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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(イベンダー ホリフィールド:ヘビー級①)

2020年04月29日 22時24分41秒 | ボクシングネタ、その他雑談

1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

さあ、今回からいよいよ最後の階級となるヘビー級になります。遂にヘビー級にたどり着くことが出来た、というのが率直な感想です。一階級下のクルーザー級では、「一体誰を選ぼうか?」とかなり悩みました。しかしこの最重量級では既に3名の選手は選出済み。後はここに書き込むだけ。

最重量級となるヘビー級の第一ランナーとなるのは、同級の王座に就く事4度、現役時代、多くのファンを沸かせたリアルディールことイベンダー ホリフィールド(米)になります。

(ヘビー級の一番手は「リアルディール」(本物)ホリフィールド)

1984年11月から2011年5月までプロのリングに上がり続けたホリフィールド。これを書きながらそのキャリアを振り返っているのですが、その30年近くに及ぶキャリアが如何に凄かったか。改めて思わされます。

ホリフィールドを語るとしたら、どこから始めればいいでしょうか。私(Corleone)がボクシングに興味を覚えたのが1990年代初頭。その時既に、ホリフィールドは統一世界ヘビー級王者として世界の頂点に君臨していました。しかしその当時のホリフィールドは、絶対王者としての風格はなく、どちらかというとマイク タイソン(米)がヘビー級の最前線に返り咲くまでの代行者としてみられていました。

ホリフィールドが初めて世界ヘビー級王座を獲得したのは1990年10月25日。ホリフィールドはその日、その年の2月11日に、東京ドームでタイソンをKOしたジェームス ダグラス(米)を一蹴し統一世界ヘビー級王座を奪取しています。しかしホリフィールドが容易にヘビー級王座を奪取出来たのは、ダグラスのコンディションがあまりにも酷かったためと見られていました。ちなみに1990年10月25日には、もう一人の偉大なるボクサーが世界王座を獲得しています。ヘビー級とは対照であるWBC最軽量級戦が後楽園ホールで行われ、リカルド ロペス(メキシコ)が大橋 秀行(ヨネクラ)を破り、伝説の一ページ目を書き始めています。

世界ヘビー級王座を奪取しても評価されないホリフィールド。翌年4月に行われた初防衛戦。ホリフィールドは1970年代に活躍した伝説のジョージ フォアマン(米)を迎えました。世代を超えたこの戦い。激しい打ち合いを制し、勝利を収めたホリフィールドでしたが、この試合の主役はあくまで中年の星とされたフォアマン。フォアマンの健闘をたたえると同時に、古豪を倒しきれなかったホリフィールドに対し不満の声が上がっていました。

(「世代を超えた戦い」と謳われた「ホリフィールド対フォアマン」)

フォアマン戦後、タイソンとの一戦が決定しますが、その戦いはタイソンが収監されたためキャンセル。ホリフィールドは代役バート クーパー(米)との防衛戦に臨みました。あろうことかホリフィールドは、3流相手にキャリア初のダウンを喫するという大失態を演じてしまいます。結果は中盤TKOで防衛回数を伸ばしましたが、ホリフィールドの世界ヘビー級王者としての評価は、試合毎に落ちていく事になってしまいました。

翌1992年6月、ホリフィールドは1970年代後半から1980年代に長期政権を築いたラリー ホームズ(米)を相手に大差判定勝利。しかし試合前からホリフィールドに勝利は確実視されていただけに、ここでもファンはホリフィールドのパフォーマンスに対し不満の声を上げることに。

実力は認められていながらも、ヘビー級王者としては少々荷が重いとされていた当時のホリフィールド。そんな中、打倒ホリフィールドを目論む二人の若手が急速に成長していきます。一人は1988年のソウル五輪のスーパーヘビー級で金メダルを獲得したレノックス ルイス(英)。もう一人は、オリンピックの決勝でルイスに敗れるも、プロ転向後は急速に成長を続けていたリディック ボウ(米)。ここにタイソンを苦しめた驚異のスマッシュの持ち主、ドノバン ラドック(カナダ)が加わり、ヘビー級戦線はタイソン後の新たな時代に向け動き始めました。

まずは打倒ホリフィールド筆頭を召されていたラドックと、当時はそれほど評価が高くなかったルイスが対戦。ラドックが余裕しゃくしゃくで英国に乗り込むも、ルイスの強打の前に2回に沈んでしまいます。そして残ったホリフィールドとボウがラスベガスで対戦。1992年11月13日に行われたその試合は、ボクシング史上に残る大激戦の末ボウが勝利。ついに世界ヘビー級で新旧交代劇が起こりました。皮肉にもその試合、敗れたホリフィールドですが、大柄なボウに果敢に攻める姿勢はファンから大絶賛を浴びています。

(ボクシング史上に残る名勝負だった「ホリフィールド対ボウ第一戦」)

ボウに世界王座を譲ったホリフィールドは、「もう終わり」と思われていました。しかしその試合からちょうど一年後、再びボウと拳を交えたホリフィールドは、僅差の判定でボウに雪辱を果たすと同時に、ヘビー級王座への返り咲きに成功します。

1994年4月、ヘビー級王座に返り咲いたホリフィールドは、指名挑戦者マイケル モーラー(米)の挑戦を受けます。当時サウスポーを苦手としていたホリフィールドは、ダウンを奪うも僅差の判定負け。僅か半年で王座から決別をなりました。「さすがにこれで終わだろう」と思われたホリフィールド。その後レイ マーサー(米)やボビー チェズ(米)等名のある古豪に勝利を収めるも、ボウとの第3戦目では自身初のKO負け。世界王座へ返り咲きどころか、引退への秒読みが始まったかに思われました。そんな中、あのマイク タイソンがカムバックを果たし、世界王座への返り咲きにも成功していました。

