デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

暗殺・リトビネンコ事件

2008-01-17 13:55:04 | 観覧雑記帳
作品名 「暗殺・リトビネンコ事件」
原題:Rebellion: The Litvinenko Case
監督:アンドレイ・ネクラーソフ
製作:オルガ・コンスカヤ
撮影:マルチン・ビンターバウアー、セルゲイ・ツィハノビッチ
音楽:イリーナ・ボグシェフスカヤ
2007年ロシア映画/1時間50分
配給:スローラーナー

出演・アレクサンドル・リトビネンコ、マリーナ・リトビネンコ、アンナ・ポリトコフスカヤ、ボリス・ベレゾフスキー、アンドレイ・ルゴボイ、ミハイル・トレパシキシ、ウラジミール・プーチン

この映画は見なければならない映画であった。ここには命を賭けて、闇のロシアと闘った男のその闘いざまが描かれている。よくぞネクラーソフは、ここまで撮って、そしてこれを公開したものだと思う。
そして見て良かったと思う。もしもこの映画を見なければ、リトビネンコのことを単に政争に巻き込まれた男としか思わなかったろう。
彼が、プーチン政権の闇の組織であるロシア連邦保安庁の腐敗を告発したのは、ロシアがこのままでは犯罪国家になるということへの警鐘であった。彼はインタビューの中で、「スターリン時代には共産主義と、犯罪があった、いまは犯罪だけだ、このままじゃダメなのだ」というような趣旨のことを言っていた。この信念のもと、彼はあえて自分の上司を告発し、その闇の実体を明らかにしようとした。この映画の中心となる生前のロンドンでのインタビューの中で、ネクラーソフに向かって話す彼の姿は、実に真摯であった。それだけでも十分に説得力をもっていた。
彼が何故殺されなければならなかったのか、誰が殺したのか以上に、彼が何故祖国を告発をしたのかということに焦点を定めたこと、これは監督のネクラーソフが、リトビネンコの遺志をどうしても伝えたいという思いがあったからなのだと思う。
映画の中のインタビューでもしばしば出てくるが、こうした事態になっても、人々が無関心でいること、これも大きな問題である。
ロシアでは政権がマスコミの実権をすべて掌握し、国民がもはや事実を知る権利さえもていないということもあるのかもしれないが、やはりどこかで知らんぷりしているところがある、それはロシアばかりではないだろう。
その意味で、映画でも出てくるアンナ・ポリトコフスカヤが、懸命に事実を、真実を伝えようとして、まさに命を削って書いているのに関わらず、それは国民のもとに届かない、そして知っても無視されている。やはりこのことは大きな問題である。それはロシアだけの問題でなく。
この映画の影の主人公は、プーチンである。随所に挿入される彼の映像は、実に効果的であった。
冒頭ネクラーソフの家が、何者か(もちろん保安庁の息がかかったものであろう)によって荒らされたシーンが流れた。この映画をつくることは、ネクラーソフ自身、大きな危険があったと思う。身近に接したリトビネンコだけでなく、アンナも殺されているのである。それでも彼がこの映画をつくらなければと思ったのは、死んだリトビネンコやアンナの思いを伝えなければならないということだった。その意味で、この映画は見なければならない映画なのである。

お薦め度 ★★★★★

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