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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(坂本 博之:ライト級③)

2016年11月30日 00時30分28秒 | ボクシングネタ、その他雑談
「これでもだめか...。」

2000年3月に3度目の世界挑戦で敗れた坂本 博之(角海老宝石)。当時のWBAライト級王者ヒルベルト セラノ(ベネズエラ)から初回に2度ダウンを奪うも、自身の負傷のために5回TKO負け。2度のダウンはもちろん、試合がストップされるまでのポイントも坂本がリードしていました。

セレノがロープ際でダウンし、坂本が堂々とニュートラル・コーナーに歩んでいく姿が載せられ、その表紙の文句には「これでもだめか」、確かこのようなものがボクシング・マガジンの表紙を飾っていました。自分がこれまで目にしたボクシング・マガジンの表紙で、ひょっとしたらこの号が一番印象に残っているものかもしれません(2000年5月号かな?)。

1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。

夏も真っ盛りから始めたライト級の話題。これまでに日本のリングにも登場した同級の名選手である東京 三太ことミゲル アンヘル ゴンザレス(メキシコ)と、オルズベック「グッシー」ナザロフ(キルギス/協栄)が登場。同級の最後を締めるのが、「平成のKOキング」、「不動心」坂本 博之になります。


(坂本にベルトは不必要です!)

1991年師走に初回KO勝利でプロデビューを果たした坂本。ラスト・ファイトは2007年1月。その最終戦は7回負傷引き分けで幕を閉じました。通算戦績は39勝29KO7敗(4KO負け)1引き分け。47戦のプロ戦績中4度の世界挑戦を経験した坂本。残念ながら世界のベルトには手が届きませんでした。

「もし」という言葉は禁句なのですが(「禁句」とまではいかないでしょうが)、「もし」坂本が世界のベルトを腰に巻いていたら、自分にとってこれほど印象に残る選手であったでしょうか?坂本には失礼な言い方になりますが、その敗戦が非常に心に残ったボクサーでした。

もちろん一番印象に残った試合は上記に挙げたセラノ戦。敗北を知った時はもちろん、その試合内容を見たとき、「何で勝てないんだ...」と非常に落胆、悲しい気持ちになりました。1997年7月末に、ライト級の世界戦に日本人選手として久しぶりに登場した坂本。当時のWBC王者スティーブ ジョンストン(米)の技巧の前に、その強打は空振りし続けました。しかし試合後の態度から、「坂本ならきっと世界を取ってくれるだろう」と妙な安堵感を覚えた記憶があります。そう、坂本って、勝っても負けても、現役中も引退後の現在も堂々としている方ですよね。実際に本人にはお会いした事はありませんが、自分が尊敬する人です。

セレノ戦、ジョンストン戦に続いてもう一つ印象に残っている試合は、世界初挑戦から遡ること2年前、20戦目で初めての黒星を喫したファン マルチン コッジ(亜)との無冠戦10回戦です。1995年5月に行われたこの一番。ジョー小泉氏の「ワールド チャレンジャー スカウト」の一つとして行われました。当時のコッジは無冠とはいえ元世界王者。しかも坂本が主戦場としていたライト級より一階級上のスーパーライトの選手です。若い坂本は勇敢に攻めの姿勢を貫きますが、70戦以上のプロキャリアを誇るコッジの牙城は高く、そして厚く。最終回のゴングを聞くことは出来ましたが、3回には2度のダウンを喫するなど完敗。しかし世界の実力を実感できたいい経験だったのではないでしょうか。

後に日本ライト級王座の21連続防衛に成功することとなったリック吉村(石川)から日本王座(リックの第一次政権)を奪取したのが、デビュー2年目の1993年師走。多くの方がこのリック戦を坂本のベスト・バウトとします。その後コッジには敗北を喫しますが、常に日本の同級の第一人者として活躍した坂本。その実力、パンチ力は世界王者のレベルだったことは疑いのない事実です。

宿敵セラノからWBAライト級王座を奪った畑山 隆則(横浜光ジム)と対戦したのが2010年の10月。坂本は10回KOで敗れますが、この試合は年間最高試合に選ばれています。坂本といえばこの畑山戦と思う人は多いのではないでしょうか。

畑山戦から2年後、スーパーライト級のOPBF(東洋太平洋)王者佐竹 政一(明石)に挑戦するも最終回TKO負け。2年半のブランク後の対柏樹 宗(三津山)も手痛い敗北。デビュー13戦目で日本王座を獲得し、23戦目でOPBF(東洋太平洋)王者に昇格した坂本。日本王座は1度、OPBF王座は2度の防衛に成功。ガッツ石松(ヨネクラ)以来の日本人世界ライト級王者誕生が長らく羨望されていました。しかしセレノに喫した敗戦がボクサー坂本の転換期だったようです。

ファイター・スタイルながらもしっかりとした防御技術も兼ね備えていた坂本。キャリア後半に顕著に見られたダメージは、長年に渡る過酷な減量苦の影響でしょうね。

坂本が獲得した王座(獲得した順):
日本ライト級:1993年12月13日獲得(防衛回数1)
OPBF(東洋太平洋)ライト級:1996年3月3日(2)

1970年生まれの坂本。この12月30日に46歳の誕生日を迎えます。もうボクサーとしてリングに立つことはありませんが、今でも日本全国の児童養護施設に自ら足を運び、子ども達に夢を与え続けています。もちろんそこにはボクサー坂本戦い続ける姿があります。確か先日は福島のいわき市にある施設を訪問されたとか。また同時に、SRSボクシングジムでボクサーの育成に励んでおられます。「不動心」、まさに坂本を見事に表した言葉です。


(施設を訪れる坂本。いまだに「選手」なんですね!)
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2 コメント

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自分も憧れました (中野吉郎)
2016-11-30 09:07:22
私を良くしてくれた先輩3人が倒されてて坂本さんの4勝目の時に私は涙ながら,いつか,やっつけてやる!! 思ってたんですが坂本さんの活躍を見てるウチに同期じゃあなく良かった…思いました!! 私としては捕まえれそうで捕まえれない対ジョンストンの一流テクと当たれば吹っ飛びそうな坂本さんの迫力に感動してました
Unknown (Corleone)
2017-02-21 03:16:56
ジョンストン戦後、敗れたとはいえ非常にサバサバしていた坂本の表情が非常に印象深く残っています。「これなら次の世界挑戦で王座奪取だな」と思ったのですが、ジョンストン戦後、体のバランスが悪くなったように感じました。振り返って見ると、その世界初挑戦試合が坂本の絶頂期だったんですね。

返信が遅れ申し訳ありません。今後もコメントをお待ちしております。

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