カッパのロードスター

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路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

乙訓寺で牡丹を

2011-05-14 19:20:57 | 京都徘徊記
お得にデーラーでボタンを・・・変換間違い。(^_^ゞ

GWうろうろ日誌。5月3日の巻ぃ~♪『乙訓寺』へ牡丹を見に行きました。
京都は意外と牡丹の名所が無い、奈良などは長谷寺、當麻寺、石光寺、金剛寺などなどあるのにね。京都ではこの乙訓寺の2000株っていうのが唯一の牡丹スポットのようです。
ちなみにここの牡丹は長谷寺から移植したものです。



二十日草と言われる牡丹の花、見頃を逃すことも多いので今年こそはとHPを毎日チェック。
4月28日に始まった「乙訓寺牡丹まつり」スタート時点では1割程度の開花だとか。今年はスポーツ界やイベントも軒並み自粛延期、牡丹も咲くのを1週間ほど遠慮したようです・・・
5月1日になってやっと5割、3日にようやく見頃になったと言うので、黄砂のヒドイ日でしたが行くことにしました。
この牡丹まつりも先週8日の日曜で終了しました。今はもう来年のために残った花も切り落とされたと思われます。











乙訓寺(おとくにでら)  山号:大慈山 真言宗豊山派 
寺伝によれば推古天皇の勅命により聖徳太子が建立したと言われている古刹です。
もともとこの辺りは古代より人が多く定住していたようで、深い歴史をもっている地域です。518年-526年、継体天皇が住まわれた時は弟国宮(おとくにのみや)と呼ばれています。
桓武天皇により奈良の平城京から784年、長岡京に遷都(平安京遷都の前10年間、都でした)その際、この乙訓寺を都の地鎮として大規模に増築。廃都となっても相当な規模を誇り、室町時代でも10を越す僧坊があったといいます。現在の規模からは想像できませんが・・・

かつて弟国(おとくに)と呼ばれたのと関連は無いだろうが、桓武天皇は実弟の早良親王を長岡京造営担当の藤原種継暗殺に関与したとして、乙訓寺に幽閉。親王は身の潔白を示すため断食されたが、10余日後、流罪処分となり淡路島に護送途中、淀川べりで絶命。その亡骸を桓武天皇は淡路島へ流すという死後処刑を実行したものだからかその後、天皇の母、皇后の死、皇太子の重病が続き、悪疫の流行、天変地異が発生した。
811年、弘法大師の乙訓寺別当就任は「宮廷がたたりを恐れ、弘法大師の祈祷の効験に期待した」という説もある。ちなみに日本の二大密教の祖、真言宗の弘法大師空海と天台宗の伝教大師最澄が最初に出会ったのがこの乙訓寺といわれる。





お寺の話はこのくらいにして・・・
例によって牡丹の写真はフォトチャンネルに収納しておきます。

右下のアイコンをクリック、フルスクリーン・スライドショーでどうぞ。





「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」 と言うのは女性の美しさを形容する言葉で、シャクヤクのように風情があり、ボタンのように華麗で、ユリのように清楚・・・ということらしい。
ちなみに牡丹と芍薬の花はよく似てます。文目と杜若みたいに。(^_^ゞ
どちらもボタン科ですが、牡丹は“木”、芍薬は“草”として見分けます。芍薬は牡丹の花が終わった頃から咲き始めます。











牡丹の花言葉は「王者の風格」と言うだけあって、大輪の華麗な花は見応え充分。
桜にも大輪の八重咲きを牡丹桜なんて呼びます。
ほかに牡丹といえば唐獅子牡丹、緋牡丹お竜・・・なんてね♪
美味しいところでは、牡丹鍋かな。イノシシ鍋っていうより食欲湧くもんね。同じように鹿肉を紅葉、馬肉を桜って言いますよね。
牡丹の花を観賞して、猪肉を連想お腹が減ったという人は余程だと思いますが・・・(^_^ゞ
そんな人には牡丹灯籠の話しでも聞かせましょう。

