英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

耐えられない手順、悲し過ぎる投了図 【名人戦第5局】

2013-05-31 19:32:55 | 将棋
 負けてしまいました。
 いいところなく、為す術もなく……。


 図の△3七銀は森内名人の新手。その2手前の△6五歩が前例は2局しかなく、それも最初の2局だけで、その後の23局はすべて△2四歩らしい。
 この△6五歩の時点で、森内名人の研究範囲だと推測でき、嫌な予感がした。そして図の新手△3七銀!。前例の2局は△2四銀と△1四銀の受けの手だが、この△3七銀は先手の攻めを真っ向から抑え込もうという手だ。△3七銀と打つ手は他の形ではあり、6五の歩の拠点もあり、良い手のように思えた。


 第1図より飛車が逃げ、銀が成り返り、桂取りを防いで▲1四銀と打った局面。
 この銀で先手の1筋の圧力は増したが、資本を掛け過ぎで▲1五香と走って端を突破できなければおかしい。その上、次に後手から嫌な手が見えると思っていたら……
 
 第2図以下△2五成銀▲同銀△1三桂と進み第3図。

 後手からすると桂銀交換の駒損だが、その損は△6六桂と打てばお釣りが貰えそう。しかも、▲2五同銀と引かされ、1三の歩を支えていた桂も銀の利きがなくなり、△1三桂と拠点の歩を払われてしまった。
 ただ、この端桂は悪形で▲1四歩や▲1四桂と打たれる弱点がある。
 この局面で羽生三冠が封じて1日目が終了。私はこの時点で勝てない気がした。△6六桂が痛すぎて良くなるとは思えない。先手の飛車と角の位置が悪すぎる。
 封じ手の候補は①▲1四銀、②▲3六銀、③▲3四銀が考えられ、①▲1四銀が本命だったが、羽生三冠の封じ手は②▲3六銀だった。結果論かもしれないが、③▲3四銀△同金▲1五香とすすめた方がましだった気がする。


 第4図の▲1四歩は封じ手の意思を継いだ手。1四に歩か桂を打つために3六に銀を引いたのだ。とは言え、後手の8六の歩が先手の喉元に刀を突きつけられているようで、相当な圧迫感だ。それを放置しての▲1四歩の勝負手………だったはず。

 第4図より△2五桂!
 桂を逃げた手だが銀で取られてしまう。一手掛けて取らせるという奇手と言っていいだろう。
 羽生三冠は取らずに▲4五歩。これなら、▲1四歩と指さずに▲4五歩の方が遥かに得。▲4五歩の狙いは▲4四歩△同金▲7一角の筋だが、それを避けて△8五飛(第5図)は気持ちよすぎる(次に△8七歩成がある)。



 泣く泣く▲8八歩と受け、△3七桂成を甘受。


 桂を取るために▲1四歩を打ったはずなのに……。△2五桂と取れと言われたのに取れず……。
 △3七桂成と成り込まれ逆に銀取り………
 銀を取られると4五に飛車を転回されるので▲7七桂と跳ねて飛車を追い▲4四歩と切り込むが、平然と△3六成桂と取られ▲4三歩成に△8七角を決められ△4三飛と結局4筋に転回されてしまった。



 悲し過ぎる投了図。
 先手の拠り所の1三の歩を桂で払われ、その桂を取りに行ったのに成り込まれ銀まで取られる。
 差し違えに行ったはずの4筋をを逆用され飛車を転回されてしまう。
 痛い△6六桂を喫し、8筋も破られた。
 先手は1筋さえも破れなかった……


 シリーズ1勝4敗で、スコアも内容も惨敗。
 羽生三冠の変調もあったが、森内名人の強さが際立った。
 正直、来期の名人戦は「森内×渡辺」戦を観たくなった。

 羽生三冠は残念過ぎる結果だったが、棋聖戦以降の巻き返しを望みたい。
コメント (8)
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歳時メモ ヒメジョオンの季節に

2013-05-31 15:48:23 | 歳時メモ
「歳時メモ」と勝手に銘打っていますが、このカテゴリーの意味は、植物の様子や気候などをメモして、翌年以降に現記事を振り返ると、季節の進み具合が分かりやすいかなと思い、記事にしています。

 フランスギク(マーガレットに似た花)は最盛期をやや過ぎた感じ、その代わり、オオキンケイギクが目立ち始めた。
 そして、ハルジオンに代わり、ヒメジョオンがあちこちで咲き始めた。以前、あちこちに咲くセイタカアワダチソウを揶揄して、「エブリホエア」と名付けたが、「至る所に」という意味では、ヒメジョオンの方が一枚上かもしれない。
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『幽かな彼女』 第8話「いじめスパイラル」

2013-05-30 22:29:52 | ドラマ・映画
「なぜ、そんなこと(いじめ)をするの?」
「おもしれえからに決まってんだろうが!」


・家庭、学校、社会など不満やストレスのはけ口
・いじめられたことへの間接的復讐
・いじめられるより、いじめる方がまし(傍観も含む)


 と、もっともらしいことを挙げたが、私は理解できない。
 いじめられている当人はもちろん辛くて悲しい。傍観するものにとっても≪放ってはおけない、でも、報復が怖い≫というストレスが溜まる。加害者たちもいじめることでストレスが解消されるのだろうか?もしそれでストレスが解消されるというのなら、病院か鑑別所に収容すべきだろう。
 いじめることがストレスの根本的な解消にならないことを自覚しているのなら、加害者側も不毛感を感じてストレス解消どころか増幅してしまうのではないだろうか
(加害者側を擁護しているのではないです)。

「いじめをやめろ」と言うだけでは、ドラマ中でも語られていたが、効果はなく、かえって逆効果なのだろう。やはり、不満(ストレス)の根本的な解決をしないとダメなのだろう。
 親が子どもをよく見て気づくのが一番であるし、当然でもあるのだが、いじめに走ること自体、異常な行為であり、そういう行為をしてしまうように育てたのは親の責任、親が悪いので、そういう親が子どもの異常に気づく訳がない。これも「負のスパイラル」だ。
 となると、どうしようもないということになるが、いじめを傍観しない子どもを育てるようなまともな親の割合が高くなれば、いじめは抑えられるはずである。
 やはり、まず、それぞれの親が、しっかり親の務めを果たすことが第一なのではないだろうか。………と、私(英)はここでハタと考える………≪私はまともな親だったのだろうか?≫と。

 ドラマでよく出てくるいじめが、水をぶっかけられたり、ノートや本や机に落書きされたり、体操服を破かれたりというひどい状況だが、これだと発覚しやすいし、言葉は悪いが証拠も残る。
 実際はもっと水面下で為されているのではないだろうか。メールや言葉による攻撃、ものを隠す、恐喝、そして無視……




『いじめ対策強化月間』
・もし苛めがあっても、対外的には「いじめはない」って言い張れ
  ~「いじめがある」ってなっただけで、指導力不足のマイナス評価されてしまう~
・(マスコミ対応マニュアル)基本「いじめには気がつきませんでした」で通せ
  ~表沙汰になったら、徹底的にしらを切れ~

 教育委員会、最低。

『千穂の体験講座』
・対策はない。何もしない方がいい
・「自分はいじめなんかには気づいていない」という顔をしていればいい
 (千穂は教育委員会の水に合いそうだ)
 「自分はいじめっ子だった経験から言うと」と言っていたが、本当はどうなのだろう?いじめられていたのかも?

