![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/f4/9b93e54ee26ac111af6ed9ed485bcc16.jpg)
しつこく姉小路(あねやこうじ)通りを、富小路(とみのこうじ)、
麩屋町(ふやちょう)、御幸町(ごこまち)辺りをうろうろ。
これにて今回の散策はラスト。
それにしても通り名の読みって、法則が無いですね。(^_^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b0/6987c721cf983a53bc07442914aaa725.jpg)
〈便利堂〉姉小路通富小路下ル
京行燈に長暖簾、水引暖簾(軒暖簾)・・・いかにもって感じ。
1887(明治20)年創業の老舗、コロタイプ印刷による絵はがきなどを
扱ってらっしゃる。もちろん販売も。
〈naeclose〉便利堂の南隣り、アクセサリーのお店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/88/d2c61f9b15709aa6d96bcdf9defad287.jpg)
〈とん漫〉姉小路通富小路下ル
格子戸の奥、路地をずずっと進めば突き当たりに・・・
純和風情緒が漂う創業昭和23年のとんかつ屋さんがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/25/32ca6ad24e8a4f2a3c6e482a5dc7b1e5.jpg)
〈泉屋市古商店(いずみやいちこ)〉姉小路通富小路東入ル
昭和12年創業で、現在はお酒と味噌・醤油を販売している店です。
看板右にある盛田合資会社とは、ソニーの盛田昭夫氏の生家である
造り酒屋(現在盛田株式会社)のことで、山泉は盛田株式会社の
登録商標です。こちらの初代が、盛田合資会社京都支店長を退職され
独立された時の開店祝いに贈られたものだとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c0/19822869d425520a032a760783f10707.jpg)
〈平野とうふ〉姉小路麩屋町北西角
俵屋、炭屋、柊家など品格ある老舗旅館が軒を連ねる麩屋町通り。
明治期創業の平野とうふは、これらの旅館に豆腐を卸し続けている
老舗のおとうふ屋さん。初代の豆腐は北大路魯山人も食し、2代目は
白洲次郎にも好まれたというもので、現在3代目がその味を頑なに
守り続けていらっしゃる。
京都と言えば、おとうふ。その京都人がすすめるおとふ屋さんの
ひとつどす。平野とうふ、正式名は看板通りの「丸平商店」だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7c/982a143c2c67b5ea5b7ec1b88844009b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6b/87f0a0d227f8c739bae6f4256aed0406.jpg)
〈柊家(ひいらぎや)〉麩屋町通姉小路上ル西側(御池麩屋町南西角)
1818年(文政元年)に運送業・海産物商として創業した「柊家」、
時は幕末、二代目が1864年(文久元年)に宿を本業とし、
「柊家旅館」を開業し今に続く老舗旅館です。
川端康成がこよなく愛したという部屋があるなど、利用された
著名人は数限りないのでしょうが、私なんかには敷居が高い?
文化人としての知識や経験を身につけてないと・・・(^_^ゞ
誰でも泊まれる宿ですが、“資格”が要るように感じてしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/75/42efa79f552334ca87fd4770d1068815.jpg)
こちらは「俵屋」さん
創業300余年のこの「俵屋旅館」は京都で最も古い旅館の一つです。
大の京都好きとして知られるApple創設者故スティーブ・ショブズ氏が
お気に入りで定宿にしていたことが自伝に書かれているようです。
他にも初代総理大臣である伊藤博文をはじめ、映画監督スピルバーグ、
俳優リチャード・ギア、トム・クルーズなどの有名人も虜にした
老舗旅館、ちょっと桁違いな感じが・・・
究極のおもてなしが味わえそう、泊まってみたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/0c/7e3c62d8474c303ec27ff33f6cf2a1cd.jpg)
〈俵屋(たわらや)〉麩屋町通姉小路上ル東側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/66/31926765a98afef1ecc47b29c5daca7f.jpg)
〈彩雲堂(さいうんどう)〉姉小路通麩屋町東入ル
富岡鉄斎(明治・大正の南画家)が命名、揮毫し主人に贈ったという
濡額が威風堂々と据えられている。
江戸末期より続く絵の具と筆の老舗です。京都で絵の具と筆?
