DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ファン マヌエル マルケス:フェザー級③)

2016年03月21日 04時53分38秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を挙げていっております。毎回書いていますが記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級実力№1とは限りません。

フェザー級は今回が最後になります。そこで登場するのは、同級で3団体の王座を獲得し、スーパーライト級までの4階級で世界王座を獲得しているファン マヌエル マルケス(メキシコ)。マルケスに関しこのフェザー級かライト級のどちらか迷いましたが、フェザー級登場を最終的に選択しました。

マルケスといえばマニー パッキャオ(比)と4戦を行い、通産戦績はマルケスから見て1勝(1KO)2敗1引き分け。2敗はそれぞれ僅差の判定で、どちらの試合も「マルケスの勝利だったのでは?」という声が今でも聞かれます。

フェザー級でデビューを果たしたマルケス。最初の世界王座獲得も同級。一つ上のスーパーフェザー級ではWBC王座を獲得しますが、その階級での試合出場は2007年から2008年にかけての僅かに3試合のみ。マルコ アントニオ バレラ(メキシコ)、ロッキー フアレス(米)に判定勝利を収めましたが、特に印象に残る試合ではありませんでした。パッキャオとの第2戦目はこの階級で行われましたが、その試合では1対2の判定負けを喫しています。

次のライト級では大激戦を繰り広げたマルケス。「フェザー級上がりのマルケスには、ライト級は重過ぎるのでは?」と思いましたが、逆にその「ハンディ」が激戦を生み出した要因になりました。ライト級初戦では、それまでにKO/TKO負けの経験が無かったホルヘ カサマヨール(キューバ)を11回にTKO。2009年2月には、3団体統一ライト級王座から陥落していたとはいえ、当時のライト級のトップ・レベルにいたファン ディアス(米)と一進一退の攻防戦を演じた末に9回TKO勝利。空位だったWBAとWBO、そしてIBOライト級王座を獲得することに成功しています。


(好勝負だったカサマヨール戦)

マルケスが味わった唯一の完敗が2009年9月に行われたフロイド メイウェザー(米)とのウェルター級弱12回戦。この試合の契約ウェートはスーパーライト級(140ポンド)とウェルター級(147ポンド)の中間である144ポンド契約でした。しかしメイウェザーとしては珍しく、その条約を破る146ポンドの体重で登場。体重差もあってか、マルケスはダウンを喫し、大差の判定負けを喫しています。

マルケスが登場したライト級リミット以上の試合は6試合のみ。WBOスーパーライト級の暫定王座(後に正規王座に昇格)を獲得しますが、残りの5試合中パッキャオと2度対戦しています。ライト級卒業以降のマルケスのキャリアは、あくまで「おまけ」と言っていいのではないでしょうか。


(パッキャオとの第4戦目でKO勝利!)

本題のフェザー級になります。マルケスのプロデビューは1993年の5月末。何と初回失格負けという華々しい(!?)プロ初陣を行っています。しかしその後6年の戦績は29勝1敗(デビュー戦)。その中にはマルケスの初のタイトルであるNABO王座戦(7度の防衛に成功)も含まれています。

NABOはWBOの北米下部組織で、その王座の防衛回数が伸びれば自然とWBO王座への挑戦権も近づいてきます。当時、そのWBO王座に居座っていたのがあのナジーム ハメド(英)。早くから「無冠の帝王」と呼ばれていた実力者マルケス。当然の如く同団体の1位に位置することになります。どのぐらいの期間だったでしょうか、ハメドへの挑戦権を保持していたマルケス。当然両者の対戦の噂も飛んでいきました。しかしマルケスの実力を恐れてか中々メキシカンとの対戦に首を縦に振らない英国人。そんなハメド陣営に対しマルケスは業を煮やしてか、WBA王座へと標的を変更します。しかし見たかったですね、「ハメド対マルケス」という夢のようなカードを。

マルケスの世界初挑戦が実現したのは1999年9月11日。当時のWBA王者はハメドと実力拮抗者とまで言われていたフレディー ノーウッド(米)。日本のリングにも2度登場し、その実力をいやと言うほど見せつけた選手です。マルケスも人の子、この強豪相手、そして念願の世界戦初登場という舞台に萎縮してか明白な中差の判定負けを喫してしまいます。この敗戦結果を聞いたとき、「マルケスは無冠のままで終わるのでは?」と危惧しました。


(苦い世界初挑戦)

その後北米の地域団体王座を獲得していくマルケスですが、あまりの強さのためにか、中々世界再挑戦の声がかかりません。ようやく決まった2度目の世界戦が行われたのは2003年2月。当時空位となっていたIBFフェザー級王座を同胞の大先輩であるマヌエル メディナと争います。プロのキャリアでは8年違いの大先輩ですが、両者の実年齢差は僅かに2年。メディナも同級王座を5度獲得するしぶとい実力者でしたが、勝利の女神はようやくマルケスに微笑む結果に。


(先輩メディナを打ち負かす!)