『窪内先生の分析』
・大人がどう立ち回っても、子どものいじめはどうにもならない
・いじめっ子は弱虫が多い

ここから、千穂VS窪内の戦いが始まる。(林先生は個人情報流出に関係しているらしいが、もっと裏があると思う)

相田拓途を中心に立ち上がる意思を確認
 岡本香奈、柚木明日香、葉山風、手嶋健太郎、藤田ともみ、藤江俊介、野本香織、石田航、根津亮介が見つめ合い、うなづく。
 ちょっとうれしいシーン。ただ、皆の反応の仕方が微妙、驚いたり(香奈)口ごもったり(明日香)、鞄を肩に掛けて逃げるのかと一瞬思わせたり(健太郎)……大丈夫だよなあ。

アカネの過去、副校長との関係も明らかになる
 熱血で優しい先生。
 当時の茜先生は、芯は同じだと思うが、今の能天気な感じはなく、昭和の女性教諭の感じがプンプン。それに慈愛にあふれた女性だった。自分を刺した男子生徒をも慈しむ……その姿に見惚れてしまった。


「信じます、生徒を…、自分が生徒たちのためにやってきたことを。
 子どもの問題を、大人の手だけでどうにかしようとするのが間違いなんです。
 大事なのは、大人が見守っていることで、子どもの心の中に勇気を生むことじゃあないですか」

「それ(いじめ)は……この教室にいるみんなが一番よく分かっているはずです。
 次は自分がターゲットになるかもしれない。
 自分の安全を確保したくて、他の誰かが嫌な目に合っているのを、それをただ傍観している。
 それも僕はいじめだと思います。そのことを皆さんにも、ちゃんと理解して欲しいんです。
 このクラスで今起きている問題は、ぼくには解決できる力がないかもしれません。
 それでも僕は……皆さんのことを担任として、ちゃんと見ていようと思っていますから


   ……生徒たちが、暁の言葉に勇気づけられていく。


「今日ではっきりわかりました。神山先生って馬鹿なんですね」
「それでいいのだ!」
(実際は「それでいいんです」と言った)


小夜を誘うりさから、拓途、亮介らが立ち向かい、いじめは解決か……それで済まないのはお約束だが……

【今回のしょーもない突っ込み】
 「廊下は走らない!」……うん、当然だ。と言うか、走れないよねぇ


【ストーリー】番組サイトより
20数年前、暁(香取慎吾)の部屋に住んでいた小原南中の生徒は、渡辺という政治家の息子だったとわかった。暁はそれがアカネ(杏)の教え子で、和泉(真矢みき)はその同級生だったのではないかと考え、当時の学校のことを調べ始める。

同じ頃、りさ(山本舞香)と取り巻きグループの女子生徒たちが小夜(森迫永依)に近づき、ほかの生徒との接触を邪魔するかのようにつきまとい始めた。クラスの生徒たちは小夜がイジメられていることに気づくが、巻き込まれるのを恐れ、見て見ぬふりをする。りさは、暁の部屋を訪ねていた小夜と暁の関係を勘ぐり、隠し撮りした写真をネタに小夜を脅迫していたのだった。

亮介(森本慎太郎)から相談を受けた暁は小夜を救う方法を探るが、千穂(前田敦子)は放置すべきだと忠告。大人が下手に動けば事態を悪化させると告げる。その言葉に暁は7年前の失敗を思い出し、何もできなくなってしまう。

放課後、ついに暁が「滝沢茜」の名前を切り出すと、和泉は小原南中の生徒だった27年前のことを打ち明けた。茜は和泉が3年生のときの担任で、やさしい熱血教師だったという。そんな中、暁が「渡辺」の名を口にすると、和泉は「私のせいで、茜先生は命を落としました」と事件のいきさつを告白して…。

その夜、小夜のイジメについて思い悩む暁に、アカネは「大事なのは大人が見ていることで、子どもの心の中に勇気を生むこと」と助言。翌朝、教壇に立った暁はクラスにイジメがあると話し、担任として生徒たちをちゃんと見ていると訴えかける。この言葉に励まされた拓途(神宮寺勇太)らはりさに立ち向かい、小夜を解放する。

一方、学校に来ていたアカネは、突然、事件の夜へと連れ戻される。教室で生徒の渡辺淳也に刺され、倒れた茜の「迎えに行かないと…」という声とともにマンションの部屋に飛ばされたアカネは、うずくまる淳也を「大丈夫」と抱きしめ…。

その頃、千穂は窪内(林泰文)が生徒の個人情報を密かに集めているのを知って疑念を抱き、窪内が引きこもる理科準備室に忍び込むが…。

イジメを邪魔されたりさは激怒。取り巻きのグループと小夜を待ち伏せし、「服を脱げ。動画撮るから」と迫る。矢沢舞(飯豊まりえ)は止めようとするが、かえって逆上したりさに刃物で切りつけられる。

そんな中、アカネの姿がないことに気づく暁。吉岡(佐藤二朗)から、憑代にアカネが繋がっていないと聞かされた暁はがく然となり…。
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将棋(界)、そもそもの問題 ~nanaponさんところのコメントに、思わず「う~ん」~

2013-05-29 22:10:05 | 将棋
懲りずにタイトルにハンドルネームを付けてさせていただいていますが…(笑)

 そのnanaponさんの『即席の足跡』の「電王戦考察」シリーズの「その3」でのコメントで思わず、「う~ん」と唸ってしまう意見がありました。それは「突っ込み」的傾向があるコメントでしたが、揚げ足を取るようなものでもなく、タイトルに挙げた「そもそもの問題」的なもので、「そう言えばそうだな」というような視野を広げるタイプのものでした。
 まず、元記事について要約しないといけませんね(要約は苦手なんですが)。あ、でも、根本的な問題ですので、nanaponさんが論じている(私も電王戦については、nanaponさんと並列するような記事を書いています)問題を知らなくても、差支えないような気もします。

 電王戦でコンピュータソフトに棋士が1勝3敗1引き分けで敗れ、コンピュータ将棋がプロ棋士を凌ぐところまで進化していることを認識したことを受けて、nanaponさんは、《1.このままソフトが強くなっていったら、将棋は大丈夫なの?って心配。》《2.強い将棋ソフトを作るのは何のためなの?っていう疑問。》という論点を中心に述べています。
 2番の「将棋ソフトをつくる意義」について反応される方が多いようで「ソフト開発の基礎力を養うためや探究心のために行っていて、その開発者がその有用性とか正当性を示さねばならないということではないように思う」「開発の意志を止めるのは困難」などの意見が寄せられました。
 これらの意見は、私の予想の範囲内のコメントです。nanaponさんもそれを踏まえて記事を書いています。

 しかし、その次に寄せられた二つのコメントに「う~ん」と唸ってしまったのです。(もちろん、上記の意見ももっともな意見だと思います)

