カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

安土城天主、信長の館。

2013-09-10 17:58:09 | 洛外うろうろ
『文芸の郷』は田園風景の中、広大な敷地に大きな施設群が建ち並んでいます。
しかもその建物が少し変っているので、違和感ありあり・・・(^_^ゞ



よく分らない施設群なので、HPによると

 一見してローマ風の建物が建ち並ぶこの「文芸の郷」は、ヨーロッパ文化交流の国際都市としての安土桃山時代の象徴として誕生しました。
スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している信長の館やパイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである文芸セミナリヨ、総合体育館としてまた多目的ホールとしてスポーツや文化交流にと幅広く活用できるあづちマリエート、四季折々の味を生かした文芸の郷レストランなど、歴史と文化に出会える場所です。


・・・ということです。まだよく分ってませんが。(-。-;)
とりあえず、お腹が減っていたので(遅いランチです3時半)レストランへ。



敷地内の施設それぞれの中にも食べるところはあったのですが、レストランとして
独立しているのはここ「文芸の郷レストラン」だけ。
時間が時間なので、名物メニューの「戦国焼き定食」「安土御膳」などは売り切れ。
ましてや10食限定の「信長ハンバーグ定食」なんて・・・ネーミングはともかく
京都「はせがわ」まで修行に行かれた直伝の味。ってことで期待出来たのに(ザンネン)



「信長そば」と「カレーライス」。注文できたのはこんなもんでして、お蕎麦は
どこが「信長」なのか?? カレーライスは久しぶりに味わう業務用ボンカレー?

気を取り直して、向かったのは「信長の館」。



入館料一般500円、自動販売機で買うのですが、駅前でもらったパンフレットには
50円割引クーポンが付いていたので、直接受付で入館料を払ったのですが・・・
自動販売機で買うチケットには、あのレストランの100円食事券が付いていたとか(+_+)

館内はストロボ禁止の条件で撮影はOK♪





琵琶湖の葦(ヨシ)を漉いた紙で創られた和紙人形。信長の生い立ちから半生の
ストーリーが、シーンごとに並べられています。

さて、ここのメイン展示は何といってもスペイン・セビリア万博の
日本館メイン展示物として復元された安土城天主。



織田信長が築城した幻の名城「安土城」の最上部の5階、6階部分を復元展示。
発掘された当時の瓦を参考に焼きあげて再現した庇屋根、金箔10万枚を使用した
外壁、狩野永徳一門が描いたと伝えられている金碧障壁画の再現を鑑賞できます。


最上階(6階)信長の間?


5階部分は八角形で柱、床、庇までも朱色の漆塗り。6階部分はというと、
見える部分は全て金箔で被われ、金ぴか!何とも派手派手・・・


5階部分の内部も金箔が張り詰められ、意外にも仏画が描かれている。

幻の城「安土城」、その天主復元にあたっては、あらゆる参考文献(と言っても
ルイス・フロイスの『日本史』、イエズス会宣教師らの記録、『信長公記』、
『安土日記』などしか残っていない)や安土城のものかどうか明確ではない
『天守閣指図』と題する建物の図面などから、スペイン・セビリア万博に
展示されたものにさらに手を加え、知り得る限り往事の姿を忠実に原型原寸、
原色原素材で再現したものだそうです。

安土城自体、当時としては独創的。まずは天守閣なるものを造ったのは、この城が
最初だと言われています。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートルと
推測されており、その最上階が居住空間としての機能があった。まさに信長は
当時最高の木造高層建造物に住んでいたことになります。
木造建造物としては東寺の五重の塔57m、東大寺大仏殿48mなどありますが、
これらは塔であったりお堂であるので住居の機能はありません。

ちなみに天守閣と言う呼び方は明治以降につけられたもので、それまでは「天守」
と表現するのですが、特に安土城の場合は「天主」と表記されます。
他に「天主」と呼ばれる建物が岐阜城にありますが、これは城の麓にある御殿で
あり、同じ信長が造ったものでも安土城の天主とは、ちと違いますね。
私思うにこの城は、信長が「天下布武」を成し得たシンボル、記念碑。もしくは
自ら神であることを望んだ「信長教団?」の教会的なものではなかったかと・・・

