school orientation 2009年09月12日 | 教育 school orientation 先日行った小学校でのスピーチ風景だ。 ここでは、唯一日本語で彼らの意気込みを感じてみた。 この350人の子供たちとの英語だけでの触れ合いが、来週月曜日から本格的に始まる。
英語が出来るといいことって? 2009年09月09日 | 教育 来週から始まる 「英語室」 に先駆け、350人の子供たちと対面した。 ボクを含む7人のコーチがみんなの前で一人ひとり挨拶した。 「英語が出来ると、どんな良いことがあると思いますか」 ボクは聞いてみた。 一人の子が、 「友達がイッパイ出来る」 と答えた。 英語が出来ると、世界中に友達を増やし、世界に平和が訪れる。 自分の世界が広がり、 文字通り、地球規模の世界が素晴らしく変わる。 ボクは、その信念を元に、 350人の子供たちと接していこうと思っている。 早速届いた子供たちからの感想文は、楽しみにしている期待で満たされていた。 「小さな一歩一歩を積み重ねていくと、 とんでもない所に行き着く」 今更ながら、イチローの言葉が重く感じられる。
GO サイン 2009年07月11日 | 教育 先日訪問した小学校の校長先生から連絡が入った。 『英語室』 設置に向けて正式にGOサインが出たのだ。 世界に羽ばたく子供たちのために。 いよいよ 『チーム KAJI』 の旗揚げだ。 サー、突っ走るゾー! といっても、暴走は慎まなければ。 すぐ、調子に乗りすぎるタイプだから。 それで、今まで随分と辛酸を舐めてきたのだ。 ここは落ち着いて慎重に作戦を練らねば。 まず、英語が喋れて、子供が好きで、時間が取れて、ボランティア意識のあるスタッフを集めなければならない。 併せて、ユーモアとセンスが必要。 数人の目途は付いているのだが。 教育委員会と国際交流会館の全面的バックアップがあるのが心強い。 興味ある方、我こそはと思う方は集まられたし。
期待 2009年07月06日 | 教育 親は子に期待を寄せる。 子供の成功を、そして幸せを。 幸せは望むが、 ボクが子供たちに期待するのは成功ではない。 ボクが子供たちに期待するのは、 それは、 挑戦だ。 たゆまぬ挑戦だ。 何かに向かって情熱を打ち込む雄姿こそ美しいものだ。 多くの親は、 子供の成功は望むが、挑戦は忌避する傾向が強い。 子供が何かをしようとすると、 危ないからやめなさい、 汚いからよしなさい、 無理だからやっても無駄よ、 何バカなことを言ってるんだ、 などと言って…。 そして親が考える無難な方法を押し付けては、成功しろと叱咤する。 それがあたかも子を思う善人者だと言わんばかりに。 子供の気持ちを尊重し、才能と感性を信頼し、誇りに思って陰ながらサポートする。 直接手を貸すわけではない。 失敗したら、挫折したら、落ち込んだら、 そっと肩を抱いてやるだけでいい。 うまくいったら、心から喜び称賛の笑顔と言葉を投げかける。 ボクはキミを愛してるし、誇りに思うよ、って。 いつまでも、そういう親でありたい。 《楽力向上委員会》 「楽しみを押し付けるのでなく、 子供が楽しむことを後押しする」
小さな一歩 2009年06月28日 | 教育 市内の小学校を訪ねた。 「英語室」 設置の案件を話し合うためだ。 学校は、動植物公園の隣という環境に恵まれた申し分のない場所にあった。 挨拶と自己紹介の後、 学校側とボクの考えのすり合わせを行った。 おおむね考え方に大きな差異はなかった。 子供たちに国際感覚をどう養うか、焦眉の課題といったところか。 帰りに、候補の空き教室を見せてもらった。 児童数が減り、ポツリポツリと空き教室が目立つ。 シャッター商店街を見る思いだ。 中でも、図書室横の日当たりがよく、眺めもいい3階の教室がよさそうだった。 この部屋に、世界地図や地球儀などを用意しようと、イメージが膨らむ。 9月からの実施を目途に、準備を進めていこうということでほぼ同意を得た。 ただ、事は教育委員会など、公の決定事項。 まだまだ予断を許さない話し合いが続くだろう。 将来の日本、否、世界を担う子供たちに国際感性を植え付け、真の世界平和を実現出来るようにと、意義ある活動を目指す。 壮大な目標も、まずは小さな一歩から。 楽しみになってきた。
