△6四玉(変化図4)と拠点の歩を払いつつ上部脱出を図れば、後手有望だったように思うが、実戦は△7八飛(第10図)。
▲9七玉に△5八飛成(目から鱗直前図)と金を取った手が、△9六歩▲同金△8七金▲同玉△6九角▲8六玉△8八竜▲同銀△7六銀引成▲9七玉△9六角成▲9八玉△8七金▲同銀△同成銀までの華麗な詰めろになっている。
「華麗な詰み」ということは、「薄い詰めろ」なので受けが利きそうだが、後手の飛車、銀2枚、桂、香の包囲網は厚く、持ち駒も角金歩と事欠かないので、普通に受けるのは却って一手一手の受けなしになってしまう。
先手としては、理想が「詰めろ逃れの詰めろ」、最低でも攻めながら後手の7三の桂馬を外すなど攻防手が必要だ。
目につくのは、▲3一角△6二玉に▲8二飛。これは詰めろ逃れで、しかも王手の攻防手だ。何か合駒をしてくれれば自玉への攻めの緩和にもなる。
しかし、▲8二飛に△7一玉と強く飛車取りに引かれると、処置に困る。▲5二飛成と金を取れれば話がうまいが、飛車が8筋からそれると先手玉が詰んでしまう。
△7一玉には▲8六香(変化図6)が飛車に紐を付けつつ詰めろを防ぐ手だが
詰めろになっていないので、△7八銀不成や△7八龍で負けそうだ。
羽生三冠の手が止まる。私の読みも上記の▲8二飛△7一玉で止まる………。
5分…10分……。いや待て、▲8二飛ではなく▲8一飛は駄目だろうか。
18分、中継サイトの局面が動いた。▲4二角!
3一から打てるのに、わざわざ取られるところに角を打つ?
ん?△4二同金と角を取ると▲6三飛△5二玉に▲5三香△同金▲同飛成△同玉▲6三金で詰む!
そうか!△4二同金と取られても大丈夫なら、角は3一よりも4二の方が利いている!
▲4二角△6二玉に▲8二飛△7一玉▲8六香と変化図6と同様に進むが、角が4二にいて5一に利いているので、詰めろになっているのである。
詰将棋として出されたら、▲3一角よりは▲4二角の方が目に映るが、実戦だと見えない。
あれだけ変化図6を考えていたのに、≪変化図6で角が4二なら詰むのに≫とは、まったく考えなかった。
それにしても、先の▲4一金と言い、▲4二角と言い、手の性質は違うが、“目から鱗”のような柔軟な発想である。
さて、羽生三冠はこの▲4二角に18分考えている。羽生三冠は▲4二角を発見して勝ちを意識したそうだが、この1手に掛けた18分の間に発見したわけではないだろう。この18分で絞り出した手なら、その前の数手でもっと時間をかけるはずだが、△8七飛の飛車切りに対して5分考えただけである。
なので、飛車を切られたときには▲4二角が見えており、"目から鱗直前図”のように進むのなら大丈夫と呼んでいたと思われる。また、飛車切りによって第11図への進む流れが固まったことからも、具体的に読んだのは飛車を切られたときと考える。
また、▲4一金と打った時には、具体的ではないが▲4二角と近づけて打つ筋を視野に入れていたのではないだろうか。
残り時間が1時間20分あったにもかかわらず、抵抗感のある一段目の金打ちの▲4一金に9分しか考えていない。“常識外れの金打ち”のように感じるが、羽生三冠の感覚では、▲4二角の角打ちの手段も視野にあり、“常識内の一段目への金打ち”なのかもしれない。“普通の手”なのかもしれない。
第12図(▲8六香)以下、△4二金と角を取り▲8一飛成に森内名人の投了となった。
蛇足だが、△7一玉のところで△7二金と打った方が粘れるが、意味がないと考えたのだろう。
この将棋は、苦しい形勢が続き、最後に逆転した。駒損ながら飛車が成り込め、その龍を△3二銀~△3三角と追い返されずに済んだ辺りから、希望が見えてきた。さらに、王手龍取りの筋など攻防が複雑な局面になり羽生三冠得意の展開かと期待が大きくなったものの、▲4二角が見えなかったので、やはり足りなかったのかなあと、思っていた。
▲4二角が放たれてからは、森内名人の時間切迫もあり、終局までは短かったので、投了されても、一瞬、何が起こったのか理解できず、名人復位の実感がわかなかった。
もちろん、その後の2、3日はにやにやしていたのは、言うまでもない。
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