 このコメントが出た背景を説明するのは引用の連続になってしまい、ややこしくなってしまうのでここでは省略します。気になる方は、「電王戦考察・その3」をご覧ください。
 nanaponさんの言葉(一部)だけ引用すると
「莫大な時間も労力もお金も使ったコンピュータに関わるハード、ソフトの開発、技術革新はどこに向かって進もうとしているのか」
「果たして社会のためにどんな役に立とうとしているのか」という疑問。
そして、「将棋の強いソフトを作ることが人類を幸せにすることに直結するのかどうか」

 何か、大仰な文章ですが、これは引用したコメントを受けて述べたもので、nanaponさんの言いたかったことは、その後に続く文章
「もしも研究開発の目的が達成感充足感とか、知的好奇心のレベルであったなら、今後の将棋のまっとうな発展に対して大きな影響力を持ちすぎるのではないか。
 技術の粋を集めて寄ってたかって神様しかわからなかった将棋を丸裸にしてしまう功罪はいかがなものなのか。
 否定するわけではないけど、一抹の不安がうずまく」

だと思います。

 これって、ソフト(プログラム)研究を否定はしていないけれど、批判をしているように解釈できます。
 でも、この気持ち、私も理解できますし、同じような気持ちを持っています。
 今まで積み上げてきた将棋の技術(定跡、大局観など)を、コンピュータによって凌駕されてしまう……nanaponさんが引用されたコメントには「将棋文化の破壊」とありますが、私も感覚的にはそんな印象を持ちます。
 しかも、将棋ソフト開発者の中に、将棋を愛している方は多いと思いますが、研究の動機や目的がプログラムの研究や開発のためや探究心のために開発した結果であるということ。つまり、将棋を極めるのが目的ではなく、プログラムの研究のために将棋文化が破壊されてしまうことに、憤りに近いものを感じてしまうのです。


 さて、問題のコメントですが、まず、
======================================
「果たして社会のためにどんな役に立とうとしているのか、という疑問。」とあるのですが、それをいうなら、まず将棋そのものはどうなんでしょうか?どういう意義があるのでしょうか?
「将棋の強いソフトを作」らなければ、「人類を幸せにすることに直結」するのでしょうか?私は問いの立て方が間違ってると思うのですが。

私を含めて一般人にとっては、プロ棋士が将棋文化を代表しているわけではありません。(手軽な象徴ではありえますが)
自分が将棋を指すのが楽しいから将棋に夢中になっているし、プロ棋士の将棋が素晴らしいから喜んでみています。
パソコンソフトの利便性も楽しさもそれぞれにしっかりと存在していると思います。どれだけ強くなってくれても文句をいう筋合いはありません。
======================================

 確かに「将棋そのものが社会の役に立つのか?」と問われると弱いですね。まあ、文化やスポーツはみなそういう問いには弱いと言えます。
 しかし、音楽は人の心を安らかにしたり、勇気づけたりできますし、スポーツも感動や勇気を与える面は大きいです。その意味では、電王戦第4局の塚田九段に感動された方が多かったというのは皮肉ですね。
 そもそも、もっと地球的視野で見ると、人間活動は地球にとって、他の生物にとって、迷惑この上の無いことだと言えます。しかし、それはまた別の問題ですね。
 ええ、確かに、将棋は社会にとって、取るに足らない存在かもしれません。なので、「将棋文化の破壊」と熱く語るのは奇異に見えるのかもしれませんね。ただ、出しゃばらせていただくと、nanaponさんの記事は、そこが主旨ではありませんと弁明したいです。
 また、「将棋の強いソフトを作」らなければ、「人類を幸せにすることに直結」するのでしょうか?という問いは、nanaponさんの記事の主旨はそうではなく、どちらかと言うと逆の主旨ではないかと思います。

 後半部分にも、刺激を受けます。
 私にとっては、プロ棋士が「将棋文化の代表者」に思えるのですが、確かにそうではないですよね。将棋を指さなくなって久しくなったので、私にとって棋士の存在が大きくなってしまっていました。
 「パソコンソフトの利便性も楽しさもそれぞれにしっかりと存在していると思います。どれだけ強くなってくれても文句をいう筋合いはありません」
 これについては、先に述べたような理不尽さを感じますが、議論した場合、私の方が分が悪いような気がします。
 ただ、棋士や連盟はもっと危機感を持つべきだと思います。(「電王戦考 危機的状況なんだけどなあ」参照)

 もう一つのコメントですが、これは上記の意見を更に発展させています。
======================================
「本来、将棋のルールは誰の所有物でもないにもかかわらず、
どんなに強くても奨励会を出て日本将棋連盟の正会員にならないと棋戦に出場できないとか、
新聞社が主催した棋戦で勝った人をメディアで持ち上げるという
自画自賛的な方法で社会的な権威をつけてあげるとか、
そうやって手に入れた権威でもって段位を高額で売りつけるとか、
そういうアコギな商売を今までやってきた人たちがいるわけです。

つまりなんの独占する権利もないのにも関わらず、政治的な手法で
将棋に関するいろんなものを実質的に独占することで商売しているという
実に不安定なことを今までずうっとやってきた人たちが強いソフトの出現で慌ててるだけだと思います。
個人的には今までそんな怪しげな商売をやってこれたことが奇跡だと思いますが。

結局のところ彼らが本当に心配しているのは自分たちの"仕事と収入"であって
"将棋の伝統"や"社会への貢献"ではないだろう思います。
別にプロの仕事や収入が減っても将棋の伝統はなくなりませんから、誤魔化されちゃいけません。
そもそも"文化"や"伝統"は"既得権益"の親戚みたいなものですから、なんでも残せばよいわけではありません。
個人的にはプロしか参加できない棋戦は"悪い文化"として潰すのがよいと思います。
利権団体"日本将棋連盟"は"悪い伝統"ですから一度解体するのもよいかもしれません。
======================================

 後半部分はともかく
「本来、将棋のルールは誰の所有物でもないにもかかわらず、
どんなに強くても奨励会を出て日本将棋連盟の正会員にならないと棋戦に出場できないとか、
新聞社が主催した棋戦で勝った人をメディアで持ち上げるという
自画自賛的な方法で社会的な権威をつけてあげるとか、
そうやって手に入れた権威でもって段位を高額で売りつけるとか」いう商売


 そうか、確かにそう言えるなあ。
 なぜ、今まで考えなかったのだろう。最近、石橋女流の対局放棄について書いた際に目にした、LPSAの主張とよく似ているのに。

 たぶん、長年そうした制度が行われており、私もそれがそういうものだと思い、その思想が根付いてしまった。それに、奨励会の厳しさ(若年から長年競争し、高い倍率を勝ち抜いてようやく棋士になれる)を知っていたので、それを否定する気にはなれないからであろう。