境内で咲いていた他の花もちらりと


御衣黄(ぎょいこう)桜。咲きだした頃はもっと黄緑の花なんですが。


平戸ツツジ。ツツジとサツキってどう違うんやったっけ・・・


楓の花。実になると例の二枚羽根プロペラのような形になります。


それと・・・傘の花。



2011.5/3、乙訓寺にて。


14 コメント

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Unknown (ピィ)
2011-05-14 20:40:27
早良親王の怨霊はよく物語のテーマにされてますよね。
最近では野村萬斎が安倍晴明を演じた映画の陰陽師がそうだったかな。
推古天皇、聖徳太子の時代というと大和朝廷ですよね。
その頃の京都ってどんな土地でなんと呼ばれてたんでしょうね。
当時は「京」じゃなかったでしょうし。

牡丹はキレイですね。
乙訓は近いけど、残念ながら8日で終わってるのか・・・。
長岡京に (緑茶のふろく)
2011-05-14 22:56:19
住んでいたことがあるのですが、
乙訓寺には行ったことがないです。
1Kさま、、、お地蔵様と傘の集団がいいですね。
また来年・・・☆ピィさんへ (路渡カッパ)
2011-05-14 23:13:54
記事にするのがいつも遅れてしまいます。スミマセン(^_^ゞ
今年は天候の影響もあり開花が遅れて花の勢いもイマイチだったようです。

人間はどうも知識や力の及ばないものに恐れを抱き、それを具現化するために神や怨霊を創り上げますね。
推古、聖徳太子って古事記や日本書紀に出てくるのかな、その頃の京都に関する文献はまず無いのでしょうね。
その頃は山背国葛野郡、秦氏の勢力範囲だったと思われます。桂川流域は早くから発展したが、鴨川の方は原野じゃ無かったのかな。
賀茂神社は平安京以前なので、人の生活もあったのだろうけど。
ゆーたろ ☆緑茶のふろくさんへ (路渡カッパ)
2011-05-14 23:20:22
お地蔵さんやてぇ~、昨日もいらっしゃってたのにぃ1京都さん。
今度来られたら牡丹餅でもお供えしようかなぁ~(笑)
長岡京の何処に住まわれてたのかな、八条ヶ池で甲羅干しでもされてたの?
今年は遅れましたね (京男)
2011-05-15 05:03:32
私も行く時、お寺に電話して聞きました。
ちょっと遠いしね。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はダンプパー♪」とミスハワイさんが巨体を揺すりながら歩く姿を思い出す。
牡丹灯籠・・・幽霊は怖くないけど、生きた人間の怖さをしった怪談です。
♪そんなヤツおらんやろ~ (7駆)
2011-05-15 09:49:32
>牡丹の花を観賞して、猪肉を連想お腹が減ったという人・・・

「牡丹」堪能致しました。
色がきれい・・・まるでシャーベットのよう
いつも通りが一番 ☆京男さんへ (路渡カッパ)
2011-05-15 11:29:15
花にとって今年の気候はやはり辛かったようです。
発芽から開花までの時期に寒波が来ましたからね。
ミスハワイさん、へちまみたいなのをシャカシャカ鳴らしてましたね、
もう知らない人も多いだろうな。
シャーベットを連想 ☆7駆さんへ (路渡カッパ)
2011-05-15 11:35:26
やっぱり食べもんやん!おんなじこっちゃ。(^_^ゞ
猪鍋の肉を皿に盛りつけてあるのを見たら、牡丹の花を連想するのに
牡丹の花を見ても猪肉は連想できませんね。何でやろ?(笑)
あの花びら観てると和菓子にも洋菓子にも見えて、美味しそうやね。
Unknown (jimmy.)
2011-05-15 13:41:50
今年は気温の低い日が続きましたからねぇ、どの花も軒並み開花が遅れているようですね。
こればっかりは予定通りとはいきませんしね。

立てば芍薬、座れば牡丹・・・
最近そんな女性を見かけることが少なくなったような。。。
ある意味男性よりたくましかったり。
Unknown (aw@bitlog)
2011-05-15 22:17:04
精力的ですね。
カメラを抱えたカッパさんが見えるようです。
楽しまさせて貰いました。

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