世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

国内留学

2007年03月16日 | 
                (写真はイメージです)


阿蘇で3日間、英語だけの生活。

7月6日(金曜)から2泊3日で行います。

先着8人から、10人、生徒さんを募集します。

先生はカナダ人のBILLさんの予定です。

費用は、すべて(宿泊、食事、教材、講習)込みで、
      39,800円(税込み)と格安です。

  お申し込み、お問い合わせは、
     
     096-279-2114

             かじ までお願いします。
   


素晴らしい出会いの場

2007年03月15日 | 
今日も素晴らしい出会いがあった。

熊本市の国際交流会館でボランティアの活動をしていることは前にも述べた。

基本的には、毎木曜日の午後3時から、6時までの3時間だ。

仕事の内容は、二階にあるサロンの受付業務。
市職員の業務を肩代わりすることで、市の財政に少しでも貢献できればとの想いから始めた。
市民として、自分に出来る些細なお手伝いだと思う。

まだ始めて4ヶ月ほどだが、ありがたいことにいろんな形で恩恵を受けている。

職員の方を始め、熊本在住のいろんな外国の方と知り合いになれる。
ボランティアの中にも、外国からの留学生や英語の先生などがいらっしゃる。

新たな広がりの中で、夢実現の可能性と方向性が見えてくる。

世界中の人々が、協力しながら一体となって社会に貢献しようとする素晴らしい場をもっともっと広げていきたい。


眠れない夜は

2007年03月14日 | 
ベッドに入っても、なかなか眠れないときがある。
また、深夜目が覚めて、それから眠れなくなるときもあります。

そんな時はどうしてますか?

一生懸命眠ろうと努力しますか。羊を数えたりして・・・。

焦れば焦るほど、かえって眠れなくなりませんか。

僕は、ここでも流れに身を任せます。
  つまり、眠れなければ眠らなければいい、と。
開き直りは、僕の特技の一つかも。

ただ、起き上がって本を読んだり、お酒を飲んだりとか何かをすることはしない。

ただただ横になって睡魔が訪れるのをひたすら待ちます。
   それだけでも身体は休まるのです。

身体を横たえ、冴え渡った頭は妄想するのにはもってこいです。

嫌なことは避けて、楽しいことをいっぱい考えるようにします。
  憧れの国を旅をしている自分を空想してみたり、
  作品が認められ華やかなステージで表彰されている場面、
  ちょっと気になる子と楽しくドライブしているシーン、などなど。

時には、よからぬことも浮かんでくる。
  思わず股間が熱くなることもたびたび。(まだまだ元気!!)

