大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第44回

2019年05月20日 21時26分34秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第44回



こうしてこの日、水干姿から他出の衣に着替えたリツソを、白銀の狼の背にのせてやって来ていた。

白銀黄金の狼の主であるリツソの兄上に報告に来ただけであったのに、報告することが出来なかった。 ましてやリツソの父上、言い換えれば本領の領主にも何も言わずリツソを出してきたのだ。 白銀黄金の狼の責任は問い糺される。

どんなに言い訳しようとも、白銀黄金の狼の主が帰ってきた時点で、次の日には朝日を見ることは出来ないであろう。 万が一にも主がこのことを卑小と考えお咎めなしとなったとしても、本領の領主にはそれが通ることはないであろう。

白銀黄金の狼が頭を垂れることは至極当然のことであった。 もちろん、後ろに仕える茶の狼たちも同様である。
何を考えても仕方のないこと。 リツソを本領に帰さなくてはならない。 白銀黄金の狼が重い四肢を動かした。
本領に戻ると領主も主もまだ帰っていなかった。


翌日の夜、本領は大騒ぎになっていた。


大騒ぎになった日の早朝に 「はぁ、はぁ」 と息を上げて歩いている姿があった。

「確かにこの道で合ってるはずなのに、どうしていつまでも着かないんだよーっ!」

早朝に出たにもかかわらず、もう夕方になろうとしていた。 低木の木々の枝をかき分け、自分より背の高い草の中を歩き、見張りに見つからないように岩の多い歩きにくい足場の山を登って来たのに。 ジワリと涙が溢れてくる。

いつまで経っても目的地に着かないことに引き返そうかと思ったが、どうしても会いたい。 会って何を言うわけでもない。 何故かただ会いたい。 その想いが足を動かしていた。 

そして滝の後ろを歩き、やっと北の領土に入った。

「まだ・・・まだまだじゃないか」
ハクロの背に乗っている時は、この滝の後ろを歩いたのは本領を出てアッという間だったのに。

太陽が随分と傾きこれからは暗くなっていく一方だ。 へたりこんだリツソの後姿を見た茶の狼が驚いてすぐに走り出した。

狼が何かを踏み拉きながら走った音がリツソの背に恐怖を与える。

本領であったなら誰かが自分を知っている。 誰かが自分を見つけて安全な場所に連れて行ってくれるだろうし、時には供のカルネラもいる。 だが今はたった一人。 知っている者も居なければカルネラも居ない。 それに本領と違ってここはあまりにも開かれていない。 どんな野生動物が居るかもわからない。 背筋がゾッとする。