ちょっと意外かも知れませんが、その理由は京都には優れた日本画家
たちがいたこと。特に明治時代以降に活躍した画家たちは
「京都派」や「京都画壇」と呼ばれ近代日本画の発展に大きな影響を
与えました。こうした優れた画家たちが道具を作る職人たちを育て、
そして職人が作り出した道具が画家たちを支えてきたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/1c/e23a232439a918c61a79f99221bd93a8.jpg)
彩雲堂の東隣りは「総本家 河道屋」なんですが、その前にちょっと
創業は元禄年間、300年続く生そばの老舗。
ここもまた故スティーブ・ジョブズ氏が頻繁に来ていたお店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/10/5d8394589ffb955df3228d54199f7ada.jpg)
〈晦庵 河道屋(みそかあん かわみちや)〉麩屋町通姉小路下ル
これまた意外かも知れませんが、京都には老舗の蕎麦屋が存在します。
本家尾張屋などは1465(寛正6)年創業と言いますから、室町時代。
550年以上も続いています。
7世紀から鎌倉時代にかけて遣唐使や留学僧らがもたらした素麺に
至るまでの技法を寺院が採り入れて、宮中や公家とともにこれを
普及させたという都ならではの歴史があり、京都はわが国における
麺文化発祥の地でもあるのです。
蕎麦で言えば京都の場合、菓子職に始まり、寺院から蕎麦切りの
依頼があるので、どの菓子屋も蕎麦が打てなければならなかった。
上手く蕎麦を打つ菓子屋が良い菓子屋ということになり、蕎麦打ちの
技量によって菓子屋の評価が左右されたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9b/878800e5423889a62fc8eed1fb9f6df1.jpg)
〈総本家 河道屋〉姉小路通麩屋町東入ル
京土産の「そばぼうろ」の元祖はここだと言われていますが、
京都には主に3軒のお店が有名で、ちょっとまぎらわしい。
総本家 河道屋は「蕎麦ほうる」
本家 尾張屋はというと「蕎麦ぼうる」
丸太町かわみち屋は「蕎麦ぼうろ」と言います。
それぞれ特徴はあるのでしょうが、はっきり言って類似品?(^_^ゞ
室町時代、外国の宣教師が布教のために配った「ボーロ」が
始まりと言われ、明治の末に「総本家 河道屋」が和製クッキーとも
いえる「ぼうろ」にそば粉を加え、梅鉢紋型に焼いたものを
売り出したのが、現在の蕎麦ぼうろとして普及しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/89/ee2db1904bda38306fd8af22d37c26ec.jpg)
煉瓦の煙突が・・・今でもここで焼いているのかな?
看板には蕎麦ほうるのデザインがあしらわれている。
そう言えば、梅型と丸いのも・・・あれって中を抜いたものかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/23/9508343842ee3e947c7017578dca0eb6.jpg)
〈新古美術 山定〉姉小路通御幸町西入ル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/82/acaa35019dd2e405c99fc6d7c060e426.jpg)
〈なが田〉姉小路御幸町北西角 〈IONビル〉姉小路御幸町北東角
「山定」と2戸1で並んでいるのが「なが田」さん、隣りの古美術商
とはガラリと違い、お持ち帰り専門の総菜・サンドイッチ屋さんです。
御幸町通を隔てて向かいは、レコード店「PROTOTYPE」や
アジア料理店「BUNNY b」が入っているビル。
さて今回の姉小路界隈はこれでお終い。
御幸町通を南下して三条通を西にコインパーキングまで戻りました。
途中、京都文化博物館なんかに寄ったりしながらね・・・(^_^ゞ
烏丸通まで来たところで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/8c/b19e1f6329dde58727cedbf7308c759a.jpg)
〈みずほ銀行 京都中央支店(旧第一銀行京都支店)〉烏丸三条南西角
京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)と同じく、辰野金吾の
設計によるものです。1906(明治39)年に建てられたものは、1999年に
取り壊し、2003年にファサード保存もされず、古い建築資材を再利用
することもなく、同じ場所に新たにレプリカ再建したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ed/136b6de1b833a9b6512c9aaff6541948.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d2/3b9bed37a17b760131a95c6ea3dd9c16.jpg)
〈文椿(ふみつばき)ビルヂング〉三条両替町北東角
1920(大正9)年に建てられた木造の洋館を、商業施設として2004年に
リノベーションされた建物です。大正浪漫の香りが・・・?