軍事的な拠点ではなく、政治的な機能を持たせていたのは明らかで、
何より城といえば守りの要であるはずが、あまりにも防御策がなされていない。
大手門までの道は幅6mもある直線、これでは敵の大軍が攻め寄せたら
ひとたまりもない。籠城用の井戸も無く、火災に対する備えも無かったとみられる。
もう自分を攻めてくる敵なんぞありゃしないって自信の表われ?傲慢かも。
本当は不安だったかも知れないが、こういう表現の仕方が信長流なんでしょう。

安土城に関しては、今回は行けなかった安土城跡もあるので、いずれまた実際に
行って確かめられたらいいなと思っています。


「信長の館」、他の展示物はそれほど多くは無いのですが・・・



信長の南蛮フェチは有名ですが、天正9年(1581)京都御馬揃え(織田信長が京都で
行った大規模な観兵式・軍事パレード)にはビロードのマント、西洋帽子を着用し
現れたとか。戦場に赴く時にもこのような南蛮具足を身に付けていたらしい。

また、イエズス会が献上した地球儀・時計・世界地図などをよく理解したそうだ。
家臣などは地球が丸いなどの説明を理解できない様子だったが、
信長は「理にかなっている」と言い、科学的な見識も持っていたようです。
それまでの仏教僧が言う逸話など信じず、木や石は神仏ではないと断言したとか。
そのため安土城の石積みには石仏や仏足石まで、ただの石材扱いで使われています。
一方、安土城天主内の天井、壁画には仏画を描かしたり・・・宗教を否定していた
わけでは無さそうです。神道復興への功績も残していますし。


残忍非道なイメージの信長ですが「お・も・て・な・し」の気持ちも充分・・・


「安土御献立~信長の家康餐応膳~」の復元レプリカ展示
信長が、武田勝頼討伐に功をなした徳川家康を安土城にてもてなした時の献立を
復元したものだそうです。
この宴では信長の死に関わるミステリーも語られていますね。
何せ饗応役を命じられたのは明智光秀。しかし信長の逆鱗に触れ、途中解任されます。
このわずか半月後、信長は本能寺において光秀により討たれます。



NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』のロケに、ここの天主が使われました。


イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロが描いた信長の肖像画
写実的で最も似ていると言われている肖像画です。なかなかの美男子だったようです。
妹の「お市」も絶世の美女だったとか、その娘たち三姉妹も美女揃いだったのかな。
ところで信長の正室「濃姫」との間には子が出来なかったとか、
それでも11男4女の子供が居たようです。(◎_◎)
フィギュアスケートの織田信成くんは、7男信高の家系だとか。



安土城 天主
ここにも天主の模型が置かれていましたが、安土駅前の「安土町城郭資料館」だと
内部構造も分ります。

そう言えばこんな映画もありましたね。




「信長の館」でくじ引きをやっていたので。信長くんステッカー、ゲット♪
・・・残念賞です。(^_^ゞ




2013.8/15、文芸の郷 信長の館にて。


13 コメント

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火天の城は映画でました(〃w〃)ゞ (りちゃ。)
2013-09-10 22:29:45
まぁ、城の作成者をネタにする程にメジャーな歴史人ですもんね。
当然語るほどのネタもござんせんw;;。

文中の通り、かなりの合理主義者だったようですね。
私の推論ですが、おそらくは若き日の置かれた状況が起因かな?と。

生来より尾張織田の後継者として使命を受け、
その重責を感じつつ、しかし難題を覚えつつ、
(駿河・三河の強兵、尾張の弱兵)
逃れたく乱行に及び、しかし模索し、
辿り着いたのが「武器の強化、最新武具の早期導入」
長槍・鉄砲導入が有名ですね。
そして、その武具を用いた新戦術の発案、
その武具を購入できる経済政策の導入→楽市楽座。
そのための先入観のない新人材雇用での人材流動化。
武士の専業化、などなど。
今に通じる発想の数々です・・・というより今の方々が転用してるのかな?w;