「どうしてこんなに遠いんだよ・・・」
膝を抱え、その膝に額を乗せる。 涙がポトリポトリと何粒も落ちる。

最初は堪えていたが、暮色に包まれるとついには顔を上げ、何度も大声を上げて泣きだした。 

「ワァーン! ワァーン!」
大きく開けた口からはヨダレが垂れ、その上から止まることを知らない鼻水が垂れてくる。 と、その時

「リツソ様!」

聞き覚えのある声に泣き声が止まる。 振り返るとそこには昨日見た、いや、その背に乗っていた白銀の狼の姿があった。

「・・・ハクロ」
白銀の狼を見て鼻水をジュルリと垂れながら安堵からなのか、また大声で泣きだした。

「ハクロー!、ハクロー!」

己の名を呼びながら泣かれては、己がこの少年になにか意地悪をしたかと勘違いしそうになる。 ハクロが大きく歎息を吐くが、気を取り直してリツソに問う。。

「リツソ様、どうしてこのような所に居られるのですか?」

リツソがすぐに答えることはなかったが、それも心得たもの。 気長に答えを待った。 

ハクロから少し離れた後ろには黄金の狼も立っている。 茶の狼からリツソがここに居ると聞かされた白銀黄金の狼が、慌ててここまでやって来たのであった。

リツソの声が段々と小さくなってきた。

「リツソ様? どうしてこんなところに居られるのですか?」 ハクロがもう一度訊いた。

するとしゃくり上げながら小声で答えた。

「―――・・・会いに」

「はい? どなたさまに会いに?」

口ごもりながらの小声に聞き取ることが出来なく、再度訊き返したが、この北の領土にリツソが会いに行く相手などいないはず。

「・・・だから・・・お姉さんに会いに・・・」

「お、お姉さんでございますか?」

コクリと応える。

ハクロが首を傾げる。 すると後ろから歩み寄ってきた黄金の狼が 「ああ」 と何か分かったような声を出した。

「なんだ?」 振り返ったハクロが問う。

「あれだよ。 昨日リツソ様を泣かせた」
チビと連呼したとは言えない。

「ほら、お姉さんって言ってただろ」 

黄金の狼にそう言われてハクロが思い出し、もう一度大きな歎息を吐いた。

「リツソ様、昨日のあの領土の人間ではない者の所に行こうとされたのですか?」

コクリと頷く。

「あの者のことは、兄上様にお願いいたします故、リツソ様は―――」

「連れて行ってくれ」 

もう先程までのまるで幼児のような雰囲気はない。 どちらかと言えば、横柄な方の態度に変わっている。 だが、袖でグイとひかれた鼻水の足跡はしっかりと残っている。

「もう夜も更けてまいります。 お父上がご心配為されます故―――」

「連れて行け」
ハクロのほっぺたを両の手で引っ張る。

「ほうひはへはひへも (そう言われましても)」

「いいから行け。 これは命令だ」

ハクロも勿論ながら、後ろで黄金の狼が大きく歎息を吐いた。
そして次の瞬間にはハクロの背に跨っていた。

「もう遅くなる。 早く行け。 これ以上遅くなって父上がご心配されてはお前たちの責任になるのだからな。 うむ、その時には我が庇ってやるから安心せい」

白銀黄金の狼が大きく肩を落とした。 昨日の一件で我が身の安全など保障されないことは分かっている。 保障どころか何もかも知れると明日の朝日を見ることが出来ないことも分かっている。 昨日のことがあるのだから、今更庇ってもらうも何もあったものではない。 

リツソに言われたハクロが、どうする? といった目で黄金の狼を見る。 互いに同じことを考えているのは分かっている。 黄金の狼が仕方なく頷く。

「行くしかないだろうね」

普通なら行かない。 罪に罪など重ねたくない。 一つ目の罪でもう十分明日が見られないのだからと自棄(やけ)になるのは本望ではない。 たとえ一つ目の罪で明日が見られなくとも、その上に罪を重ねたくない、それが己らの矜持なのだから。
だが相手が相手だ、諦めるしかない。

「あれ?」

白銀の狼の背の上に手をついたリツソが素っ頓狂な声を出した。

「ハクロの背はどうしてこんなことになっているのだ? 少しは身ぎれいにするといったことをせねばならんぞ」 

昨日、ハクロの背に散々鼻水やヨダレを垂らしてその背を汚した張本人が、平然とそんなことを言ってのける。
言うとすぐにハクロから降り、黄金の狼の背の上に座りなおした。 黄金の狼の目が驚きに大きく見開かれた。 だが次には、これから自分の背がどうなるのかと、この黄金に輝く毛がギトギトになるのかと思うと、心中は諦めの一色になった。


結局今日も家の周りを歩き回っただけの紫揺が、部屋の中でのストレッチを終えて雨戸を閉めようと掃き出しの窓に近寄った。 
すると目の前に黄金の狼に跨った少年の姿が目に入った。 少し離れた後ろには白銀の狼がひかえている。

「え?」

黄金の狼がそのままにじり寄ってくる。 白銀の狼は動かない。 紫揺の目の前まで黄金の狼が来ると少年が狼から降り、黄金の狼が白銀の狼の立つところまで戻った。
狼が戻ったのを確認すると窓を開ける。

「どうしたの、その傷」

少年の姿は、木にでも引っ掛けたのだろうかあちこちで衣が破れ、転んだりもしたのだろうか、顔にも手にも切り傷、擦り傷だらけになっている。 そして鼻の下には鼻水の足跡がある。

