世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

旧交を温める旅

2016年10月23日 | 100の力
京都で大学時代の友人に会う。

久々の清水寺。


そして、夜、新幹線で岐阜まで移動。

これまた古い友だちの迎えを受け、

家にお世話になった、



昨夜は、午前2時まで語り合った。

ありがたいことだ。

これから、飛騨高山へ。

旅に出ます

2016年10月22日 | 100の力
今日からちょっとだけ旅に出ます。



国内の小旅行ですが。


大まかな予定はありますが、

細かいことは行き当たりバッ旅です。


どこでどんなことがあるか、

FBで発信していきますね。

お楽しみに。

10月21日(金)のつぶやき

2016年10月22日 | ライフスタイル

ブロガー

2016年10月21日 | 100の力
仕事は何ですか?と聞かれたり、

なにかの集まりで自己紹介する時にいつも困る。


ホテル経営、カフェ経営、NPO法人、

英会話講師、瞑想セラピストといえば諸々あるが、

どれもこれも中途半端。

フリーランサーやライターといえば聞こえはいいかもしれないが、

それで食っているとはいいがたく憚られる。


ましてやタビストですといっても、????で、

趣味の域を出ないのでは。

趣味の数も半端じゃないけど、

これも又あくまでお遊び程度に留まる。


一から十まで説明するのかったるいので、

その場その場で雰囲気を見て使い分けすることにしている。

結果、正体不明の怪しい人というイメージは免れないであろう。

中には、遊び人やプレイボーイと揶揄する〔make fun of; ridicule)人もいるらしいが、

ボクにはむしろ名誉なことである。


多くの肩書の中(すべては勝手に名付けたもの)で、

まぎれもなくブロガーであることは自信を持って言える。

ブロガーとは、ブログ(ウェブログ)を執筆、公開、運営している人のことを指す。

ここ5年以上一日とも欠かさず毎日更新し続けている。

この継続力は人後に落ちない (I am second to none at this sort of thing)といっても過言ではないだろう。



ところで、アルファブロガー(Alpha blogger)とは、

ブロガーのうち、そのブログが大きな影響力を持つ者や、多くの読者を持つ者などを指し、

プロブロガーとは、

オンラインメディアからの純粋な収益のみ(広告、アフィリエイトなど)で生計を立てられる水準にたどり着いているブロガーのことを言うが、

残念ながら今のところそこまでは辿り着けていない。

(時間の問題だと思っているが)


