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この階級、この選手(ジョニー タピア:スーパーフライ級編②)

2015年01月19日 00時01分44秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約20年間、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。毎回記載していますが自分自身に科したルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。自分がボクシングに興味を抱き始めた時期、1990年代初頭から中盤にかけての活躍した選手が中心になりがちですが、その辺りは多めに見ていただければ幸いです。

前回の「この階級、この選手」を記載したのが昨年の10月15日。もう3ヶ月以上も前になります。その時はわが国が誇るスーパーテクニシャン川島 郭志(ヨネクラ)について投稿しました。日本に限定した場合ですが、川島がWBC王座に就いていた頃はまだジュニア階級として呼ばれていた同級。115ポンドポンドを上限とするこの階級2人目の選手は暴れん坊ジョニー タピア(米)になります。

スーパーフライ級から4階級上のフェザー級まで活躍したタピア。インパクト、そして安定度は同級のものが一番だったと思います。プロでの最終戦績は59勝30KO5敗2引き分け。1つのKO負けがありますが、ライバルだった同胞ダニー ロメロと敗戦数、引き分け数が偶然にも同じになります。タピアの通算KO率は45%と半分以下。この数字は意外にですよね。しかしタピアは激しいパフォーマンスのわりに、左ジャブ、右ストレートを放つ正攻法のボクシングを展開しました。

1967年2月13日生まれのタピアのプロデビューは1988年3月。何とその試合は4回引き分けを経験しています。最後にリングに登場したのが2011年の6月とつい最近の事です。タピアの最後の試合は8回戦として行われ判定勝利。好敵手ロメロもまた、8回戦に出場し、白星を収めそのキャリアを締めくくっています。

デビュー戦は引き分けるも、その後順当に白星を重ねていったタピア。1990年5月に、自身初の王座となるUSBA王座を獲得し、防衛回数も4まで伸ばします。世界初挑戦も間近に迫っていたタピアですが、1990年後半から1994年初頭にかけて、自身のドラック中毒回復のための長期のブランクを作ります。

長期ブランクを作ったタピアですが、リング復帰後もその勢いが衰えることはありませんでした。再起6戦目には当時空位だったWBOスーパーフライ級王座をヘンリー マルティネス(米)と争いTKO勝利。念願の世界王座獲得を果たしています。1994年の秋に獲得したこのタイトルですが、WBOは当初マイナー王座として数えられていました。

タピアの幸運は当時、同団体にマルコ アントニオ バレラ(メキシコ/スーパーバンタム級)、オスカー デラホーヤ(米/スーパーフェザー、ライト級)、リディック ボウ(米/ヘビー級)等、当時の、またはその後のスター選手たちが集いつつあった事です。それに加え同胞のライバルであるロメロがスーパーフライ級のIBF王座を獲得し、互いに引き寄せられる感じで統一戦を実現させます。

   

スーパーフライ級史上に残る一戦となったこの戦いは1997年7月にラスベガスで行われ、タピアが激しさと老獪さで僅差の判定勝利。2冠王に輝くと共に、スターの座をタピアから奪取。タピアにとりその試合でIBF王座を吸収すると共に、WBO王座の11度目の防衛戦でもありました。この大一番の後、2度の防衛戦をこなしたタピア。翌年師走にガーナの超特急ナナ コナドゥーと対戦。ダウンを奪われる苦しい試合展開でしたが僅差の判定勝利を収め、WBAバンタム級王座を獲得。2階級制覇に成功しています。

タピアが実力を発揮したのはここまで。階級を上げるに従いパンチ力、体力の低下。自然、競った内容の激戦も多くなっていきます。世間一般にタピアが知られていくのはここから。1999年、2000年に行われたポーリー アヤラ(米)との2連戦。当時無敵を誇っていたマルコ アントニオ バレラ(メキシコ)との一騎打ち(2002年11月)。


対マルコ アントニア バレラ

どの試合も賞賛はされましたがいずれも敗者として記録に残ってしまいました。ライバル達と激闘を繰り広げる中、WBO王者としてバンタム級王座に返り咲き、IBFフェザー級を獲得して3階級制覇を果たします。しかしそれらは今振り返ると、あくまでおまけだったのではないでしょうか。



タピアの主戦場はアメリカ南西部にあたる故郷ニューメキシコ州、お隣のアリゾナ州、ボクシングが非常に盛んなカリフォルニア州とラスベガス。そして東海岸のニューヨーク、ニュージャージー、フロリダでそれぞれ一試合。意外にも英国で一試合行っています。リング外で色々と問題を抱えていた選手なだけに、アメリカ国外にいけること自体が凄いことだったように思います。

タピアの獲得した王座(獲得した順):
USBAスーパーフライ級:1990年5月10日獲得(防衛回数4)
NABFスーパーフライ級:1994年7月15日(0)
WBOスーパーフライ級:1994年10月12日(13)
IBFスーパーフライ級:1997年7月18日(2)
(*ロメロとの統一戦に勝利し王座統一)
WBAバンタム級:1998年12月5日(0)
WBOバンタム級:2000年1月8日(1)
IBFフェザー級:2002年4月27日(0)
IBC米国・ライト級:2010年9月24日(0)

キャリアの後半、体重の増加による実力の低下のため、無名選手に敗戦を喫することもあったタピア。しかし2011年まで戦い続けました。

その45年の生涯は突然とやってきます。2012年の5月27日、心臓発作のため自宅で死亡。ドラック中毒、リハビリ、何度も自殺未遂を図ったタピア。リング外でも激しく生きていきました。
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2 コメント

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フリオに勝って再浮上したのに感動しました!! (中野吉郎)
2015-01-20 23:59:30
対アヤラの二戦で終わったかな!? 思ってましたんで!! 振り返ると中身が濃いキャリアに,また感動してます!!
Unknown (Corleone)
2015-01-27 02:13:35
アヤラ戦の後にフェザー級でIBF王座を獲得し、その後、当時無敵だったバレラとの対戦まで持って行きましたよね。

バレラ対タピア戦は2002年の11月。その後の2004年6月に、バレラがアヤラと対戦。アヤラはキャリア初のKO負けを喫するとともに、その試合を最後に引退。一人の選手のキャリアを振り返ると、色々なドラマを振り返ることが出来、本当に素晴らしいですよね!

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