 さて、こういった排他的独占形態は、他の競技ではどうなのだろう。
 大相撲が最も将棋に近いように思える。新弟子検査があり、十両に昇進して初めて力士と呼ばれる。
 ゴルフも相当近いように思える。アマチュアも予選に参加して出場権を得られるが、プロのライセンスを取らないと賞金は取得できない。
 ただ、スポーツメーカーやゴルフ場と契約でき、そちらの収入もある。(棋士も講演会やイベントや著書で収入を得られる)
 テニスも似ているが、少しオープンのような気がする。
 卓球、バドミントン、陸上競技、水泳は企業やメーカーとの契約の依存度が高そう。
 あとは格闘技・武道、射的系があるが、プロとして成り立っているのはボクシングが代表的。ボクシングにもライセンスがあるが、運営団体はいくつもある状況。世界チャンピオンになれば巨額を得られるが、日本ランカーぐらいでは副業が必要なようだ。

 と、客観的に考えるため、他の個人競技と比べてみたが、他に例があると言って、それが正しいという理屈にはならない。

 お城将棋の家元制の時代、あるいは明治・大正・昭和初期の推挙による名人時代とかなり棋士あり方も変わってきているが、過去から引き継がれているものは無視するわけにもいかない(かもしれない…弱気)。
 しかし、連盟がその既得権に甘えているというのは事実のような気がする。それと、先にも述べたが、奨励会の過酷な制度を考えると、厳しいことも言えない。まあ、私が厳しいことを言っても何の影響もないと思うが。
 私は、気持ち的に連盟、と言うか棋士に近過ぎて客観的にはなれない。どうなんでしょう?

コメント (11)
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『ガリレオ2』 #7「偽装う -よそおう-」

2013-05-28 22:43:27 | ドラマ・映画
烏天狗、壁抜け、コンクリート漬けされた祠、ミイラ、神主の白骨死体
      ………………『TRICK』の世界?
(そう言えば、第1話も)

 烏天狗のミイラや神主の死は関係なかったし、この時代、真剣に「烏天狗が壁抜けする」と主張する警官もないだろう。となれば、警官の合田が犯人か一枚かんでいるのかなあと思ったが、違った。
 結局、遺体発見者である娘・結衣の偽装工作であった。先週の『遺留捜査』も同じパターンであったが、『遺留捜査』の方が面白かった。

 見どころは「ロッキングチェアの力学から他殺の場合は反動で前に放り出され、自殺の場合は銃の発砲と撃たれた衝撃が相殺されて落ちない(座ったまま)」という湯川の考察と「偽装工作の理由が、死亡順による遺産相続の可否」というぐらい。
 あとは、傘を忘れて体が濡れていたということぐらいだけど、ずぶ濡れになるぐらいの雨で傘を忘れるというのはどうも不自然。それに仮説を裏付ける根拠と言い切るほどの根拠ではないと思う。

 その他の面白かったのは、栗林の代行授業に男子生徒3人だけだったことぐらいか。

【あとは不満点とか疑問点ばかり、だらだら書くのも、読んでもらうのも何ですから、例によって箇条書きです】
①かなりの激しい雨だが、影がクッキリできるほどの晴天だった。(皆さん忙しいしロケなので、致し方なし)
②現場の壁に「烏天狗」と書くのは悪乗りしすぎ。母が殺されたのに、ああいう字を書くものなのか?
 筆跡鑑定や筆など余計な偽装の証拠を残すだけだし。素手で筆を持っていたし、素手で鍵を掛けていた。

③遺産相続のためとは言え、偽装工作は義父が母を殺したことを隠ぺいすることになる。「お金のことはどうでも良かった」と言うが、それなら、義父の罪を隠ぺいする方が遺産より重大だと思う。
④義父は自殺するような人物には思えない。この義父が母を殺して自殺というのも無理やりの設定に感じる。
⑤湯川は、帰りがけに玄関に掛けてあった傘の滴が垂れているのを見て真相に気づくが、時間の経過からあの時点でまだ滴が垂れているというのは無理がある。
⑥ロッキングチェアに遺体があることに関する論理自体は、傘の滴を視る前から可能であり、その疑問を放置して帰ろうとするのは湯川らしくない。
⑦湯川たちを事件に巻き込んだ学生・遠野みさきの栗林に対するぞんざいな態度が不愉快。まあ、あまり尊敬できない栗林の人柄ではあるが、尊敬できなくても尊重ぐらいはしてほしい。
⑧母親は義父によって絞殺されたが、義父が銃で自殺した時にはまだ息があった可能性はないのか。犯行の順番は立証できても、死亡の順番までは立証できないのでは。
⑨美砂が湯川の研究室で好き放題していたが、湯川と直接係わることがなかったので、湯川にやり込められたり、振り回されることもなかったので、悪行だけが印象に残ってしまった
⑩湯川は結衣に「気が動転して現場を荒らしてしまった」と言うようにアドバイスしたが、気が動転して『烏天狗』と壁に書くものなのだろうか?


【ストーリー】番組サイトより
湯川学(福山雅治)は、助手の栗林宏美(渡辺いっけい)、湯川ゼミの学生・遠野みさき(逢沢りな)とともに学会に出席する。その帰り道、湯川たちは、みさきに誘われて、彼女の地元にある神社に奉られているという天狗のミイラを見に行くことになった。

だが、一行がその神社――御座位神社に到着すると、みさきの幼なじみだという警察官・合田武彦(渡部豪太)が現れ、捜査協力に対する感謝の言葉を湯川に伝える。実は、御座位神社の神主が、3週間ほど前に烏天狗のミイラが納められている祠をコンクリートで固めてしまったという。烏天狗がミイラを取り返しにくる、という理由からだった。しかし、その神主は2週間前に白骨死体で見つかっていた。地元警察は、神主には心臓の持病があり、度々発作に襲われていたことから事件性はないと判断していた。だが、もし祠にミイラがなければ、神主は烏天狗に殺されたかもしれない、と合田は言うのだ。この話に興味を抱いた湯川は、みさきが予め用意していた機材を使って、祠の中を調べることにする。するとそこに、小島結衣(香椎由宇)という女性がやってくる。結衣も、みさきたちの幼なじみで、死んだ神主と最後に話をした相手でもあった。

同じころ、岸谷美砂(吉高由里子)は、湯川の研究室を訪れていた。湯川が捜査協力などで使った金の領収書に関して、詳しく説明してもらうためだった。湯川が不在だと知った美砂は、ゼミの学生たちに協力を求めた。
そんな折、思わぬ事件が起きる。結衣の両親、太一(中丸新将)と啓子(宮田早苗)が自宅で殺害されたのだ。そして、殺害現場の壁には『烏天狗』という文字が書かれており…。
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『空飛ぶ広報室』 第7話「いざという時そばにいられない男だけどそれでもいいか?」

2013-05-27 10:52:38 | ドラマ・映画
 それぞれのエピソードには心を打たれたが、「自衛隊活動をPRする意義」「知ってもらうことで活動が円滑」「鷺坂の過去のエピソード」が一本の線で結び付かなかった。
 今回の話は「自衛隊における広報の意義」と、タイトルにもなっている「いざという時そばにいられないかもしれないという自衛隊員と家族の話」の2本立てで、これを強引に繋げてしまった感が否めない。


自衛隊における広報の意義
「(自衛隊が)広報活動をすること自体が不謹慎だっていう批判はないんですか?
 何か商品を売るような企業とは違って、みなさん(自衛隊)の場合、売上とか関係ないし、
 世間からのイメージが悪かったとしても、職務には直接関係ありませんよね」

