ジャンル 映画
観覧日 2023年2月23日
マイダン革命があった年の3月、私はリトルワールドのサーカスのため、ロシアから7名、そしてウクライナから1名アーティストを呼んでいた。ウクライナから来るアーティストがビザを取得するとき、マイダン革命で市民と特殊警察の間で激しい衝突があったときだった。モスクワでこのショーをブッキングしていた人間が日本大使館に査証の件で電話したとき、激しい銃声の音が聞こえたと連絡してきた。それが自分にとってのマイダンだった。もしかしたら日本でも報道はされていたかもしれないが、それほど身近なニュースとしての取り扱われなかったのではないかと思う。この映画を見て、これほど激しい闘いがあったと初めて知った。
一般公開前のロズニツァの問題作をこのようなかたちで、ロシアによるウクライナ侵攻からまる一年というタイミング、そして2014年マイダン革命によって大統領のヤヌコーヴィチがロシアに逃走したといういまから9年前の2月22日の翌日となる日に上映されたこの作品を見ることになったことに、感慨深いものを感じる。これを主催した慶応大学の学生はこのことを意識しての上映会だったのだろうか。
いま起こっている戦争と、この映画で描かれているマイダン革命は間違いなくつながっている。ここからロシアはクルミアを奪い、そしてウクライナの国民たちはロシアと闘うことになった。
マイダン(広場)に集まった民衆たちの顔が、彼らの闘いを表現していた。いままでアーカイブ映像を使って巧みに群像を描いてきたロズニツァは、群衆を俯瞰から撮った映像を多くつかっていたが、その中で群衆は群れる民でしかなかった。しかしこの映画にほとんど俯瞰から撮られた映像はない。なぜならアーカイブではなく、実際に彼が撮った映像をはじめ、いまを撮ったものだからだ。そしてなにより大事なことは、すべてマイダンの中から撮られたものだったからだ。国歌を歌う民衆の顔は一様ではない、感極まって泣きだす人もいる、勇気を奮い起こすかのように歌う人もいる、ひとりひとりが闘っている姿が映像に刻み込まれている。マスクを手渡す人、パンに蜂蜜を塗る人、パンを配っているおばあちゃん、特殊警察にプラカードを見せるおばあちゃん、みんなひとりひとりが闘っている姿が映像に刻み込まれている。何のためか、それはヤヌコーヴィチ大統領に対してであり、その裏にいるロシア、プーチンに対してである。マイダンに集まる民衆のひとりひとりの顔を見るとき、彼らがロシアに縛られない本当の自由を求めていることがわかる。それを暴力によって潰そうとする、その愚策をこの時のヤヌコーヴィチ政権はやろうとして、敗北した、同じことをプーチンは戦争によって踏襲しようとしている。
ラストは、ロズニツァらしく、衝突が激しくなるなかでカットアウトになる。テロップにわずか二行(たぶん)でヤヌコーヴィチが2月22日に逃亡したことが流れる。マイダン革命はマイダンに立て籠もった民衆の勝利だったわけだが、それを表現するような場面はまったくなく、カットアウト。思わずうなってしまうエンディングだった。つまりこの闘いは終わっていないということ、それが現在にも続いているのではないか、それを物語っているようでならなかった。
多くの人たちに見てもらいたい映画だ。はやく一般公開されることを望むと同時に、このような映画をいま上映した慶応の学生たちに拍手を送りたい。
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