ファッションやアート、焼肉店なども入っています。
私らが以前行ったカフェはもう無いようですが・・・(^_^ゞ
そうそう、柴犬柄生活雑貨『和んこ堂』と言うのがあるようですよ♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d7/49d54f0b7cd93544374b4127863ebc17.jpg)
文椿ビルヂングとは両替町を挟んで向かいに・・・
280年近く続く帯問屋、誉田屋源兵衛の建物があります。
「三条誉四屋」の看板が目につきますが、1階は韓国カフェ。
韓国伝統茶や、韓定食、韓国風の薬膳料理を頂くことができ、
また、韓国の渋柿染めのファブリックや、韓国の家具や小物も
置かれているようです。
オーナーは誉田屋源兵衛十代目山口源兵衛さんと
沈娟卿(シム・ヨンギョン)さんご夫妻。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/64/adfcb806ce985a9d41d734cdea5659d7.jpg)
〈素夢子 古茶屋(そむしこちゃや)〉三条両替町北西角
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/02/6f93aff4eb83fe01598aa60e6e204b1c.jpg)
2016.1/10、姉小路かいわいにて。
麩屋町(ふやちょう)、御幸町(ごこまち)辺りをうろうろ。
これにて今回の散策はラスト。
それにしても通り名の読みって、法則が無いですね。(^_^ゞ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b0/6987c721cf983a53bc07442914aaa725.jpg)
〈便利堂〉姉小路通富小路下ル
京行燈に長暖簾、水引暖簾(軒暖簾)・・・いかにもって感じ。
1887(明治20)年創業の老舗、コロタイプ印刷による絵はがきなどを
扱ってらっしゃる。もちろん販売も。
〈naeclose〉便利堂の南隣り、アクセサリーのお店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/88/d2c61f9b15709aa6d96bcdf9defad287.jpg)
〈とん漫〉姉小路通富小路下ル
格子戸の奥、路地をずずっと進めば突き当たりに・・・
純和風情緒が漂う創業昭和23年のとんかつ屋さんがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/25/32ca6ad24e8a4f2a3c6e482a5dc7b1e5.jpg)
〈泉屋市古商店(いずみやいちこ)〉姉小路通富小路東入ル
昭和12年創業で、現在はお酒と味噌・醤油を販売している店です。
看板右にある盛田合資会社とは、ソニーの盛田昭夫氏の生家である
造り酒屋(現在盛田株式会社)のことで、山泉は盛田株式会社の
登録商標です。こちらの初代が、盛田合資会社京都支店長を退職され
独立された時の開店祝いに贈られたものだとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/c0/19822869d425520a032a760783f10707.jpg)
〈平野とうふ〉姉小路麩屋町北西角
俵屋、炭屋、柊家など品格ある老舗旅館が軒を連ねる麩屋町通り。
明治期創業の平野とうふは、これらの旅館に豆腐を卸し続けている
老舗のおとうふ屋さん。初代の豆腐は北大路魯山人も食し、2代目は
白洲次郎にも好まれたというもので、現在3代目がその味を頑なに
守り続けていらっしゃる。
京都と言えば、おとうふ。その京都人がすすめるおとふ屋さんの
ひとつどす。平野とうふ、正式名は看板通りの「丸平商店」だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/7c/982a143c2c67b5ea5b7ec1b88844009b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/6b/87f0a0d227f8c739bae6f4256aed0406.jpg)
〈柊家(ひいらぎや)〉麩屋町通姉小路上ル西側(御池麩屋町南西角)
1818年(文政元年)に運送業・海産物商として創業した「柊家」、
時は幕末、二代目が1864年(文久元年)に宿を本業とし、
「柊家旅館」を開業し今に続く老舗旅館です。
川端康成がこよなく愛したという部屋があるなど、利用された
著名人は数限りないのでしょうが、私なんかには敷居が高い?
