カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

桜の住み家

2014-03-19 23:30:11 | 京都徘徊記
御所の東側、寺町通の駐車場にクルマを停めると向い側に・・・
あれ?こんなとこにあったんや!新島襄・八重が住んでいた邸宅です。
よく通る道なのに、今まで気がついてませんでしたw(^_^ゞ





しかも一般公開してます。こりゃ入ってみないとね♪



原則、ネットで見学予約申込をするようですが、空きがあれば当日でも
見学できるとのこと。早速、受付に行って訊ねてみたらOKでした♪
そうそう、この特別公開は3月いっぱいで終わります。4月から9月まで
メンテナンスのため休館となります。(期間中も火曜日は休館)
その後は、従来の一般公開(3月~7月、9月~11月の水、土、日と春と秋の
京都御所一般公開日に合わせて一般公開)に戻ると思います。





新島旧邸は同志社新島会館の敷地内にあります。こちらで受付を済ませて
ルートに従って見学することになります。見学は無料ですが、
1口300円の東日本大震災復興協力金(募金)をお願いされます。

資料パネルなど一部撮影禁止ですが、邸内は撮影可なので・・・


「外観」南側。全景が撮れなかったw



竣工は1878(明治11)年。江戸幕府終焉から10年ほど。三方にバルコニーを
備えた、当時としてはかなりモダンな洋風の建物だったでしょうね。
家具や調度品とともに京都市指定文化財になっています。

同志社教員で医師・宣教師でもあった W.テーラーの助言をもとに、
新島自身が設計したといわれていますが、施工したのは京都の大工職人。
スタイルは洋風ですが和風在来工法である真壁造、寄せ棟の木造2階建です。





「キッチン」
当時の台所は土間が普通だったろうに、フローリングにシステムキッチン!
井戸も部屋の中にあります。この台所は画期的だったでしょうね。



応接間に置かれた八重愛用のオルガン。


「ダイニング」から「応接間」を見る。間仕切りは襖、和洋折衷ですね。

         「書斎」
新島襄が使った机も当時のまま、壁一面の書棚の中には洋書が並んでます。
よく見るとダミーの写真プリントでした。実物は資料センターに保管。


「暖炉」
セントラルヒーティングになっていて、1階の他の部屋や2階にも
温風を送るようになっています。



「応接間」
18畳ほどの洋間で、椅子、テーブルも当時のまま置かれています。

「茶室 寂中庵」

         「2階への階段」
襄の没後、八重は1階洋間を和室に改造し「寂中庵」と称した茶室を造ります。
新島襄は46歳で亡くなりますが、八重は86歳の生涯をこの家で全うします。


「2階へは立入り禁止」でした。
2階は居間と寝室になっています。八重のベッドも置かれているはず。ただ
板張りの洋間を畳敷きに変え、ベッドも脚を取ったものを使ったようです。
階段は狭くて急勾配、町家そのもの。収納が付いた箱階段になっています。
こういうところも洋館建てのようで洋館ではない、和洋折衷の建築ですね。


「トイレ」と「バスルーム」
厠(かわや)じゃなく、トイレと呼ぶべきでしょうね。板張りの洋式トイレは
日本初と言われています。バスタブはさすがに風呂桶?(^_^ゞ



庭から見た「書斎」
この部屋には同志社の学生も自由に出入りすることができ、図書室のように
使用していたといわれています。



「附属屋」
二階建ての洋館、本宅の隣りには和風平屋の附属屋が建てられています。
新島襄が呼び寄せた両親が住んでいたということです。
二世帯住宅のはしりかな・・・


東日本大震災の復興支援を念頭に置いた大河ドラマ『八重の桜』を観て、
初めて知った東北・福島に根づく不屈のプライド、近代日本をきり拓いた
人物達。今になって良いドラマだったなと感じています。

新島襄は言うに及ばず、その襄がハンサムウーマンと称した八重さん
その兄、山本覚馬は同志社創設の大きな協力者であり、「同志社」と命名
したのも彼だとされています。

建物も貴重ですが、これらの人物の半生を知ることも大切ですね。
ちなみに、二人の暮らしは明治23(1890)年、新島襄の永眠により終わりを
告げますが、28歳にして京都に根を下ろした八重のその後は、篤志看護婦として
日清・日露の両戦争の負傷者の看護にあたるなど、ボランティア活動と
チャリティ活動に生涯をささげ、この家で86歳の生涯を終えました。
左京区鹿ケ谷若王子山町の同志社墓地には新島襄・八重の墓が。
その側には山本覚馬の墓もあります。




2014.3/8、新島旧邸にて。


10 コメント

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Unknown (ピィ)
2014-03-20 07:57:06
御所の東というと、そのそばで仕事していたのに、私も全然知りませんでした。
考えてみれば、同志社大からも近いですね。
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なんとかならんのかなー (7駆)
2014-03-20 09:16:54
うーっ!
天井吊り下げの照明器具。
いい雰囲気ですねー
それだけに今風の天井照明コンセント。角型のひっかけるの。
他にいいのんないのかなー?
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☆意外とね >ピィさんへ (路渡カッパ)
2014-03-20 12:28:02
気がつかないものですね、御所の東には同志社関連の建物が他にも多いのですが。
ここはやはり大河ドラマの影響が大きいかな・・・
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☆それそれ >7駆さんへ (路渡カッパ)
2014-03-20 12:30:58
あの角形のひっかけるの、あれをカバーするようなもの考えて製品化すれば
結構需要があるかもね!
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Unknown (Tansk)
2014-03-20 17:52:30
手入れがされてますね。
僕の部屋よりも綺麗。。(爆

福岡は、また一気に寒くなりました。
三寒四温とはいいますが、気温の変化がぱないです。
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☆136年もの >Tanskさんへ (路渡カッパ)
2014-03-20 18:50:30
長持ちっすね、昔の人は丁寧に扱ったのでしょうが・・・(^_^ゞ
こちらも冷えてきたな、もう最後にして欲しいのですがね。
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Unknown (aw@bitlog)
2014-03-21 06:34:03
なんとも贅沢な。
これは見応えありますね。
建築から家具から照明まで、すべてのものが「温故知新」です。
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☆職人 >aw@bitlogさんへ (路渡カッパ)
2014-03-21 10:51:27
何かと興味深い建物ですね、なにせこれが建てられた10年前は
まだ鎖国下の江戸時代ですからね。
町大工にしても見たことも建てたことも無い洋館建てを、よくそれらしく建てたものです。(^_^ゞ
それにしてもセントラルヒーティングや井戸を取り込んだシステムキッチンは驚きですね。
同じ?大工職人としては興味をそそられるのでは?
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Unknown (アネッティワールド)
2014-03-22 01:21:32
同感です。
いいドラマでしたね。
山本覚馬の存在と偉業も初めて知りました。

さっそく行ってきます。

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☆甦る >アネッティワールドさんへ (路渡カッパ)
2014-03-22 19:04:16
ドラマで見たシーンが甦りますよ。
さすがにトイレのシーンは無かったけれど・・・(^_^ゞ
考えたら今の京都に大きな足跡を残している覚馬さん。
あまり取り上げられることが無かったのが不思議です。
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