では、何のためにブログをやってるかというと

自分のアウトプットの能力(発信力)を高めるためが大きい。

しかもSNS、とりわけfacebook,twitterとの連携がしっかりできているので拡散させやすい事がメリットだ。

ボクの場合、なにかのテーマに絞って書いている訳ではなく、

あくまでもその時に感じたこと、考えてこと、体験したことなどを抽出して

好き勝手に書きたいことを書いているにすぎない。


そして、読者のコメントなどから気付きや新しい視点を得られるのが何よりもの楽しみなのだ。


また、直接収入にはつながらなくても、

自分がやっていることを知ってもらうことで、

間接的にビジネスにつながっていくことは多々ある。


つまり、

良いも悪いも自分というブランドを作り、

自分という商品を売るには最強の武器になるわけだ。


何よりも、書くことで、

頭の中の思考の整理になる。

問題や悩みを文章化することで、かなり解決できる面が少なからずあることを知った。

もちろん、見ず知らずの不特定多数の人の目に晒すわけだから、

恥ずかしい気持ちはあるが、

それ以上に思いもかけないアドバイスも頂けたり、

共感して頂けることもある。


そうした人たちとのつながりができ、

仲間になり、友人となることもしばしばだ。


さらに、近況報告や、活動報告をすることで、

集客につながったり、仕事の依頼が来ることもある。

ブログを一記事書けば、

世の中に一人、自分の分身を営業マンとして世に放つという役割も果たしている。


また、赤裸々に自分の思いや人となりを発信していくことで、

個性や人間性に魅力を感じてくださり、

価値観の合う人が現れて、遊びや趣味、仕事を共有することができるようになる。


かくしてボクは性懲りもなく、

今日もこうしてブログを書き続けているのである。



さて、次回は、

ブロガーになる方法を発信していこうと考えている。

お楽しみに。


【追記】


 
こういう小冊子をあるプロブロガーの方から頂きました。

この場を借りてお礼を申し上げます。

ありがとうございます。

非常に参考に、また勉強になりました。

地球市民牧場

2016年10月20日 | 100の力
アメリカ帰りのカウボーイが久しぶりにやってきた。


彼が3年ほど前に馬を飼うときいろいろとお手伝いをした。

馬場を作ったり、調教したりと。


        馬を調教する筆者


その時、ボクは彼にゲストランチ(観光牧場)を作ろうと提唱した。

だが、どうやら彼はピンと来なかったようだ。

それからしばらく音信が途絶えた。

どうやら引きこもっていたらしい。


先月、彼は初めてアメリカを一か月ほど旅したという。

そして帰国後すぐにボクのもとを訪れてくれた。


    
そして、

「あの時の夢はまだありますか?」

とい聞いてきた。

「もちろん」

とボクは答えた。

ボクは夢を諦めない男だ。


「アメリカに行ってやっとかじさんの言ってた意味が分かった」

と彼は言った。

今、彼の夢は

「地球市民牧場」を作ることだという。

ボクは彼の新たな夢に協力することにした。

とても嬉しかった。

自分の夢を熱く語る彼の生き生きとした姿を想像して

胸が熱くなった。


もらい泣きがあるように、

もらい熱(情熱)というものもる。

情熱は伝染する。 


ボクの経験と知識が誰かのために少しでも役に立つなら

こんなに喜ばしいことはない。


「やっぱ、旅しないとだめですね」

彼は目を輝かせながら爽やかに笑った。



【今日の格言】

「人は年とともに衰えるわけではない。

年と共に成長を続けることに生きている意味がある」 by Asay

第三回口頭弁論

2016年10月19日 | 100の力
夏を思わせる暑さの中、裁判所へと出かけた。

昨日、貸金等請求事件の第3回目の口頭弁論が行われたのだ。


3回目にしてやっと被告が出廷してきた。


     法廷スケッチ(筆者作)

被告が、昨年の12月17日、

ボクに何の連絡もなしに一方的に賃貸借契約書を破棄し、

その後の一切の経営を放棄して以来の

なんと10か月ぶりの再会である。


さあ、これでやっと本人の気持ちが聞ける。

ボクは期待(正直に話す)と不安(うそをつく)が五分五分の気持ちで、

先に法廷に入り彼を持った。

時間ぎりぎりに入ってきた彼は、

終止伏し目がちで、ボクと目を合わせようとしない。


彼は最初、答弁書によりボクの訴え(請求)をすべて拒否していた。

もちろんこれは被告が依頼した弁護士(共産党系)の差し金(不適切なアドバイス)によるものだろうが。


なぜなら彼は、

「強制執行の拒否」と記載していたが、

裁判官から意味を聞かれても、知りませんと答えた。

全くの無知なのだ。



ボクは敢えて争う気はない。

被告が素直に非を認めて、話し合いに応じるなら

和解の用意があることを前回裁判官に伝えていた。


傍聴席には一人、ボクの彼女が見守っている。

彼女は被告とも面識があり、当時のいきさつをよく知る人物の一人である。

ボクは心づよい彼女の視線を受けながら、被告の答弁を注意深く聞いていた。


被告は、当初全面的に否認し争う姿勢を見せていた。




だが、昨日は一転、ほぼ全面的にボクの主張を認める供述をした。

(不都合なところは「覚えていない」と、とぼけていたが)