なんとなくまどろんだ状態は実に心地よい。

  驚くほどいろんなことが頭の中を駆け巡る。
    まるで、「ナイト・ミュージアム」のように。
  こんなに頭蓋骨の中は広かったのか。
   
   そのうち空想なのか、夢なのか区別がつかなくなる。

こういった状態のときけっこういいアイデアが浮かんだりもする。

そうしながら、知らず知らずのうちに眠りに落ちてたりする。

  本当に眠たいときは、自然と体が勝手に眠りを連れてきてくれる。
何も考えず、かるく口を開け、全身の力を抜き、出来るだけゆっくりゆっくり呼吸をする。

焦ることはない、時空の流れに身を任せればいい。

    それでは、おやすみなさい、
             今日もよい夢を・・・


あなたは死ぬほど人を愛したことがありますか

2007年03月13日 | 
「愛ルケ」ではない。

遅ればせながら、昨夜DVDで「ホテル・ルワンダ」を観た。

アフリカの惨状もさることながら、博愛と家族愛のはざ間での葛藤に身につまされる感銘を受けた。

自分のやっていることの小ささが情けなくなる。

「人を死ぬほど愛したことがありますか?」

        僕は、あります。

でも、傷ついて今の僕には愛が枯渇している。
    
    愛という潤いが乾ききっている。

愛されることを求めたがるが、愛することの難しさを痛感する。

心の傷を癒し、愛のオアシスを探しに、また小さな旅に出ようか。




花桃

2007年03月12日 | 
うちの庭の桃の花も開花した。

啓蟄を待たず、今年はいつになく気ぜわしく虫たちの蠢動が始まっている。

凍てつくような寒さもなく、一見暖冬はありがたく思える。

しかし、本当の寒さを知らない虫や草木はどうなのだろう。

阿蘇では野焼きも始まっている。今週末は火祭りもある。

焼き尽くすことで、害虫を退治し、芽立ちをよくするという。

枯れ草の原野が一旦真っ黒と化す。
その後、一雨ごとに爽やかに緑の絨毯へと変貌していく。

人間にも同じことが言えまいか。

温室育ちや無菌室育ちの大人たち、親、子供たち。

一見健やかに育っている。

だけど、一旦社会の寒風に晒され嵐にもまれたとき、彼らは耐えられるだろうか。

日光に当たると病を引き起こす子供たちの姿を、TVで見たことがある。
外出するときには、宇宙服みたいなコスチュームで頭からスッポリと完全防御する。
お気の毒だが、人生の厳しい冬を知らない人たちも、目に見えない宇宙服を纏っているのだろうか。
それとも、一生、温室や無菌室で過ごそうというのか。

「冬来たりなば、春遠からじ」

冬がなければ、本当の春もこない。

寒風に晒され嵐にもまれた分だけ、逞しくそして優しくなれる。

四季のある日本はそれだけでも美しい。

早春の中、ちょっぴり厳しい寒さ(苦労)を求めて旅に出るのも、乙なものかも。

すし食いねー

2007年03月11日 | 
近所に回転すし屋がオープンした。

歩いていけるところに出来たことは喜ばしい。

週に一回は食べないと落ち着かない。

一人で行くことにもすっかり慣れた。
もう皿をうず高く積み上げることもない。
ガリでお茶を濁すことも。

すしにはビールがないと、これまた食った気がしない。

車で移動する日々。
すしを食うたびに、毎回代行を頼む分けないはいかない。

また一つ、幸せが増えた。
   なんとなく落ち着く場所のひとつ。
    日本人に生まれてホントによかった。
           ありがたや、ありがたや。

怪しい出来事  続き

2007年03月10日 | 
突然彼女がいなくなって数日が過ぎた爽やかなある日、警察を名乗る二人の私服刑事がやってきた。

「おとといはどちらに?」
「なぜ、そんなことを?」
「実は・・・」

彼らが言うには、
  おととい、隣の家に泥棒が入った、そうだ。
  しかも、昼間らしい。

その日は、ここに居た。

「なにか、変わったことはなかったですか?」
「別に・・・」
「お客さんは?」

泊りが一組、喫茶が二組。そんなところ。

「他には、誰も?」

車は何台か来る。店に入ってこなければ、いちいちチェックできない。

でも、なぜうちじゃなくて、隣なんだ。
   共働きで、昼間は誰も居ないらしい。

   【犯人はそれを知っている】


うちは、平日ほとんど留守にしている。
     現金は置かないが、ガラクタな品物は山ほど置いてある。
確かに、留守中忍び込まれたらひとたまりもないだろう。
     常々心配はしていた。