「なんでもない」

「なんでもなくないじゃない。 ちょっと待ってなさい」

すぐに部屋の中にあった手拭いを持ち、水差しでそれを濡らすと掃き出し窓を降りた。

「痛かったら言ってよ」
そう言いながら手拭いで血を拭いてやる。

「と、時が無くなってきた故、シグロの背に乗ってきたが―――」

シグロというのは黄金の毛を持つ狼のことだと分かる。

「コラ、自分の言葉で話しなさい。 じゃなきゃ、何も聞かないわよ」

少年が紫揺から目を離して口を尖らせ歪めると、もう一度紫揺を見て先程より小さな声で話し出した。

「最初はちゃんと歩いて来てた」

「へ?」

「シグロにずっと乗って来たんじゃない。 ちゃんと自分の足で歩いて来てた」

何を言いたいのだろうかと潜考する。 と、昨日の自分の台詞を思い出した。

『チビ・・・アンタに何ができるの? 自分で歩くことなく狼の上に乗ってエラそうにして、何が忠義よ―――』

確かにそう言った。 そうか、少年はその言葉を撤回しろと言わんばかりに、途中までは自分で歩いて来ていた、だが、もう遅くなってきたから狼に乗って来たのだという事を言いたいのか。

「そっか、自分で歩いて来てたんだ。 やれば出来るじゃない」

「あ、当たり前だ! オレは何でもできるんだからな!」

少年の大声に白銀黄金の狼が困ったように口の端を歪める。

「そうよ、そうやって自分に出来ることを何でもしていくといいよ」

途中までしか歩いて来ることが出来なかった。 一人でここまで歩いて来たわけじゃない。 だから何か言われると思っていたのに、何かを言われれば何かを言い返そうと思っていたのに、予定が大外れになってしまった。 ・・・でも、と、少年の頬がポッと赤くなる。

「今日は昨日の服とは違うのね」

水干姿であるが日本のものとはちょっと違う。

歴史の教科書で見たような気がするが、こんな少年がこんなものを着ているなんて珍しいと思い尋ねた。

「・・・ああ、そうだ」

服と言われてなんのことかと思ったが、紫揺の視線で何を言っているのかが分かった。
“ふくとは何だ?” とは訊けない。 まるで昨日言われた物知らずのようなのだから。
隠れて出て来るには、昨日のような他出着は着てこられない。

「で? 今日は何?」

「え?」

「何か用があるから来たんでしょ?」

少年が目線を落とした。

「どうしたの?」

「べ・・・別に用などという事では・・・。 其方・・・」

「ほら、ちゃんと自分の言葉でしゃべりなさいって」

言われ一度頬を膨らます。

「・・・ただ」

「ただ?」

「ただ来ただけだ」

「こんな怪我をして、ただここに来ただけ?」

「・・・そうだ。 悪いか」

「悪くはないけど」

何となく少年の気持ちが分かる気がする。 ただ自分に逢いたかっただけなのだろうと。 驕(おご)った考えかもしれない。 でも昨日の様子から、出来た姉兄を持ち、皆に比べられている末っ子のワガママちゃん。 そのことを何も知らない自分に会いに来るということがあっても、なんら不思議ではないのではなかろうか。

「ね、チビは―――」

紫揺の一言に白銀黄金の狼たちの目と口が大きく開かれた。 咄嗟に黄金の狼が今度は完全に自分の毛がギトギトになるという不安さえ頭をよぎった。 白銀の狼にしては、頭をブンと一振りすると、これ以上大声を出されては困る。 すぐにでも咥えて走り出そうという態勢だ。

「チビじゃない。 リツソだ」

またしても白銀黄金の狼の口がアングリと開かれた。 あの、あの、あのリツソがチビと言われたのに、泣くどころか自分の名を名乗っている。

「そっか、リツソ君か」

「皆はリツソさ・・・」 ここまで言って口を閉じた。

「なに?」

「なんでもない。 リツソでいい」

言いかけたのは 『皆はリツソ様と呼ぶ』 だった。

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