裁判官は言う。

「被告は原告に対し支払い義務があると思われます」

もちろん、判決ではないので言葉を選んで濁した表現であったが、

それは限りなく判決に近い言葉であり、

強い説得力を暗に含んでいた。


そして、被告の支払い能力について具体的に問いただした。

月にどれくらい原告に返済できますか、という裁判官の問いに、

被告は、年間払いにしてほしいという。

どうやら、毎月決まった額の収入を得ていないらしい。


もちろん彼は、当初弁護士に相談していたが、

高額な弁護士料を払ってまで裁判に臨む余裕はないだろう。

無駄な出費を余儀なくされるだけなのだから。


一人で福岡からやってきた彼の寂しそうな横顔が印象的だった。

自業自得とはいえ、少し気の毒な気もした。


長引けば長引くほど、さらに時間と出費を余儀なくされる。

早期決着はボクも望むところだ。

早くスッキリさせたい。

こうした後ろ向きな無駄な作業は御免蒙りたいというのが正直な気持ちなのだから。




裁判官は被告に言った。

「次回までに、毎月いくら払えるのかを決めてきてください」

被告はためらいがちに軽く頷いた。


次の裁判では、和解のための被告の支払条件が課題になるだろう。


ちなみに、次回は12月15日である。

午後2時から、熊本地方裁判所で開廷される。

お時間のある方は、ぜひ傍聴に来ていただきたい。


基本的に、誰に対しても許すという気持ちをボクは持っている。

ましてや彼に個人的に憎しみや恨みなど一切持っていない。

むしろ、感謝の気持ちがある。

なぜなら、

曲がりなりにも彼のおかげで、

ボクは福岡にベトナムカフェを開くことができた。

そして、貴重な体験とともに、

いろいろな人たちと知り合うことができた。

その中には今でも親しくお付き合させていただいている方々もいる。

これはお金に代えがたい経験である。


だからこそ、

ボクは彼に譲歩する気持ちをもっている。

一歩も譲る気がないなどという気はさらさらない。

ましてや、彼の生活を踏みにじってやろうなどという復讐心などは全く持ち合わせていない。

むしろ、早く立ち直って真っ当な生活を営み幸せになってもらいたいという気持ちでいっぱいだ。


ただ、最低限の実害は償ってもらわなければならない。

対岸の火事ならまだしも、

降りかかった火の粉は払わなければならない。

それ以上は何も求めない。



【今日の格言】

「無知とは、ただそれだけで罪である」 by Asay

復興イベント

2016年10月18日 | 熊本地震
震災からの復興イベントがあちらこちらで花盛りだ。


家屋や道路などのインフラから、

補助金や助成金などの経済復興、

はたまた元気づけるためのコンサートなどの様々なイベントが

各地で盛んにおこなわれている。


形はどうであれ、

みんな必死にもがいていることには変わりはない。


形があって目に見えるものは分かりやすいが、

目に見えない心の復興はどうだろう。


物理的打撃は直せばいいが、

精神的打撃は一朝一夕には治らない。


こうした取り組みも、県内のみならず、

県外、国内各地、あるいは世界各地で行われていることに感銘を受ける。


チャリティ募金で集まった支援金を

寄付や物資に換えるることも素晴らしいが、

自ら行動を起こして現地に乗り込む活動は一層有難く感じる。


食べるものがない人に魚を与えることはできても、

与え続けることはほとんど不可能だ。

一過性と自己満足になりがちだ。

だから、魚の釣り方を教えれば持続可能な救済になる。


それと同じように、

心のケアをするためにカウンセリングやヒーリングを行うと同時に、

一人でも多くの人にそのやり方を教え、

波及せていくことがもっと有効な手段となりうる。


そうしたトレーナー、ファシリエイターといった人々を育てる

養成講座が増えてきているように見受けられることは

非常に喜ばしいことである。

しかも、無料の講座だ。


本来、資格を得るためには高額なお金がかかる場合が多い。

それを快く無料で教えてくださるのだからありがたいの一言に尽きる。

もちろん、その資金はチャリティや支援金、義援金の類であるかもしれない。

だから、その陰には多くの方々の支援の輪があるわけだ。


何かを始めるのに多大なお金と時間を使って資格を取る人がいる。

その余裕のない人でも、

情熱と学ぶ姿勢があれば可能なこともいっぱいある。


教員免許を持たなくても

教育現場で子供たちに教えることができる。


心理士の資格がなくても、

心の支えになることだってできる。