文化人としての知識や経験を身につけてないと・・・(^_^ゞ
誰でも泊まれる宿ですが、“資格”が要るように感じてしまう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/75/42efa79f552334ca87fd4770d1068815.jpg)
こちらは「俵屋」さん
創業300余年のこの「俵屋旅館」は京都で最も古い旅館の一つです。
大の京都好きとして知られるApple創設者故スティーブ・ショブズ氏が
お気に入りで定宿にしていたことが自伝に書かれているようです。
他にも初代総理大臣である伊藤博文をはじめ、映画監督スピルバーグ、
俳優リチャード・ギア、トム・クルーズなどの有名人も虜にした
老舗旅館、ちょっと桁違いな感じが・・・
究極のおもてなしが味わえそう、泊まってみたいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/0c/7e3c62d8474c303ec27ff33f6cf2a1cd.jpg)
〈俵屋(たわらや)〉麩屋町通姉小路上ル東側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/66/31926765a98afef1ecc47b29c5daca7f.jpg)
〈彩雲堂(さいうんどう)〉姉小路通麩屋町東入ル
富岡鉄斎(明治・大正の南画家)が命名、揮毫し主人に贈ったという
濡額が威風堂々と据えられている。
江戸末期より続く絵の具と筆の老舗です。京都で絵の具と筆?
ちょっと意外かも知れませんが、その理由は京都には優れた日本画家
たちがいたこと。特に明治時代以降に活躍した画家たちは
「京都派」や「京都画壇」と呼ばれ近代日本画の発展に大きな影響を
与えました。こうした優れた画家たちが道具を作る職人たちを育て、
そして職人が作り出した道具が画家たちを支えてきたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/1c/e23a232439a918c61a79f99221bd93a8.jpg)
彩雲堂の東隣りは「総本家 河道屋」なんですが、その前にちょっと
創業は元禄年間、300年続く生そばの老舗。
ここもまた故スティーブ・ジョブズ氏が頻繁に来ていたお店。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/10/5d8394589ffb955df3228d54199f7ada.jpg)
〈晦庵 河道屋(みそかあん かわみちや)〉麩屋町通姉小路下ル
これまた意外かも知れませんが、京都には老舗の蕎麦屋が存在します。
本家尾張屋などは1465(寛正6)年創業と言いますから、室町時代。
550年以上も続いています。
7世紀から鎌倉時代にかけて遣唐使や留学僧らがもたらした素麺に
至るまでの技法を寺院が採り入れて、宮中や公家とともにこれを
普及させたという都ならではの歴史があり、京都はわが国における
麺文化発祥の地でもあるのです。
蕎麦で言えば京都の場合、菓子職に始まり、寺院から蕎麦切りの
依頼があるので、どの菓子屋も蕎麦が打てなければならなかった。
上手く蕎麦を打つ菓子屋が良い菓子屋ということになり、蕎麦打ちの
技量によって菓子屋の評価が左右されたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9b/878800e5423889a62fc8eed1fb9f6df1.jpg)
〈総本家 河道屋〉姉小路通麩屋町東入ル
京土産の「そばぼうろ」の元祖はここだと言われていますが、
京都には主に3軒のお店が有名で、ちょっとまぎらわしい。
総本家 河道屋は「蕎麦ほうる」
本家 尾張屋はというと「蕎麦ぼうる」
丸太町かわみち屋は「蕎麦ぼうろ」と言います。
それぞれ特徴はあるのでしょうが、はっきり言って類似品?(^_^ゞ
室町時代、外国の宣教師が布教のために配った「ボーロ」が
始まりと言われ、明治の末に「総本家 河道屋」が和製クッキーとも
いえる「ぼうろ」にそば粉を加え、梅鉢紋型に焼いたものを
売り出したのが、現在の蕎麦ぼうろとして普及しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/89/ee2db1904bda38306fd8af22d37c26ec.jpg)
煉瓦の煙突が・・・今でもここで焼いているのかな?
