福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

57年前の銀塩写真

2007-04-24 01:37:00 | 低温研のことごと

低温研には、あちらこちらに歴史的遺産が存在します。先日も、ふらっと立ち寄った、ある研究室に、目立たずに置いてある写真に気付きました。

195001撮影時期が1950年頃と言うから、57年前の写真です。デジカメ写真も良いのですが、こうしたレトロな白黒銀塩写真も風格があって良いものですね。ところどころ、黄ばみがあったりして、永い年月を感じます。

21名の方が、図書館らしき場所で、研究会か何かでお集まりになったのでしょうか? 写真からは、いろんなことが想像できます。驚いたことに、ほとんどの方がネクタイをしていますね。現在、研究会等で、雪氷系の研究者のなかでネクタイをしている方はどのくらいおられるのでしょう?

195002写真のなかのそれぞれの方のお名前が記録されています。私は生物系の研究者ですので、お名前とご専門が皆目見当がつきません。ただし、楠宏氏はどんなことをされた方なのか、すぐにわかります。

中谷宇吉郎の『極北の神秘・氷島』には、こんな記述があります。

本格的の調査は、1957年から8年にかけて、国際地球観測年の事業の一つとして始められた。ソ連も同時に、氷島観測を開始した。この観測は、1958年以降も、続行されることになったが、アメリカの一つの悩みは、こういう場所に、長期滞在して、研究を続ける研究者が得がたい点にある。一人前の科学者は、どうも細君が承知しないらしい。若くて優秀な研究者は、北極などへ行かなくても、外にいくらでも良い職場がある。
   (中略)
アメリカの研究者から、日本の研究者の協力を求められた。日本には無料(ただ)でもいいから南極へ行きたいという若い研究者が、いくらでもいると言う話をしたからである。

昨年の春、この話が急に具体化して北大の楠助教授と六車助手とが、北極研究所の嘱託として、T3へ行くことになった。楠君は六ヶ月、六車君は一年の予定である。(中略)楠君は、海氷の研究者で、日本の第一次南極観測隊員である。極地の海の観測にも経験があるので適任である。
     (中谷宇吉郎『極北の神秘・氷島』より)

195003この記述からすると、写真の楠氏は、南極観測や北極氷島観測以前と言うことになります。タダでも良いので、北極や南極観測を志願した楠氏(写真後ろ真ん中)のチャレンジ精神が伺える写真ですね。その後、楠氏はどのような研究をなされ、お弟子さんにどんな影響を与えたのでしょうか? 今度調べてみようかと思っているところです。

もうすぐ始まる研究棟大改修工事。この機会に、できるだけ、低温研所蔵の歴史的遺産を発掘し、保存したいものです。