(ついに実現した「タイソン対ホリフィールド」)

1996年11月にようやく実現した「タイソン対ホリフィールド」の戦い。試合前の注目は、「タイソンが何ラウンドまでにホリフィールドを仕留めるか」に集中していました。この試合、初回のゴングが鳴ってから試合が終わるまで、ズーっと緊張のしっぱなしでした。案の定、この試合でタイソンが放った最初の一撃で吹っ飛ばされたホリフィールド。しかしそこは懸命にパンチを返しながら踏ん張り、何とか生き残ることが出来ました。3回までは「ホリフィールド、倒れないでくれ!」と心で叫びながらテレビの画面にくぎ付け状態。しかし中盤以降、試合は予想外の展開となっていきます。

ブランク後、タイソンは4戦行いましたが、どの試合も3回以内にケリをつけてきました。そのため、スタミナ難が懸念されたタイソン。その懸念は現実となり、試合は徐々に徐々にとホリフィールドのペース。最後はダウンを奪うなどしてホリフィールドが11回TKOで勝利を収める事に成功。それと当時に、3度目のヘビー級王座獲得を成し遂げました。

しかし不思議なものですよね、フォアマンやホームズと対戦した時は、ファンの喝采はホリフィールドではなくフォアマンやホームズに対して多く、その数年後に行われたこのタイソン戦や、後の試合では、ホリフィールドに対しファンが常に声援を送っていったのですから。

タイソンを破り、三度世界ヘビー級王座の座についたホリフィールド。翌1997年の6月には耳を噛まれながらもタイソンを返り討ちにし、11月には宿敵モーラーに雪辱。タイソンから奪ったWBA王座に加え、IBFのベルトも再度獲得することに成功しました。WBA、IBFと来れば残っているのはWBCのタイトルのみ(1990年代後半、WBOはまだまだマイナー団体として認可されていました)。その最後のベルトを目指すホリフィールドに立ちふさがったのがレノックス ルイスです。1999年3月、米英の英雄たちがそれぞれのベルトを賭けて相まみえることになりました。

(タイソンに耳を噛みちぎられたホリフィールド)

ボクシングのメッカ、米国・ニューヨーク州にあるマジソン スクエア ガーデンで行われた戦い。試合は両者譲らず、12回引き分けとなりました。8ヵ月に場所をラスベガスに代えて再び拳を交えた両者。この再戦では、より慎重に戦ったルイスに軍配が上がり、世界ヘビー級のベルトは大西洋を渡っていきました。

(「米(ホリフィールド)対英(ルイス)」が実現)

ホリフィールドが獲得した王座(獲得した順):
WBAクルーザー級:1986年7月12日獲得(防衛回数5)
IBFクルーザー級:1987年5月15日(3)(2団体統一クルーザー級)
WBCクルーザー級:1988年4月9日(0)(3団体統一クルーザー級)
WBC米大陸ヘビー級:1989年3月11日(3)
3団体統一ヘビー級:1990年10月25日(3)(IBF/WBA/WBC)
2団体統一ヘビー級:1993年11月6日(0)(IBF/WBA)
WBAヘビー級:1996年11月9日(4)
IBFヘビー級:1997年11月8日(2)(2団体統一ヘビー級)
WBAヘビー級:2000年8月12日(0)
WBFヘビー級:2010年4月10日(0)

ルイス(Lewis)戦後、彼が返上したWBA王座にもう一人のルイス(Ruiz)を破り就いたホリフィールドですが、ルイス(Ruiz)との再戦に敗れ王座から転落。そのルイス(Ruiz)との再戦が行われたのが2001年3月。その後4度の世界挑戦を経験しますが、結局は王座返り咲きなりませんでした。

5度目のヘビー級王座獲得を目指したホリフィールドですが、負けるたびに「もう駄目だろう」と言われ続けました。しかしそれでもリングに立ち続け、2011年の5月まで現役を続けました。それ程の長い期間戦い続けられたのは、その不屈の闘志は勿論の事、基本に忠実なボクシングを貫き通したからではないでしょうか。

ホリフィールドの終身戦績は44勝(29KO)10敗(2KO負け)2引き分け。ヘビー級では4度、世界王座を獲得しましたが、それ以前にはクルーザー級で3つのベルトを統一することにも成功しています。そう、ホリフィールドはクルーザー級とヘビー級で、当時の主要団体の統一王者になったのです。

(クルーザー級時代のホリフィールド)

意外に思われるかもしれませんが、海外での実戦経験もあったホリフィールド。クルーザー級時代に2度、フランスのリングに立ち、キャリアの後半には、ロシア、スイス、デンマークでも試合を行っています。

現在でもよく、優等生のホリフィールドと問題児タイソンとして比較されます。しかし結婚離婚を繰り返し、複数の女性と何人もの子供がいるホリフィールド。10年ほど前には資産を使い過ぎて破産宣告も行ったというオチもありました。

今日現在もプロモーター業などで、ボクシング界を支えているホリフィールド。その勢いでコロナウィルスも打ち負かしてほしいですね。

(ナイスなミドルエイジとなったホリフィールド)

その長い現役生活で拳を交えた相手は、フォアマン、ホームズ、ボウ(3度)、タイソン(2度)、モーラー(2度)、レノックス ルイス(2度)、そしてその他大勢のクルーザー級、ヘビー級王座獲得者たち。彼がどれだけ偉大な選手だったかは、対戦してのリストを見れば一目瞭然です。


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