「嫌われたくないという気持ちだけの問題なら、そこまで広報に力を入れる必要はないのかもしれない。
 有事の際、たとえば、災害派遣ひとつとっても、全国の皆様のご理解があればこそ、我々が迅速に有効に働くことができる。より多くの命を救えることにも繋がる

 ということを、鷺坂は平成7年、岐阜基地にいた時、災害派遣の際、痛感したらしい。


航空救難団……空自が誇るレスキュー部隊。警察、消防、海上保安庁といったあらゆるレスキューが対応できない状況において、出動を要請される。遥か遠洋から雪山まで、夜間や悪天候下においても、出動要請さえあらば、出来うる限りの救助を行う。日本唯一の全天候型レスキュー部隊。その救難員を、通称・メディックと呼ぶ。

 自衛隊にもレスキューがあったんだ。しかも、レスキューの中のレスキューが……。知らなかった。


訓練の厳しさは、自衛隊随一と言われている。
「…でないと、現場に出た時、死んじゃうんで」
と、さらっと言う………

 その厳しさを自衛隊のPVでアピールする……のではなく、
「厳しいことをアピールしても暑苦しいだけ。
 コンセプトは親しみやすさ。
 日常の空間で、ダーツを楽しむ若者たちが、実はメディックだったんだというストーリー」

『~ 他を生かすために ~  航空自衛隊』
 PVの出来は良かったが、ダーツバー……「飲酒運転(勤務)を連想させる。日常性をアピールするのに酒場である必要があるのか?」と、却下されてしまう。

 うん、ダーツバーが出た時、何か引っかかりを感じた。お堅い上層部だが、賢明な判断かもしれない。
 無駄に終わったが、柚木と槙の仲は一歩前進。柚木のスカート姿を見てぽ~とする槙、槙のアタックにうろたえる柚木が微笑ましい。


メディックの佐伯へのインタビュー
この佐伯へのインタビューでは、もう一つのテーマである「自衛隊員とその家族」のことも語られている。

「佐伯さんたちは、最も過酷な状況に送り出されることが多いんですよね。
 ご自身の命が危険に晒されることも多いと思います。
 大切な家族を残して、自分が死んでしまうかもしれない……
 その可能性は考えませんか」

佐伯はじっと考え、しばらく家族の写真を見て、
「死なないために、厳しい訓練を重ねてます。
 どうやったら、要救助者を助けられるか?
 どうやったら、生き抜けるか?
 それだけを考えます」


そして、女性を緊急搬送したことがあり、その女性の娘からもらった感謝の手紙を見せる。
≪助けてくれたじえいたいのおじさんへ
 お母さんを助けてくれて ありがとうございました。
 おじさんがこなかったら お母さんは助からなかったから 良かったです。
 これからも色んな人を 助けてあげてください。≫


「きついこともたくさんありますけど……
 えへっ、これ見たら、頑張らないわけにはいかないでしょう」



一緒に同行してこのインタビューを見た空井は、
「広報なんかしなくても、任務は任務だし、一般の人にどう思われても、関係ないと思っていた。
 でも、今、広報官である自分は、すごく、すごく伝えたい。現場で働いている隊員達の思いを、もっともっと知って欲しい

と熱く語る。

 自衛隊広報の意義のひとつの答を空井が出した。
 鷺坂の言葉「全国の皆様のご理解があればこそ、我々が迅速に有効に働くことができる」は広義過ぎであったが、「皆様のご理解」というのは、応援をもらえるほど自分たちの仕事を理解してくれる、そして、隊員がそのこと(みんなが理解していること)を知ることは、任務遂行の大きなエネルギーになるということなのだろう。




そして、リカも鷺坂にインタビューする決意をする。
鷺坂へのインタビュー

神戸が震度6だと聞いて、すぐ基地に向かった鷺坂。
待機中に携帯に「容態が急変した」と病院から連絡があった。

「(病院へ)行こうとは思いませんでしたか?」
「災害派遣は一刻を争います。
 待機中とは言え、勝手な行動は取れません。
「奥様を一人で死なせても?」
「妻には結婚前から話してありました。『何かあった時、傍にいられない男だけど、それでもいいか』…それがプロポーズ」

「会いに行けたのは、(妻が亡くなってから)5日後でした」
「後悔はされませんでしたか?」
「………妻は…一人で、たった一人で死んでいく覚悟、その覚悟はしていたと思います。でも、ホントに、幸せだったのかなって。
 ………妻よりも、言ってしまえば見ず知らずの人を助けることを選んだ自分は、自衛官としては…自衛官としては正しい選択です。でも、夫として…正しかったのかどうか……」

「答えは出ましたか?」
「……雪子は、みんな大好きでした。……みんな、愛してました、人も自然も。
 みんな見ず知らずなんかじゃない。みんな、守るべきものなんだって事を教えてくれました。
 ……雪子は今も、応援してくれてると、信じています」

 上記では省いたが、第3話の「覚悟のいる結婚……いつも笑顔でいよう」と繋がるエピソードも含めて、ジーンとくる話だった。
 ただ、ドラマ冒頭の自衛隊広報の意義や下記のインタビューの締めの言葉とは繋がりが浅いのが残念。

鷺坂のインタビューのまとめの言葉
「広報活動自体が不謹慎と言われることがあっても、それでもね、理解してもらうことで自衛隊ができることが増えるなら、そう信じて、我々は手を振り続けるしかないと、そう思っています」

リカの自省と阿久津の助言
「私の取材は、正当だったんでしょうか?
 鷺坂さんの傷をえぐっただけなんじゃないのでしょうか。
 知りたいって気持ちは、ただの野次馬根性と一緒で、私が聞き出すことで、傷つく人もいるじゃないでしょうか。怖く、なりました」
「お前が誰かの物語を知ることで、違う形でも、その思いを伝えられるのなら、意味はあるのじゃないのか」



 その答えは、意外に早く現れた。
ともみの報道
 航空救難団が出動したのに、「山岳救助隊」と報じられてしまった。
 広報の努力が足りなかったとがっかりする広報室の面々であったが、リカの助言を求めたともみによって訂正し、詳細にその活躍を報じた。

 自衛隊の広報かと思われるほどのともみのレポートだった。
 このエピソードは余分のような気もしたが、リカが主人公なので、仕方ない気もする。それに、空井とリカの最接近のきっかけにもなった。

 喜び勇んでリカのもとに駆け付け、大通りを挟んでリカの姿を見つけるが、リカは気づかず、大声で「いなぴょん~」と空井が叫ぶ。
 あまりにハイな空井なので、空井かリカが車に撥ねられるのではないかと心配してしまった。
 リカと二人でいるところを藤枝に見られたと知った時の、空井のビクつき方は笑えた。