プロ・デビューから10年目、40戦以上のキャリアを重ねてようやく手に入れた世界王座。その後のマルケスは、マネージメントの不手際のため世界王座を手放す事もありましたが、常に世界王座、世界トップ戦線で活躍し続けてきました。そして何と言ってもフェザー級でのマルケスと言えば、2004年5月に行われたパッキャオとの第一戦目といっていいでしょう。


(キャリア10年、念願の初タイトル)

多くの方もご記憶に残っていると思いますが、その試合でマルケスは初回に何と3度ダウンするという最低最悪のスタートを切ります。しかもダウンによるダメージは多大。しかしここからマルケスが自身の歴史を作ることになります。驚くなかれマルケスは大ダメージの中から試合の流れ、そしてポイントを奪っていきます。結果は12回、1対1の引き分けでしたが、私(Corleone)は僅差のマルケスと点けました。


(マルケス、初回に3度ダウン!)


(勝利を確信する試合後の両者)

個人的にはこのパッキャオとの初戦と、ライト級で行われたファン ディアス(米)との第一戦目がマルケスのベスト・ファイトだと思います(ベストが2つあるのはおかしいですが...。)

   
(ファン ディアスとの大激戦)


マルケスの獲得した王座(獲得した順):
NABOフェザー級:1997年2月3日獲得(防衛回数7)
NABOフェザー級(再獲得):2000年5月20日(0)
NABFフェザー級:2002年3月9日(0)
USBAフェザー級:2002年3月9日(0)
IBFフェザー級:2003年2月1日(4)
WBAフェザー級(IBFとの統一王座):2003年11月1日(3)
WBOフェザー級(暫定>>>正規):2006年8月5日(1)
WBCスーパーフェザー級:2007年3月17日(1)
WBAライト級:2009年2月28日(2)
IBFライト級(WBA、IBOとの統一王座):2009年2月28日(2)
IBOライト級(WBA、IBFとの統一王座。即返上):2009年2月28日(0)
WBOスーパーライト級(暫定>>>正規):2012年4月14日(0)
WBOインターナショナル・ウェルター級:2014年5月17日(0)


マルケスのここまでの戦績は56勝(40KO)7敗(0KO負け)1引き分け。KO率は63%で獲得した世界王座は4階級で7つ。「ここまで」というのはご存知の通り、マルケスは現役続行か、引退か迷っている最中だからです。

最近はあまり聞かれませんが、マルケスはリカルド ロペスの弟弟子としても有名です。偉大な大先輩の影響からか、世界王者を獲得するまではロペスのボクシング・スタイルに非常に似たボクシングを披露していました。今振り返ってみると、あのボクシングはあくまでロペスの真似であって、マルケスのボクシングではありませんでした。当時のマルケスの試合を見返すと、案の定何となく動きがギクシャクしていました。

当初のマルケスは見事なカウンター・パンチャーでしたが、階級を上げるにつれ、そのカウンターを生かしながらも激戦型の選手に変貌していきました。それがマルケスにとりプラスに作用したかマイナスに作用したかは分かりません。しかしスタイル変更により、マルケスというブランドを確立したことは確かなことです。マルケスがそのキャリアをどのように終止符を打つのか?近い将来にその答えは出る事でしょう。


(マルケス、メキシコの誇りといって過言ではないでしょう)

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« OPBF色々(色々:03‐20‐16) | トップ | ブドラー、まさかの陥落(WBA... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
対フリオ・ヘルバシオ見ましたか!? (中野吉郎)
2016-03-27 23:53:33
YouTube発達してない時期で多分WOWOWで対フピテルで初めて見て何だロペスのコピーじゃん!? ガッカリな意見を度々,耳にしてましたがマルケスなら世界チャンプ成るだろう!? 思ってましたが予想以上の大物に成って嬉しい&ビックリでしそ!!
返信する
Unknown (Corleone)
2016-03-29 01:38:26
何時ごろからでしょうかね、マルケスのスタイルに変化が見られたのは?ライト級の時点では既に脱ロペススタイル。そのひとつ前のスーパーフェザー級時代は印象が薄かったです。

ロペスも当初はガチガチのスタイルでしたが、べりスタインとコンビを組んでから、上体に柔らかさが出てきましたね。偉大な選手というのはキャリアと共に、そのスタイルが変化していくものなんでしょうね。
返信する

コメントを投稿

ボクシングネタ、その他雑談」カテゴリの最新記事