本来なら昨年の夏に行われる予定だった2度目の東京五輪。コロナウィルスの影響で一年延期に。今年の夏に無冠客という寂しい状況下でしたが、何とか開催され閉会まで漕ぎつけました。
同五輪が終了してから既に一ヵ月以上経ちますが、これまでの五輪でメダルを獲得してきた日本人選手たちを列挙していきます。
2度に分けてお伝えしますが、第一回目は二十世紀編となります。
田辺 清【1960年ローマ五輪:フライ級銅メダル獲得】
*日本ボクシング界初のメダリストに輝く。プロ転向後も圧倒的な安定度をみせ、1965年に日本フライ級王座を獲得。同王座を3度防衛後、1967年2月に当時の世界王者オラシオ アカバリョ(亜)にTKO勝利を収める大金星を挙げる。
その後、世界タイトルを賭けたアカバリョとの再戦が決定するも、網膜剥離に罹ってしまい現役から退くことに。プロでの通算戦績は22戦21勝(5KO/KO率22.7%)1引き分け。アカバリョとの再戦が行われていたら、「間違いなく勝利していただろう」と言われていただけに、正に幻の世界王者と言って過言ではないでしょう。
アカバリョは元世界王者海老原 博幸(協栄)に2勝するなど、歴史に残る名選手。田辺に敗れた半年後、海老原との再戦を制し、世界王者のまま引退しています。
桜井 孝雄【1964年東京五輪:バンタム級金メダル獲得】
*2012年のロンドン五輪で、村田 諒太がミドル級で金メダルを獲得するまで約半世紀の間、日本で唯一の金メダリストだった桜井。金メダル獲得後、プロの転向し、30勝(4KO/KO率12.5%)2敗(1KO負け)という素晴らしい記録を残しました。
1968年に、あのファイティング原田(笹崎)から世界バンタム級王座を奪ったライオネル ローズ(豪)に挑戦し、ダウンを奪うも消極策が災いし僅差の判定負け。翌年、米国カリフォルニア州のリングで、怪物ルーベン オリバレス(メキシコ)の強打の犠牲者に(6回TKO負け)。しかし同年、OBF(OPBFの前身)王座を獲得。その王座を2度防衛すると、2度目の世界挑戦することなく現役から引退。そのボクシングスタイルは、現在より打ち合いを好む傾向にあった当時の日本ボクシング界にはそれほど評判が良くなかったようです。
森岡 栄治【1968年メキシコシティ五輪:バンタム級銅メダル獲得】
*アマチュアでは128勝(72KO/RSC)10敗と、素晴らしい戦績を残し、その集大成として五輪で銅メダルを獲得。しかしプロのリングには馴染めず。1970年に日本王座に挑戦するもタイトル獲得ならず。6勝(3KO)4敗(1KO負け)という戦績を残したまま、田辺と同様に網膜剝離のため引退。引退後は森岡ジムを設立し、後進の指導にあたりました。後に西日本ボクシング協会の会長を務めるなど、ボクシング界を支えていきました。
ちなみにローマ五輪ではライトヘビー級でカシアス クレイ(米/後のモハメド アリ)が、東京五輪ではジョー フレージャー(米)がヘビー級で、そしてメキシコ五輪ではジョージ フォアマン(米)がヘビー級で金メダルを獲得しています。ご存じの通りこの3名は、ボクシング史に残る世界ヘビー級王者たちとしてその名を刻んでいます。
(フレージャー、フォアマン、アリの金メダリスト+世界ヘビー級王者トリオ)