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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

熊にご用心

2016-06-23 23:25:32 | 
6時起床、荷物をとにかく詰め込み、朝飯をかっ込み、家をでる。なんとか間に合いそう。昨日飲み過ぎだって。大人の休日倶楽部特別割り引き期間なのではやぶさ、はやての全席指定列車は満席、盛岡にでるにはこのやまびこに乗らないとだめだったのだが、とにかくなんとか乗れた。仙台までは爆睡、だが鼻がつまりその影響で喉が乾き、目がさめその度に水を補給しないといけなかった。仙台から盛岡までは先日取材した録音を聞きながらメモをとる。盛岡からはバスで大館まで。雨がずっとついてくる。3時過ぎに大館着。大館図書館の館長さんが迎えに来てくれた。2年前に最初に大館に来た時もお世話になっている。車で鳥潟会館へ。今日はここに展示されている、鳥潟小三吉の資料を陳列棚から取り出して撮影させてもらうことになっている。郷土博物館の学芸員の立ち会いと案内のもとに撮影。今回は会社からいいカメラを持ってきたのはいいが、レンズの装着がしっかりしておらず、なかなか撮影できず、焦る。なんとかひとつひとつ資料を出してもらい撮影、箱の中から手書きの文書が出てくる、なにかメモ書きの様、小三吉のものかどうかはわからない。ただ貴重な資料であることは間違いない。
このあと学芸員の方と情報交換、これもかなり有意義なものになる。持ってきた旅券下付帳の鳥潟関係のコピー、いま集めている英国の新聞に出ている鳥潟の記事コピーを差し上げる。整理してここに展示してくれるとのこと。
来て良かった。帰るとき館長さんと学芸員さんの話で、このあたり民家がたくさんあるところにも、熊が出てきたことを知る。この前は川の近くを朝ジョギングしたと言ったら、今回はヤメた方がいいと言われる。
ホテルは前も泊まったところ。今日は休肝日にしよう、どこかで軽く飯をと思って街にでるも、こういうときに限って飲み屋しかなく、ラーメン屋とかそば屋、吉野家も松屋もない、20分ほど歩いたところに大きなスーパーがありここで弁当を買う。秋田名物ハタハタ寿司があり欲しかったのだが、いまは凄い荷物なのであきらめる。ホテルに戻り弁当食べて、22時前には就寝。

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石巻への旅2014年1月その二

2014-01-19 15:20:43 | 
昨日のサーカス話しでの盛り上がりの延長で、中瀬の場所を見たくなり、寒い中ジョギングしながら中瀬へ。内海橋から白鳥が群れをなして飛ぶのが見えた。漫画館は去年再開されている。この裏の広場がサーカスやるにはうってつけではないだろうか。とにかく場所は十分にある。かつては岡田劇場もあったこの中瀬でサーカスができたらいいなあという思いが膨らむ。
北上川のほとりを走っているうちに住吉公園というところに出る、ここにあった神社が、なんとなんと大嶋神社。いままで知らなかった。帰りにコンビニで朝飯代わりに何か買おうと思って500円玉をポケットに入れてきたのだが、大嶋神社にお参りするのに賽銭なしではということで、500円を賽銭箱に入れてお参り。
本間さんにお願いして今日は女川中学の前に立てられたいのちの石碑を見に行くことになっている。石巻市役所職員のK君も誘ってある。9時45分に集合、まずは修理完成なった土蔵を見に行く。初めてここを訪れたK君のために本間さんが中を案内、ついでに蓄音機でSPレコードまで聞かしてもらった。本間さんにラッコの皮を見せてもらう。
門脇のコミニティーセンターが土蔵近くにできていた。ここでいろいろな地域の集まりなどをやっているという、この一帯に住んでいた人たちがばらばらになっているいま、こういう施設は必要だろう。
女川に向かう。震災後初めて訪れることになった。あの美しい漁港があったところがほんとうになにもなくなっている。高台にあった病院にはここまで津波が押し寄せたという印が、こんな高いところまで来たのかと更めて思う。このすっかりなにもなくなった港町がこの先延々続くのかと思うと心が痛くなってくる。
女川中学校へ。卒業生たちが女川の町に伝えたいということで20基つくるために1000万集めてつくった最初の碑。碑の前に立ち、そこに刻み込まれた字を見ると、子どもたちの必死の思いがこみあげてくる。じっと見ていると涙が出てくる。本間さんが碑のところから町を望み、ここに駅があったんですよねという。いまは本当になにも残っていない。
ニューゼのカフェで三人でランチ。
石巻復興のために自分はなにができるのか、それを自分で探したいということで、一月に一回ぐらいで通おうと思って始めた最初の旅。もちろんすぐになにかはできないだろう。まもなく3年になる、自分ができることは焦ってやるようなことではないだろう、ひとつひとつやっていくしかない、そのためにはいろんな人と会いながら、小さなことを起こしていくことだろう。
13時の仙台行きのバスに乗って、仙台へ。
新幹線は大宮で降りて、湘南ライナーで渋谷まで。これだと東京に行くよりは1000円は違う。こうした経済性も今後大事になってくるよな。
19時前に帰宅。

