と言えばぁ……Ω☆Ψ!」
 覚馬も八重を想いだしたと思うが、襄だけは何の事だかわからず、妙な顔。
 豪放な槇村が八重を苦手に思うのも面白く、襄と槇村の女性観が反対で、それ故、槇村が八重を思い当たるという流れは絶妙である。
 しかし、「三年でも東を向いているような女子」という比喩が、ぴったり覚馬の元妻・うらの比喩と一致するのは、少し安直に感じた。

 また、この会話の直前、京都にキリスト教系の学校を作る了承を取るのに、覚馬が「大阪の知事は断った」と吹き込み、槇村の対抗心をくすぐったのは巧妙。


「川崎八重です」
 この言葉に脚本の妙を感じる。
 川崎姓を名乗り、八重の≪自分はまだ庄之助の妻≫であるという気持ちを表現し、同時に襄には八重が目当ての覚馬の妹であることを気づかせない。という二重の意味を一言で表している。

 今話では、八重にとっては、≪襄は変わった人だなあ≫という印象を持っただけだが、襄は井戸に腰かけおどけるお転婆ぶりと、八重の背負った過去を知り、見初めてしまったようだ。覚えたばかりの讃美歌を歌い襄を励ます八重の柔軟な強さを感じたとはいえ、少し、惚れっぽすぎ。


☆もう一人の帰ってきた男
 アメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきた。
 健次郎と山川浩(大蔵)、二葉、そして佐川官兵衛が視聴者に近況報告をする。
 それにしても、懐かしいなあ、官兵衛。分からないのに「えーる大学かあ」と感心するのが微笑ましい。


☆ちょっとびっくり!、完全に忘れていたぞ!
 象山先生の蘭学所での豚乱入騒動、そんな事件があったなあ。事件を覚えていれば、あの少年が襄で、運命の再会という感慨が強いのだが、豚騒動を完全に忘れていたので、≪ああ、遠い昔にそんなこともあった!≫という驚きの方が強かった。
 それに、向学心にあふれた覚馬や尚之助、さわやかな隆盛……懐かしいなあ。


 そう言えば、木戸孝允に病気の兆候が……


【ストーリー】番組サイトより
 1875(明治8)年、アメリカ留学から新島襄(オダギリジョー)が帰国。覚馬(西島秀俊)や槇村正直(嶋政宏)の援助を受け、京都に英学校をつくるため動き出す。
 そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。ある日、宣教師の家を訪れていた八重は、偶然襄と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に、戸惑う八重。
 一方、会津戦争後にアメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきていた。
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2013世界陸上 その3「解説者を解説?」

2013-08-25 15:06:33 | スポーツ
 最近、「世界陸上 解説者」というようなキーワードで訪れて下さる方が多いようです。世界陸上の解説者に不満を感じる人が多いということなのでしょうか?
 数日前、2013世界陸上 その2「やっぱりTBS……残念な中継、解説者、インタビュアー」【誤リンク、修正】で、中継全般に対する不満を書きましたが、取り急ぎ書いたという性質の記事で、補足しなければならないと思っていました(書き足りない?)。既に世界陸上は終了してしまいましたが、「解説者」の検索が多いという後押しもあるようなので、書くことにします。

増田明美氏
 (これまで何回か、氏について語っているが)氏の情報収集力は凄いと思うが、解説よりもそれを語るのが主と言うかほとんどで、解説者よりレポーターと呼ぶべきであろう。
 今大会でも、ある種目のラスト1周に入るところで、アナウンサーが有力選手の状況分析を求めたのに対して「彼女は、手話がとっても上手なんですよ」と解説?していた。

朝原宣治氏
 朝原氏についても、「その2」などで述べているので、簡単に。
 氏はレースが始まると、解説者から観客に変質してしまう。日本選手や有力選手に肩入れし、その周辺だけを注視してしまうので、着順判定が甘い(注目した選手から離れたレーンの選手が見えていない)。

為末大氏
 山縣選手へのインタビューでは失敗してしまったが、氏の競技技術、学術的裏付け、経験、知識などを基にした解説は説得力がある。また、競技者と視聴者両方の視線による多角的解説は、面白く分かりやすい。