多分全ては「弱点を補い対処するには?」という葛藤だったのかなとも。
同時に「攻撃こそ最大の防御」を実践するための一生だったとも思います。

とまぁ、大層に書いてますが、
そもそも論じれるほどのコト、私してないっすw;;。
自分にダメだしでそうなんで、講釈はこれまでー(((;><)
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あ。タイトル間違えた( ̄  ̄;) (りちゃ。)
2013-09-10 22:30:54
正しくは「火天の城は映画で観ました」
でしたーw;;。
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★火天の城 >りちゃ。さんへ (路渡カッパ)
2013-09-11 01:28:44
ヒットしませんでしたねw
信長、秀吉、家康の人物像を推測するのは面白いですね。いずれ劣らぬ個性派かも知れません。
まぁ、封建時代の権力のトップですからね凄い人間だったのでしょうね。
信長は意外と、自分から仕掛けた戦は人生で一度も無いそうです。
反逆や裏切りに対しては倍返し、10倍返しで徹底的に潰したようですが。
天下のリーダーとして相応しかったかどうかは、はなはだ疑問ですね。
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Unknown (ピィ)
2013-09-11 07:51:54
「はせがわ」の味とボンカレー風味の落差がスゴイですね。
メニューによって力のいれ具合が極端に違うのかな(笑)
天守閣が安土城で生まれたとは知りませんでした。
それ以前のお城って、どんな形状だったんでしょうね。
たしかに鎌倉や室町はお城のイメージがありません。
広大な館やお寺に住んでいるイメージです。
信長の実子もそんなにいたんですね。
全然、ドラマなどにも出てこないですよね。
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施設すごいなぁ (京男)
2013-09-11 08:19:14
おはようございます。
結構な施設ですね。
チャンと運営できているのかな?
信長ハンバーグってちょっと笑えます。
ハンバーグっていつぐらいからあった料理なんだろう・・・。
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なかなか・・・ (7駆)
2013-09-11 09:02:47
面白そうな施設ですね。
ちょっとパラダイスの臭いもあるし。
滋賀県内は結構うろうろしているのですが、
ここは看板はよく見かけるだけで寄ったことなし。
ちょっと幹線道路からはなれているのかなー

とりあえず、訪れた際には50円割引クーポンか、
自販機で券買って100円食事券getするな悩んでみます
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☆城郭 >ピィさんへ (路渡カッパ)
2013-09-12 00:24:16
大坂城とか姫路城、どうしても天守閣が無いと城って感じがしませんね。
僕らがイメージする城は藤堂高虎が設計したものが多い気がします。
天守閣はおそらく物見櫓と蔵なんかの機能が発展したのかも、
居住空間を持たせて権威の象徴みたいになったのは安土城あたりが
初期なのでしょうね。
信長、兄弟も多いし、子供は一説には26人とも・・・母親は何人いたことやら(^_^ゞ
長男(信忠)は本能寺の変で死んでます。嫡孫である秀信は関ヶ原でも戦ってますよ。
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☆いわゆる箱もの行政? >京男さんへ (路渡カッパ)
2013-09-12 00:25:12
信長をハンバーグ、どう考えても繋がりませんね。
宣教師が献上したバナナを食べたって記録はあるそうですが。
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☆田んぼの中に突如 >7駆さんへ (路渡カッパ)
2013-09-12 00:25:43
こんなけったいな建物群があります。駐車場もだだっ広いので
一度寄ってみてください。信長ハンバーグ食べに。(^_^ゞ
気にする額じゃ無いんですが、得したつもりが損やったみたいな・・・
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Unknown (Tansk)
2013-09-12 18:42:47
信長さんも、色々大変ですなあ。。。
有名人になると、こういう使われ方されると
思うと。。。
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