感性 2009年06月13日 | 教育 自分の子供の才覚を見抜くのは親の務めだ。 どんな境遇にあっても、生まれたきた子は、須(すべか)らく鋭い感性を持つ。 生まれながらの感性を、潰すも、育てるも親に係ってくる。 目が見えなくても、細かい音を聞き分ける類稀な聴覚を備え、それに気づく親の感性も秀でていたのだろう。 美しいものや、いい音楽に触れさせれば感性は自然と助長される、という。 自ら関心や興味を示すようになれば、強制しなくとも進んでやるようになる。 あとは、親は黙って見守ればいい。 お互いに、親離れ、子離れをし、自分の足で歩き、あるいは自分の羽根で大空を羽ばたき、餌を探し、捕獲する術を身に付ければ、 親は遠くから背中越しに微笑んでいればいい。 もしも、子供が、傷つき、倒れれば、優しく声をかけてやるぐらいでいい。 辻井君の素晴らしい演奏を聴いていて、自らの子育てを自省してみた。
Baby Talk 2009年05月13日 | 教育 先日お腹の大きなお客様の持ち物なかに面白いものを発見した。 60~70センチぐらいのU字型に曲がったチューブ状のもの。 先に、小さなジョウゴのようなものが付いている。 「これ、何ですか?」 ボクは思わず聞いた。 「これでしょ?」 お客様はチョッとはにかみながら教えてくれた。 「お腹の赤ちゃんとお話しする道具なんですって、可笑しいでしょ」 商品名が、「ママと赤ちゃんのはじめてトーク」 という列記とした胎教グッズだそうだ。 いわゆる赤ちゃんと 「胎話」 するものとある。 確かにできるだけ話しかけることがいいらしい。 これならお腹の中まで十分届きそうだ。
教育ローン 2009年03月29日 | 教育 国民の三大義務と権利、双方に 「教育」 が盛り込まれている。 興味深い。 教育を受けさせる義務、 教育を受ける権利、だ。 下の娘が5月、いよいよニューヨークにダンス留学することになる。 現実問題として、お金がかかる。 だが、 金は、 無い。 しかし、教育を受ける権利を行使させ、教育を受けさせる義務を果たさなければならない。 息子の場合もそうだったが、 ここは、教育ローンに頼るしかない。 日本政策金融公庫(以前の国民金融公庫)に出向いた。 だが、いわゆる、正規の学校でないと融資がおりない。 ダンススクールはダメだろうなという、半ば諦めの気持ちがあった。 加えて、この大不況下、貸し渋りや貸し剥がしが公然と流布される金融業界、融資を受けるのは至難の業かもしれない。 「ダメ元」 が信条。 やってみなけりゃ分からない。 やる前から、自分で結論を出さない。 「当たって砕けろ」 も信条。 本来、対象校かどうか、その場ですぐ分かるところが一週間ほど待たされた。 「なかなか、この学校が探せ出せなくて時間がかかりましたが、一応対象校扱いにできます」 オー、第一段階クリアー。 時代は変わってるんだナー、と感じた。 6~7年前(?)までは、国内の進学に限られ、留学には資金が下りなかった。 留学先の窓口も時代の流れとともにダイブ広がってきているようだ。 必要書類をそろえる。 これがまた大変。 決算書が赤字じゃおりない可能性がある。 (実際には、決算書の数字もさることながら、経営者の人柄、人格が大いに評価される。人を動かすのは、数字ではなく、『情熱』 なのだ。) 保障には、信用補償基金を利用。 一週間ほどで結論が出ます、という担当者の言葉を信じて待つ。 二週間が過ぎた。 やっぱりダメなのか。 もうダメだろうと、諦めていた。 他に、金策を考えなければ。 子供の夢を応援するのは親として当然の務めだ。 権利と義務の言葉が、バカみたいに頭の中で交錯する。 民間の銀行も渡り歩いた。 金利がべらぼうに高い。 条件も、厳しい。 そうこうするうちに、三週間が経って封書が届いた。 公庫から、融資のお知らせ。 許可が下りた。 とりあえず、 ホッ!