高橋尚子氏
 為末氏同様、技術、選手事情に通じ、マルチな解説ができる。今回、女子10,000mで増田明美氏との解説の質の違いを感じさせた。
 話術にも長けるのでレポーターやインタビュアーとしても重宝されるが、それが仇となり、増田氏を追いやることができないのが皮肉。

金哲彦氏
 早稲田大学で当時「山登りの木下」と名を馳せた(大学時代は「木下」姓を名乗る)。59回~62回(1983~1986年)の4年間、5区を任され、区間2位、2位、1位、1位と抜群の成績を残している。在籍中のチーム成績も2位、優勝、優勝、2位と好成績。なお、4年の準優勝に終わった時優勝したのが順天堂大学で、順天堂はこの年から4連覇を成し遂げている。(主力メンバーは工藤康弘氏、倉林俊彰氏、仲村明氏、山田和人氏)
 同時期のランナーとしては、同大学の先輩に坂口泰氏(57回~60回)、遠藤司氏(58回~61回)がおり、駒澤大学の大八木弘明氏(現駒澤大学陸上競技部監督)も同時期に活躍している(氏は家庭の都合で大学進学は24歳)。
 箱根5区の山登りのスペシャリストと言えば、柏原竜二選手(東洋大学)、今井正人選手(順天堂大学)が記憶に新しいが、特殊な区間なので4年連続で任されるスペシャリストは多い。柏原、今井、金(木下)氏の他にも、奈良修氏(大東文化大学)大久保初男氏(大東文化大学)の名も挙げておきたい。
 一般的知名度ゆえか、マラソン中継では第2、第3放送車に回されることが多く出番は少ないが、トップ選手との差を常に把握し、ランナーのフォームの変化を機敏に感じ、的確な解説をする。もっと評価され、メインの解説者として活躍していただきたい人物だ。

苅部俊二氏
 元400mハードル日本記録保持者。斎藤嘉彦氏、山崎一彦氏と切磋琢磨し日本を世界レベルまで押し上げ、為末が世界で戦う土台をつくった。400mも45秒57と速く、1600mリレーでも活躍した。
 氏は400mH出身なので、トラック全体を見渡しレース状況(誰がリードしているか)を把握するのに長けている。
 その判断を瞬時に言葉にする。「7コースの○○が飛ばしています」「3コースの○○も追い上げてますよ」と。そして、その言葉は、ほぼ的確である。
 しかし、その言葉は歯切れが悪く、語尾もはっきりしないので、つぶやいているようにしか聞こえない以前はもう少しはっきりしていたと思うが、≪歯でも痛いんじゃないだろうか?≫と心配になるほどであった。

小山裕三氏
 元砲丸投日本記録保持者。投てき種目解説者。
 腰の捻り、肩の入れ方、助走のスピード、回転のブレ、投てきの角度などを瞬時に判定出来る目を持つ。
厳しい基準で判断し、まずい要素に目が向いてしまい、その投てきに対する評価は辛い傾向がある。なので、長所が短所を上回る投てきをしても、ダメダメな言葉を発してしまうことも多く、それをまともに受けた実況が、氏の評価と全然違う大投てきの記録を見て、混乱し言葉を失う場面をときどき見かける。今大会、その傾向が強かったように思う。
 今回のモスクワ大会で、大失敗と言って良い解説(競技の展望)は、女子ハンマー投げ予選だった。
 氏は世界記録保持者のベティー・ハイドラー選手の優位は動かないと断言し、2011年の世界陸上と去年のロンドン五輪で金メダルを獲得したタチアナ・リセンコ選手も有力ではないかというアナウンサーの問いに鼻で笑うように(私はそう聞こえた)「彼女がそれだけの投てきができるか疑問である」という主旨の答をしていたが、逆にハイドラーが全く精彩を欠いた投てきをし、予選通過に遠く及ばず予選落ち。
 決勝は、リセンコがロンドン五輪銀メダリストのウォダルチク(ポーランド)に4投目で再逆転し、優勝した。
 小山氏の名誉挽回の例を一つ。男子やり投げ決勝で、有力選手のひとり、トルキルドセン選手の一投目を見て、「彼の欠点が出てしまった投げで、これを修正できないとメダルは厳しい」という主旨の解説をしていた。その言葉通り、トルキルドセンは7位に終わっている。