勉強して知識を付けたり、経験を積むといった

必要最小限の努力は必要だが。


要は、

役に立ちたい、喜んでもらいたいという

心を突き上げる情熱が大事なんだ。


情熱があれば何でもできる、何でも叶うわけではないが、

何かをするのに情熱がなければそれは画餅にすぎない。


被災者として、助けてもらうだけでなく

恩返しの意味も含めて

同じ境遇にある方々に、一人でもお役に立ちたいという

熱い心さえあればそれはどんな形でもあれできるのである。


まずは、

自分を信じること。

勇気を出して一歩踏み出す(行動に出る)こと。


大きなことでなくても、些細な声かけでもいい。

多くの人を助けなくても、

隣にいる一人の人を救うことはできる。

ましてや、愛する人ならなおさらだ。


そのためには、

自分が立ち上がらなければならない。


涙を拭いて、空を見上げよう。

しっかりと大地を踏みしめ、前に進もう。


       黄金に輝く森(『瞑想の森』より)

最初は一人でも、

きっと仲間ができるはずだ。


無理をせず、自分にできることを

まず一歩踏み出すことから始めよう。

どんなに遠い道のりも、まず一歩。


なんでもいい、

まずは挨拶、ありがとうと声をかける、

にっこり笑おう。

自分に向かってやってごらん。

心の復興

2016年10月17日 | 熊本地震
熊本大地震から6か月が経った。

立ち直った人もそうでない人も心の傷は深い。

それでも生きている限り、

その困難を乗り越えて前に進まなければならい。


この2日間、レジリエンス(Resilience)というものについて学んだ。

レジリエンスとは、困難から立ち直る回復力のことだ。

the ability to become strong, happy, or successful again after a difficult situation or event → toughness

1はね返り,とび返り; 弾力,弾性.2(元気の)回復力

〔病気・不幸・困難などからの〕回復力、立ち直る力、復活力...

1 弾力,弾性,復元力(elasticity)economic [mental] resilience経済的な[知的な]弾力性

1はね[とび]返る; 弾力のある.2たちまち元気を回復する; 快活な,溌刺(はつらつ)とした.resiliently


今、まさに震災から立ち直らなければならない。

幸いボクは回復力、復元力を持っている。

だが、みんながみんなそういうタフな心を持った人ばかりではない。


鬱になったり、途方にくれたり、自暴自棄になる人もいるだろう。

世の中に、あるいは国に、あるいは生きていることさえも希望を持てず、

絶望のどん底にいる人もいるかもしれない。


そういう人たちの心の支えになりたい。

そのための方法を教えてくれたのが、

このレジリエンスプログラムだ。


      「ミルクシェーク呼吸法」の練習

これは 認知行動療法(Cognitive behavioral therapy:CBT)をベースに

瞑想の技法を取り入れ、あるがままの状態に集中するというマインドフルネスを通じて

健康的なライフスタイルを実現するための画期的プログラムである。



遠くオーストラリアの地から、

はるばる復興支援という名目で来てくださった。



しかも今回は、無料でそのプログラムを提供してくださった。

(本来6万円する講座なのだ)

テキストも無料で頂いた。(本来2500円する)

なんともありがたいことだ。感謝!


そして、

参加者(約20名)は今後半年間にわたって、

支援を受けながら勉強会を続けていくことになった。



素晴らしいチーム(仲間)ができた。

しかもグローバルである。


この2日間、みっちり学んだことで、

修了証をいただき、ファシリテーターとしての認定を得ることができた。


このプログラムの最終的目標は、

「健康なライフスタイル」の形成にある。


復興に向けて一層の自信と勇気が湧いてくる。

さあ!立ち上がろう!立ち直ろー!



【追記】


〝フレンズプログラム熊本”

というページとグループをfacebook上に作りました。

興味ある方、一緒に活動してくださる方は参加してね。




フレンズプログラムFRIENDS programとは、

http://friendsprograms.jp/

フレンズプログラムは鬱や不安症予防に効果的な、

認知行動療法をベースとしたプログラムです。

20年以上の研究をもとに作られ、

20か国以上の国でうつ病や不安症に悩む子供たちを救ってきました。