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今年もやってるやってる~

この階級、この選手(ジェラルド マクラレン:ミドル級②)

2019年03月10日 00時27分01秒 | ボクシングネタ、その他雑談
1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。

前回(と言っても10月30日とかなり前)からミドル級の話になっていますが、第一弾を飾ったのが日本ボクシング界で初めて同級の世界戦に出場し、そして世界王座を獲得した竹原 慎二(沖)でした。今回は竹原と同時期にWBC王者に輝いたジェラルド マクラレン(米)になります。


(今回の主役、ジェラルド マクラレン)

マクラレンがWBCミドル級王座を獲得したのは1993年5月。通算戦績が55勝(49KO)6敗(すべてKO負け)というとんでもない戦績の持ち主であったジュリアン ジャクソン(バージン諸島)に挑戦しました。ジャクソンは怪物的な戦績の持ち主でしたが、今回の主人公であるマクラレンのそれもすさまじいもの。彼の通算戦績は31勝(29KO)3敗(1KO負け)。まさにKOキング同士の戦いとなりました。

    
(2度拳を交えたKOキング、マクラレンとジャクソン)

KOキング同士の対戦となったその一戦。試合内容もそれに反映されたものとなりました。試合開始早々から強打の交換を行った戦い。マクラレンがグラついたと思えば、次の瞬間にはジャクソンがグラリ。そんな戦いが長く続くわけがありません。

試合が終わったのは5回。この試合後に新KOキングの地位を獲得したマクラレンはその回、連打から一気に前KOキングをストップ。30戦目にして初のメジャー団体のタイトル獲得に成功しています。


(マクラレン、ジャクソンともの一時代前のKOキング、トーマス ハーンズとよく比較されました)

マクラレンはジャクソン戦から遡る事1年半、1991年11月に英国でWBOミドル級王座を獲得しています。しかしその当時のWBOはまだまだマイナー団体としか認知されておらず、ジャクソン戦がマクラレンにとって初の世界の檜舞台に登場したと言っていいでしょう。

その後1年で3度の防衛に成功したマクラレン。初防衛戦となった対ジェイ ベル(米)戦は左ボディ一発でKO。しかも僅か20秒で‼ 2度目の防衛戦、対ヒルベルト バプティスト(米)戦は1分37秒の間にライバルを3度倒してTKO勝利。このバプティストは決して弱い選手ではなく、世界王座を獲得する直前のあのバーナード ホプキンス(米)と12回を戦い抜いた選手です。3度目の防衛戦に要した時間は1分23秒。その試合では前王者ジャクソンをボコボコにして決定的な力の差を見せつけることに成功しています。3度の防衛戦でマクラレンが費やした時間は僅か3分20秒(足し算あってるかな?)。凄いという言葉を通り越しています。

そういえば当時OPBF(東洋太平洋)ミドル級王者だった竹原 慎二(沖)は、もしマクラレンと対戦した場合、「3分持つかな(苦笑)」という発言を残しています。

マクラレンの強みは何といってもその強打ですが、彼は同時に身長183センチ、リーチは何と196センチと体格にも恵まれていました。マクラレンと対戦した相手は口を揃えて「まるでライトヘビー級の選手と戦っていたみたいだ」とコメントしています。ちなみの現在のWBCミドル級王者サウル アルバレス(メキシコ)の身長は173センチで、前王者ゲナディー ゴロフキン(カザフスタン)は179センチとなります。

また、マクラレンは伝説のヒットマン トーマス ハーンズの弟弟子。両者の師であった名伯楽・エマニュエル スチュワート氏は、「才能はマクラレンの方が上」と太鼓判を押していました。


(マクラレンとスチュワート氏)


マクラレンが獲得した王座(獲得した順):
WBOミドル級:1991年11月20日獲得(防衛回数0)
(*王座を防衛しないまま返上)
WBCミドル級:1993年5月8日(3)


(WBO王者時代のマクラレン)


1988年8月にプロデビューを果たしているマクラレン。デビュー1年以内に10連勝全KOという凄まじい勢いで白星を伸ばしていきます。驚くべきことに1988年の11月には3試合行っています。しかしデビュー2年目には夏から秋口にかけて2連敗(2判定負け)を喫してしまいます。ここで終わりかと思いきや、再起後もドンドン白星とKO勝利を重ねていったマクラレン。結局彼が初の判定勝利を経験するのは1990年8月、プロデビューから18戦目の事でした。

飛行機嫌いで有名だったマクラレンですが、上を目指すには怖い経験もしなければなりません。1991年11月、大西洋を渡って英国のリングに初登場したマクラレン。元WBCスーパーウェルター級王者で、1986年には無敵の世界ミドル級王者マービン ハグラー(米)に挑戦し、TKO負けを喫するも大いに善戦をしたジョン ムガビ(ウガンダ)と空位だったWBOミドル級王座を争います。上記のジャクソン同様に強打者として知られたムガビ。そんな選手がマクラレンと対戦すれば、試合は早く終わって当然。最初にその強打を当てることに成功したマクラレンは、3分内に古豪を仕留め初のベルトを腰に巻くことに成功しています。

ムガビ戦から3年半後、1995年2月に再び英国の地に降り立ったマクラレン。今度は世界2階級制覇を賭け、WBCスーパーミドル級王者ナイジェル ベン(英)に挑戦します。試合の方は初回、8回とマクラレンがダウンを奪いリードしていきます。しかしベンも持ち前の粘りと、後頭部への反則打、バッティングで反撃。最後は10回にマクラレンをギブアップさせてしまいました。敗北を喫すると同時に、脳内出血という大怪我を負ってしまったマクラレン。試合後の手術は成功するも、失明、そして車椅子の生活を余儀なくされてしまいました。

   
(2階級制覇を賭けたベンとの戦い。最終的には逆転負けを喫してしまいました)

同時期に、同階級で活躍していたのがその後ヘビー級まで制覇してしまったロイ ジョーンズ(米)。当時マクラレンは当然の如くロイの対抗馬筆頭に挙げられていました。「もし」という言葉を使ってしまうと話は終わりません。しかしここではあえて、その言葉を使っていましょう。「もし」マクラレンがミドル級に続いてスーパーミドル級の王座を獲得していれば、ロイをも倒し、ボクシング史に残るスーパースターになっていたかもしれません。でも見たかったですよ、「マクラレン対ロイ ジョーンズ」戦を。ちなみにアマチュア時代に拳を交えている両雄。その時は僅差の判定でマクラレンが勝利を収めています。


(アマチュア時代からのライバル、マクラレンとロイ ジョーンズ)

29KO勝利のうち、20もの初回KO勝利を築いたマクラレン。彼の名字をアルファベット表記で書くとMcClellanになります。「マクラレンではなくマクレランでは?」と思うのですが、リングアナウンサーの紹介を注意深く聞くと、やはりマクラレンなんですよね。
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