「あまり深入りすると、見失うからな」……阿久津の言葉、気になる~


【ストーリー】番組サイトより
 リカ (新垣結衣) が空幕広報室に密着取材を続ける中、今度は航空自衛隊のイメージアップのためにプロモーションビデオを制作する企画が持ち上がった。
 しかし、空井 (綾野剛)・片山 (要潤)・比嘉 (ムロツヨシ) たちは、なかなか撮影コンセプトが決まらないでいた。すると、鷺坂 (柴田恭兵) からのヒントで、空自が誇る航空救難団の救難員、通称 『メディック』 をモデルに PV を作ろうと企画がまとまった。
 撮影の打ち合わせで、百里基地へ向かう空井に同行したリカは、メディック隊員たちの厳しい訓練を目の当たりにし驚くばかり。けれど、PV 撮影は “親しみやすさ” をコンセプトにすることからダーツバーで行われることに。広報室のメンバーやメディックのメンバーたちがエキストラとして出演し、さらに 藤枝 (桐山漣) や 珠輝 (大川藍) までもが見学に来て賑やかな現場となった。
 撮影を進めていくと、片山の思いつきで賭けをすることになり、リカが勝てば空井と珠輝がデート、空井が勝てばリカが空井に酒を奢ることになったが、その結果は…?
 一方、そんなリカたちを呆れた顔で見ていた 柚木 (水野美紀) は、槙 (高橋努) から思いがけない言葉をかけられる…。
 PV 撮影も終わり、広報室の密着取材を進めていたリカは、阿久津 (生瀬勝久) の勧めから当時、災害派遣に出ていた鷺坂に阪神淡路大震災のインタビューを頼むことに。
 ともみ (三倉茉奈) は、阪神淡路大震災のニュースを見ながら空自のヘリの説明を熱心にするリカに苛立ちを隠せないでいた。
 そんなある日、事件の現場中継のために取材に出かけていたともみから慌てた様子でリカに電話が入る。救助活動をしている目の前のヘリは航空自衛隊のヘリか?と問うともみにリカは…!?
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『八重の桜』 第21話 「敗戦の責任」

2013-05-26 23:17:25 | ドラマ・映画
悲惨、散々…(1時間かけて書いた記事をアップしたのに消えてしまった私も悲惨。バックアップ機能も何故か働かず)
八重の弟・三郎、銃弾に倒れる(享年20歳)
錦の御旗を掲げられ、味方は戦意喪失、寝返られ
朝敵の汚名を着せられてしまい
覚馬は薩摩の捕虜となり(この人は、勝手に捕まった)
総大将に遁走され、大阪に置き去りにされ、
有能な家臣・神保修理は詰め腹を切らされ(享年31歳)
ついには、徳川家からも見捨てられる


そう、みんなこいつ↓(慶喜)のせい
大義は我らにある。最後の一騎となるまで、戦い抜くぞ!
「あれは、皆の動揺を鎮める方便だ」

 「いけしゃあしゃあと」という表現がぴったりはまる奴だ。


「偽物とは言え、錦旗が揚がったうえは、兵を引かねば徳川は朝敵となるのだぞ!
 会津の家訓に「徳川を朝敵にせよ」との一条があるのか?
 この策は、神保修理が戦況の報告の折りに、進言したものじゃ。
 皆を救うための策じゃ。これしかない。
 家臣たちが、朝敵の汚名を着て死んでもよいのか!」


 一部の事実だけを伝え、嘘はつかない。さすが、稀代の政治家だ。
 容保も側近に佐川官兵衛を付けておくべきだった。

 いい加減、慶喜に見切りをつければいいものを。
 大政奉還したんだから、もう家臣でも何でもないんだから……

 慶喜はここまで尽くしてきた会津を捨てた。今からでも遅くはない!官軍(新政府軍)と戦わず、徳川家と戦うんだ!
みんな(薩摩)も分かってくれるよ。

ずっと下り坂を転げ落ちてきた会津藩だが、今回は惨すぎる。
しかも、今がどん底と言うわけでもなさそう……つらい………



【ボヤキと言うか…、突っ込みと言うか……、もろもろと………】
・敵陣の真っただ中に一人突っ込むなんて、撃ってくれというようなものだ
・あの戦火の中で、三郎をどうやって救い出したのだろう?
・ロシアから帰ってきて不自然に男らしい大蔵、コスプレしているし。男心を弄ばれていた頃が懐かしい。
榎本武揚は何をしに来たのだろう?軍艦を乗っ取られるため?
・修理の幽閉を解くという容保を、家臣たちが「幽閉を解けば命が狙われる」「殿が庇うほど、怒りが強まる」と諌めるシーン、「怒りが強まる者」=「官兵衛」だと思ったら、家臣の中に官兵衛がいた(笑)
・修理の死は悲劇だったが、今まで修理の出番が少なかったので、今一つ感情移入ができなかった


【ストーリー】番組サイトより
 1868(慶応4)年1月に始まった「鳥羽・伏見の戦い」で、会津藩は苦戦を強いられていた。そのころ八重(綾瀬はるか)は、みねと共に訪れた神社で神保修理(斎藤工)の妻・雪(芦名星)に会う。雪は、風が吹くなか一心に夫の無事を祈っていた。しかし、その後も戦況は好転せず、初陣を果たしたばかりの弟・三郎(工藤阿須加)も敵弾に倒れる。
 そして、敗色濃厚と知った慶喜(小泉孝太郎) は、夜陰に乗じて容保(綾野剛)に供を命じ密かに大坂から脱出。会津藩士たちも後を追って江戸へ敗走した。会津は徳川と共に朝敵とされ、敗戦の責任は慶喜の江戸帰還を進言した修理ひとりが負うことになる。
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電王戦 第4局「Puella α VS 塚田九段」 その1

2013-05-26 20:36:13 | 将棋
 この将棋について書き始めたら「長くなりそうな予感」がしますが……
 何から書き始めたらいいのだろう?………

①木村八段、その絶品の解説
②塚田九段の指し方の是非というか、何と言うか… 
③Puella α(コンピュータ将棋)の特性

が主な論点。

 棋譜を追いながら考えていけばいいと思ったが、それぞれに焦点を絞って書きたかったのですが、それぞれが独立していないのと、焦点ごとに書くと局面が行ったり来たりしてしまうので、手順を追いながら随時、考えてみたい。


 図は後手・塚田九段の△6四銀に先手・Puella α(以下「プエラα」と表記)が▲2五桂と跳ね△2四銀に▲1三桂不成と仕掛けたところ。
 コンピュータ将棋の特徴として、「隙があれば先攻」「無理気味でも仕掛ける」が挙げられるが、プエラαにもその傾向があるのかもしれない。
 それから、わざわざ「不成」としたのもコンピュータらしい。なってもならなくても取る一手(コンピュータ的には取らない手も考える(計算する))なので、評価値は同じなのだと思う。さらに、駒の動きとしては「成る」方が特殊なので、不成の方を先に計算し、評価値が同じなら先に計算した方を優先するのではないだろうか(私の推測で、的外れかもしれません)。
 いきなり桂を捨てる過激な仕掛けだが、この仕掛けは前例があり棋士の読みの範囲であるらしい。ただ、塚田九段としては、こう仕掛けられるのなら、その前の△6四銀は不用意だったとやや後悔していたらしい。確かに、実戦の展開を考えると、6四銀の形は中途半端で、この銀は4筋に働かせたいところだ。
 とは言え、仕掛けの是非は微妙で、これで塚田九段が形勢を損ねたわけではなさそうだ。