看板には蕎麦ほうるのデザインがあしらわれている。
そう言えば、梅型と丸いのも・・・あれって中を抜いたものかな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/23/9508343842ee3e947c7017578dca0eb6.jpg)
〈新古美術 山定〉姉小路通御幸町西入ル
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/82/acaa35019dd2e405c99fc6d7c060e426.jpg)
〈なが田〉姉小路御幸町北西角 〈IONビル〉姉小路御幸町北東角
「山定」と2戸1で並んでいるのが「なが田」さん、隣りの古美術商
とはガラリと違い、お持ち帰り専門の総菜・サンドイッチ屋さんです。
御幸町通を隔てて向かいは、レコード店「PROTOTYPE」や
アジア料理店「BUNNY b」が入っているビル。
さて今回の姉小路界隈はこれでお終い。
御幸町通を南下して三条通を西にコインパーキングまで戻りました。
途中、京都文化博物館なんかに寄ったりしながらね・・・(^_^ゞ
烏丸通まで来たところで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/8c/b19e1f6329dde58727cedbf7308c759a.jpg)
〈みずほ銀行 京都中央支店(旧第一銀行京都支店)〉烏丸三条南西角
京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)と同じく、辰野金吾の
設計によるものです。1906(明治39)年に建てられたものは、1999年に
取り壊し、2003年にファサード保存もされず、古い建築資材を再利用
することもなく、同じ場所に新たにレプリカ再建したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ed/136b6de1b833a9b6512c9aaff6541948.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d2/3b9bed37a17b760131a95c6ea3dd9c16.jpg)
〈文椿(ふみつばき)ビルヂング〉三条両替町北東角
1920(大正9)年に建てられた木造の洋館を、商業施設として2004年に
リノベーションされた建物です。大正浪漫の香りが・・・?
ファッションやアート、焼肉店なども入っています。
私らが以前行ったカフェはもう無いようですが・・・(^_^ゞ
そうそう、柴犬柄生活雑貨『和んこ堂』と言うのがあるようですよ♪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/d7/49d54f0b7cd93544374b4127863ebc17.jpg)
文椿ビルヂングとは両替町を挟んで向かいに・・・
280年近く続く帯問屋、誉田屋源兵衛の建物があります。
「三条誉四屋」の看板が目につきますが、1階は韓国カフェ。
韓国伝統茶や、韓定食、韓国風の薬膳料理を頂くことができ、
また、韓国の渋柿染めのファブリックや、韓国の家具や小物も
置かれているようです。
オーナーは誉田屋源兵衛十代目山口源兵衛さんと
沈娟卿(シム・ヨンギョン)さんご夫妻。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/64/adfcb806ce985a9d41d734cdea5659d7.jpg)
〈素夢子 古茶屋(そむしこちゃや)〉三条両替町北西角
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/02/6f93aff4eb83fe01598aa60e6e204b1c.jpg)
2016.1/10、姉小路かいわいにて。
このあたりうまく街並みを残していると思います。
テナントで入ったら経営がキツイでしょうね。
だからよくお店が変わります。
地方によくある観光地のようになっても嫌だしな・・・
経営は難しいでしょうが、10年過ぎの店も出始めてますね♪
趣がありますね。
すぐ壊して新しい建物ってわけじゃないのが
素晴らしいです。
熟練工の高年齢化で、補修が大変そうですが。。。
愚痴ですが、最近の方は、できないと
なぜ教えてくれない?とか、切れるので
やりにくいです。
僕の修行時代だったら、大変なことに
なってましたよ。。。
550年以上続く蕎麦屋って・・・・どんなんや。
今時の商売で500年続くのってあるんかなー
自分で考えるとか、見て習うということができない。
注意すると切れたり、すねたり・・・困ったもんですヮ。
創業200年以上 日本3146社で断トツ1位、ドイツ837社、オランダ222社、フランス196社と続くようです。
国内の老舗でも京都の比率は1/3以上。世界一老舗の多い街かもね。
ちなみに本家尾張屋は日本一古い蕎麦屋です。
とっても勉強になりました。
会社で30年、国で70年が大きな区切り
節目と言われる中で
創業200年以上は神の存在ですね。
早く時間作って京都に行きた~い
老舗が良いかどうか分かりませんが、世界でも稀に見る国(上参照)、なんか国際的にも自慢できますね♪
550年の蕎麦屋さんはすごいですね。
日本最古のお店が身近にあるのなら、一度行っておきたいところです。
現存している中では京都のここが一番古いお店ということですが、蕎麦自体の発祥の地は日本のどこなんでしょうね。
蕎麦はそれこそ縄文弥生の遺跡からも見つかるのですが、そば切り(麺として)食されるようになったのは室町時代からのようです。
本家尾張屋さんもそば切りを始めたのは江戸中期からだとか。
さて、そば切りの発祥の地となると、諸説あり・・・絞り込めば、信濃、江戸、大坂、尾張、大和、京都。絞り込めてませんね。(^_^ゞ
歴史から言うと大和(奈良)が最初だと思うのですが。