石塚浩氏
 跳躍種目解説者。
 小山氏同様、踏切りのタイミングや角度、助走のスピードなど瞬時に判断評価できる目を持っている。
 私が、高跳びが好きなせいかもしれないが、跳躍後の氏の解説を聞き納得することが多い。ロングジャンプ系(走り幅跳び、三段跳び)よりも、ハイジャンプ系(高跳び、棒高跳び)の解説の方が得意のような気がするが、専門種目が何かはネットで検索しても分からなかった。

柳澤哲氏
 競歩解説者。氏の解説については、『陸上 : スポーツ見るもの語る者~フモフモコラム』の「陸上新名言:「メダルは確実。問題は色。非公式の世界記録も持っている」(ポジティブ競歩解説者・柳澤哲氏)」が素晴らしいので是非、一読ください。
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真夏の夜の夢

2013-08-22 20:52:18 | 歳時

 「暑い」という言葉では、とても表現が足りないほど、暑い夏です。
 上の写真は8月19日のもので、この日は珍しく、空が青く夏の代名詞の入道雲も見事に発達しました。本来、夏は水蒸気が多いのですが、今年の夏はことさら水蒸気多く(塵や埃が多いのかもしれません)、空が白っぽく、ムッとする暑さです。
 そんな暑さには、いちごも踊るしかないようです。




 フィルターを使って太陽を撮りました……というのは嘘で、月の夜空です。
  暑いので、いちごの散歩は日中を避け、夜2回しています。日中の熱気も残っていて、7時ごろでも31℃~34℃ぐらいあり、相当暑いです。ただ、日差しがない分、楽です。そう言えば、夏至の頃より30分ほど日が沈むのが早くなりましたね。

 「お任せモード」「フラッシュ禁止」で撮っています。
 詳しいことは分かりませんが、フラッシュ禁止なので、シャッター速度を遅くして光量を集めるのでしょう。そのため、肉眼より明るい画像になるようです。

 明るく光っているのは普通の街灯です。テニスコートを照らす照明のような明るさに見えますが、科学の力で明るく写せます。しかも、撮る本人は、明るさ・絞り・シャッタースピードなど全く考える必要はありません。さすが、「細かい調整はカメラがするだけで、あんたはシャッターを押すだけでいいよモード」です。
 普通の夜の道なのですが、良い雰囲気の画になっていますね。ちょっとうれしくなって、あれこれ、撮りました。ただ、「フラッシュなし」なので、手振れがもろに画に現れてしまうのが欠点ですが、この件は後ほど。



 ん?これは何かな……街灯から少し遠いので、少し暗いです。
 画像編集ソフトで、補正すると………


 何しろ、暗いのでピントが合っていません。お許しを。


 これはマツヨイグサです。8時30分頃のモノで、分かりにくいと思いますが、まだ咲いてません。まさに「待宵草」です。(「メマツヨイグサ【8月2日撮影】(2012年9月10日記事)参照)


 10時40分頃、花が開いていました。


 手振れが酷いですね。
 でも、何やら幻想的なので、アップしちゃいます。



 フラッシュを焚けば画像のブレは解消できますが、夜遅くに「ピカ、ピカ」「パシャ、パシャ」は、何かとまずいでしょう。
 私が普段、日中に観るマツヨイグサと違い、花弁が全開です。以前の記事で、花のひらき方を種類判別の基準としましたが、この様子を見ると、自信がなくなりました。


 百合も咲いていました。日中に見かける百合は、暑さの中、凜と咲いている強さを感じますが、夜の百合は、妖艶な雰囲気がありますね。

 
 翌日(今日)の正午のものです。
 マツヨイグサは、すっかり閉じています。本当は、午前中の様子も撮りたかったのですが…。
 百合は、やはり凛としています。
 昨夜の風景は、夢のように感じました。