 木村八段は1、2を争う解説者である。軽妙で面白く、分かりやすい。ファンを常に意識して、楽しませることも忘れない。爆笑問題の太田光のようなボケや突っ込みを入れたり、アンガールズの田中のように困った悲鳴のようなセリフを吐いたり、俳優の正名僕蔵が演じる変態性で聞き手を困らせたりして、飽きさせない。
 1三の桂の取り方も、実に論理的に分かりやすく説明していた。単に指し手を解説するのではなく、局面の考え方の説明から入るので非常に理解しやすい。

 さて、1図の▲1三桂不成に△同銀(他の手では不利になると木村八段が明快に解説)に▲2五歩。この▲2五歩は、次に▲1四歩で銀を手に入れる権利を得た手(先に桂馬を捨て、香を取り返されるので、実質は銀と桂香の二枚換え)。
 これに対し、△4五歩は4六に居て働きの良い角を退かそうという手。端に利かすか6四~9一を睨み後手の攻めを牽制するか、どちらかを放棄させる手で、先手としても悩ましいところだが、プエラαは1分で▲3七角を選択。
 これにより端が緩和されたので、後手も反撃の構えを見せたいところ。候補手として△7五歩の突き捨て、△9四歩(手待ちの意味もある)、△8四歩(8五に桂を跳ねた時の支え)が考えられた。
 ただ△8四歩は少し前の局面では有力であったが、
「この局面では……」
と木村八段が解説しようとしたところで△8四歩と塚田九段が着手(1分の考慮)。

 プエラαは6分の考慮で▲1四歩を決行。この歩はいつでも突けるので、その権利を保持しておき、他の手を指して一番タイミングの良い時に行使したいというのが棋士の発想である。
 対して、コンピュータはタイミングを計るという思考はなく、ひたすら手を読み局面を評価するので、成算があれば決行する。本局の場合は、△8四歩を「隙あり」と判断(計算)したのかもしれない。
 第2図以下▲1四歩△同銀▲同香△同香▲8三銀と進む。
 この銀打ちがあるので、木村八段は△8四歩に若干の不安を感じたのだ。塚田九段も△8四歩を悔やんでいたとのこと。ただ、先の△6四銀と同様に、この手で後手が形勢を損ねた訳ではないらしい。ただ、このあたりのアヤが微妙に塚田九段の心理に影を差し、今後の指し手に影響を与えたのかもしれない。


 第3図は▲8三銀から8手進んだ局面。後手の飛車は3一に追いやられ、成銀と角の成り込みから先手に左半分を荒らされる恐れはあるものの、1筋にと金を作っていて二枚換えの駒得。先手の成銀もどれだけ効力を発揮するかが未定なので、後手としてもまずまずの展開のようだ。
 ただ、第3図の▲4六歩はなかなかの好手で、後手陣の急所である4筋の攻めを見ており、先手の攻めの幅が格段に広がった。
 木村八段もこの手を高く評価していた。この手を見て木村八段の顔つきが厳しいものになった。
 この手は△4六同歩と相手してくれれば、いつでも▲4四歩と利かすことができるが、放置されると次に厳しい手があるわけではない。▲4五歩と取り込んだ瞬間も拠点にはなるが敵陣には直接響かず、更にもう一手▲4四歩と伸ばしてようやく手になる(この▲4四歩が非常に厳しい)。こういう、後に利いてくる手というのは棋士好みの手だ

 第3図以下△1六と▲6二角成△8五桂▲6四成銀(第4図)と進む。

 後手は△1六とと手順に▲6二角成と馬を作らせるのも気が利かないが、他の手も難しい。この際、△4六同歩と取り「やって来い」と迎え撃つのも一策だったと思うが、コンピュータ将棋の攻めの強さを知っていたら指す気にはならないだろう。
 第4図の▲6四成銀はコンピュータソフトらしい手だ。まず、△8五桂に銀を逃げるかどうかは悩ましいところだが、それを手抜きするのはあり得る手だ。しかし、手抜きは良いとして、駒損をして得た銀を8三に打ち込み成り返った手間暇かけた成銀を、働きの低い6四の銀と簡単に交換してしまう。
 コンピュータにとって過去のいきさつは関係なく、現局面での断片的判断のみを採用するコンピュータらしい指し手だ。先手としては損な成銀と銀の交換であったが、後手飛車を追いやった功績は残っていて、計算は合うのかもしれない。

 第4図以下、△6四同歩▲4四銀△同金▲同馬△3三銀▲5四馬△4三銀▲6三馬(第5図)と進む。

 △6四同歩に▲4四銀は木村八段も予想した手で、これがなかなか手強かった。△4四同金以下後手も2枚の銀を打ち後手陣を修復するが、後手角の活用路が3三の地点で埋まってしまったのが痛い。


 さて第5図、大きな分岐点であった。
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電王戦考 危機的状況なんだけどなあ

2013-05-25 21:51:50 | 将棋
 この件についてずっと放置していたのは、ssayさん「コンピューター将棋について・その3」が、私の意見そのもののように一致していたので、書けなくなってしまったからです。(書いても、それ以上の記事は書けないしパクリになってしまう)。いっそのこと、そのまま全文引用しようと思ったほどです(許可はいただいてあります)。
 その他の関連記事も素晴らしいですし、nanaponさん「電王戦考察」「電王戦考察・その2」で多面的な視点を含めた考察をされています。
 なので、私が書くことは全くなくなってしまいました。
 それでも、私が後で振り返った場合に、「現時点での私の考えを整理して記しておく」という価値はありそうです。もちろん、上記のお二人の記事と重複しているのはもちろんのこと、参考にしていたり、影響を受けているとお考えくださって構いません。

 この電王戦やコンピュータ将棋を考察するに当たり、いろいろな要素が絡み合っていて、多方向から考えなければならないと思います。

①コンピュータ将棋の強さ
 強い。相当強い。人間の英知を結集しフル稼働させないと勝つのは容易でないというレベルに到達していると考えられる。
 第5局を戦った三浦八段は「対局前は勝つ可能性が希望的観測で50%、悲観的に考えると5%。実際に対局してみて、勝つ可能性は5%だった」と述べている。
 三浦八段、GPS将棋より遥かに低レベルの私の棋力で判断するのはおこがましいが、実際はもう少し勝つ期待値は高いのではないだろうか?
 怖れや焦りという感情がなく、疲れも知らず、あきらめもしない。その上、思考過程もわからず、計算力はけた違いで詰みは瞬殺。人知の及ばない得体の知れない恐ろしさを感じて、過大評価している可能性もある。
 もう少しコンピュータ将棋の正体を見極めたい。

②徹底的に戦って、コンピュータ将棋の正体を解明して欲しい
 ただ、過去の実績(対渡辺竜王戦、対清水女流戦、対米長会長戦、その他コンピュータ選手権や「将棋24」での実績などでの強さを考慮すると、今回の棋士の人選には疑問が残る。世間一般に公開(アピール)するのだから、棋界を代表するメンバーを揃えなければならなかった。
 はっきり言って、三浦八段はともかく、あのメンバーで「棋士がコンピュータに敗れた」と認知されてしまうのは納得がいかない。
 この際、世代ごとに選出して欲しい。まず、有望若手の面々なら豊島七段、広瀬七段、佐藤天七段、糸谷六段、菅井五段。
 この先鋒戦の結果を踏まえて、久保九段、深浦九段、木村八段、橋本八段、山崎七段らの今後将棋界の中核を成す世代との中将戦、そして、羽生三冠、渡辺竜王、森内名人、佐藤九段、郷田九段らの大将戦を観てみたい。(コンピュータソフト側は固定、GPSだけでもよい)
 このメンバーで臨み、全敗してしまったら目も当てられないが、個人的にはどんな将棋になるか、非常に興味がある。