しかしここ半年以上、僕は安心しきっていた。

なぜなら、彼女がいつも留守番をしていてくれたから。
   そう、うちにいつ居ていたメス犬だ。

「ハッ!!」
     僕は、一瞬思った。

「刑事さん、実は今思ったんですが・・・」

僕は、彼女がいなくなった経緯をかいつまんで話した。

   【チクッた奴がいる】

二人の刑事は興味深そうに聞き入っていた。

   【犯人は、彼女が邪魔だった】

「面白い推理ですね」

刑事は、鼻で笑った。

そして帰っていった。
   その後のことは聞いていない。

 ★  ★  ★

ところで、うちは監視カメラに、防犯ライトがバッチリ完備です。
  泥棒さん、彼女がいなくなったからって、間違ってもうちには入らないほうがいいですよ。

それから、3月3日付けのブログ、「そして彼女はいなくなった」の彼女、
       もう分かりましたよね。フフフ・・・・・・

  でも、彼女がかわいそう・・・、今頃・・・・・・、ゴメン

怪しい出来事

2007年03月09日 | 
数日前、役場から僕のところに、一本の電話がかかってきた。

「近所から苦情が出てますので」

最初は何のことだろうと思った。

「犬を放しっぱなしにされてるから、近所の方がいたずらされて困ってるらしいですよ」

エッ?と、一瞬耳を疑った。

「飼ってる犬はいませんけど」

今度は相手がエッ?という気配を、電話の向こうで漂わせている。

確かに、うちに居ついているメス犬がいた。

どういうわけか、僕が店に行くと車の音を聞きつけていつも千切れるばかりに尻尾を振って出迎えてくれる。
そして僕のそばを離れない。

僕は留守にすることが多いし、えさもあまりものがあるときしか与えない。
当然、僕がいないとき近所をうろつきまわっているのだろう。

あるとき、いつまでも置いておくわけには行かないので、近くの町に連れて行ったことがある。
三日後に帰ってきた。

そのうち、子供まで産む始末。
これには参った。

そのことを、一部始終役場の人に説明した。

「繋いでてもらえませんか」

どうやら、まだ状況を把握していないらしい。

僕は家を空けることが多く、飼ってる訳でもないので繋ぐことは出来ない。

「どなたが苦情を?」
「それは言えません」

個人情報ナントカらしい。
   変な世の中になったものだ。
だがおそらくすぐ近くの人だろう。
   直接言ってくれればいいのに。

電話は切れた。

次の日以来、千切れるばかり尻尾を振って彼女が僕を出迎えることはなかった。
  こうして彼女はいなくなった。

だが、話は、それだけで終わらなかった。

それから数日後、事件が起きた。

                続きは明日・・・・・・

おふくろさん

2007年03月08日 | 
一部巷で、「おふくろさん」騒動が起きているらしい。

僕のおふくろは今、療養入院中だ。78歳。
週一回はそのおふくろを訪ねる。

病院内は、車椅子に乗ったお年寄りでいっぱいだ。
おふくろもその中の一人。

加齢による機能の低下以外、特別悪いところはない。
その気になれば、自立できそうだ。
僕が見る限り、精神的な要素が大きい気がする。

出歩こうとしない。
人とあまり会いたがらない。
軽い鬱状態なのかもしれない。

高齢化社会。老人天国でなく、老人地獄になっていくだろう。

そうはなりたくない。

無病息災は難しいとしても、『未病息災』なら可能だ。

そのための、三つの条件。

   おおいに出歩く。
   多くの人と会う。
   たくさん話をする。

この三原則を実践する限り、未病を保てるだろう。

   だから、僕は今日も、「ちょっとそこまで小さな旅」をしよう。

ところで、森さん、あんまり「おふくろさん」にこだわらず、自分の歌を信じて歌えばファンは分かってくれるよ。
あの、耳毛の爺さんも長くないから。

「失うものが何もない」人ほど、強いものはない、と思う。
開き直って、デーンと構えてればいい。
流れは自然に沿って、行くべきところへ行き着くものだ。
              なんちゃって・・・・・・

Perfume(パフューム  ある人殺しの物語)

2007年03月07日 | 
フェティシズムなエロスを堪能。
今までにないようなテーマ。
意表をつく展開。
カメラワークもキャスティングもまずまずの映画だったと思う。
   部分的脇役だったが、ダスティン・ホフマンが光っていた。

それに、ドイツ映画なのに、舞台はフランス、言葉は英語という取り合わせなのに、不思議と違和感がない。

いつも思う。

 「終わりよければすべてよし」

意外なエンドに舌を巻いたが、蛇足があったように思う。

死刑台の広場で、引いて終わらせたほうがよかったのではないか。

劇場にかすかな匂いを漂わせても。
  ローズの甘い香りが欲しかった。

それに、なんとなく香水でも買って帰りたい気になる。
  ドイツのケルンはオーデコロンの発祥の地。
        香水やオーデコロンの売店があったら・・・。

映画の内容については、評論家に任せるが、そういう観点から、もう一工夫あってもよい。
     総合的エンターテインメントに欠ける。
             なんとももったいない。