【追加写真】
更に翌日、今日(23日)午前9時ごろのマツヨイグサです。まだ、若干開いています。

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よく分からない石橋女流棋士の処遇 その1

2013-08-21 19:53:27 | 将棋
 石橋女流の対局放棄騒動が勃発してから半年以上が過ぎた。LPSAが謝罪し、渡部愛さんの女流3級が認められ、将棋連盟とLPSA間の雪解けの気配が感じられるようになった。
【ブログ内、関連記事】
『残念な対局放棄』(2013年1月31日記事)
『LPSA声明「日本将棋連盟による女流棋戦からの排除行為について」について』(2013年5月17日記事)
『LPSA、ようやく謝罪したが……』(2013年6月23日記事)

 とは言え、LPSAの謝罪表明「株式会社マイナビ様への謝罪」は、その表題を見ても明らかのように、マイナビに対してのみの謝罪であり、その内容も、対局放棄に及んだことの言い訳最低限の謝罪としか感じられないものだった。

【引用】
「この判断と行動(対局放棄など)については、拙速かつ一方的であった、現段階において結果として間違っていたものと考えるに至り、今ここに「契約違反があった」という弊協会としての主張は取り下げさせていただきます。
 これに起因した一連の記者会見や、1月30日の準決勝対局の放棄、適切ではなかった書面の送付かつ公開など、長年将棋界を支援して下さってきた株式会社マイナビ様への礼を失した対応により、多大なご迷惑と不快の念を与えましたことを、謹んでお詫び申し上げます。」
【引用 終】

 この記事以後、LPSAの動きを注視したが、表に現れる将棋連盟の謝罪、また、将棋ファンへの説明はなかった
 動きがあったのは、7月12日。連盟が「LPSA、渡部愛さんへの対応について」を公表した。
 特例として渡部さんの女流3級を認め、女流棋士3級の資格を得る条件として現状の研修会C1クラス到達のほか、女流プロ公式戦でアマチュアが規定の成績をおさめた場合にもその資格を認めることを検討していることを表明した。
 また、これに加え、「連盟が2月22日記者会見で発表した『連盟は、石橋幸緒女流四段を、連盟の主催する棋戦における出場者として一切の推薦をしない』の項目に関して、発表通り1年間の処分を継続なお、対局放棄の再発防止策を講じないなど、今回の件に対し、日本女子プロ将棋協会の誠意ある行動が認められない場合、さらなる期間延長をする」と明示した。

 これに呼応してLPSAは、7月16日、「ご心配とご迷惑をおかけした皆様へ」(ご報告)を表明。
 しかし、表題の「ご報告」とあるように、
「先般来の一連の事態に対し、長きに渡り将棋界を応援して下さっているファンの皆様、多くのご関係の皆様にご心配をお掛け致しておりますことに、心よりお詫び申し上げます」(引用)
 と、謝罪の文はあるものの、渡部愛さん問題の一応の決着と感謝の意、本人のコメント(謝辞)、さらに、今後のLPSAの決意表明が主たるもので、「対局放棄」の謝罪は全くなかった。

 いかなる理由があろうとも(今回の場合、理由の正当性も怪しい)、その行為が誤ったものであるなら、その謝罪と償いはしなければならない。しかし、LPSAは償いどころか謝罪も行わない。
 普通に考えて、棋士にあるまじき「対局放棄」をしたなら、何らかの処分を下すのが真っ当な組織であろう。さらに、対局放棄に続く記者会見や文書表明など名誉棄損とされても仕方がない行為を行ったことに対する「おとしまえ」も付けていない。
 「対局放棄」に関しては、上記の『連盟は、石橋幸緒女流四段を、連盟の主催する棋戦における出場者として一切の推薦をしない』ことで、決着したと考えているのかもしれないが、それでも、「出場停止」という処分を下すのが組織というものだろう。ましてやLPSAは公益社団法人である。
 結局、「今回の一連の騒動に関して、棋士・石橋幸緒も、組織・LPSAも謝罪・粛清するほどの行為は行っておらず、この騒動によって、渡辺愛さんの女流棋士の身分と、今後の女流棋士の待遇改善を勝ち取ったと考えている」と判断せざるを得ない。