卒業 2009年03月04日 | 教育 下の娘が高校を卒業した。 一区切りつき肩の荷物が一つ下りた気がして、正直ホッとした。 卒業式は人生のドラマの大きな部分を占める。 それは終わりの日というより、むしろ旅立ちの日という色彩が濃い。 惜別の悲しみ中に、新たな決意が見られる。 涙の中に夢と希望が光る。 達成感と未知の世界への期待と不安が入り混じる。 子供から青年への過渡期でもある。 語りつくせない感情が交錯して、青春がほとばしる。 「毎日バレエと勉強を両立させて、3年間よくがんばった。 時々居眠りすることもあったが、マ、仕方ないかと思っていた」 とは、担任の先生の弁。 「みんなをブロードウエイの観客席に招待できるようガンバル」 娘の言葉に、嫁に出す親父の気持ちに似た高ぶりが襲い、不覚にも目頭を押さえてしまった。
留学 2009年01月19日 | 教育 センター試験が終わった。 現在高校3年生の下の娘も受けた。 だが、彼女は国内の大学に進学はしない。 ニューヨークへのダンス留学を決めている。 昨夜から、一気に留学モードに入った。 学生ビザを取るための手続きだ。 それに、ニューヨークでのアパートを決めなければならない。 業者任せにしないで、すべて彼女が一人で調べながらやっている。 彼女の兄も、同じ17歳で単身渡米した。 アメリカ人と結婚した長女もやがてアメリカへと旅立つことだろう。 自分の夢に向かって突き進む姿は頼もしい。 大変な思いをしながらも、自分の足で一歩ずつ進んでいく。 きっと、この苦労がこれからの成長に大きく役立つに違いない。
ソフト 2008年09月06日 | 教育 金メダルを取ったソフトボールを見ていると、当たっても痛くないなどとは到底思えない迫力だ。 バトミントンも然り。 スマッシュされたシャトルが顔にでも当たれば、痛いの何の。 ところが、今子供たちの体育では、 「痛くない」 が合言葉のように蔓延っているらしい。 ソフトバレーボールはいうまでもなく、ソフトサッカーやソフト跳び箱まであるそうだ。 子供たちに痛い思いをさせないためだという。 思わず、笑ってしまった。 そこまで媚びるか? そこまでしてやらせる必要もないのでは。 付け焼刃的日本人の考え方はどこかまちがっている気がしてならない。 ますます、金メダルの数は減るばかりだろう。 いまや日本人の誇れるものは、アニメとゲームのみになりつつある。 漫画しか読まず、携帯電話より重いものは持ったことのない日本人が増える一方だ。 そうイヤー、ソフトバンクもうけてるしィ。 筋トレギブスをつけ、鉄下駄を履かせなさい、と言いたくもなる。
地理 2008年05月18日 | 教育 地図離れというか、地理離れが進んでいる、らしい。 受験の対象から外されることもその理由のひとつらしいが、 むしろここでも専門家と言われる教える側の知識不足が根本的にあることは、否めない事実だ。 旅人にとって、地理勘、土地勘は重要だ。 下手をすれば命取りにもなりかねない。 生き抜く力に大切な要素に『勘』と『感』というものがある。 セレンディピティ 同様、方向感やリズム感も大切だ。 旅は、そういった 『感』 や 『勘』 を研ぎ澄まさせてくれる。
合格通知 2008年03月23日 | 教育 今年も、合格通知が届いた。 大学の公開講座の受講選定の結果通知だ。 特に試験があるわけでもないが、人気のある講座はなかなか大変なのだ。 今回ボクの応募した講座は、定員二人に対し恐らく数十人の応募があっただろう。 たった二人のうちの一人に選ばれたことは喜ばしい。 毎年のことだが、今回特記すべきことは、、海外から応募できたことだった。 募集期間が、丁度ボクのベトナム滞在とダブって、ハタと困った。 出国前に、ダメモトで大学に問い合わせをして事情を話した。 「今年から講座内容をウェブサイトで公開しますので、そこからでも申し込み出来ますよ」 ナント嬉しいお言葉。 昨年までは、講座内容も冊子を見ないと分からなかったし、 申込も、郵送かFAXのみでしか受け付けてもらえなかったからだ。 かくして僕は、ベトナムから応募することが出来た。 そして、晴れて合格させていただいた。 世界のどこにいてもいろんなことが出来る可能性がある。 便利でありがたい世の中になったものだ。 ボクの模索する生きる道は、まさにこういうことなのだ。 つまり、 「世界のどこにいても、やりたいことをやりながら、自由に生きていく!」
PISA ショック 2007年12月05日 | 教育 OECD による国際学力調査の結果が、またもや物議を醸している。 日本人の学力低下が叫ばれて久しい。 そして、以前低下傾向は続いている。 危機感を募らせれば募らせるだけ、底なし沼でもがいている姿に似てくる。 どうも日本の教育関係者は、授業数を増やせばいいと思っているらしい。 まだ、本質が分かっていないらしい。 授業内容も然ることながら、政治家や教師の質が問われる。 学力低下は、モラルの低下と比例する。 日本人は、そもそも 「勤勉」 が売り物だった。 それが、今や 「金便」 に取って代わった。 金や物の豊かさを追求し、便利さや易きに走る。 心が置き忘れられ、人間関係はズタズタに引き裂かれる。 そこに何が生まれようというのだろうか・・・・・・。
歴史 2007年10月08日 | 教育 ずっと、疑問に思っていたことがある。 なぜ、日本の学校では、世界史と日本史と分けて教えるのだろう、かと。 全ての国がそうであるように、 そもそも、日本の歴史も世界の潮流の中で形成されてきた。 たしかに、朝鮮半島や中国との係わりは、必要に応じて組み込まれている。 しかし、分けて学ぶことは、少なくともボクにとって歴史を分かりづらくしている。 ボリュームの問題はあるだろう。 一部の識者からは、古代から順を追って学ぶのでなく、近代から遡って教えるべくだといった声もある。 最終的には、時間が足りなくなり、近代、現代は駆け足授業となり、肝心なところがお座なりとなってしまうきらいがあるのが実情だろう。 「世界のなかの日本史」 - 日本史を読み解くカギは世界史にあった - という、興味深い図解つきの本がある。 歴史好き、地理好きを殖やすためにも、カリキュラムの工夫が求められる。