カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

赤レンガにサクラ色。

2016-04-12 23:18:46 | レトロ建築
陸自宇治駐屯地の建物は、明治・大正・昭和戦前のものが4割以上
だそうです。何せ日清戦争を契機にできた所ですからね。
中でも煉瓦造りの建造物は25棟も遺されているとか。



煉瓦マニアには堪らない。レンゲ畑ならず、レンガ畑?(^_^ゞ
ただ、一般開放されるのは年に3回だけ。
それも建物見学のためではないので、近寄れるのは一部だけでした。



同じような建物が多いので、マニアになりきれない私にはよく分からない
のですが・・・ざっと、
補給部:需品倉庫、通信電子倉庫、整備部:木工所、器材工場、
キャンバス工場、メッキ工場、総務部:外来宿舎、授講室、教場などなど
の煉瓦造りの建物が並んでいます。







立ち入り禁止区域ばかりなので、全部は見られませんが・・・



機能重視の建物でしょうが、アーチ窓に瓦屋根、なんかイイ感じですね♪


〈補給部回収課及び保管課及び管理課〉



真っ赤なドラム缶の消火用水も雰囲気です。

〈補給部回収課及び保管課及び管理課〉





授講室、教場かな・・・


〈図書室〉




明治から平成まで、現役で使われ続けているというのが凄いですね。
煉瓦の積み方はみんな、イギリス積みかな。


さて、駐屯地のシンボル。貴重な煉瓦建造物といえば・・・



やっぱりコレかな、今は展望塔として活用されています。



この展望塔は、もともと明治28年(1895年)の日清戦争の時代に
「陸軍砲兵工廠宇治火薬製造所」の水槽塔として建てられたものです。
大戦後は宇治市の給水施設として使用されていましたが、水槽部分の
老朽化に伴いタンク部分を撤去、平成6年に展望部分を設置して
現在の26mの高さの建物になっています。






一般公開されるのは春の桜まつりと秋の創立記念日だけだそうです。



中は随分補強されているようでした。壁沿いの階段を登って行くと
最上階の展望室に到達します。
外から見ると4階建に見えますが、階段フロアは6階分あったかな。
だから窓と階段フロアが完全に一致してません・・・






最上階、展望室から写真を撮りたいところですが、撮影は禁止。
やはりな、軍事機密か何かかな・・・と思ったら
周辺住民のプライバシーを守るためってことでした。それも納得。






この塔の前には枝垂れ桜の大木があるのですが、
残念!まだ今年は咲いていませんでした。検索すると見事に満開の
年もあるのですがね。





塔の中にこんな貼り紙が「刻印のある古~い耐火レンガ、どこに
あるか探してね」・・・



塔の廻りを探しまわりましたが・・・あらへんやん!
門番?の自衛官に「教えて、何処にあるのん」って聞いても
笑って、探してみて下さいって言うばかり・・・(⌒-⌒)ニコニコ
写真をよく見ると床か地面ですね、塔に無ければアソコかな?って
ここへ来る前に撮影した場所に戻ってみて・・・



ありやしたぁ~!発見~♪



上の写真は菱形にSSの刻印かな、『品川白煉瓦株式会社』の
刻印のようです。



これらは保存状態の良い、はっきりした刻印が残っていますね。
右の「BIZEN-□-INBE」は「備前-□-伊部」?
備前市伊部(いんべ)は、耐火レンガ発祥の地であり、現在も
耐火レンガの町として知られています。

左は「ACID PROOF KIOTO TAKAYAMA KOZAN」の刻印ですね。
今も株式会社高山耕山という会社がありますが、
この会社の沿革では、
明治5年・京都清水焼の窯元である高山源兵衛(耕山と号す)は、
耐酸セッキ煉瓦及び磁器煉瓦を日本で初めて製造し、造幣局の
前身である大蔵省大阪精錬所に納入する。
とあります。
ACID PROOF=耐酸・レンガの生みの親だったのですね。



他も探したのですが、汚れていてこれくらいしか見つかりません。
左は桜の刻印ですね。真ん中のは「×」でしょうか、だとしたら
「岸和田煉瓦」が明治26年~大正8年までに使用していた刻印。
右のはちょっと分かりません。



煉瓦刻印探しは夢中になってしまいますね。ここだけでもまだまだ
あったようですが、見つけることはできませんでした。







2016.4/2、陸自宇治駐屯地にて。