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石巻への旅2014年1月の巻 その一

2014-01-18 17:33:20 | 
実家を出ると、きれいに泉ヶ岳が見えた。
こんなにはっきりと見えるのは珍しいかも。去年は仙台でも良く雪が降ったが、今シーズンはぱらぱら程度で、積もらないとのこと。年寄りの父と母にとってはその方が楽であろう。
仙台駅から仙石線に乗り石巻に向かう。松島海岸から代行バスで矢本まで。このコースを使って石巻に入るのは初めて。バスはゆっくりと走る。松島は牡蠣のシーズンということもあるのだろうか、人がいっぱいいるのだが、その後しばらくすると辛い景色があらわれてくる。去年東松島でも見た風景なのだが、松林が歯抜けのように立ち尽くす。
そしてなにもない荒野の中に津波に襲われたままの家が・・・野蒜の駅に着くとあの無惨な姿がさらけだされる。
後ろの席に座っていた子供が、ここまで津波が来たんだね、みんな死んじゃったんだよね、かわいそうだねとつぶやくのを聞いて涙が出てきた。橋桁のようなものが田んぼの中に見える。新しい仙石線なのだろうかと思ったのだが、あとで地元の新聞を見ると、巨大ベルトコンベアーであった。
矢本でバスを降りて、石巻行きの電車を20分ぐらい待つ。思ったほど寒くないので、ホームでうろうろしながら待つ。こうした待ち時間が結構好きだ。
 
14時すぎに石巻着。仙台にはなかった雪の跡が車窓から見えた。前回来たときトークショーをやった石巻街の本棚へ。駅前から立町は相変わらず人通りが少ない。
街の本棚のスタッフさんと1時間ほど話す。。驚いたのは彼もそうなのだが、震災後石巻に移住してきた若者が100人以上いるという。みんな石巻の魅力に惹かれたということなのだろうか。こんなところになにかヒントがあるかもしれない。『いしのまき浜日和』というNPOISHINOMAKU2.0がつくった本を見せられる。いい本だった。これは応援しないといけない、早速知り合いのマスコミ関係者に取り上げてもらうように話してみる。
このあと時間があったので近くにあるニューゼへ。近江社長にも久しぶりでお目にかかる。千石船の会の逸見さんともばったり。武内さんから『我に名ジェージダあり』をなんとか本にしたいという熱い思いを聞かされる。うれしい限りである。
いったんホテルにチェックイン。ホテルはコンビニホテル。前から気になっていたホテルだったがアパートみたいな長期滞在型。
テレビを見ていたらちょうど前にみた加藤先生が出ていた番組が放映中、会長と本間さんに電話して見るようにお薦め。そのあと再放送の探偵ナイトスクープで話題になった10年以上会話をしていなかった夫婦の話を見て泣いてしまった。
18時に本間さんと落ち合い洋風居酒屋で食事、そのあとグランドホテルのバー「ニュー魯曼停」で石巻の地酒を飲む。鯨の刺身が、さすが美味しかった。不思議な店だなと思ったのは開高健記念館のポスターが貼ってあったこと。お店のご主人大ファンとのこと。これでちょっと盛り上がる。
本間さんといろいろ話すうちに、サーカスの話で盛り上がる。石巻ではもう何十年もサーカスをしていないという。石巻でサーカスやるといいんじゃないかという話に、店のご主人も乗ってきた。
石巻でサーカスやるなんてのもいいんじゃんないか、酔った勢いもあるのだろうが、だんだんその気になってきた。


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