ハリウッドにあるディズニーの映画館では、映画の前に、ミッキーのショーがある。
終わって映画館を出るとテープが張ってあって、それに従って進むと、なんと隣のビルで映画に因んだアトラクションをやっている。
   そこまでがすべて料金に含まれている。ちょっと高いのだけど。

ディズニーランドの「Dancin’Bugs」では、場面に応じて観客席に風が吹き、水しぶきが飛び、匂いがし、座席が動く。

ここまで凝らなくてもよいが、参考に一つでも取り入れてみる価値はあるのではないか。

   映画館の総合プロデュースでもしようか。
            また、バカなことを・・・

人生も、「終わりよければすべてよし」。
       だが、現実は、なかなかそうはいかないようだ。

世界を旅して

2007年03月06日 | 
いろんな国を旅していて、多くの国で痛切に感じる存在がある。

それは、宗教という得体の知れない怪物だ。

無宗教の僕は、代替物として、道徳や禅という儒教の教えから学んできた。

だから、争いや競争といったものには興味がない。

この世に、争いがなくなり、、すべての国が軍事費、防衛費なるものを失くすれば、ほとんどの貧困が払拭でき、豊かな世界が実現できると思う。

思えば、人類は宗教戦争から帝国主義の侵略戦争、体制間戦争、そして冷戦後はテロに名を借りた宗教戦争を繰り返している。

もはや、アメリカさえ植民地化しようなどとバカな考えは出来ないだろうし、独裁政権はなお存在しても、社会主義体制は事実上崩壊し、資本の論理の矛盾が噴出している。

ほとんどの宗教の標榜は、自由、平等、博愛にある。
そして、その旗印の下に愚かな争いを繰り返す。

すべての宗教の真に目指すものは、命の尊さであるはずだ。

自ら死んではいけない、人の命を奪ってはならない。
  基本を忘れたつかの間の均衡は長続きしない。

すべての人間は、いずれ死ぬ運命にあるのだから。

   露天風呂でひんやりとした風を感じながら、ふとこんなことを思った。

    この風は、世界中に繋がっているんだろうな・・・・・・

温泉日和

2007年03月05日 | 
どんよりとした朝。

吹きすさぶ風に、木々が音もなく大きく揺れている。

底の見えない虚脱感が、全身を包む。

僕は、こんな日が無性に好きだ。

何もやる気が起きない。
やる気が起きないのは、何もやらなくてもいいというシグナル。
無理にやれば、墓穴を掘る。
流れに身を任せ、英気を養う・・・・・・温泉日和

それでも赤字

2007年03月04日 | 
確定申告まであと10日。
いつものことだが、まだ何にも手をつけていない。

何事も、尻に火がつくまで動かない、悪い癖がある。

だいたい数字は決まっている。

28年間、万年赤字の決算。
ここ数年、売上高もほぼ一定。
経費も、減価償却もさほど変わりはない。

僕の仕事は、シーズン性がはっきりしている。
それに、基本的に予約制だ。

実は、ここに裏技がある。
    遊んでいても、旅先でも予約業務はこなしている。
    三種の神器の携帯と、パソコンがそれを可能にしてくれる。
       いやなときは、電源を切ればいい。

だから、年間の予定が立てやすい。

オンには目いっぱい休みなしに働く。
オフには思いっきり好きなことをする。
メリハリが点けやすい。

ただ、ここ数年、売り上げも、収入もピーク時の1/3。

年間120日くらいしか働かないので、当たり前だろう。
そう思えば、時給換算は相当なものになる。

  「あとの245日は何してんの?」
とか、
  「もったいない、もっと働いて、稼げば?」
とか、スノビッシュに言われかねない。

お金は、いくらあってもキリがない。
ないのは困るが、ありすぎるととんでもないことになる。

【清貧の思想】、【ハングリー精神】こそ大事(負け惜しみ?)。

今の日本人に欠けているのはこれだろう。

金持ちは貧乏人の苦しみを知らないが、貧乏人も金持ちの苦悩を知る由もない。

それより大切なのは、時間だ。

時間は、金持ちにも貧乏人にも平等にある。
ただ、同じ一日24時間でも、生かし方(使い方)が違うだけ。

     そこで差が出る。

一般に、
     「お金があっても時間がない、
      時間があってもお金がない」
と言われる。

そうだろうか?