 実は、今回の記事の動機は、将棋連盟の現在の石橋女流の扱いについてですが、ここまでで力尽きてしまったので、例によって「その2」に持ちこさせていただきます。
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『八重の桜』 第33話 「尚之助との再会」

2013-08-19 23:35:30 | ドラマ・映画
 ドラマを視聴直後は、名台詞や名シーンが目白押しと感じる。
 今回の場合、≪八重・覚馬と岩倉具視・木戸孝允の対峙シーンが一押しかな≫と思っていたら、八重と庄之助の別離のシーンが、押しのけて“一押し”の座に就いてしまった。
 しかし、改めてレビューを書く段になると、いろいろ引っかかりを感じてしまう。


 それはさて置き、今回の一押しシーンは

「私の妻は、鉄砲を撃つおなごです。
 私の好きな妻は、夫の前を歩く、凛々しい妻です。
 八重さんの夫になれた事が、私の人生の誇りです。

 もう二度とここに来てはいけません。
 あなたは新しい時を生きる人だ。

 生きなさい(行きなさい)」


「待ってっからし。
 前を歩いて、京都でずっと待ってっから。

 旦那様……」

「それでこそ、八重さんだ」


 自分(尚之助)が、八重の人生の妨げになってはいけない。

 ≪八重が前を歩いて、自分は後ろから見守り、支える≫
 八重と一緒になることを決めた時、尚之助はそうあろうと決めたのだろう。
 八重が後戻りして、自分に尽くすことは、その考えとは逆で、尚之助には耐えられないことであったのだろう。


 再開した尚之助は、寺子屋みたいなことをしている自分を「身の丈に合ったこと」と自嘲し、「八重は新しい時を生きる人間」として「自分はそうではない」と見切ってしまっていた。
 詐欺で訴えられ裁判中の身。藩の為に自ら申し出たとはいえ、藩から見限られ、しかも、その会津藩も存在しない(薩摩も長州もなくなったが)。そんな状況では、尚之助も彼らしくない後ろ向きの思考に傾くのも仕方がないが、彼自身、自分の体がもう長くないと自覚していたのが大きな要因なのだろう。

 庄之助の考えを理解した八重も、尚之助の意志に従う。
 涙の別離で、お互いに分かり合い、愛し合った二人の気持ちを思うと、胸が苦しくなるシーンだった。

 であったのだが……
 考えてみると、この二人の関係は対等ではない。
 先のない、障害となるだけの身上とは言え、『尚之助が八重のために身を引き、八重はその気持ちを汲んで前に進む』というと聞こえが良いが、『八重は尚之助の気持ちに甘えて、窮地の彼を見捨てた』のだ。
 一般のドラマの主人公なら、自分の夢は捨てて(一旦あきらめ)庄之助に尽くすのだろう。しかし、そこは大河ドラマの主人公(史実に反することはできないし)、鬼の選択をする(≪涙でごまかした≫というきもしないではない)。
 これ、この二人の性別が逆ならしっくりくるのかもしれない。私が、このヒロインの選択に引っ掛かりを感じたのは、古い人間だから?
 このシーンは、ヒロインである八重が庄之助と簡単に離縁になったのではなく、深い夫婦愛があったカラカラであることを強調したかったという狙いがあったと推測されるが、今回、無理に鬼の選択をさせなくても、尚之助の死後に、彼の真意を知って悲しむという方が自然だった。

 さらに
 このシーンに至る今回の展開に、脚本の苦心(強引さ)を感じてしまう
 展開は
 槇村正直(嶋政宏)が、業務妨害の容疑で捕まり東京に拘留された。覚馬は、槇村の後見人である木戸孝允(及川光博)にとりなしを頼むため、八重(綾瀬はるか)を連れて東京へ向かう。結局覚馬の申し出は聞き入れられなかったが、時を同じくして起きた政府内の分裂によって槇村は釈放される。(番組サイトのあらすじより)
 であるが、

