第一次南極地域観測の頃は、日本と昭和基地との連絡はHF帯の電波を使っていました。その時々の電離層の状態によっては、通信が困難なこともしばしばあったに違いありません。
50年が経ち、通信革命により、昭和基地ではインターネットが使えますし、国立極地研究所との間は内線扱いで電話がかけられます。日本にいる家族とは、東京からの市外料金で、容易に電話で消息を確かめ合うことができる時代となりました。
第47次越冬隊の何人かの方は、昭和基地からの情報発信の一つとしてブログを綴っていました。48次も医療隊員の2名がブログで情報発信しており、今昭和機基地で何が起きているかを知る、簡便な手だてとなっています。
そんな時代にありながら、昨日、研究所に昭和基地からハガキが2通届きました。驚きとともに、素直にうれしく思いました。そのうちのお一方とは、先日お会いしましたし、もう一人の方とは、ここ最近メールのやり取りを頻繁にしております。なんだか妙な感じですが、彼らの心遣いが、ありがたくて、ありがたくて。
越冬隊員の方の絵はがきは、昭和基地に訪れた2羽のコウテイペンギンの写真でした。私たち夏隊は、昭和基地周辺でアデリーに出会えても、コウテイペンギンには出会えなかったのです。「しらせ」の南極海航海中に、何度か遠目でコウテイペンギンを目撃することが出来ましたが、半径5mの至近距離ほどの近さは到底望めませんでした。
もう一枚は48次の夏隊員の方から。JARE48独自の切手に、昭和基地郵便局のスタンプがしっかり押印してありました。
それにしても、南極昭和基地から、一枚のハガキが朽ちることもなく、幾多の郵便網を巡って、札幌の我が研究所まで、良くまあ、たどり着いたものですね。これも、大切な「南極みやげ」の一つです。