適当に働いて(儲けて)、適当に遊ぼうと思っていたらいけない。

必死で働いて(稼いで)、必死で遊ぶ(楽しむ/学ぶ)。

  そうすれば、お金も時間も、そこそこについてくる、ハズ。

おっと、そんなえらそうなこと言ってる場合じゃないんだ。
        確定申告。
        いや、確定深刻・・・・・・

そして彼女はいなくなった

2007年03月03日 | 
彼女は、ある日フラッと予告もなく僕の前に姿を見せた。

小柄な身体に、茶髪、涙目をした大きな黒い瞳が印象的だった。
じっと僕を見つめ、恥ずかしそうに微笑んだ。

彼女は、次の日もやってきた。
そして、また次の日も、次の日も・・・・・・

僕は、食事を彼女とシェアーした。
それから、彼女は僕のそばを離れなくなった。
と言っても、ただそこにいるだけの存在なのだが。
彼女は、あくまでも控えめだった。
  何かを要求するでもなく。
僕と目があうと、いつも嬉しそうに微笑んだ。

お互い束縛はしなかった。

数ヶ月が幸せに過ぎた。
その間、僕は彼女の異変に気づいていた。

いつまでも彼女を中途半端な状態で、僕の元においておくわけにはいかない。

とうとう僕は、意を決し、別れ話を持ちかけ、近くの町まで送っていった。
車から降りると、彼女は悲しい目でじっと僕を見つめた。
   大きな瞳に、うっすらと涙を浮かべて。

「さようなら。元気で、幸せになれよ」
僕の突き放すような言葉に、彼女は寂しそうに黙って見送っていた。
後ろ髪を惹かれる思いで、僕はただ、ルームミラーから遠ざかる彼女を見ていた。
   そして思い切るように、アクセルを踏み込んだ。

数日後、彼女はひっそりと僕の元に戻ってきた。
申し訳そうな表情の中に、いつもの嬉しそうなはにかんだ笑みを満面に湛えながら。
   きっと心のどこかで、僕もそのことを期待していた。
その無邪気な仕草に、たまらず僕は思いっきり彼女を抱きしめた。
   罪悪感とともに。

それからしばらくすると、彼女は子供を出産した。
もちろん僕の子ではない。
   父親は分からない。

彼女は、献身的に子供を育てた。
しかし、これ以上僕にはどうすることも出来なかった。
仕方なく里子に出すことに、彼女はしぶしぶ同意した。

それからはまたしばらく、何事もなかったかのように平穏な時が流れた。
   彼女は、いつもただ僕に寄り添うだけで。

ある日、外出から戻ると、そこには彼女の姿はなかった。

               彼女とは・・・・・・?

屋台

2007年03月02日 | 
昨夜、小料理屋で知り合ったオバ様たちと、久しぶりに屋台で飲んだ。

屋台には、僕がワーキング・プアーだった頃の(今でもそうだが)思い出がいっぱい詰まっている。

それにしても、熊本はめっきり屋台が少なくなった。

屋台は、文化だと思う。

いわば、オープンカフェならぬオープン居酒屋だ。

呉市のように、屋台を復活させて町おこしを図っている地域もある。

僕は、以前から、リバーウォーク構想の一環として、熊本城の長塀通りに屋台を誘致するよう、市に提言してきた。

今、例に漏れず、熊本市も町創り論議がかまびすしい。

故郷のために一肌脱ぎたい。変えんといかん。(東国原か!)

それにしても、屋台で飲む焼酎は、なんであんなにうまいんだろう。

             あー、また、飲みすぎてしまった。