 八重と覚馬が東京に行って槇村釈放を陳情したことは無意味で、もちろん、人生には無駄な努力や行為は星の数ほどあるので、別に批判される展開ではない。
 だが、今回の上京は、八重と覚馬が岩倉具視・木戸孝允に痛烈な言葉を浴びせる為と、八重と尚之助を第一種接近遭遇(ニアミス状態)させ庄之助の健康状態を視聴者に示唆する為であると思えてならない。


八重岩倉・木戸
「藩を自分たちで壊しておきながら、まだ佐賀だ長州だとこだわられるのは、いささか滑稽。
 権力は政治を動かす道具に過ぎぬ。たかが道具に足を取られて、まともな政ができますか?」(覚馬)
「教えてくなんしょ。あなた方には、いったい、どんな新しい国の姿が見えているのですか?
 誰もが学校に行けて、病院に掛かれて、ドリームが語れる。そんな日本が見たくて、槇村様と兄は働いているのです。槇村様のこと、どうかご再考を」
 言いたいことだけ言って、最後に頭を下げる。うまいなあ。
   

幕府を壊した功労者たちの残念な扱い
 上述したように、八重と覚馬が痛烈に「将来のビジョンを持たず、権力争いに明け暮れている」と批判し、槇村も「命懸けで幕府という錆びついた国を壊しててくれた。だが、壊しただけ」の岩倉具視、大久保利通、板垣退助、木戸孝允。西郷隆盛だけ大人物に描き、彼らを志の低い輩扱い。
 長き徳川幕府と鎖国で遅れていた日本が、必死で西欧列国に追いつこう努力したであろう彼ら、残念な扱いだ。


 更に残念なのは、三条実美
 久々に登場したというのに、板垣退助らに詰め寄られ、仮病でごまかそうとしただけ。しかも、仮病はひと目で見破られ、見限られただけ。(卒倒したのは事実らしい。ただし、自宅で) 

一見、無茶苦茶な槇村正直、大いなる志を持っていたようだが…
『覚馬の発案、槇村の決済、明石が実行、この三人の京都の近代化』
と、持ち上げていたが、槇村が有能な人物に思えない。権力に任せてゴリ押しするだけ。


よく分からない征韓論
・征韓論、それぞれの主張の理屈がわからず、板垣退助・江藤新平と岩倉具視・大久保利通の対立点がはっきりしない
・士族の憤りを治めたい西郷の考えは分かるが、征韓論とその憤りをどう決着したかったのか、大久保の思惑もよく分からない。


 そして、今回、最も疑問に思ったのが、新島襄の演説
 今回、英語教師の「あなたの夢は何ですか?」という問いに「学校をもっと大きくして、もっと学びたい」と答えていて、それは、新島襄が訴えた「苦しんでいる人々や、祖国日本を救うため、学校を作りたい」という思いが一致していた。
 しかし、新島が内乱が起こり日本が喘いでいることを憂い、人々を救いたいという思いに至った人生が語られていない。彼がなぜ密航をしたのかよく分からないし、遠いアメリカに居て、激動の日本をどれだけ知り得たのだろうか?

 八重と庄之助の別離に迂闊にも感動してしまったが、その直後、取って付けたような新島の演説を聞いて私は白けてしまったが、そう思ったのは私だけなのだろうか?
 次回のタイトルは「帰ってきた男」らしいが、「帰ってきた」と言われてもねえ……



【ストーリー】番組サイトより
 覚馬(西島秀俊)の仕える槇村正直(嶋政宏)が、業務妨害の容疑で捕まり東京に拘留された。覚馬は、槇村の後見人である木戸孝允(及川光博)にとりなしを頼むため、八重(綾瀬はるか)を連れて東京へ向かう。結局覚馬の申し出は聞き入れられなかったが、時を同じくして起きた政府内の分裂によって槇村は釈放される。
 その後、勝海舟(生瀬勝久)から尚之助(長谷川博己)の居場所を聞いた八重は、尚之助が住む浅草へ行く。しかし、再会の場にいたのはやつれきってすっかり生気をなくした伴侶の姿だった。尚之助が斗南藩のために罪をかぶったことを知った八重は、夫の力になるべく再び共に暮らしたいと訴えるが、その思いはかなわなかった。
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