もう20年前の3月のこと。私は、大学院博士課程の2年生。アルバイト先の神奈川理容美容学校(横浜市港北区綱島)の講師控え室で、日比センセイは鞄から昼食を出す。奥さん手作りのサンドイッチとテトラパックの牛乳が、センセイの決まった昼食。私のは、東急東横線の綱島駅構内にある「京樽」で買った、おにぎりセットと納豆巻き1本。これも例外なくワンパターン。しかし、奨学金が入ったときは、サンジェルマンのチョコレート・デーニッシュ1個が加わることもある。
食事が終わると、センセイは必ず鞄から胃潰瘍の薬を取り出し、テトラパックの牛乳で薬を飲む。
その後、センセイと午後の講義前のひとときを過ごす。
センセイは、73歳。神奈川県の保健所長を最後に退官し、理容美容学校で講師として、皮膚科学、公衆衛生、そして解剖学を教えている。センセイは獣医師免許も持っている。
「福井さん、今月で、この学校をお辞めになるんですよね」と、センセイ。
「はい。来月からは、幸運にも日本学術振興会の奨励金をいただくことができました。新しい制度ができて、院生からでも給料が貰えるんです。これまで長いことバイト生活でしたが、研究に集中することができます」と、ちょっと自慢げに私が話す。センセイは、寂しげに口を開く。
「そうですか、福井さんには、もう会えないのですね。それでは、今度、箱根に一緒にいきませんか。」
73歳のセンセイと一緒の一泊2日の旅行か? だいぶ躊躇したが、折角なので、行くことにした。その日、横浜から東海道線で小田原駅へ行き、バスで湯本へ。一泊旅行なのに、センセイは、いつもの茶色い皮の鞄を持っている。歩いて、神奈川県共済組合の宿に向かう。一緒に温泉に入り、センセイの人生を聴く。
「私、2・26事件の時、島根にいましてね。農林省の役人をしていたんです」と、センセイ。
「2・26事件って、日本史の教科書に出て来る事件のことですか?」
「そうです。その頃、悪い遊びを覚えてしまいまして。それで、親兄弟が心配しましてね。兄に東京へ連れ戻されたんです。それで、県丁勤めに変わったんです。それから、ほどなくして、女房と結婚したんです」とセンセイ。センセイの眼は何だか虚ろ。
風呂から上がり、部屋で食事をいただく。「福井さん。私はあまり酒を飲まないんですが、今日は飲みませんか。女房から、お酒くらい奮発しなさいよと言われてますから」とセンセイ。そして酒を酌み交わす。部屋には73歳のセンセイと27歳の私の2人だけ。
ちょっとほろ酔い加減になったところで、杯を置く。
「3年間、理美容学校で働かせてもらいましたが、あっという間に過ぎてしまいました。いろいろ、お世話になり、ありがとうございました」と、私。
「人生もおなじですよ。あっという間に過ぎちゃうんですよ」と、センセイ。
私は、返す言葉が見つからず、ただただ黙りこくる。73年か?あと、46年もあるではないか。気が遠くなる年月。
坂道を登ったせいだろうか、センセイは直ぐに床についた。
翌朝、バスに乗り、大湧谷に出かけた。バス停から、噴気孔の出る場所までは登りの階段だ。ところどころ凍結していて滑りやすくなっている。センセイの手を引き、黒タマゴ茶屋へ。
「福井さん、黒タマゴを食べませんか?」
「センセーイ。朝食で、温泉卵を食べたばかりで、コレステロールが気になりませんか?」
「いや、ここのタマゴを1ついただくと、5年寿命が延びるのですよ」と言って、センセイは5個入りの黒タマゴを買って来た。
「さあ、食べましょう。福井さんも1つどうぞ」
「どうも。これで、5年寿命が延びるんですね」
「それにしても、どうして卵の殻が黒くなるんですかねえ」
「それは、噴気孔から出て来た硫化水素が卵の殻に含まれている鉄分と反応して、硫化鉄ができるからですよ。硫化鉄の色は黒色ですから、その色ですね。そこの道端に落ちている殻をみてください。茶色に変色していますでしょ。これは、空気中の酸素で硫化鉄が酸化して、茶色になったんですよ」
「おお、なるほどね。それはそうと、もう一つタマゴ、いかがですか?私も、もう一ついただきます」
「大丈夫ですか? でも、2個で10年長生きでますものね」
2人とも、2個のタマゴを平らげ、残った1個はセンセイの奥さんへのお土産となった。
楽しく過ごしたセンセイとの箱根一泊旅行。帰り際、センセイは鞄から小冊子をとりだした。
「福井さん、これをあなたに差し上げましょう。この冊子は、これまでの婦人公論の記事から、あなたのこれからの人生にとって参考になるものを集めたものです。困った時は、これをひも解いてください」とセンセイ。
全くの他人の私に、こうして、オリジナル小冊子を作ってくれたセンセイのマゴコロに感謝。
センセイと横浜駅で別れてからと言うものの、季節の便りがいつも届いた。また、毎月のように、封書で、センセイのコメント付きの婦人公論の切り抜きが送られて来た。ただ、お会いする機会はなかった。
ある時、毎月の例の封書が届かなくなった。おかしいなと思った矢先、奥さんからセンセイの他界の報を受ける。ちょうど、大湧谷で黒タマゴを食べてから、10年後であった。
大学院時代、研究で忙しく、世間が見えなくなることもある。たまには、研究室の外に飛び出し、全く違った人生を歩んで来た先輩たちと語り合うのも、良いかもしれない。