③対局の公平性
 今回、ソフトの事前貸出しの有無が問題になった。
A「棋士だけが実戦譜を相手に調べられ、自分はソフトの気風を知らないのは不公平」
B「事前貸与は、ソフトの穴やクセを見つけられてしまう」

 どちらの言い分も理解できる。
 最初の私の考えは、A寄りだった。ソフトの棋風を知らずに指すのはフェアじゃないと思っていた。しかし、貸与した結果、綿密にソフトのクセを調べられ、穴を見つけられそこをつかれた場合、実力以外のところで勝負がつけられてしまうことが考えられる。
 ゲーム性を考え、ランダムの偶発的要素を加え、指し手が一定にならないような工夫も考えられるが、強さを追求し計算結果を最優先する場合、指し手の再現性は高くなるように考えられる。
 もちろん、ソフトの実力が人間をはるかに超えるものであれば、そういう可能性は杞憂に終わるが、現段階では棋士とコンピュータ将棋の棋力は拮抗していると考えていいのではないだろうか。
 そう考えると、対局日の一か月前の段階のソフトを貸与するのが公平のように思う(コンピュータソフトがどのくらいの進歩率か私は分からないので、1か月前という期間が妥当かどうかは分からない)。

④棋士の価値、棋譜の価値
 「自動車に競走で勝てないのは当たり前、だからと言って短距離ランナーの価値が認められないわけではない」という理屈は、将棋にも当てはまるように思う。100mを9秒台で走るランナーなんて、人間離れした速さだ。それと同様に、アマチュアと比較した棋士の強さはとんでもないものだと思う。そして、その相対的な強さの差は、コンピュータ将棋の存在には関係ない。
 しかし、短距離ランナーと自動車の違いと、棋士とコンピュータの違いを比べた場合、後者の方が遥かに前者より小さい。また、自分が将棋に傾倒しているせいか、将棋に芸術性を感じ、棋士にロマンを感じ、棋士がコンピュータに破れるというのは受け入れがたい出来事である。
 まあ、そう感じる者は少数であり、短距離ランナーの価値同様、棋士の存在価値は損なわれないと割り切ればいいのかもしれない。

 また、棋譜(将棋の内容)も「人間対人間」という視点で捉えればいいのかもしれない。心理的な戦いや棋風(個性)の主張など、必ずしも手の最善を追求しなくてもいいのではないかとも思う。
 しかし、最高峰の対局である「羽生対森内」「羽生対渡辺」戦がソフトの検討によって、あれこれ欠陥を指摘され、稚拙なものと思えてしまうのは、やはり「がっかり」である。


⑤棋士とコンピュータ将棋との共存
 棋士の意見で多いのが「将棋ソフトを認め、ソフトを研究に利用して、将棋を高めていけばいい」というものだ。
 しかし、将棋ソフトを利用した研究成果が、はたしてその棋士の実力と言えるのだろうか?筋肉強化のトレーニングマシーンのように、純粋にトレーニングパートナーとして棋力そのものを高める棋士もいるだろうが、研究局面を指定して将棋ソフトで検証することも十分可能なレベルである。実際に、詰みの局面まで調べられている研究もあり、そういった局面での検証なら現段階の手持ちのPCやソフトで十分可能である。
 コンピュータに教えてもらった手順で対局する行為そのものが、自らの棋士の存在価値を否定することにならないのだろうか?
 できることなら、これ以上将棋ソフトが強くなり、その使用環境が実生活に浸透しないでほしいと願っている。

⑥将棋ソフトの不正使用
 スマートフォンなどの携帯機器の進化と将棋ソフトの進化によって 対局中、詰みの有無などを検証や指し手の参考にスマートホンなどを利用することは可能な状況と言える。
 ニコニコ生放送の解説者のひとりであった木村八段の言によると、不正行為は許されないという意識(通念)はあるが、実際には携帯機器の規制(規則や実際の防止措置)が何もなされていないそうだ。
 私は以前(2009年)も「『週刊将棋』 驚きの記事」という記事でこの点を危惧しているが、ここまで切迫した状況になっても、⑤と⑥について全く危機感がないのは、唖然としてしまうくらい不思議でしょうがない。
 「コンピュータに棋士が負けた」というプライドの問題よりも、はるかに棋士の存在を揺るがす問題だとまるで理解していない。


 棋士の誇りがあれば、そんな不正行為は考えられないと思っているのだろうか?多くの一流棋士はそうだと思いたいし私も信じているが、先述の記事をご覧くださればそれは杞憂でないことは誰もが思うのではないだろうか。
 百歩譲って、棋士がそういう不正行為を全く行わないとしても、不正行為が可能な現状において、一般的にはそういう疑惑の目で見られる可能性があるのだ。⑤についても同様で、棋士が独自で汗を流した研究成果も、ソフトの研究成果と見られ、せっかくの会心譜が疑惑のスクリーンが掛けられてしまう可能性もあるのだ。

 早急な規制が必要だと思うが、せめて、棋士会の議題に挙げて、不正行為の意味の重大性の確認を行うのが急務である。それと同時に、⑤の観点も話し合ってほしいものである。


 
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少し前のいちご その2

2013-05-24 19:13:39 | いちご
【3月24日】

 1日に2、3回散歩します。
 1回あたり20分~40分。日曜日だと積極的に仕事をしない(待機状態)ので、暇に見えるのか、散歩のアピールが激しくなり、4、5回ぐらいします。
 猫にリードをつけて散歩するのは珍しく、しかも、平日の昼間にフラフラとしているので、暇に見えるのではないかと、世間の目を気にしています。
 昨年の夏から散歩をしていますが、冬はすごく寒かったです。雨や雪が降らないと、いちごは納得しないので、気温が1℃前後でも散歩しました。苺は「晴れ娘」らしく、実施率が非常に高かったです。散歩の時間だけ、なぜか雨がやみます。
 春になって暖かくなり、楽になりました(5月でも寒い日がありましたが)。
 このころは、まだ、草丈も低く、生え始めの時期でした。

 土筆があちこちに顔を出していました。

 同じ日の、廊下での一枚。
 猫の眼は反射率が高いので、珍しくはないのですが、あまりに見事に光っているので、載せました。フローリングにも反射して光る様は、「メカイチゴ」か?

【3月26日】

 高くて狭いところが好きですね。非常に満足げです。


 そして………眠ります。

【3月28日】
 今日も散歩です。

 たんぽぽも咲き始めていましたが、見向きもしません。


 ん?

 何か、発見!


 「とうっ!」  
虫でもいたのでしょう。
    ・
    ・
    ・

 逃げられたようです。
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